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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
142/259

   『変貌する職場』



 九月の二十日、水曜日。《和菓子屋たぬきつね》に新たに加わった従業員が働き始めるにはきっとこの上なく良い日であろう、暑くも寒くもない晴れ晴れとした天気のまま、綾里高校は放課後を迎えていた。

「じゃあ皆さん車に気をつけて帰ってくださいね。それと夜不寝さん、少しお話がありますので、あとで職員室に来てくださいね」

 ホームルームの後、須賀野は荷物を纏めながら何とは無い口ぶりでそう言い残しつつ、徐々に賑わい始めた教室をさっさと出て行った。

 どうしたの夜不寝さん、何かやったの? と茶化す声が上がる夜不寝リコの席の辺りへ、ひづりはつい耳を欹てた。

「え~? わからない。あ、百合川くんの代わりに美化委員の仕事押し付けられるのかも。うえ~」

 夜不寝リコはいかにも困ったように友人らに返しながら席を立つと軽い足取りで須賀野の後を追いかけて行った。

 綾里高校は学生のアルバイトを容認している。法的に問題のある職場でもない以上、夜不寝リコが《和菓子屋たぬきつね》での就労を学校側に秘密にする理由はないだろうし、須賀野も、今日から彼女が官舎ひづりと同じ職場で働く件については、かつての教え子であるちよこからもきっとすでに聞いていることだろう。姉はそういう手回しはしっかりしている。だから先ほど夜不寝リコが言ったように須賀野が今日これから美化委員の仕事を彼女に任せようとしているにしても、その出勤時刻に障るような事はきっとないはずだった。

 けれど、なんだろうか。ひづりはふと引っかかっていた。今しがた夜不寝リコに声を掛けた際の須賀野は、例えば五月にひづりの母が亡くなったと知った時や、またちよこが旅行先で大怪我を負ったと聞いた時に見せたのとよく似た声色をしていたようにひづりには聞こえていた。

「ひづりん?」

 夜不寝さんか、あるいは須賀野本人に何かあったのだろうか……と開け放たれた教室の扉とその向こうの廊下を眺めながらぼんやり考えていると、不意に耳元で名前を呼ばれ、ひづりはびくりと体を震わせた。

 いつの間に近づいて来ていたのか、ハナがもう互いの鼻先も触れようという位置に顔を置いていた。

 驚いてのけぞったひづりにハナは眼を丸くしてそれから屈めていた体を起こすと廊下の方を見て眼を細くした。

「夜不寝さんのこと、気にしすぎじゃない?」

「…………否定は出来ない」

 急に《和菓子屋たぬきつね》で働くと言い出した《火庫》に加え、ちよこの企てに組み込まれたと思しき不仲のクラスメイト。小心とは自覚しつつも、ひづりは最近何かにつけて気がかりに思ってしまっていた。

 ハナは前の席とひづりの席との間にある窓辺にもたれかかると大げさにため息を吐いて見せた。

「分かるよ、あたしも最初、夜不寝さんがひづりんのお店で働くことになったって聞いた時は、それこそ、あのオン眉クソビッチ何考えてんだ、って思ったし。それで今日が勤務初日でしょ。気が重いよねぇ」

「ハナは何か楽しそうに見えるけど」

 肩を竦めたひづりに、ハナはニコニコしながら体を揺らした。

「そりゃあ、ようやく面と向かって言ってやれる訳だからね。楽しみだよ」

 にっかりと口角を上げて彼女は笑った。

 月曜日に電話で説明をした際、アサカとハナには『夜不寝さんは新しいバイト先を探していて、和菓子屋たぬきつねへは、私が勤めていると知らずに履歴書を出したらしい』と説明をしていた。嘘と思わず信じてくれたアサカと違い、ハナはずっと訝しんでいた。というより、七月頃から、今のひづりが姉に対して抱いている疑念程度には、何かしらの秘密の存在には感づいている様子だった。

 ハナもまた夜不寝リコとはあまり良い仲でないらしいことは、普段の教室での視線などを見ていれば分かった。それに夜不寝リコの就労決定報告を聞いた際はどちらかというとアサカよりも驚いていた。夜不寝さんがどうして、何故、と電話口でずいぶん食い下がられたものだった。

 奈三野ハナにとっても《和菓子屋たぬきつね》は友人が働いている姿に野次を飛ばしながら好物である美味しい和菓子が食べられる気の良い茶店だった。であれば、後から来た特に親しくも無いクラスメイトが何の断りも無くその店で働き始めると聞けば、言いたいことの一つや二つや三つや四つ、あろうと言うものだろう。

 あれから二日。夜不寝リコの就労初日の今日、ハナとアサカはこの後一緒に《和菓子屋たぬきつね》へ行く話になっていた。各々考えは違うだろうが、それでも来店の理由はやはり共通して『夜不寝リコは本当にちゃんと和菓子屋たぬきつねで働けるのか』の確認であろうと分かったし、彼女達が自分へ向けてくれているその心配をひづりは拒否など出来なかった。

 ただちょっと面白がっているフシのあるハナに対しては、何も思う事が無い訳ではなかったが。

「ハナ、昨日も言ったけど、私は別に夜不寝さんと店でギスギスした関係になりたい訳ではないからな? いや、今後の向こうの態度次第ではあるんだけど……でも夜不寝さんとは話をしたし、軽々しい気持ちで働こうっていうんじゃないっていうのは、分かってるんだよ」

 言うまでも無いだろうかとは思いつつ、ひづりは改めて確認するように伝えた。

 ハナは揺らしていた体をふと止めて、それから今度はちゃんと背筋を伸ばし、しっかり頷いた。

「分かってるよ。今日はほんとにアサカと一緒に様子を見に行くだけ。それに、夜不寝さんに何か問題があるなら、ひづりん喧嘩っ早いから、あたしが心配することじゃないだろうしね」

「ありがとう。でもハナ、私は喧嘩っ早くないから、心配はしててくれていいんだぞ」

 冗談を言い合っているうちに帰り支度を済ませたアサカも来て、予定通りひづりの少し早めの出勤に併せて二人も一緒に《和菓子屋たぬきつね》へ向かう事となった。

 教室を出て階段を降りる際、ひづりは職員室のある中央棟の方をちらりと見たが、夜不寝リコの姿は認められなかった。




「しかし、どうせなら今日百合川も連れて来たかったね。絶対夜不寝さんびっくりすると思うんだけど。珍しく学校休みやがるんだもんな、タイミングの悪いヤツ」

 好天と涼やかな気温のおかげか商店街はいつもよりいくらか活気があるようで、賑わいの中ハナはまた上機嫌になったか意地悪そうに声を高めた。

「いや、休みでなくても、百合川は店に来させないけどね?」

 ひづりはハナに返しながら、道すがらふと眼が合った八百屋の奥さんに会釈をした。知り合いではないのだろうが、隣のアサカも同じようにぺこりと頭を下げる。

 昨晩の時点でひづりは百合川から、『夜不寝リコとはすでに和菓子屋たぬきつねの内情や悪魔についての情報共有を済ませている』と聞かされていた。二人ともきっと互いのその奇妙な現状について色々驚くこともあっただろうが、どちらも《悪魔》や《妖怪》を実際に見てきた身であるし、理解は得られている様子だった。ちなみに百合川の百合趣味に対して夜不寝リコがどう反応したのかについては、特に聞きたくもなかったのでひづりは訊ねなかった。でもたぶん気持ち悪いって言われたんじゃないだろうか。仕方ないと思う。

 そうして夜不寝リコとも話し合う中で、『百合川はこれからも和菓子屋たぬきつねには来店させない』という今後の方針が一つ決定した。ひづりとしてもこれまで通り姉と百合川を接触させたくなかったし、夜不寝リコも働く姿を百合川に見られるのは何とも落ち着かないから、という事だった。二対一で、百合川に決定権は無かった。

 アサカとハナも、《悪魔》に関する事は説明出来ないながらも、以前から《和菓子屋たぬきつね》の話をしているとどこからともなく寄って来る百合川がそのたびにひづりから「お前は店には来させないからな」と入店拒否されるのを見ているので、中学時代からの友人であるという夜不寝リコが働き始めたからといって、百合川の処遇に変化がなくても不思議には思われないはずだった。

「冗談だよ。もしも、だよ」

 前を歩くハナは振り返ってひづりにむくれて見せた。

「ふふ。でもそうだね。確かに勤務初日に百合川が店へ来たら、夜不寝さんすごく驚くだろうね。メイド服姿で働いてるところなんて見られたら、どんな顔するのか」

 商店街の陽気さや歩調の軽いハナにつられてか、ひづりもこんな軽口を言うくらいには気が楽になっていた。

 百合川は《和菓子屋たぬきつね》には来ない。それが前提として無ければ、夜不寝リコだって、たとえ凍原坂達のためであってもあんな肌の露出の多いメイド服を着て働く事を受け入れたりはしなかっただろう。だからこそ、もし百合川が店に来たら、きっと月曜日の騒ぎくらいにはなるのかもしれないな、とひづりは底意地の悪さを思いながらもそこそこ胸がすいた。ウエストのサイズについて鼻で笑われたことを、ひづりはまだちょっと根に持っていた。

 ともあれ今日から夜不寝リコと正式に同僚として働くのだ。店に着けば天井花さんと和鼓さんが居る。出勤までまだ時間はあるが、早めに気を引き締めていこう、とひづりは軽く深呼吸をした。

「ねぇ、ひぃちゃん。あれ、何……?」

 煎餅屋の前に差し掛かった辺りでアサカがぽつりと訊ねた。彼女は正面を見つめたまま首を傾げていた。

 あれ、とは? とひづりも顔を上げてアサカの視線の先を見ると、確かにそこには妙な物が見えた。

 通りの先。古本屋に面した、《和菓子屋たぬきつね》の看板。そこに見慣れない《緑っぽい板のようなもの》が被せるように貼り付けてあった。

「……なんだろう……?」

 ひづりも首を傾げた。昨日まではあんな物、無かったはずだった。大部分を焼き目の入った木材で造られている《和菓子屋たぬきつね》の外観に、その《明るい緑色》はかなり目立っていた。

「っていうか、看板だけじゃなくて周りにもなんかいっぱい飾ってあるね? それと近所の人かな、お店の前で立ち話してるみたい。何かあったのかな?」

 ハナも爪先立ちになりながら怪訝そうな声を出した。普段であれば商店街もこの辺りまでくればそれなりに人気が減るものなのだが、今日は珍しく周囲に人だかりがあって、それは天気が良いからとか、そんな理由で出来る規模には思えなかった。

 それこそ先日の《和菓子屋たぬきつね》営業再開日のような──。

「…………」

「…………」

「…………」

 やがて店の前まで来たところで三人は立ち止まってその《緑色の看板》を見上げしばらく言葉を失った。

 看板には、《和菓子屋たぬきつね・メイド喫茶店》との文字がパステルグリーンで大きくプリントされていた。

「…………模様替えしたねぇ?」

 ハナが気を遣った。彼女の視線は、戸口の右手に掲げられた『メイドさん始めました!!』なる意味不明な内容のやたらでかい張り紙に向けられていた。

「知らない……何これ……」

 見れば、ひづりが勤め始めた頃から店先にあった古ぼけた木造の長椅子は丸ごと撤去されており、今そこには天井花イナリを初めメイド衣装に身を包んだ《火庫》と夜不寝リコのバストアップ写真が、こちらもイエローグリーンやダークグリーンのハート模様で彩られA3サイズの額縁に入れられて商店街の通りを向いていた。彼女らの写真の下にはそれぞれ名前や性格が可愛らしい丸文字で記されていた。

「ちよこさん、だよね、これ、たぶん……?」

 つい先ほどまで「いざ夜不寝リコの働きぶりを見極めん」と真剣な顔をしていたアサカは、看板とひづりの横顔とを不安げに見比べながら、おそらく三人誰もが頭に浮かべているであろうその犯人の名を挙げた。

 お気に入りの和菓子屋の外観が、職場が、何の告知もなくいきなりメイド喫茶の体になっている。六月の末日に初めて天井花イナリと遭遇した時の感情を思い出しながら、ひづりは石の様に硬直した己の体を俯瞰した。

 しかしそうしていると店の扉が俄にかたかたと硝子を鳴らしながら動いて、そこから天井花イナリが顔を覗かせた。ひづりと眼が合うと彼女は驚くでも困るでもなくそのまま扉をもう少し大きく開け、手招きした。

「来たか。アサカとハナもよう来たのう」

 そう言って、ひづりたちの動揺にも気づいているだろうに、彼女は何とはない様子で三人を店内に迎え入れて戸を閉めた。

「天井花さん、これは一体…………」

 何が起こっているのか聞き出そうとしたところでしかし店内に目をやったひづりはまた衝撃に頭をぶたれた様になって呆然とした。

 店内が、まるでフラッシュでも焚いたかの如く明るかった。全てのテーブル上に吊り下げられぼんやりとした明かりを壁や床に敷いていた提灯型の照明は今店内に一つも見当たらず、代わりに上品な黒格子のランプシェードが厚いガラス越しに明々とはっきりしたLEDの光を店の隅々まで広げており、それをまた今まで《和菓子屋たぬきつね》では一度も用いた事など無かった真っ白なテーブルクロスに反射させていた。見上げれば入り組んだ木組みの梁の至る所にハンギングプランターが細いチェーンで吊るされていて、そこから造花のポトスが濃淡二色の葉をゆったりと逆三角に垂れさせて、これまた店内に馴染みの無い鮮やかな緑色を拡げていた。

 本体がしっかりした和風建築なのでまるきりとは言わないが、それでも信じられないほどこの日の《和菓子屋たぬきつね》はひづりもドラマなどで見た事があるメイド喫茶の様相を呈していた。ごちゃごちゃと装飾された店内はしかし普段より客入りが良いようで、見慣れない顔ぶれで賑わい、そんな中を《火庫》があっちへ行ったりこっちへ行ったり慌しくぱたぱた歩き回っていた。

「ひづりに話がある。二人は少し待っておれ」

 趣向が百八十度回転した店内のありさまに辟易しているアサカとハナをひとまず空いている席に座らせると、天井花イナリはひづりをフロアの隅の方へと引っ張った。

「その顔を見るに、やはりお主にも連絡は無かったか。わしとたぬこも、今朝になって知らされたのじゃ」

 よく見ると天井花イナリのメイドエプロンには『いなり』と書かれた可愛らしい簡素な名札が安全ピンで取り付けてあった。なんだこれは……。いや、そんなことは今重要ではない。

「連絡って……姉さんからですか? 何もありませんでしたけど……。っていうかやっぱり姉さんですかこれやったの。どこに隠れてますか」

 ひづりは造花だの派手なポスターだのといった過剰な装飾品の数々でひどく見渡しづらくなったその店内に姉の姿を探した。

 天井花イナリは腕を組むと気が悪そうに大きなため息を吐いた。

「居らんぞ。ちよこは今朝、開店直前になって、紅葉らと入れ違いに店を出ていきおった」

「え?」

 ひづりは眼を丸くして天井花イナリを振り返った。

 紅葉さん……? なんで、紅葉さん? それに入れ違いってどういう──。

 と、その時だった。天井花イナリのすぐ後ろ、従業員室に続く暖簾が揺れ、ひづりのよく見知ったプリン頭の女性が現れた。

 眼が合うと彼女はにわかに、このキラキラと輝く店内よりもずっと顔色を明るくして、ひづりの方へ駆け寄って、そのままぶつかるようにして抱きついてきた。

「ひづりちゃーん!! 先月ぶりー!! 元気してた!? あ、お店の内装見てくれてたの? えへへ嬉しいな! どう? すっごいでしょ~!」

「何、なんで紅葉さんが……。…………は?」

 子供の頃からもう忘れられないほどに嗅ぎ慣れた父方の叔母の匂いに包まれていると、その背後に私服姿の百合川がぽつんと立っているのを見つけて、ひづりは急に頭が冷めた。

「百合川……? お前、なんでここに居るんだ。今日、風邪引いて学校休みだって……」

「あ……あはは……いやそれがその、色々あって、だな……」

 彼は困った様に笑いながら肩を竦め、ちらりと紅葉の後頭部を見た。紅葉は困惑するひづりを抱きしめて頭をなでなでしていた。

「おはようございま…………あ!? なんで百合川くんが居るの!?」

 にわかに背後でほとんど悲鳴に近い声がして、見ると学生鞄を担いだ夜不寝リコが目をまん丸にして肩を怒らせていた。

「え? あれ? 紅葉さんと、百合川? なんでここに百合川が居んの? お前今日学校は? ひづりんどうしたの、何これ?」

「……夜不寝さん、ひぃちゃんのお店でそんな大きい声出さないでくれるかな」

「へへへ、ひづりちゃんひづりちゃん……」

「紅葉、そろそろひづりを放さぬか。話が進まんであろうが」

「白狐様……。和鼓様が、そろそろ商品お出ししないと、もう出来上がったものがいくつもあるとおっしゃっていますが……」

 《和菓子屋たぬきつね》のフロアに集った各々の口からは矢継ぎ早に困惑や混乱の入り混じった声が飛び出して、かつてない程のかしましさをまだ営業中の店内に響かせた。

 自身も分からない事ばかりではあったが、それでもとにかく収拾をつけねばと同僚や叔母や学友達を落ち着かせながら、しかしひづりの頭の片隅では確かにまたあの姉に決定的な一手を打たれてしまった事に対する悔しさが膨れ上がっていた。





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