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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
185/259

   『夜不寝』         5/5



 長机は部屋の隅に片付けられており、代わりに畳部屋の真ん中には来客用の布団が敷かれ、《火庫》はそこに寝かされていた。ひづり達が部屋に入ると《火庫》の傍に座り込んでいた凍原坂がぺこりと頭を下げた。

「……炎、元に戻ったんですね」

 ひづりはなるべく音を立てないよう静かに正座をしながら小声で訊ねた。

「はい、おかげさまで……」

 凍原坂もひづりの視線の先、《火庫》の額から伸びる《角》の先端の炎を見ながら小声でそう返した。

 二時間前に《火庫》がフロアで倒れた際、普段赤々と燃えていたその緋色の炎はすっかり消えてしまっていた。彼女も《フラウ》もその炎だけはお昼寝中なども常に燃え続けていたからひづりは正直気が気ではなかったのだが、どうやらその炎が消えてもすぐに死んでしまうという訳ではないらしかった。ただそれが異常である事に違いはないし、彼女が意識を取り戻してそして倒れた原因が何なのか分かるまでは安心は出来なかった。

「こちらへ運ばせてもらってからすぐ《フラウ》が目を覚まして、《火庫》の体を診てくれたんです。二人は体を分け合っているから、《火庫》の体の調子も《フラウ》には分かるみたいで。でもどうにも体に異常は見られなくて、それにこれまで通り《魔力》を分けているはずなのに何故か《火庫》はひどく疲れているみたいだ、と……。原因までは分からないからとにかく《魔力》を温存するために自分も寝る、と言って、こうして一緒に……」

 《火庫》の布団を挟んだ凍原坂の向かいには座布団が置いてあって、その上に《フラウ》がいつもの様に丸まって寝ていた。二人が揃って眠っている姿というものをひづりは本当に久々に見たが、今は懐かしさより痛ましいという気持ちの方が勝っていた。

「体調そのものが原因でないとするなら、恐らく精神の方が参っておるのであろう」

 天井花イナリは座布団を一つ持って来てひづりと凍原坂の間に座り込んだ。

「少なくとも《魔族》は、の話ではあるが……《魔族》はひどく気を病むと何もせずとも体内の《魔力》が勝手に消費されていくようになると聞く。わしは経験が無いゆえ正確な知見を持たぬが、話ではかなりの量を損なうという話じゃ。《魔族》の寿命が最高で二千年と定められておるのも、それ以上長生きすれば肉体より精神が先に異常をきたす故ではないか、と言われておる。《火庫》は今、何が理由かは分からぬが、その危険な状態にあるのやもしれん」

 そう言って天井花イナリは《火庫》の顔の左半分、《フラウロス》の紫色の肌の部分をそっと撫でた。

 凍原坂はますます心配そうな顔になって《火庫》の顔を悲しげに見下ろした。

「本当に、全く心当たりが無いんです。昨日、《火庫》に何があったのか……」

 沈み込む凍原坂の様子に天井花イナリは小さく息を吐いた。

「であればやはり、《火庫》が目を覚ましたらお主やリコがよくよく話を聞いてやる他あるまい。リコもこの後は予定通り仕事をあがり、凍原坂と共にこやつらを背負って帰るが良い。ただ、その前に先ほどの話じゃ。転校、引っ越し……一恵の代わりに話すと言うた事、わしらに話して聞かせよ」

 そう言って夜不寝リコに促した。夜不寝リコはうな垂れる様な格好で《フラウ》の隣に正座をしていた。彼女はそこからそっと頭を下げ、言った。

「……まず、すみませんでした。引っ越しのこと、黙っていて……」

 すると凍原坂も同じ様にひづりと天井花イナリに向かって姿勢を正し、頭を下げた。

「私も、お二人にはちゃんと話すべきだと思ってはいたのですが……すみません」

「それはよい。大方一恵と同じでお主もリコから秘密にするよう言われておったのであろう。リコが引っ越しを秘密にしておった理由も、立場や働き始めた動機を考えれば一応理解は出来る。店主のちよこにだけでも本当のことを打ち明けておったのであれば筋も通っておるしな。わしらの方に事情があるように、お主らの方にも事情があっただけである、とわしは理解しておる。ひづりも同じであるな?」

 天井花イナリに言いたい事をまるごと言われ、ひづりは「は、はい」とすぐに返事をした。

 少しの沈黙の後、夜不寝リコは顔を上げ、背筋を伸ばしてから言った。

「癌なんです。ウチの養父母。養父が膵臓で、養母が胃です」

「が、癌……!?」

 ひづりは驚いて思わず夜不寝リコと凍原坂の顔を見比べてしまった。凍原坂は何も言わず神妙な表情のままだった。夜不寝リコが今口にした言葉はたちの悪い冗談などではないと分かり、ひづりは疑った自分を恥じて黙り込んだ。

 夜不寝リコは続けた。

「養父は今もう新潟の病院に入って治療を受けていて……。あぁ、夜不寝の本家は新潟に在って……複数の病院を一族で経営してるらしいんです。夜不寝家は遺伝で癌になりやすい家系らしくて、代々皆でお医者さんをやってるのも、昔から一族の癌治療のために医学を学び始めたのが理由だとかで……」

 癌になりやすい家系。血筋を原因とする特定の癌発症は少ないながら確かに存在する、という話はひづりも以前医療系の番組で観た覚えがあった。しかし夜不寝リコの家がそうである可能性についてなどは今まで考えた事もなかった。

「だからウチは今養母と二人で暮らしてるんですけど……先月の頭に養母も胃の癌が見つかったんです。幸い早期の発見だったから緊急の入院にはならなくて。でも、今月にはもう手術を受けた方が良くて、それでどうせだったら夫と同じ夜不寝医院に入ったら良いんじゃないか、って話になって……。二人共どれくらい治療に期間が必要かまだわからないし、院内で夫婦いつでも会えて励まし合える環境の方が良いだろう、ってお医者様にも言われてて……」

 夜不寝リコは、すぅ、と震えるような息を吸った。

「法律上は養父母で、血縁上は伯父と伯母ですが、それでもあの二人はウチの《両親》なんです。二人はウチに、卒業まではせめて東京に残って今の学校を出た方が良いんじゃないか、って言って来ましたし、話を振られれば春兄さんもその間は自分が面倒を見る、とか人の良いこと言い出して……。でも、ウチには病気で苦しんでる両親を放って一人で東京で暮らすなんて出来ません。夜不寝家が医者の一族でも、癌が絶対に治るって訳じゃない。それこそ家族と離れ離れで闘病なんて、あの構って欲しがりの年寄り夫婦に耐えられる訳ない。ウチは両親について行く。新潟に引っ越して、二人が治るまでお見舞いに行く。絶対治る、って娘に毎日言われれば、殺風景な病室で過ごす気持ちだって違うでしょ」

 赤らめた鼻で彼女は強がるように笑って見せた。

 ひづりは先々週初めて明治大学へと赴いた日の事を思い出していた。たまたま立ち寄った神保町の古本屋でばったり夜不寝リコと鉢合わせたあの時の事だ。

 彼女は購入した新潟の大学に関する本をまるで体の陰に隠す様にしていた。あれはどうやらこういう事情だったらしい。

 通いたい大学が新潟にあったのではなかった。彼女はいつ癌が完治するか分からない養父母のそばに居てあげるために、再来年の進学も新潟に在る夜不寝本家から通いやすい大学を選ぶしかなかったのだ。

「なるほどのぅ。なんとなく見えたな、此度のちよこの考えが」

 天井花イナリは、ふうん、と目を細めた。

「リコを雇った後、あやつは一恵からそうした夜不寝家の現状を聞き出し、そして一恵から、リコに新潟への引っ越しを考え直させて十月以降も東京に残るようどうにかして説得して欲しい、と頼まれ、それを引き受けた。ちよこの事じゃ、夜不寝家が医者の家系であるなら成功報酬はなかなかのものに違いないと睨んだのであろう。そのためならリコが辞めづらくなるよう店を今の様なメイド喫茶の体にし特注のメイド服を《火庫》と揃いで買い与えるくらい、安い出費と割り切れよう。ああ、改装に至っては紅葉は無償で引き受けたのであったか。相変わらず上手くやるものじゃな。まぁ、今もリコの決意は変わっておらんようじゃが」

 ちよこの企てが上手くいっていない状況に気を良くしたらしく、天井花イナリは夜不寝リコを見ながら愉快そうにふふふと笑った。

 確かに、夜不寝リコの転校や一恵たちの癌の話を聞けば、ひづりも今回姉が企てていたであろう何かは今天井花イナリが言ったようなものに違いないように思えた。金に汚い姉が医者の一族に恩を売れると知って黙っている訳がないだろうという部分も大いに同意だった。特別店員として優れた能力を持っている訳でもない夜不寝リコを店員として迎え入れ雇い続けた理由にも納得がいった。

 だが、本当にそれだけなのだろうか、とも思えた。あの池袋に在るらしい《めいどぱにっく☆る~む》なるメイド喫茶に《認識阻害魔術》を用いて潜入していたのはまた別件での事だったのだろうか? ほぼ同時期にメイド喫茶に改装された《和菓子屋たぬきつね》を思うと全くの無関係とは思えない。天井花さんもあの《過去視》で見た姉さんのよく分からない行動を忘れている訳ではないはずだけど……。

「気持ちは変わってません」

 ひづりが考えを巡らせていると夜不寝リコがはっきり言った。それから彼女はひづりを見た。

「まだ、完全に納得がいった訳じゃないけど……春兄さんは官舎さんの《魔術》のおかげ? で元気になってきたみたいだし、今日は体調が悪いみたいだったけど、《火庫》は最近すごく明るくなった。……だから、少なくとも《和菓子屋たぬきつね》さんのこと、働き始めた時よりはずっと信頼してる。……出来ればまだもう少し見ていたかったけど、でももう引っ越しまで時間が無いから。……信じることにする」

 そう言って《火庫》の寝顔を見下ろした。その横顔は、かつて実の姉であった《火庫》と十四年の時を経て改めて姉妹として働く事が出来たこの二週間を思い出し、噛み締めているように見えた。

「……そっか。ありがとう」

 ひづりは夜不寝リコにお礼を言った。最初はひづりも、さっさと店を辞めるとか言って出て行ってくれないかなぁ、と夜不寝リコに対してそんな風に思っていたが、けれど同じ妹という立場の身であることや、彼女がとても家族を大事にしている事などをこの短い同僚生活の中で知った今は、やはり彼女の引っ越しをそこそこ寂しい気持ちで受け止めるに至っていた。

 夜不寝リコは顔を上げてひづりを見たが何も言わず、またどことも無い場所に視線をやり、それから腕時計を確認した。

「じゃあ、ウチらはこれで帰ります。黙っていたこと、本当にすみませんでした。春兄さん、《フラウ》はウチが背負うから、春兄さんは《火庫》のことお願い」

 彼女は天井花イナリに一礼してから腰を上げ、座布団の上で丸まっていた《フラウ》を伸ばして背負った。

 凍原坂も言われた通り《火庫》を布団から起こして抱えた。一人で背負うのは大変そうだったのでひづりも手伝い、それから布団を畳んだ。

「ありがとうございます。今日は本当にご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」

 彼はひづりにお礼を言い、それからひづりと天井花イナリに深く頭を下げた。

「よい。お主らも色々と気を揉んだことであろう。今日はゆっくりと休め」

 天井花イナリは座布団に座ったままそう言った。見送りに出る気はないようだった。

「それでは、失礼します」

 軒先へ出ると凍原坂はまたぺこりとひづりにお辞儀をした。隣の夜不寝リコも不服そうながらも小さく会釈した。

「お気をつけて」

 ひづりは駅前へと歩いていく小さな猫二人を背負った凍原坂と夜不寝リコの背中に手を振った。

 それからふと蛍光色で描かれた《和菓子屋たぬきつね・メイド喫茶店》の看板を見上げた。

 夜不寝さんが新潟へ行って姉さんの計画が駄目になったら、これも元に戻るのかな。まさかだったが、ひづりはそれについてもちょっとだけ寂しく思った。













 …………



 …………



 …………



 ……………どうか



 どうか私の願いをお聞き届け下さい



 ×××を、私の中から追い出して下さい



 どうか、どうか、お願い致します……



 ……石切さま







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