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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
143/259

   『これからの歩みのために』



「…………なるほど。大体の事情は、分かりました……」

 《フラウ》がここ数日お昼寝の場所にしている《和菓子屋たぬきつね》の畳部屋で、ひづりはひとまず紅葉と百合川に今回の経緯を洗いざらい喋らせた。

「ごめんねぇ? ひづりちゃんにはサプライズにしておきたいからって、ちよこちゃんから口止めされてて……」

「俺もちよこさんから、官舎には言うな、って言われて……すまん」

 長机の向こうで紅葉と百合川は謝罪したが、しかし話を聞けばひづりもそこまで二人を責める気にはなれなかった。

 まずあのメイド喫茶を謳う店頭の看板の類と店内の大掛かりな改装だが、やはりこれらは全て吉備ちよこ主導によるものだった。そして紅葉と百合川は、ちよこからその手伝いをするよう連絡を受けたのだという。

 その時の姉の言い分がまた酷かった。


『火庫ちゃん達が店に居てくれれば、お店もひづりも安全なんです。だから火庫ちゃんたちがお店に馴染めるように、紅葉さんには和菓子屋たぬきつねの内装コーディネートをお願いしたいんです。先月、紅葉さんが望んでた父さんとの過去のやり直しが叶ったのは、グラシャ・ラボラスさんの仲介をしていた私とひづりのおかげでもありますし、一つくらいお願いを聞いてもらってもいいですよね?』


 角の立たない遠まわしで持って回った言い方だったそうだが、つまり紅葉がちよこからされた要求はそういうものだった。八月中ずっと入院していたちよこはラウラの一件に関して山中広場に《転移魔術》で呼びつけられるまで一切関与していなかったはずなのだが、こういううやむやな部分を勝手に自分の手柄にするのは昔から大の得意だった。

 けれど、そうでなくても紅葉は昔から甘夏以上にちよこやひづりに甘いところがあって、サトオの祖父母に長らく家屋として使われていた《和菓子屋たぬきつね》が一年前にさて吉備夫婦のものとなり和菓子屋として稼動させるべく新規改装を行った際、紅葉はその仕事を破格の値段で請け負ったという。彼女の本業は言わずもがな山梨にある楓屋本家での着物の取り扱いなのだが、その芸才を活かし副業として結婚式場やイベント会場などの内装デザイナーとしても活動する事があった。

 だから今回も、ラウラの一件でちよこに貸しができたという体になってしまった紅葉は、『店をメイド喫茶にしたいので改装を無償でやってくれ』というそのちよこのむちゃくちゃな要求を快諾してしまったというのだ。

 そして一方の百合川だが、こちらは紅葉と違ってかなり分かりやすく脅されていた。


『結果は丸く収まったけど、もしひづりやお店に何かあったら、どうするつもりだったのかしら……。ひづりが図書委員でとっても仲良しだって言っていたから、私も百合川くんを信頼していたのだけど……』


 ひづりが予想していた通りのゆすり方を姉はしたらしく、百合川は今日ちよこに言われるがまま学校に仮病の電話をし、楓屋紅葉指揮による《和菓子屋たぬきつね》改装の男手として朝から駆り出されていたのだった。

 百合川は正座のまま体を小さくしておずおずと語った。

「官舎への連絡は、俺も本当はすべきだって思ったんだ。店にも来るなって言われてたし……。でも……でも、ちよこさんから一昨日の夜電話の最後に『改装の手伝いを受け入れなかったり、もしひづりにばらしたりしたら、今後百合川くんには一切、何もお願いをしないからね。そうしたら、魔界に帰っちゃったラウラさんにも、何も報いれないね』って言われて……! それに正直言うと、紅葉さんと一緒に働けるって聞いたら俺……俺は断れない……断れなかったんだよ、官舎……!!」

 百合川は涙で目元を赤くしつつも、一体どこを見ているのか、遠く彼方を見上げて『何一つ悔いは無い』という綺麗な顔をしてみせた。

 ひづりは長い溜め息をつきながら額を押さえて長机に肘をついた。前言撤回。そうだった。自分の願望のためなら何もかも捨てて《悪魔》と《契約》するような男だったんだ、こいつは。百合川が欲に弱いことは最初から分かっていた。だからこいつを姉さんと会わせたくなかったのに……。

 そして連絡と言えば、ひづりの番号を知っているはずの天井花イナリや和鼓たぬこまで改装の件で連絡をしてこなかったのには、実に物理的な理由があったと知った。

 朝、紅葉と百合川を迎え入れたちよこは改装に関してある程度説明をした後、店に一つしかない据え置きの受話器をケーブルから引き抜いて鞄に入れ、そのまま持って行ってしまったらしい。

 開店に伴い、既に小道具などを形にしていた紅葉と百合川は店の飾りつけを開始。昨日の時点で客足が落ち着いて、今日から友人の和菓子屋の手伝いに戻ったサトオ。そして蒸発したちよこ。《和菓子屋たぬきつね》のフロアは今日、朝から天井花イナリと《火庫》の二人きりだった。話し上手なちよこが居なければ客の対応に手は足りなくなり、食器洗いの仕事も和鼓たぬこがやらなければならず……そうした忙殺で三人ともご近所さんから電話を借りる暇も無かったのだという。

「でも、なんで姉さん、ここまでしてこんな……勝手に趣味丸出しの改装なんてしたんだろう……。サトオさんも……」

 姉はこの改装を、妹には間違いなく反対される、と分かっていたのだろう。だからひづりの学校があるうちに、こうして相談もなく改装を済ませた。百合川に学校をサボらせて、山梨の紅葉を呼びつけて、受話器を引っこ抜いて。

 しかしひづりには分からなかった。確かに姉には以前からやたら従業員にメイド服を着させようという倒錯的な趣味があったが、ここまでの事は始めてだった。実際、こうした《和菓子屋たぬきつね》改装の案はちよこの頭の中にこれまでもあったのかもしれないが、それを夫のサトオの良識が止めていた……はずだった。

 だが今朝出勤前のサトオと会って一つ二つ話をしたという紅葉と百合川曰く、彼は改装について全く了承していた様子だったという。

 理由は分からないが、よほどの事だとは分かる。吉備夫婦はとても仲が良かったがしかし祖父から店を継いだ身ゆえであろう、サトオはちよこの言うまま思うままにはさせていなかった。老舗の和菓子屋としての有りようというものを彼は最初から大事にしていた。譲歩は、天井花イナリのメイドエプロンまで。これまではそうだった。ちよこは紅葉に対して『火庫ちゃんたちが店に馴染めるようにお店の雰囲気を変えたい』などと述べたそうだが、その真偽はともかく、ひづりにはサトオがそんな理由で納得するとはとても思えなかった。

 ……直接訊けば、姉夫婦は答えてくれるのだろうか? 吉備ちよこのただの暴走ではないであろうこの現状について、自分は本当の事を教えてもらえるのだろうか。

「ちよこちゃんがあたし達と入れ替わりで店を出て行ったのは、たぶんひづりちゃんに怒られたくなかったからだろうね。悪い事した当日より、翌日以降の方が、叱る側の怒りも弱くなってるってものだし。それに経営者二人揃って店に居なければ、あたし達から詳しく言及されないで済むし。……きっとまた何か企んでるんだ。悪い夫婦だね~」

 紅葉は隣の座布団で眠りこけている《フラウ》の頭を優しく撫でた。ぴこん、と彼女の黒い耳が弾くように揺れた。

「さて、じゃあ百合川くん。あたしはひづりちゃんともう少し話があるから、先にフロアのアサカちゃん達のところへ行って、二人にも説明出来る範囲、話してきてくれる?」

 にわかに紅葉は顔を上げ、百合川を振り返って言った。

「え? あ、はい、了解です」

 追い出されている、とすぐに気づいたらしい彼はちらりとひづりの方を見てから立ち上がって、《フラウ》に配慮してだろう、なるべく足音を立てないようにしながら襖を開けて出て行った。

「……じゃあ、聞きたいことがあるよね。いいよ。あたしはひづりちゃんに秘密はしない」

 百合川の足音がフロアの方へ消えると、紅葉は徐にかしこまって静かに言った。

 ひづりも同じように改めて姿勢を正してから、叔母に問うた。

「あれから体の調子は、悪かったりしませんか? 手首、痛みが残ったりしていませんか」

 あれから半月。聞きたい事はそれなりにあったが、やはり最初に聞いておきたかったのはそこだった。あの日、《グラシャ・ラボラス》としての姿を現したラウラの頬を思い切り引っ叩いた紅葉は手首を痛め、すぐに《治癒魔術》を施されたが、しかし七月の《ベリアル》襲撃に於けるちよこの肩の怪我の様に、傷こそ塞いでも完治には時間が掛かる場合だってあるのだと、ひづりは学んでいた。あるいは治らない可能性だってある。飾りつけだの看板の増設だのといった力仕事は主に百合川が担当したと聞いていたが、それも全てではないはずなのだ。紅葉はつらいのを隠して無理をしてしまう癖がある。そこがひづりは気がかりだったのだ。

 紅葉はぱちりと瞬きをして瞼を大きく開いた。どうも意外な質問だったようで、彼女は数秒固まった。

 それからふふふと笑って、鼻を啜った。

「大丈夫。とっても元気だよ。手首も全然平気。……でも、そうだね。気持ちの方は、大きく揺らいでいるかも。あの時あたし、謝罪もお礼も言い損ねちゃったからね……」

 紅葉は机に乗せていた自身の右手首に視線を落として、少しさすった。

「あの時、グラシャ・ラボラスさんが言ったように、万里子さんと兄貴の結婚式に出られなかったことは、あたしにとってすごく大きな後悔だったんだ。……二十五年も前のことなんだよ。ラウラちゃんがああして関わってくれなきゃ、きっとあたしはあのまま、何にも向き合えず、兄貴の気持ちも分からないままで……。ラウラちゃんのしてたことは全部ひづりちゃんや万里子さんのためだっていうのは分かってるけど、それでもあたしに過去のやり直しをさせてくれたこと……でも、そのお礼を言う前に帰らされちゃったこと……お別れになっちゃったこと……。ほっぺた、叩いちゃったこと……。もやもやした気持ちが、あれからずっと胸にあるんだ」

 寂しげに、また切なげに、紅葉はその心の内を吐露した。

「わかります。ラウラはちょっと、そういうずるいところがありました」

 ひづりが返すと紅葉は苦笑したが、すぐにまた真面目な顔に戻って言った。

「どのくらい先のことか分からないけど、でも例の天界ってところは間違いなくまたこの《和菓子屋たぬきつね》を狙ってくる……んだよね? あたしや姉貴は、その時きっと何も出来ない。でも、ラウラちゃんだってあたしに空を飛んでみせろ、なんて思ってたわけじゃないと思う。あの子があたしに望んだのはきっと、叔母としてひづりちゃんたちのために出来る事をやれ、って、そういうことだと思うんだ」

 静かに淡々と語りながら、紅葉はふと何か見つけたように窓の外を見た。ひづりもその先を目で追うと、五、六羽の鳥の群れがひらひらと午後の遠い青空を泳いでいた。

「あたしは恩返しがしたい。あの場にあたしを引きずり出してくれたグラシャ・ラボラスさんに。今回、改装を引き受けたのはそれが理由なんだ。ちよこちゃんに手伝って欲しいって言われた時、チャンスだって思った。……それと正直に言えば、姉貴もたぶん同じ気持ちのはずだからね、姉貴よりも先に行動したかったっていうのもある。でも今日、ひづりちゃんに報告もせずちよこちゃんのお願いを聞いたのは別の理由なんだ。それをちゃんと今、話しておきたい。……分かってるんだ。ラウラちゃんのこと、ちよこちゃんは関わってなかったんでしょ? さすがに二十三年叔母さんやってると、分かる」

「気づいていたのに、今日の事、受けちゃったんですか?」

 ひづりは面食らって少々声を高くしてしまった。

 紅葉は微笑むように細めた眼差しを長机の木目に落とした。

「ちよこちゃんやサトオくんはお店の改装をひづりちゃんには相談してないし、反対されるって分かっててやるんだろうな、っていうのは、ちよこちゃんが受話器持って出て行った時に確信したんだ。ひづりちゃんの趣味じゃないだろうな、っていうのは、聞かなくても分かったし。でも前にもちよこちゃん、店の内装を今みたいにしたいって、あの時は冗談だったのかもだけど、言ってたんだ。サトオくんが反対して話は流れたんだけどね。だから意外だった。今回の《和菓子屋たぬきつね》の改装にサトオくんが賛成したのが。何か事情があるんだろうな、って。だからこれはね、《格好》なんだよ」

 紅葉は改めてひづりの顔をまっすぐに見て、続けた。

「もしあたしが今回の依頼を断っても、きっとちよこちゃんは別の業者に頼んで、どうあっても店の改装だけはした思う。口実は分からないけど、それでもサトオくんを納得させるだけの理由を得ているなら、ちよこちゃんとしてはそのチャンスを逃さないでしょ。なら、他の誰かに任せず、あたしがそれを請け負えば……。ちよこちゃんの望み通り、今回お店の改装に関する費用をあたしは一切請求しないし、ひづりちゃんが店に来るまであたしはひづりちゃんに何も教えなかった。本質はラウラちゃんへの恩返しだけど、ちよこちゃんに大してもこれは大きな貸しなんだよ。あたしは今日、まずちよこちゃんへの《してあげられること》を百パーセントでしてあげた。だから、次はひづりちゃんなんだ」

 紅葉は柔らかく微笑んだ。それは以前の彼女とはどこか違う、どちらかと言うとひづりの父や甘夏によく似た大人びた表情だった。今日彼女が見せた行動の意味がここへ来てようやく腑に落ち、ひづりはまるで目の前がにわかに晴れていくように感じた。

「悪魔とか、魔術とか、あたしには全然だけど……それでも大人としてしてあげられる事は、いくらかきっとあるはずだからさ。そしてそれがどんなものでも、もう先に《してもらった》ちよこちゃんは、お姉ちゃんって立場上、口出しは出来ない」

 不思議だったのはそれなのだ。紅葉がちよこの頼みを聞くことは何ら珍しくなかったが、彼女の言う通り、今はひづりも《和菓子屋たぬきつね》に大いに関わっていた。昨夏の、《和菓子屋たぬきつね》開店にともなう改装ではない。今は《和菓子屋たぬきつね》の人員として官舎ひづりもここに居る。なら、店の大掛かりな改装なんて話が出たのなら、いくらちよこから秘密にして欲しいと言われたって、紅葉がひづりへ何も連絡して来ないのはおかしい。

 けれど、これが紅葉にとって今後のための体裁と布石であるなら理解が及ぶ。

 ちよこが今回紅葉に依頼したのは『和菓子屋たぬきつねの無償改装』と、そして『改装が終わるまで妹のひづりに秘密にしておくこと』だった。紅葉は今日それを両方、完璧に果たした。であれば、次に紅葉がひづりに対して何か手助けをする際、ちよこはそこに口を挟めない。たとえそれが、現在ちよこが企んでいる《何か》にとって酷く不都合な事であったとしてもだ。

 紅葉はちよことひづりの、公平な叔母なのだから。

「ありがとうございます、紅葉さん……」

 姉のこと。《火庫》のこと。夜不寝リコのこと。ここ数日一人で悩んでいたひづりは急に心細かった己の胸の内を自覚し、思わず目の奥が熱くなってうつむいてしまった。

 紅葉は隣で眠ったままの《フラウ》を起こさないようゆっくり抱え上げると、それをべそべそ泣いてしまっているひづりの膝の上にそっと乗せて、それからまた優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。

「たくさん頼ってね、紅葉お姉さんのことも。大好きだよ、ひづりちゃん……」








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