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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
166/259

   『孫として、これから』 7/8




「はっぴばーすでー、母さーん♪ はっぴばーすでー、母さーん♪ ほらひづりも歌って!」

 当初の予定通り官舎、吉備、花札の三家六人が揃い、幸辰が用意した手作りのホールケーキと吉備夫婦が買って来た寿司がリビングテーブルにちゃんと並べられ全員が席に着くと、ちよこが部屋の電気を切り、得意げにライターを取り出してケーキのろうそくに火を点けながら歌い始めた。

 市郎に対する遺産相続を露骨に意識した媚び諂いや、恐らく妹を取られまいという心理からであろう千登勢に対する今まで通りの攻撃的な物言いなどなど、妹のひづりの心情としてはとても穏やかではない言動が今日も今日とてちよこには見受けられたが、けれど本日の会食で普段通り気兼ねなく陽気に振る舞えるのは間違いなくちよこくらいであったから、ひづりも場の空気が明るくなるのであればと思ってぐっと言葉を呑み込み、感謝の気持ちを持って姉に合わせることにした。

「……ハッピーバースデー、母さーん」

 ちよこに倣ってひづりが歌いながら拍手でリズムを取ると、幸辰とサトオがそれに続き、そして千登勢と市郎も一緒になって歌い始めた。市郎はまた目元を赤くして、千登勢は途中でべそべそ泣き出した。隣に座っていたひづりはティッシュをとって彼女に渡してあげた。

「火は、父さんが吹き消して」

 ちよこが火を点け終え、そして歌と手拍子も終わると、ひづりは父にそうお願いした。もし生きていたら母はきっとそう望むだろうな、と思ったからだった。誰も反対する者は居なかった。

「じゃ、じゃあ……」

 幸辰は少し照れたように頬を指で掻くとそっと姿勢を正し、テーブルに身を乗り出してろうそくの火を一度にふうと吹き消した。

「母さん、お誕生日おめでとう~!」

 ぴっ、とリモコンで部屋の明かりをつけ、ちよこが囃した。ひづり達もまた一緒になって拍手をした。

「さぁ食べましょう食べましょう! はいおじいちゃん、このマグロね、とーっても良い職人さんに握って貰ったのよ! 一番に食べて欲しいなぁ~! 今日は車じゃないんでしょう? さぁさ、お酒もありますからね!」

 拍手の後、ちよこは間髪を容れず箸を握って腰を上げると市郎とサトオの間に座り込み、桶からマグロのお寿司を取って市郎の皿に乗せ、それからビール瓶の栓をぽんと抜いた。無闇に手際が良かった。

 ちよこと千登勢を隣同士にさせるべきではないな、と思って気を遣って二人の間に座っていたひづりは、いきなり空席になった隣のちよこの椅子を見てなんとも言えない気持ちになった。

「私たちも食べましょう」

 もう姉の事はなるべく見ない事にして、ひづりは手を合わせながら隣の千登勢に言った。

「は、はいっ」

 彼女も手を合わせ、まだ赤いままの鼻をすんと啜った。千登勢と市郎の好物が同じ生魚なのは幸いだった。市郎が来ず、今日家へ来るのが千登勢だけだったなら、ちよこは間違いなく寿司など買って来なかっただろう。ひづりは市郎にとっても千登勢にとっても、今日という日が良い一日になって欲しかった。

「サトオくんも遠慮せず呑もう。こうして話すのは久しぶりだね。お友達のお店は最近どうなんだろう? そろそろ店に戻っては来られないのかい?」

「そうだサトオくん、君があの《和菓子屋たぬきつね》の味を作っているんだそうだね。今日ひづりちゃんにおすすめを教えてもらったが、やはりどれもとても美味しかったよ。ちよこちゃんとはいつ頃からなんだい?」

 義父と義祖父に挟まれて肩身を狭くしていたサトオがいよいよ幸辰と市郎から質問攻めにされ始め、更に小さくなった。

 官舎家の小さなリビングテーブルの上を、それぞれの家の《これまでのこと》が飛び交った。

 帰国して花札家へ遊びに来た万里子が千登勢を遊園地や観光地に連れ回してはいつも夜遅くに帰って来ていたこと。結婚式でウェディングドレスのちよこを前に幸辰がずっと泣いていたこと。万里子の死後、この官舎家でも小さな仏壇を買ったこと……。

 些細な事から少し話しづらい事まで内容は様々で、またどこの家庭でもありがちなものばかりだったが、けれどそれらはこれまでお互いに共有がなかなか叶わなかったとても大切な話だった。今日の会食を提案して本当に良かった、とひづりは笑顔の父や市郎を眺めては暖かな気持ちを胸に抱いた。

 亡くなった母の誕生日が、遺され生きる自分達にとって価値のある日になる。父と市郎のことも、姉と千登勢のことも、まだまだこれからの事ではあるが、それでも自分達は確実に前進している。取りこぼし続けた官舎家と花札家の間にあるものを、今日みたいに少しずつ拾い上げていく。叶うなら、来年も、そしてその次の年も、こうして皆で集まって。

 母は、《魔界》へ帰った《友人》は、今の私達を見たら少しは安心してくれるだろうか。

 そうだったらいいな、とひづりは思った。不意にちょっとだけ涙が滲み、父や千登勢達を心配させてしまった。





「食器洗いはパパと千登勢ちゃんでしておくから、ひづりは市郎さんに仏壇を見せてあげておくれ」

 全員で寿司とケーキをすっかり食べ終え、『明日は定休日だから朝から夫婦でお出掛けするのだ』とかなんとか言う姉夫婦が慌しく帰ったところで、さて食器洗いをしようかと思って台所へ立ったひづりは、しかしにわかに幸辰と千登勢に止められてそのままリビングテーブルへと押し戻されてしまった。こんな日に、それも仕事を終えて来た千登勢さんに雑用なんて、とは思ったが、しかし千登勢は「わたくしは今日何もしていませんから、これくらいさせて下さい」と引かなかったので、仕方なくひづりは与えられた仕事の方を任される事にした。

「こっちです。小さな仏壇なんですけどね」

 市郎と共に廊下へ出るとひづりはすぐ隣の客間の襖を開けてぱちりと電気を点けた。蛍光灯の灯りが四畳半の客間を照らし、丁度向かいの壁に設けられたまだ何もかもが真新しい小さな仏壇のりんに光を反射させた。ふざけた笑顔をこちらに向けた中年女の遺影の傍らには、先ほど幸辰が供えておいてくれたらしい一切れのケーキとお寿司がちょんと置いてあった。

「これ、お供えさせて貰っても、良いだろうか」

 ひづりに促されて仏壇の前に座った市郎は手を合わせた後、昼過ぎに店へ来た時からずっと大事そうに片手に提げていた紙袋の中身をようやく取り出してそれをひづりに見せた。パッケージに黒と白のネコが描かれたそれは、どうやら猫の形をした可愛らしいお饅頭のお土産らしかった。

「ありがとうございます、母さんきっと喜びますよ」

 ついまた穏やかな気持ちになって、ひづりはどうぞどうぞと促した。市郎はちょっと恥ずかしそうにしながらその猫饅頭の箱を仏壇にうやうやしく置き、再びりんを鳴らして手を合わせた。

「それから、ひづりちゃんにも渡す物があるんだ」

 市郎は座布団を降りると両膝をひづりに向けて座り直し、鞄の中から丁寧に封筒を二つ取り出した。

「遅くなってしまってごめんね。お誕生日、おめでとう。私と千登勢からだよ」

「ああっ、ありがとうございます……!」

 受け取ったその封筒の端っこにそれぞれ「市郎」と「千登勢」と差出人名が書いてあるのを見てひづりは改めて彼らから親類として受け入れて貰えたのだと実感しとても嬉しくなってしまった。

「本当はもう少し多めに渡したかったんだが……千登勢に叱られてしまってね。ちよこちゃんはともかく、ひづりちゃんはしっかりしているから、誕生日のお祝いでもそんな分厚い封筒を渡されたらきっと受け取らないよ、って……。ふふっ」

「あはは……もう千登勢さんには、私や姉さんが言いそうな事、大体バレちゃってますね」

 台所の方からカチャカチャと聞こえてくる食器洗いの音に耳を傾けながらひづりと市郎はくすくすと笑った。

「ひづりちゃん。今日は本当にありがとう。お彼岸に誘ってくれたこと。お墓の掃除に連れて行ってくれたこと。お店でもお家でも、皆と食事をさせてくれたこと……。夢のようだった。ずっと叶わないだろうと諦めていたものが、この数週間で、頭も体も追いつかないほど現実になっていった」

 市郎は改めて仏壇を振り返ってそんな風に微笑んだ。ひづりも母の遺影をぼうっと眺めた。

「私こそ……」

 余計なおせっかいにならなくて良かった。迷惑を掛けてしまわなくて良かった……。今日という一日を終えたひづりの頭にはそんな安堵ばかりがあった。八月にお盆の帰り道で父と話した、花札家と今後なってしまうかもしれない最悪の関係。ラウラが背中を押してくれたとは言え、それでも今日のお彼岸はもしかしたらそんな風になってしまう可能性だってあったのだ。

 あの日、《グラシャ・ラボラス》の元に集められた全員の意志が、今日という官舎家と花札家の幸いの一日を作ってくれたのだとひづりは思っていた。自分一人の願いや我侭ではきっとこんな風に穏やかな結果にはならなかっただろう、と。

「もう先も短いものだと思っていたが、有り難い事に、私にもまだまだやらなければならない事は沢山あるのだと、それを思い知ったよ。死んだ後の事ばかり思っていたから、本当に甘かった」

 市郎は俄に声を沈めて言った。眉根を寄せてひづりが首を傾げると、市郎は困った様に笑った。

「以前から思っていたんだよ。私はあの世で、万里子の不満を聴いてあげなくてはいけないんだ。あの子は最期まで、私に何の恨みもぶつけてくれはしなかった。ただ年に二回ほどうちへ来ては、千登勢とたくさん話をしてくれた、それだけだった。私はあの子とほとんど話が出来なかった。だから、誰もいないあの世では、あの子が千登勢のお姉ちゃんとして振る舞わなくても良いあの世では、あの子が抱えていた不満を、私は父親としてちゃんと聴いてあげないといけないんだ」

 彼は万里子の写真を見つめながら、悲しそうに、けれど優しい父親の声音でそう語った。

 勿論まだまだ死後のことなんて考えてもらいたくないひづりとしては「死んだら、なんて縁起でもないですよ」と言いたかったのだが、しかし彼があまりに切なそうに言うものだからどうにも良い返しが思いつかなかった。

 するとひづりの様子を察したのか市郎は「ごめんね」と謝った。

「大丈夫だよ。さっきも言った様に、私には、千登勢の父親として、ひづりちゃん達のおじいちゃんとして、しなくてはいけない事が山積みだからね。当分はこの世にしがみつくつもりでいるよ。今日の事もその一つだ。自分の足で歩けるうちに、自分の口で話せるうちに、ひづりちゃんとこうして話が出来てよかった。本当にそう思っているんだ」

「市郎おじいちゃん……」

 七十三歳を迎えた人間の、残りの人生の使い方と、そしてあるのかどうかも分からない死後のこと。人生のまだ四分の一も生きていないであろう身にはまるで想像もつかない事だったが、けれどそんな彼の人生を孫として何か少しでも支えてあげられたら良いな、とひづりは思った。

 少しして食器洗いを終えた千登勢と幸辰が客間に顔を覗かせ、またしばらく四人で万里子の話をした。ちよこ達が居る席で既に一度話したような内容のものばかりだったが、ひづりはそれで良いと思った。




 千登勢が車を停めていた近くの駐車場まで花札の二人を見送り、ひづりと幸辰がマンションへ戻った頃には、もう時計は二十二時半を過ぎようとしていた。

 手早く残りの片づけを済ませて就寝の準備を終え、ようやくという具合にひづりが自室のベッドに横たわると、俄にスマートフォンが電話の着信を知らせた。見ると《和菓子屋たぬきつね》からだった。

「もしもし?」

「わしじゃ。すまぬな。寝るところであったろう」

「ああ、天井花さん。いえいえ。おつかれさまです。何かありましたか?」

 もうすでにだいぶ眠りに向かう気分だったのだが、ひづりは体を起こして訊ねた。

 すると天井花イナリはどうやら《現在視》で見ていたようで、ひづりの言葉を遮った。

「あぁよいよい、横になったままで聞け。特に何という事はない。《火庫》もリコもよぅ働いておったし、《フラウロス》も静かなものであった。凍原坂もあの後、同僚にも食べさせたいとかなんとか言い出して、持ち帰り用の菓子を多めに買って店に金を落として行った。万里子の誕生日ではあるが喪中ゆえに表立って祝えぬからであろう。万里子の娘の店に、何かして行きたかったようじゃな」

 ひづりは思わず息を吸い込んだ。凍原坂さん、そんな気を遣ってくれていたのか……次会ったらまたちゃんとお礼を言わないといけないな……と、寝て起きた時に忘れてしまわないよう勉強机からメモ帳を引き寄せて記しておいた。

「教えてくれてありがとうございます。天井花さんもお疲れ様でした」

「うむ。お主らの様子はこちらからたびたび《見て》おった故、疲れた甲斐があったのは分かっておる。仔細は明日……いや、明日は店が休みであったか。明後日、店へ立ち寄った時にでも聞かせよ。今日はもう休むが良い」

 スマートフォンのスピーカーが微かに、ふっ、と優しい吐息を拾ったのをひづりは聴いた。天井花イナリは今日のお彼岸が良い結果に終わった事を、《現在視の映像》や通話でのひづりの声を聞いて既に確信しているようだった。ひづりも眠気がそろそろ厳しくなって来ていたので彼女の気持ちに甘える事にした。

「分かりました。では、またお店で……。おやすみなさい、天井花さん……」

「うむ。ではな、ひづり」

 通話を切り、ひづりはそのまま部屋の電気も消した。思いの外疲れてしまって明日の学校の準備も何も出来ていなかったが、宿題は昨日のうちに済ませてしまってあるし、どうにか早く起きれば間に合うだろう、と楽観的に考える事にしてひづりは瞼を閉じた。

 嬉しそうに話す市郎や千登勢の笑顔がしばらく頭の中に浮かんでいた。胸を満たす暖かな充足感がひづりを心地良い眠りに導いた。







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