表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐
219/259

2話 『異国の地で四面楚歌』        1/4



 2話『異国の地で四面楚歌』




 乗り換え案内アプリの情報いわく、新宿駅から綾里高校へは、東京メトロの丸ノ内線に乗って中野坂上駅で降りるのが最速のルートであり、また駅を出てから高校までの距離もこれが一番短いのだと言う。

 でありながらだ。あたしが監視を命じられていた対象の一人である官舎ひづりは、いつもJRの総武線に乗って東中野駅で降りるルートを選び、丸ノ内線ルートの二倍近い距離を歩いて登校していた。三十円ほど料金が安いのと、どうやら「歩くのが好きだから」とかいう如何にも運動が好きな奴が言いそうな理由からそちらを選んでいたらしい。おかげで官舎ひづりの監視を命じられた日はいつも朝からその結構な距離を歩かされる羽目になっていた。

 しかし、そんな日々も先週の水曜日に終わりを告げた。日が暮れ、監視の役目を終えて安ホテルに帰ろうとしていたところ、いきなり《天使》の群れに囲まれ、攫われた。《天使》の頭目は《イオフィエル》と名乗り、『僕たちは以前からアウナス一派に眼を光らせていた。君には今日から僕たちの手伝いをして欲しい』と言った。《魔女》はいつの世も人々から迫害対象とされて来たし、特に《悪魔》と《天使》からは見つけ次第殺されてきたから、絶対に見つかってはいけないよ、という教えを耳にタコが出来るほど聞かされて育ったので、《天使》に囲まれた時は疑いようもなく死を覚悟したが、しかし《イオフィエル》はどういう訳か捕まえたあたしを拷問に掛けるどころか新宿駅近くのそこそこ良いホテルに住まわせ、護衛兼監視としてだろう部下の《天使》までそばに置いた。名のある《上級天使》が一体全体あたしのような《魔女》に何をさせるつもりなのか、正直気が気では無かったが、それでも《イオフィエル》に保護されてからというもの《アウナス一派》からの接触は一度も無く、奴らにこの三か月近く強要されていた『和菓子屋たぬきつねの監視』なんていう《ボティス王》に正体がバレていつ殺されてもおかしくないような危険な仕事から解放されたのは確かであり、当然、朝っぱらから日本の窮屈な電車に揺られ迷いそうなほど複雑で坂も多い路地を官舎ひづりみたいな生意気なガキのケツを追い掛けながら一キロ半近く歩かされるような事もなくなった。まだまだ不安は残るが、ひとまずロミア・ラサルハグェは晴れて人権を取り戻したのだった。

 ────と、そう思っていたのだが。

「はぁ~……」

 まだ人気も疎らな中野坂上駅前の大通りに肺いっぱいの溜め息をぶちまけつつ、あたしはなけなしの気力を振り絞って再び重い重い両足を目的地に向けて動かした。

 十月九日の月曜日、朝六時。二週間後に催される東京都中野区綾里高校文化祭と《ラミラミフォーチュン》のタイアップに向けた打ち合わせのため、チャンネル主のあたしはこれから綾里高校へと向かわねばならなかった。《イオフィエル》の提案と金曜日の《和菓子屋たぬきつね》での会合の結果、無惨にもそういう話になった。しかも《ボティス王》からは『一時的にではあるがわしはこれよりお主を我が国の臣下として扱おう。お主に力と体を奪われたわしの臣下もその方が報われようからの。ただし、ひづりの高校の文化祭を使ったその計画、失敗しようものなら今度こそお主の首を刎ねる』なんて事を別れ際に言われた。

 だから結局あたしの命の危険は全く去ってなんかいなくて、むしろ悪化していて、この身の預かりが《アウナス一派》から《イオフィエル》に替わって良かった事と言えば、この綾里高校までの道のりが、これまで使わざるを得なかった総武線ルートよりちょっぴり歩く距離が短くて済む丸ノ内線ルートになった、という、本当に、ただそれくらいのものだったのだ……。

 とは言えだ。押し付けられたこの文化祭とのタイアップの仕事自体は、はっきり言ってあたしにとってそう難しいものではない。《ラミラミフォーチュン》では初期の頃から立ち寄った町のお祭りや祝い事と一日限りのコラボレーションなんてしょっちゅうやっていたし、高校の文化祭よりずっと大きな箱でマイクを握った事だって何度もあった。だからこの仕事に関して特に不安は無かった。

 それに、何よりあたしは無実なのだ。血も涙も無い《ボティス王》は徹底してあたしを殺したがっていて、官舎ひづりも半信半疑という感じだったが、それでもあたしはこの《人間界》をめちゃくちゃにしようなんていう《アウナス一派》に同調した事は一度もないし、奴らが何を企んでいるのかも知らされていない。訊かれた事には全部正直に答えている。後ろめたい事などなにも無いのだ。《魔女化》以降に身につけた強力な《身体強化の魔術》にしたって、うっかり立ち入ってしまった危険な地域で命を狙われた際にこの身を護るため数回使った程度だった。別に《魔術》を悪事に使いたく無いとかそういうポリシーがある訳じゃなく、ただ人間社会で《魔女》である事がバレないようにと思ってそうして来ただけだが、世間的な眼で見ればあたしがそんな感じのいたって善良な《魔女》であることは事実なのだ。

 だからあたしがただの清く正しい優秀で美人な占い師である事を《ボティス王》と官舎ひづりが理解するのも時間の問題なのである。そうして良い感じに話がついたら、機を見てこの日本からおさらばする。勝手に逃げたらたぶん《イオフィエル》の部下に追い掛けられて捕まってしまうから、そこはどうにかしなくてはならないが。

 とにかくあたしは今回の綾里高校文化祭での仕事をしっかりやって、恐ろしい《ボティス王》相手にも上手く振舞って見せて、今度こそ自由を取り返すのだ。

 …………まぁ、ほんの一つばかり「気がかりなこと」はあるけれど。



『おい。野良犬の様な惨めな格好でタラタラと歩くな。さっさと学校へ行け。遅れでもしたらどうするのだ。《我らの王》より直々に賜った任務を一体何だと思っている』



「…………」

 あたしは嘘は吐いていない。《和菓子屋たぬきつね》の面々にも、《イオフィエル》にも。それは本当だ。

 ──ただ、「誰にも訊かれなかったから答えなかったこと」は、あるが。

「はあ……。うるっさいなぁ。《どっかの誰かさん》が待ての出来ない駄犬みたいに朝の四時に叩き起こしやがってそこから準備したんだから、遅刻なんてするわけないだろうが……」

 行き交う周囲の人に聞かれないようあたしは小さな声でそう言い返した。

 そう。こいつ。こいつだ。あたしが十一歳の時に取り込んだはずの《悪魔》、《ジュール》。

 《魔女化秘術》は簡単に言えば自身の体を十年ほど掛けて《悪魔を封じ込めるための檻》へと作り替え、召喚した《悪魔》の《魔性》をまるごと体内に取り込んで自分のものとする、そういう《魔術》だ。だから本来であれば《魔女化》の儀式に使った《悪魔》は《魔女》が死ぬまでその体から出る事は出来ないし、喋る事も《魔術》を使う事も出来ない。

 ……はずなのに。こいつは何故か三か月前、あたしが《アウナス王》に捕まって《和菓子屋たぬきつね》のスパイをやらされるようになってから、急にこんな風に喋り出す様になってしまった。

 《魔女化》で取り込んだ《悪魔》が喋るなんて聞いた事がなかった。もしかすると《ジュール》の王様である《ボティス王》と物理的に近づきすぎたせいで《ジュール》の力が強まってこんな事になったのかもしれないが、今は故郷に帰れないし他の《魔女》とも連絡がとれないので事実を確かめる手段も対抗策も無かった。

 しかし。幸いにもこの声はあたしにしか聞こえていないようで、《イオフィエル》も《ボティス王》もあたしの頭の中で喚き散らすこの《ジュール》の大声には完全な無反応だった。異常事態ではあったが、それだけは本当に不幸中の幸いだった。こいつの声が聞こえる事をあたしが《イオフィエル》にも《和菓子屋たぬきつね》の連中にも打ち明けなかったのは、もし知られたら絶対に《ボティス王》は《ジュール》の言葉をあたしに中継させるに違いないと思ったからだった。あたしの中に居る《ジュール》が沈黙しておらず、現在進行形で自分の意思を激しく主張していると知られていたら、一体どうなっていたか。そんなのは決まっている。官舎ひづりは《ボティス王》の臣下をまるで家族か何かみたいに扱っている。《ジュール》の言葉や意思を聞けば、きっとあの頭のおかしいガキは和鼓たぬこや《ヒガンバナ》と同じように《ジュール》に対して情を抱いて、《ジュール》を閉じ込めた《魔女》であるあたしを悪者と見做し、手のひらを返して突っぱね、あたしを殺して《ジュール》を取り出す方の選択をしていたに違いない。

 そして《ジュール》もそれを察したのか、《ボティス王》があたしを殺して中に居る《悪魔》を取り出して戦力にしよう、と言い出した時、ここぞとばかりにとんでもない騒ぎ方をした。どうか私の声をお聞き下さい《ボティス王》、このネズミ臭い《魔女》を殺してください、などと、あたしの頭蓋骨が割れそうなくらいの大声で叫んでいやがった。あの時は何も聞こえてないフリをするのに必死だった。騙し通せて本当に良かったと思う。

 とはいえ、もしかしたらこいつはそのうちあたしの体から剥離して外に出て来たり、《魔術》を使ったり、あたし以外の人とも会話出来るようになるのかもしれない。考えたくもないが、もしそうなったらおしまいだ。事実を知った官舎ひづりや《ボティス王》にあたしはあっけなく殺されるだろう。そうなる前に《和菓子屋たぬきつね》から離れなければならない。今後も《ジュール》の事は周囲にバレないよう気を付けつつ、今回のタイアップの仕事を良い感じに片付けて──。



『どうだろうな。果たしてお前がその短い手足に自覚があるのかどうか分かったものではない。豚の様に肥えた猫でも、お前と同時に歩けば三つ先の信号くらいまでは行っているんじゃあないのか?』



 あたしの体がちょっと小さめなのは《魔女化》の副次効果で成長と老化の速度が普通の人間よりずっと遅くなってるからであって別にあたしの手足が特別短い訳じゃねぇッ!!

 ──と思い切り叫んでやりたかったが、ぐっと両手の拳を握りしめて耐えた。《ラミラミフォーチュン》のラミラミはクールでミステリアスな年齢不詳の占い師で売っている。例えここでスマホを耳に当てて通話相手にキレている風を装ったとしても、朝からこんな往来で叫んでいる姿を運悪く誰かに撮られて晒されでもしたら間違いなく《ラミラミフォーチュン》に良くない評判がついてしまうだろうし、そうなれば綾里高校文化祭とのタイアップ企画にも少なからず影響が出るだろう。耐えるのだ……くぅう、くそ、くそがよッ……!!

「チュウッ!」

「わっ」

 あたしの不安とストレスを感じ取ったのか、胸元から急にメルが飛び出してサササッと肩まで一気に駆け登って来た。ふわふわの感触が頬に触れ、冷え切っていた気持ちが一気に温かくほぐれた。

「ふふ……ありがとうメル。慰めてくれるんだね。あたしの味方はメルだけだよ……」

 そのまま頬をすりつけると彼女はあたしの手に支えられながら自身もぐりぐりと頭を押し付けて来た。

 メルはあたしが《魔女》になった時に母が譲ってくれた雌のデグーだ。《使い魔》なので通常のデグーよりずっと長生きで、人間の言葉を理解し、見聞きした情報をあたしに教えてくれたりする。配信でも「ラミラミの言葉が分かる賢いデグー」としてリスナーから愛されていて、各地を一緒に旅するあたしの一番の大親友だった。

 《アウナス一派》に脅迫されて毎日ずっと《和菓子屋たぬきつね》を見張らされようと、《ジュール》に毎日暴言を吐かれようと、それでも《魔女》なので体は平気だったが、心だけはどうしようもない。もしメルが居てくれなかったらきっとあたしは心細さでとっくに死んでしまっていただろう。



『ふん、みすぼらしい。そんな下等生物しか縋るものが無いとは、小さな体もボサボサの毛もお前とお似合いだな、ドブネズミ』



「うるっさい。だいたい体そのものが無い奴に小さいとか言われたくないし~。ね~メル~?」

「チュ?」

 あてつける様に引き続きモフモフのメルを撫でた。

「それに人のコト言えないでしょあんた。いっつも、《ボティス王》が《ボティス王》が、って、バカみたいにさ。あんなに叫んでたのに部下のあんたの声も聞こえてないっぽいし? あんたみたいな下っ端が居たことだってそもそも憶えてやしないんじゃないの、あの王様? 何考えてんだか知れない王様にそんな忠誠ぶって、一体どんな意味があるんだろうね」

 馬鹿にするように言ってやると、思った通り《ジュール》は声を大きくした。



『何だと……!! 頭も体も矮小な木っ端の《魔女》如きが何という不敬か!! 崇高なる意志に触れた事も無いその日暮らしの獣に何が分かる!! 《我らの王》は我らの《未来》を信じておられる!! 例え地球が《天使》を排除するためだけに《悪魔》を生み出し、その戦が終わったのだとしても、それでも《魔界》はいずれ新たな時代を迎え、そこで《悪魔》も新たな役目を担う!! だから我らに、日々教養を愛せ、と《我らの王》はそうおっしゃったのだ! 《王》が《未来》を信じるからこそ、我らも《王》と同じものを信じ、生きていけるのだ! お前のような人の道を捨て《悪魔》にもなりきれぬ半端者が軽々に語って良いお方ではないのだ!!』



「声でけぇ~……。もう何回も聞いたよそれ。朝からほんと元気だねあんた。ニワトリかなんかかよ。っていうか、前々から気になってたんだけど、あんたのその《我らの王》って言い方、まさかとは思うけどその《我ら》にあたしも入ってる訳じゃないよね? なんかそういうニュアンスに聞こえる時があるんだけど」

 《ジュール》は見下す様に鼻を、ふん、と鳴らした。



『入っているに決まっているだろう豚女。全くこの上なく気に入らないが、お前は我の《魔性》を通じ、《王》から賜った《魔力》を使っている。なら当然お前も《我らの王》の配下だ。《王》も先日の会合でお前を一時的に臣下にするとおっしゃっただろう。まさかもう忘れたのか。体は豚で頭はニワトリか、この豚足鳥頭女』



「知らねーよ、そんなのあんたらの理屈でしょ。《魔女》のあたしがなんでそんなもんに従わなきゃいけないわけ? 悔しかったらあたしの体から出て来てあたしに言う事聞かせてみろってんだ。ははん。ま、《下級悪魔》のあんたにそんなこと出来る訳ないけどね。べろべろばー」



『なんだとぉ……《我らの王》から力を借りておきながらよくも……これだから《魔女》は……!!」



 《ジュール》はそのままいつもの様にガミガミとキレ散らかしていたが、あたしは言いたい事を言って大体満足したので《ジュール》を意識の外に放り、駅前のコンビニで買ったばかりのおにぎりをナイロン袋から取り出してメルとの朝食の時間に入った。

 死と隣り合わせの状況なのは変わっておらず、利用する駅から綾里高までがちょっと近くなっただけだ、と悲観的に言ったが、実のところ先週の金曜日から明確に改善されている点はもう一つだけあった。それは他でもないこの《ジュール》のあたしに対する態度だった。

 こいつ、なんとこれでも先週の金曜日以前と比べるとずいぶんと大人しくなっているのだ。

 七月の中旬頃から喋れるようになった《ジュール》は、一日中、本当に一日中あたしの頭の中で喋っていた。とても言葉に出来ないような語彙の罵詈雑言を二十四時間体制で呪文のように唱えていやがった。特に酷かったのは夜である。《魔女》だから三か月くらい寝なくても死んだりはしないのだが、夜が更けてあたしがうとうとし始めるとそれを見計らってこの世の終わりの様な絶叫を上げて叩き起こす、というのを《ジュール》は毎日楽しそうに繰り返していた。最初の一か月は気が狂うんじゃないかと思ったが、二か月目に入った辺りから変な具合に体が順応した。食べ物の味が分からなくなったり巨大な羊の幻覚が見えたりしたので、脳と体の寿命が縮んだのは間違いないだろうが。

 そんなやりたい放題だった《ジュール》が、先週の金曜日を境に急に夜中叫ばなくなった。あたしが恐る恐る瞼を閉じても無言で、そのまま気づけば朝になっている、という状態が、この三日続いていた。理由は間違いなく《イオフィエル》を介してあたしと《ボティス王》の間に協力関係が築かれた事だった。これまで《アウナス一派》に命じられて《和菓子屋たぬきつね》のスパイをしていた時はあたしの邪魔をすればするほど《アウナス一派》への妨害になったが、しかし《ラミラミフォーチュン》が綾里高校の文化祭とタイアップする事で《ナベリウス王》を見つけられるかもしれないとなった今ではあたしの邪魔をすればそれは直接的に《ボティス王》の目的への妨害となってしまう、と、《ジュール》はそう理解したらしいのだ。三か月の不眠生活で割と限界が来ていたあたしとしては睡眠が可能になり味覚が戻ってコンビニのおにぎりの味が分かるようになったのは大いに助かった訳だが、けれどこの文化祭が終わったらきっとまた《ジュール》の絶叫呪詛ライブが毎晩始まるのだと思うとあまり諸手を挙げては喜べなかった。



『──《我らの王》のためとは言え、《王》の御許を離れ、こんなドブネズミの世話をしなければならんとは……。だがこうした運命も《我らの王》の持つ美しさ故なのかもしれないな。月は常に見えている訳ではなく、また触れられないからこそ美しいと言う。かつてどこかの詩人が《我らの王》を《金色の月》に例え、詠った事があると言うが、もしかすればこうした趣向を交えたものであったのかもしれない。あぁドブネズミ、お前は知らんのだろう。《我らの王》は《角》も髪も瞳も、それはもう美しい黄金色なのだ。お前の短い《角》や形の悪い右目がお前のような豚にはあまりにもったいない金色の輝きを放っているのはそれが理由だ。ふふ。豚に真珠という言葉はお前のような者を見て考えられたのかもしれんな』



 《ジュール》はまだ飽きもせずあたしへの悪口を垂れ流してくる。あたしが完全に無視して明太子おにぎりの味に集中していても五分近くこの状態なので、こいつは本当に頭がやばい奴なのだろう。あたしはとんでもない《悪魔》を取り込んでしまったのだ。

 しかし改めて思うが、毎度毎度こんな風に言葉選びの端々に必ず《ボティス王》が出て来る辺り、《ジュール》は本当に《ボティス王》の事が大好きらしい。夜中叫ばなくなったこともそうだし、はっきり言ってキモいレベルである。

 正直あたしにはさっぱり分からない。《ボティス国の悪魔》である《ヒガンバナ》と和鼓たぬこも《ジュール》と同じく《ボティス王》にはかなり分かりやすく真っ直ぐな忠誠心を向けていたし、官舎ひづりもずいぶんと懐いているが、あたしにはこの数か月ずっとそばで観察していてもあの《ボティス王》を礼賛しようなんていう気には少しもなれなかった。

 そもそもの話として、あの《悪魔》が何を考えているのか、まるで分からないのだ。

 《アウナス王》は分かる。自身を見限った《天界》への謀反。そのためなら《ボティス王》の命も狙うし、同胞である《ベリアル王》だって利用する。分かりやすいくらい動機と思考がはっきりしている。

 《イオフィエル》も分かる。《アウナス一派》と《ボティス王》に潰し合ってもらい、双方を疲弊させ、横から《ソロモン王の指輪》を掠め盗る。金曜日にはなんか色々とごちゃごちゃ言っていたけど、《天使》としての本音はそこに集束していると見て間違いない。

 《ボティス王》だけが分からない。《隔絶の門》が在る現代に於いて《悪魔》一柱が《人間界》で出来ることなんてたかが知れている。そんな中、三千年も周到に用意をしてきた《アウナス一派》と、《天界》の兵力を操る《イオフィエル》に狙われているのに、何故かあいつは勝つ気でいる。それも官舎ひづりなんていう《魔術師》としてはひよっこもひよっこの女子高生を《契約者》にして。いくら《フラウロス王》が力を取り戻したからと言ってあまりにも楽天家が過ぎる。

 本当は何か《アウナス一派》も《イオフィエル》も跳ね除けられるような解決手段を既に手に入れているのか、それともこの状況をスリルとして楽しんでいるだけのただのイカレた王様なのか。

 どちらにせよあたしだったらこんな何の説明もしない訳の分からない王様になんて命を懸けたくない。絶対に嫌である。

「……お」

 そんな事を考えているうちに綾里高校のベージュ色の校舎が見えて来た。

「ほら、あんたの大好きな学校に着いたよ。ここから職員さんらと大事な話があるんだから黙っててよ。あたしの邪魔したらあんたの大好きな《ボティス王》の迷惑になるんだからね」

 食べ終えた後のゴミをナイロン袋にしまいながらそう言うと《ジュール》はぴたりと喋るのをやめた。ふっ、と思わず笑ってしまいそうになる。本当に分かりやすい奴だ。

「──ねぇ、ちょっとあんた」

 さて仕事モードで行きますか、と気を引き締めて学校の敷地に入ろうとしたその時、急に誰かに呼び止められた。

「……?」

 立ち止まって声のした方を振り返ると、校門横の電柱の陰に一人の女学生が立っていて、こちらをじっと見ていた。高校生のようだが制服が違うので綾里高の学生では無さそうだった。

「あんた、味醂座アサカどこに居るか知らない?」

 女学生はそう訊ねて来た。

 …………。

「あー、あなたのお友達? ごめんね、あたしここの人じゃないから分からないや。中に入って職員の人に聞いてみたらいいんじゃないかな」

 笑顔を作り、中庭の方を指差して見せた。

「…………」

 すると女学生は何も言わず踵を返してそのまま歩いて行ってしまった。



『おい。なぜ嘘を吐いたんだ。味醂座アサカというのは《我らの王》の《契約者》の友人の名だろう。それにあの娘は確か物好きにもお前のファンなのではなかったか?』



「バッカ野郎。あいつの眼、見なかったのかよ」

 急いで逃げる様に中庭へ駆け込みつつ、あたしは小声で《ジュール》にそう言い返した。

 そう、眼だ。あの女学生の眼。怒りとか憎しみとかそういうのを突き抜けた、暗い暗い感情を抱えてる奴の眼だった。カルトの熱心な信者がよくああいう眼をしてる。関わらないのが一番なタイプの人間だ。

「あたしの仕事は文化祭とのコラボなの。あのアサカってガキがどんな人間関係でどんな問題起こそうがあたしの知ったこっちゃ無いっつーの」

 《ジュール》の言う通り、味醂座アサカはあたしの熱心なファンらしい。《和菓子屋たぬきつね》の監視をしていた頃、彼女が《ラミラミフォーチュン》の話題を出した時は、まさかバレたのか、とかなり動揺させられたのを今でも憶えている。だからあたしとしてもファンの子が何か危ない目に遭うかもしれないと思うとそれなりに気にはなったが、しかしあたしにとって今最も大事なのは仕事を完璧にこなして《ボティス王》や《イオフィエル》に殺されるかもしれないこの危機的状況を回避する事なのだ。命が懸かっている。他人の事など気にしている暇はない。

 最後にもう一回撫でてからメルを胸の中にしまい込み、ふん、と短い深呼吸をし、改めて綾里高校の玄関へと歩を進めた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ