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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第2期》 ‐その願いは、琴座の埠頭に贈られた一通の手紙。‐
122/259

   『素直じゃない』




「しかし、改めて言ってやりたくなるというものよな。お主が人間のためにここまでの手間と無理をするとは。《ソロモン》の奴が見たら顎を外すのではないか? 万里子との出会いはまことお主を変えたようじゃの、《グラシャ・ラボラス》?」

 ちょっと良い感じになっていたひづりとラウラの間に、天井花イナリはまたそのよく通る声を放り投げた。……多少なりとも嫉妬してくれているのだろうか、とひづりは性根の悪さを自覚しつつもついまたそんな事を思ってしまった。

「私は何も変わっていませんよ、《ボティス》。ただ万里子が面白かったので、……《ソロモン》の時と同じように一緒に行動していただけです。それを言うならあなたの方が、最初誰か分かりませんでしたよ、変わりすぎじゃないですか。なんですかその身長。ふざけてますか?」

 ひづりの手を離すとラウラは天井花イナリに向き直って腰に手を当てた。《魔力》が多少戻って来たらしい、もう一人で立っても大丈夫な様子だった。

「それはそのアホの万里子に言え。これ全部あやつのせいじゃろうが。……ああ、そうじゃ。先の話では万里子は自力でわしに行き着いたと言うておったが、疑わしいものよ。本当はわしをこの様な姿にして見下ろしたいがために、お主、あやつを唆したのではないのか?」

 眉を不機嫌そうに歪め、天井花イナリはラウラを睨み付けた。比較するとあまりにも小さな彼女のその白い手がびしり、と二メートル超えの長身を持つ旧友へと向けられていた。

 すると意外にもラウラはすぐには言い返さず、ばつが悪そうな顔でそっぽを向いた。

「……嘘ではありませんよ。三年前、万里子の口からあなたの名前が出て来た時は本当に驚いたんですから」

 三年前。曰く、長年研究を続けていた官舎万里子がついに《天井花イナリ》に用いるための《悪魔》として《ボティス王》を選出した年。……その寿命を鑑みれば、計画達成のための期限としてはかなりぎりぎりだった年。

 ラウラは不貞腐れたように、しかし淡々と続けた。

「良いでしょう、この際言ってあげますよ。万里子がどうしても《悪魔》の選定に行き詰り、焦りから相応しくない《悪魔》に行き当たってしまうようなら、私は《ボティス》、あなたを彼女に紹介するつもりでいました。……ええ、そうです。万里子が《天井花イナリ》の入手を計画し始めた頃から、あの子の願いのために相応しいのは他でもないあなただと私は思っていました。どう考えたって他の《悪魔》連中に務まるものではありませんでしたからね」

 その天井花イナリを褒める様な彼女の言葉選びにひづりは驚いたが、けれど同時に納得もしていた。最初に天井花イナリが《グラシャ・ラボラス》について語ってくれた時からすでにその確信はあったからだ。

 確かに眼が合うだけで言い争い、放っておけば殺し合いを始めるような二人ではあるが、それでも彼女達は互いにその《王》としての有り様をちゃんと認め合っている。古からの《悪魔の一柱》として、忘れようのない知己として。

 素直ではないが、互いに熟知しているが故に揺ぎない事実として各々の能力というものを評価している。

「少しも嬉しくない上に、気色が悪い」

 本当に素直ではない。

「誰も褒めてませんよちびっこ。自意識過剰なんじゃないですか? あなたが適任だと思ったのは、ただちょっとだけ《ソロモン》の事を思い出したからです」

 《ソロモン》。ひづりはまたラウラの横顔を見た。

 天井花さんとラウラにとって、三千年の時を経ても尚その心の中に在り続ける人。《悪魔の王》たちに名前を与え、彼ら彼女らと友達となった偉大な人間の王。《召喚魔術師》を目指す官舎ひづりが、きっとその人となりから沢山の事を学ぶべき、模範。

 ひづりは自然と、その名が出るたび彼女達の話に聞き入る様になっていた。

「気に食いませんが、《ソロモン》は確かに最期まであなたを一番信頼していました。そんなあなたを、今度は万里子が自らの思案の果てに選んだ……。《ソロモン》と万里子は生まれも人種も思想も何もかも違いましたが、不思議なことに、目指していたのは同じ類のものでした。自分が居なくなった未来、そんなずっと先の世界に、自分が生きた時代以上の幸福が人の世にあるように……なんて事をいつも嬉しそうに語っていました。尋常一様に《悪魔》を召喚する者の願いを思えば、それはあまりに異質な思想でした。ですが、私はその夢について語る時の二人の眼が好きでした。ですから、本当に気に食いませんでしたが、《ソロモン》が求めたように万里子があなたを求めるなら、きっとそれを私は邪魔するべきじゃない……そう思った、それだけですよ」

 そこには感情的な言葉も態度も多分に含まれていたが、けれど口調と眼差しにはいつか図書室で見せた様な彼女本来の英邁さとも言うべきものがはっきりと表れ出ていた。

「……そうか。なら、その件はもう深くは問うまいよ。謝らんがな」

 天井花イナリも、今度は茶化しも意地悪もしなかった。同じようにそっぽを向いて腕を組み、黙ってしまった。

「…………あ? ああっ! 謝罪と言えば《ボティス》! あの事についてまだ謝ってもらってないですよ!!」

 するとにわかにラウラは何やら思い出したという顔で高いトーンの声を天井花イナリに投げ飛ばした。

「何の事じゃ」

 天井花イナリは一度ラウラを見返した後、すぐに視線を逸らした。明らかに何らかの心当たりがある仕草だった。

「とぼけないでください! あなた、ひづりに《ソロモン》から貰った《アレ》の話をしましたね!? 《アレ》が奥の手ですって!? 信じられません!!」

 かなりの剣幕で怒号を飛ばしつつラウラは地面を踏みしめて天井花イナリに迫った。

「《アレ》の話をひづりにしておけば、私がそれを《聞いて》欲しがるとでも思いましたか!? 欲しがって、私がひづりを攻撃するとでも思いましたか!? 《アレ》欲しさに今日の話し合いを私が血で汚すとでも!? 何て卑劣ですか!! 絶対に許しませんよ!!」

 そう言いながら彼女は、どん、と地団駄を踏んだ。想像以上に地面が揺れ、ひづりは思わず足が竦んだ。

 相変わらずその雰囲気はどこまでも子供っぽかったが、しかしラウラの怒り様は今までで一番鬼気迫っているように見えた。

「卑劣とは心外じゃな。わしはお主がそのような事をするとは少しも思うてはおらなんだよ。故にあれはダメ押しと言う」

「あー!! やっっっぱりわざとじゃないですか!! ひどいです《ボティス》のバーカバーカ!! 髪の毛絡まれ!!」

 一段と幼児退行したラウラの言動に気圧されつつ、ひづりは未だ名も形も分からない《それ》にぼんやりと思いを馳せた。

 昨日、天井花イナリが語ってくれた《ソロモン王》から貰ったというその奥の手。どんなものなのか彼女はひづりに教えてくれなかったが、どうやらその存在自体はラウラも知っていたらしい。あるいは彼女が知っているからこそ、奥の手としての効果を発揮するものだったのかもしれないが。

 ただ現状分かるのは、《それ》が用いられるような結果には無事至らず、そして二人が《それ》のせいで今、かつてないほど全力でじゃれあっているという事だけだった。

「そう目くじらを立てる事もなかろう。別段あやつの意思に背くような事に使った訳でもなし……」

「うるさいうるさいうるっさいです! あーもう知らないです《ボティス》の声なんてもう聞こえないです!! 大っ嫌いです!! ふーん!!」

 一際大声で騒ぐとラウラは両耳を押さえてそっぽを向きしゃがみこんでしまった。……何だ、かわいいな。

 隣の天井花イナリをちらりと見る。呆れの篭ったその苦笑いには同時に暖かな感情も湛えられているように見え、ひづりは緩やかに肩の緊張が解けていくのを感じた。

 何があったのかは分からないが、天井花イナリはどうやらかなりラウラを怒らせてしまったらしい。

「……あの、天井花さん? ラウラが怒ってるの、例の奥の手のことだっていうのは分かるんですが……すみませんやっぱりすごく気になるので、訊いてもいいですか……?」

 ひづりは天井花イナリにそっと小声で訊ねてみた。

 すると彼女はまた面倒くさそうな色をその顔に滲ませたが、ため息を皮切りに話してくれた。

「あぁー……まぁそうじゃの。用いる必要も無かった以上、具体的な部分は引き続き伏せるが……言わばあれは《思い出の遺恨》とでも言うのかのう。当代のわしらの話ではないのじゃ。前の世代の《ボティス》と《グラシャ・ラボラス》の間であったこと、と聞いておる。わしら《七二柱の悪魔》は世代交代で《名》と《能力》と《思い出》が引き継がれる、と説明したであろう。その《思い出》の部分よ。《記憶》自体は無いが、それでも前代の《ボティス》と《グラシャ・ラボラス》の間で《ソロモン》にまつわる、《ボティス》が《グラシャ・ラボラス》から現在のように根に持たれる原因となった《思い出》が、あやつの頭蓋の中にも受け継がれておるのじゃ。まぁ、何にせよお主が気にすることではない。何千年という《悪魔》の《思い出の遺恨》、そうそう解決するものではない。あやつもずっと気にして、たまに今回の様に怒り狂う事もあるが、しかしそれもただああして拗ねておるだけ、可愛いものよ」

 物憂げな横顔で彼女はそう語り終えた。

 前代からの、《ボティス》と《グラシャ・ラボラス》の間にある遺恨。気になるか気にならないかと言われれば当然気になるが、しかし知る必要もないことだと天井花さんが言うならもうこれ以上食い下がるべきではないだろう。ひづりは顔を上げ、引き続き天井花イナリと一緒にラウラの丸まった背中を眺めた。

「どれ、悪かったのう《グラシャ・ラボラス》。すまんかったな? どうであろ、謝罪を受け入れて、許してはくれぬか」

 歩み寄り、天井花イナリは彼女のそばにしゃがみ込んだ。

「いーやーでーすー。許さないですー」

 耳を塞いでいるが聞こえているらしい、ラウラは頭をふるふると横に振って天井花イナリから再び顔を背けた。動きが完全に子供のそれだった。

 そこでふと、本当に今更になってだが、ひづりはある事に気づいてしまった。

 二日前、代々木駅の北口でラウラが言っていた『近日中に再会出来る、小難しい話し方をするいじわるな友達』というのは、もしかして、あれはつまり――。

 ……いや、これ以上ラウラを辱めるべきではない。この話は天井花さんには黙っていよう……。

 ひづりは延々となだめすかすように謝り続ける《悪魔の王》と、拗ねきった幼児の様相を呈した《悪魔の王》とをしばらく無言で眺め続けた。









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