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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第1期》 ‐餡の香りと夏の暮れ、彼岸に咲いた約束の花。‐
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1話 『和菓子屋たぬきつね』





 1話 『和菓子屋たぬきつね』



 栄えている商店街には、どこであろうと、非常に激しい『色むら』というものがある。

 そこが駅前というのであれば飲食店であれ呉服店であれどこも賑やかなものになり、良い明かりも悪い汚れもよく目立つ。それは『濃』だ。

 けれどそういった雑多な喧騒に慣れた区画も、ほんの数百メートルほど歩けば人はまばらになり、店の音より民家の音の方がわずかに勝るようになる。連なった同じ商店街の中に在って一気に『色』が変わる、商店街の末端。こちらが『淡』だ。

 《和菓子屋たぬきつね》は、いわゆるその『淡』に店を構えている、老舗の和菓子屋であった。と言っても、立地が悪いから客足が少ない、という訳では決してない。丁度今も、高齢のご婦人の三人組が、何か店の玄関で言葉を交わしてから戸を閉め、歩き去っていく様子が見受けられた。

 官舎ひづりは一つ息を呑むと止めていた足を再び動かし始めた。思い込みだが、遠く背後の喧騒がまるで急かすかのように感じた。

 店の少し手前まで来ると、しかし緊張とは裏腹にひづりは不意に安心感のようなものを胸に得た。

 その理由はおそらく店の外観にあった。

 《和菓子屋たぬきつね》が建てられたのは明治の後期。内も外もそのほとんどを木材で組み建てた、老舗の名に相応しい立派な佇まいをしていた。その木工建築独特の香りは店の前から既にうっすらと漂っている餡子の香りと混じり合い、ひづりの肺の筋肉を自然と緩めていたのだった。

 入り口の戸の前に立ったところで、ひづりは扉の横に求人の張り紙を見つけた。そこで改めてすっと息を吸いながら、背筋を伸ばす。

 官舎ひづり、齢は十六。高校二年生。この《和菓子屋たぬきつね》が人生初のアルバイト先候補店であり、そして今日がその重要な面接の日だった。ひづりは幼い頃から少々度が過ぎるくらいに我が強く、その場の度胸もある少女だったが、緊張感も恐怖心も無い生き物という訳ではない。たとえそこが、何度か足を運んだ事のある、姉夫婦の経営する和菓子屋であったとしてもだ。

 この《和菓子屋たぬきつね》という店がひづりは好きだった。経営者の片割れである姉、吉備ちよこの存在はともかく、前途の外観の雰囲気、動かすたびカタカタと良い音が鳴る古風なスリ硝子がはめ込まれた店内の扉、机と椅子の席とは別に畳の香るお座敷の二種類が用意された客席、席同士を隔てる格子、見上げれば他ではそうそう見られないような無数の梁が複雑に組み合ってむき出しの丸い柱を貫き支えている様を、ところどころにぶら下げられた提灯の明かりがこれまた良い塩梅で照らし出している。この雰囲気を嫌いな日本人はそうは居まい。

 建物ばかり褒めはしたが、重要なのはやはり出てくる和菓子の味である。ひづり自身特別に甘党という訳ではないのだが、それでも以前、義兄の作った和菓子を食べた時、この世には自分が感動出来る甘味というものが存在するのだという事を初めて知り、それは忘れられない思い出となったほどだった。

 その店で働く。不安と光輝さと緊張をない交ぜに、ひづりはついに覚悟を決めて入り口の戸を引いた。

「おや。一見さんかの? 暑い中よう来たのう」

 ばったり、丁度入り口から二メートルほどの所にお盆を持った女性店員が居り、出し抜けに眼が合って、そう言われた。

「一人じゃな? どこぞ座って待っておれ。じき、注文を取るでの」

 彼女はそう続けるとそのまま恐らくは盆に乗せた湯飲みの待ち人の所へと歩いて行ってしまった。無数の格子に遮られ、直に姿は見えなくなった。

 入り口に立ち尽くしたひづりが我に返り、息を吐き出すことを思い出したのはそれから五秒ほど経ってからだった。

 まず、そのまま右手にあるお会計の台を見た。建物の内装には少々似つかわしく無い機械式のレジスターが置かれているが、今はそこに誰も居らず、姉の姿も義兄の姿も無い。

 店内の賑わいから、午後一時過ぎにしてはまだそこそこ客が居るようで、二人も客の対応や菓子作りに忙しいのかもしれない。電話で決めたこの面接の時間も、たまたま今日は少し忙しいだけなのかもしれない。それらはひづりにも何となく分かった。察せた。

 ただ、まるで分からない、ひづりの脳ではまるで理解に及ばない出来事がたった今、というより扉を開けた瞬間に起こっていた。

 誰なのだ、今のは。

 ひづりの背中に冷たい汗が溢れていた。六月末の外気に湧き出た汗が店内の冷房で冷やされた、訳ではない。今ひづりの背中に流れているのは、驚いた、信じられない物を見た、事件に遭遇した、そういった時に噴出す類の汗だった。

 ひづりはこの際、かの女性店員が、濃い紅色の和服の上にメイド喫茶のメイドが身に着けていそうな安っぽいひらひらでフリフリのエプロンを纏っていた事はまず、良しとした。口調も明らかにおかしかったが、そこもまずは、良しとした。何故ならそれを上回る程に大きな問題が、どうしても見過ごせないものが三つ、そう、三つもあったからだ。

 たった数秒見えただけの記憶を頼りに、ひづりは入り口の扉にすがるようにしがみついたまま考えを巡らせた。

(き、狐の耳、だった……?)

 かの女性店員の頭には、長い、とても立派な狐の耳が生えていた。ジョークグッズばかりを売っているような雑貨屋で買える、猫や兎の耳などを模した、そういったヘアバンドがあることをひづりも知っていた。そういう感じの物が、彼女の頭には乗っていたのだ。

 一体全体、あれは何の冗談なのだ。古風で雰囲気の良いこの《和菓子屋たぬきつね》の従業員に、あんな物を身につけさせたのは一体誰なのだ。いや、間違いなくもちろん当然そんな事をしでかすのはひづりの姉、吉備ちよこただ一人しか思い当たらないのだが、そういった姉の暴走を、同じ経営者であり夫である吉備サトオが制止することでこの店はバランスを取り、成り立っていたはず、そのはずだ、とひづりは記憶していた。

(それと、あれは……あれは本当に、何だ……?)

 最初、変わった形のヘッドホンか何かだと思った。ゲームセンターの店員がしているような、そういった類の仕事道具だと思った。しかしそのシルエットはやたらに鋭角で、彼女が数歩近づいて来た時にひづりの眼にはっきりと映ったそれは他に説明しようもなく、機械的な要素がまるで見当たらない、ただ、ただ、『動物の角のような何か』としか認識出来なかった。

 そして極め付けに、そう、それこそが問題だった。

(何歳なんだ、あの娘は……!?)

 かの女性店員はどう見ても身長が百三十センチほどしかなかった。確かに成人でも百四十センチを超えない女性も居るし、小人症という病態があることもひづりは知っている。しかしそうではない。

 彼女はどこからどう見ても、そう、誰の眼にも明らかに、天然でなくてはそうはならないであろうほどに美しい真っ白な長髪をなびかせた、八歳ほどの欧州の少女の顔立ちと佇まいをしていたのだ。

 果たして自分は正気を失ってしまったのか。ひづりは己の肉体の不甲斐無さを悔やんだ。確かに今日は少し暑かった。初めてのアルバイト面接を前に緊張もしていた。だからといって、こんな、こんな素っ頓狂な幻覚を見るなんて。

 背中に感じる蒸せ返るような外気と、正面に感じる店内の冷房にひづりはふっと考えた。ああ、きっとこれは急な温度変化で頭が不調をきたしたのに違いない、と。

 熱中症。そうかもしれない。確かにちょっとだるいだろうか。ひづりは肩からずれ下がって二の腕辺りで引っかかってる学生鞄もそのままに扉を閉めるとふらふらと店内を歩き、隅っこの空いていた席に腰を掛けた。

 昨日、「明日は暑くなるから」とアサカが学校で塩飴をくれたのを思い出したが、どこへやったのやらしばらく鞄の中を探しても見つからず、ほお、となんとも情けない声を漏らして諦め、席の背にもたれた。

「待たせたの。みたらし団子が一つとわらび餅が二つ。ゆっくり味わうがよい」

 幻覚がまだ見える。和服にメイドエプロンを着て狐耳のヘアバンドとドラゴンみたいな角を頭に生やしたヨーロピアンな白髪幼女が、年寄りみたいな喋り方で店内をせわしなく歩き回って接客している。しかもどうも先ほどから見ているに動きにまるで無駄が無く、非常に有能な和菓子屋店員の模範のような振る舞いをしている。

 私は本当に一体全体、何を見ているんだ。ひづりはまた頭を抱えた。

 入店してから四分。ひづりはついに従業員室へ行って姉か義兄に頼るべきだと心を決めた。今見えているあまりの幻覚の凄まじさとリアリティに、もはや自ら救急車を呼ぶ気力すら無かった。

「……へ、えへぇ、へへへ……」

 すると今度はどこかから幻聴がした。ああ、もう、これは、これは本格的にやばいぞ……、と思ったところで、ふと胸の辺りに妙な感覚があり、ひづりは我に返った。

 ごづんっ。

「いっ! いい痛ぁあい!」

 ほとんど反射的な行動だった。先ほどの幻聴は、どうやらいつの間にか近づいて来ていた姉の吉備ちよこがそばにしゃがみ、ひづりの胸を勝手に揉んでいた際にその口から漏らしていた下品な笑い声だったようだった。

 よって、ひづりは即座に右の拳を姉の脳天に振り下ろしていた。

「ひづりが叩いたぁー! うああーん!」

 わざとらしく泣きの入った声音でちよこは喚いた。それは当然店内に響き、一瞬客の声は治まり、格子の端からちらちらとこちらに顔が覗く。

 そんな周りも一切気にせず、席を立ったひづりはちよこに対しお礼を言った。

「久しぶり姉さん。何か、すっごい意識がはっきりしたし、緊張も解けたよ……ありがとう……」

 それからしゃがみ込んでいるちよこの手をおもむろに取った。

「でも姉妹であれ、同性であれ、やっていいことと悪いことがあると、私は姉さんに教えたと思います」

 力の限り握り締められたちよこの指が瞬く間に紫色になっていく。

「ま、待って待って! ごめんね? 久しぶりだったからつい……だってひづり、また大きくなってるような気がしたから! お姉ちゃんとしては絶対是非これは確認しておかないといけないと思っ――」

 追加で二回、《和菓子屋たぬきつね》の店内にちよこの頭蓋骨を打つ音がしめやかに響いた。






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