『勇気に触れた臆病』 2/4
「ア、アサカ? どうしたの、なん、何で……?」
ホームルームが終わるなりひづりはアサカの席へ直行した。動揺を隠そうとしたが全く失敗していた。
アサカは高校入学当初から『勉強と武術の教室通いとアインの面倒でなかなか時間がとれないから部活や委員会の類には入らない』と言っていた。だから、いくらアサカが熱心な《ラミラミフォーチュン》のファンだと言っても、文化祭のタイアップの話が出てすぐにこんなにも勢いよく、迷いなく飛びつくなんて、ひづりは正直思ってもみなかったのだ。
いや、確かにアサカが文化祭実行委員になったからといって何かがあるという訳ではない。ロミアには『今後も店や学校でアサカやハナに会うかもしれませんが、魔術の事や天井花さんが悪魔だって事なんかは絶対に秘密にしておいてください』と伝えてあるので、ロミアとアサカが学校内で会い文化祭について直接会話をする形になったとしても何も問題は無い……はずなのだが、それでも学友だけは自分たちの問題に巻き込むわけにはいかない、と決めた以上、ひづりとしては内心とても穏やかではいられなかった。
「え、あ、ほ、ほら私、《ラミラミフォーチュン》好きだから、ラミラミさんに会って、一緒に文化祭やってみたいな~って思って……あはは……。そ、そう! 良い思い出になるかもだしね!」
幼馴染で無くとも分かるくらいアサカは何かを隠している様子だった。
「だっ、だからごめんね、ひぃちゃん、ハナちゃん。クラスの出し物には参加出来ないかも……」
「ほんとにいいのアサカ~? 文化祭の一日目、あたしがひづりん独り占めしちゃうよ~? ひひひ」
首を突っ込んで来たハナがいたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「そうだよアサカ。去年三人で一緒に文化祭回って楽しかったじゃん。ラミラミさんとだって、別に実行委員じゃなくたってきっと会えるって。だから、今からでも委員会辞退して来よう?」
ひづりはハナに加勢してもらいながらそう促した。
しかし。
「う、ううう……っ。そ、それでも私には、やらなきゃいけないことがあるんだあー!!」
アサカはひどく葛藤する様子を見せた後、そんなよく分からない事を叫びながら教室を飛び出していった。ホームルームの終わり際に須賀野が「立候補してくれた人は後で職員室へ来てくださいね」と言っていたので、たぶん行き先はそこだろうが。
「ありゃ、煽り過ぎたかな。しかしアサカ、そんなにあの占い師のチャンネル好きだったんだね? 去年あたしらとの文化祭巡りあんなに楽しんでたのに。やんなきゃいけない事ってなんだろ?」
ハナはアサカの机の脇にしゃがみこんで首を傾げた。
「わからない……。どうしたんだろ、アサカ……」
「……んん~、まぁ、アサカがやりたいって言うならあたしらが口を挟むのも違うのかもね。今年はあたしも二日目にバンドのライブやるし……あ、そういえばバンドの連中にメッセージ返さないといけないんだった。ごめんひづりん、また後でね」
ハナはそう言うと立ち上がってスマホの画面を見ながら席へと戻って行った。
「…………」
味醂座アサカは、少なくともひづりが知る限り、一にも二にも幼馴染最優先で動く、そういう少女だった。どちらかというとこれまでひづりはアサカのそういうところがちょっと心配だった。だから、彼女が好きな物に夢中になって文化祭実行委員に立候補した、というこの状況は喜ばしい事に違いなかったし、《悪魔》や《魔術》に関してはこれまで通り自分が秘密にし通せば良い、ただそれだけのことだった。
……けれど。今日のアサカはどうも自分に対して何か余所余所しかった気がする、とひづりはそう捉えていた。それがなんだか、不安、というのか、寂しい、というのか、上手く形容できない感情になって胸の中に痞えていた。またそのせいか、自分の席へ戻ろうと踵を返した瞬間、何故か急にアサカの机の傍を離れがたい気持ちに苛まれ、そうした心の揺らぎに戸惑ったりもした。
席に戻ると、ふと夜不寝リコと百合川が視界に入った。……アサカもおかしいが、私も一体どうしたのだろうか、とひづりは額に手を当てた。実のところ、先週夜不寝リコが百合川に告白する場面を見てしまってからというもの、気を抜くとあの時の事ばかりが思い出され、今日に至ってはこんな風に気づけばつい二人の方を見てしまっているという状態だった。クラスメイトの告白シーンなんて確かに珍しいものではあったが、それでももう週明けである。一体何が未だにそんなにも気がかりに思えてしまうのか、ひづり自身まるで分からないまま、こうしてずっともやもやし続けていた。
ただ、そこから急に、今朝のラブレターの事を思い出した。そしてまたアサカの事を考え、ひづりはハッとした。……もしかして、アサカは私に気を遣っているんじゃないか? 私が本当は文化祭を機に誰かと付き合ったりしたいと思っているんじゃないか、とか、本当はあの手紙を寄越して来た相手の事が気になっているんじゃないか、とか、そんな風にアサカは思ったんじゃないのか……? と。
ありえなくもない話だった。確かにこれまでひづりは男女交際というものの経験がほとんど無かった。恋愛小説やその手のドラマなんかも特に興味が無く、どちらかというと冷めた目で見ていたフシすらあった。しかし、だからといって結婚とかそういうものに全く興味が無い訳ではなく、ただこれまできっかけが無かっただけであり、また最近は特に色々と忙しかったり慌ただしかったりで意識を向ける機会がそもそも減っていた、というだけなのだ……が、アサカはそうは思っていなかったのかもしれない。彼女はそんな色気の無い人生を送る幼馴染を見て哀れに思い、居た堪れなくなったのかもしれない。文化祭ではカップルが誕生しやすいという噂がある。去年も文化祭前後で校内の男女の距離感がどこか少し変わっていたとひづりは記憶していた。来年になれば進学の事で皆いっぱいいっぱいになる。だからこそ、高校二年生のこの文化祭では、友達とばかり遊ばず、恋人の一人でも作っておくべきだ、と言うのだろう。それをふまえて教室を見渡すとやはり皆なんだか普段よりちょっとおしゃれをしているようにひづりは思えてきた。
まさかアサカにこんな風に気を遣わせる日が来るとは。私があまりにそういった事に関心を向けて来なかったばかりに……。ひづりは不甲斐なさに目を伏せて眉根を寄せた。
しかし。同時にひづりは先ほどとよく似た胸の痛みを覚えていた。赤面した夜不寝リコの横顔が何故かまた不意に脳裏に浮かんでいた。
「……遠慮なんて、しなくていいのに……」
ひづりは机に伏せ、誰にも聞こえないような声で呟いた。
私はどこかの誰かと付き合ったりなんかしないのに。
もし私が誰かと恋仲になる可能性があるとするなら、それは──。
「……っ!」
そこでひづりは、ばっ、と勢いよく顔を上げた。瞬きをし、それからぎゅうっと目を瞑って深呼吸をした。
私は一体なんて無責任なことを考えているんだ。私が、アサカの恋人だなんて。そんな風に考えるなんて。そもそもアサカが私にあんな風に懐いてくれているのはあの時の事があったからだ。私にアサカの人生を奪う権利なんてある訳がない。
ひづりは幼馴染に対して抱いたその感情を下劣なものと断じ、考えを頭から振り払った。




