反芻するトラウマティックⅠ
ツキヒと宝生が倒れた。
六時間目が始まった事もあり、俺がツキヒを、そして朝間が石動を見る事になったのは、たんにそれが最もそれっぽい組み合わせだから、だろう。周りの人間からしても、俺とツキヒ、宝生と石動の組み合わせがあのクラスではベストと思われてるらしいな。
現在保健室で眠る二人を、俺と石動が見ていた。保健室の先生は出張で、たった今さっきどこかへ行った。出て行く前に二人の診察は済ませてある。過労で倒れたのだろう、とそいつは言っていた。
静かだ。と思った、逆に言えば、そういう当たり前の事くらいしか考えられない状況ってわけだ。
なにせ、二人が倒れたのは他でもない、パーソナルワールドで重傷を負ったからなのだから。俺だって人間。動揺もする。
それでも、音を立てないように静かに深い呼吸をして脳に酸素を送り込んだ。酸素の供給過多で逆に眩暈がしたが、頭は動くようになってくれた。
「なぁ石動。お前、中学ん時の厳島を覚えてるか」
他愛無い会話、とは言い切れない、俺達にとっては、ことツキヒにとっては人生で最重要とも言える名前を、隣に座っている石動に投げかける。
「覚えてるとも。私の元友人であり、月島の元彼女だろう」
平然を装って答える石動。しかし、浮かている自嘲から察するに、石動はこの話を快くは思っていないらしい。
だからこそ持ち出した話題だ。
「その元友人を救えなかった変わりに、宝生や朝間のために画策してるつもりか?」
俺が重ねたその問いに対する返答は沈黙だ。その静寂が告げているのはすなわち暗黙の了解。
中学の時にツキヒが付き合っていた少女、厳島はしかし、ツキヒが怪我をしてサッカーが出来なくなったすぐ後にツキヒを振った。それこそ、周りから見ればツキヒがサッカーを出来なくなったから別れた、と言っても過言では無いタイミングで。
それを快く思わなかった同級生達は、厳島を責めた。ツキヒにとって、今が一番支えの必要な時だろう。なのにどうして見捨てた。どうしてあいつを裏切った。と。
俺から言わせて貰えば、人の恋路にどうこうケチを付けるなって話だ。しかし中学生ってのは周りの感情に流され易いものだ。結果として厳島は学校中から孤立した。
心が病んだのであろう厳島はそうして、学校で倒れた。
すれ違うようにしてツキヒが厳島を庇い始めたのだが、時既に遅し。厳島は逃げるようにして転校していった。
ツキヒのサッカー生活と厳島との恋愛話はまさしく、誰も報われない、最低のバッドエンドを迎えたわけだ。
その悲劇を気負っておかしな行動に出るやつが居ても、なんらおかしくない。
「何が言いたいんだい?」
ようやく返ってきた言葉は、おそらく虚勢であろう白きりだった。
「石動。お前、宝生が倒れたって聞いた時も、あんま驚かなかったよな」
尋問するような強めの口調で問うてみたが、石動は無表情で無言を貫いた。
だから俺が続きを紡いだ。
「お前は知ってたんだろう。宝生が倒れてもおかしくない程の悩みを抱えてるって事を。そしてその悩みを解決してやろうとでも思ったはずだ。その悩みってのがなんなのか、証拠は無いが核心はある。――アイドル扱いされている事。それが宝生の悩みだったんじゃないのか」
淡白な口調で続けたつもりだったが、どうだろう。多少語気が強くなってしまったかもしれない。まぁ、そうであろうと問題は無いが。
「お前は最初からそうだった。俺達に学食で声を掛けてきた時からおかしかった。朝間を俺の隣に座らせたのは、おおよそ人見知り解消のための作戦だったんだろう。そういう旨を宝生に伝えてたんじゃないかと俺は考えてる。そして朝間には、宝生の悩みを解決するため、とでも言って、俺の相手をさせたんだろう。少しでも、俺を久志から遠ざけるためにな」
探偵になったつもりは無いが、気分はまるっきりそれだった。しかし少なくとも、事件を解決に導いていく事がこんなにも苦しい事だとは思わなかった。
「お前の企みはこうだ。朝間の人見知りをどうにかしてやりたい、と宝生と話し合い、そしてそれに付き合ってくれそうで、尚且つ害の無さそうな人間を相手に選んだ。それだけなら同性でもなんら問題無かっただろうが、お前は宝生のアイドル性もなんとかしようと企んでいた。アイドルをアイドルじゃなくすための最大の一手は彼氏を作る事だ。――お前は、宝生と久志を近付けようとした」
それも、宝生にさえ気付かれないようにしたのだろう。他人の事しか考えてない宝生が、自分のための企てに乗るはずが無い。ましてやあいつは、彼氏を作ろうとさえ思っていないはずだ。
あのパーソナルワールドの有様が、それを語っている。
そこまで言ってみせると、無言を貫いていた石動の肩が僅かに揺れた。
笑ったのだ。
この状況で。
この状態で。
石動は笑った。
「どうすればあんな少ない情報でそこまで辿り着くんだい? 君も人間観察はよくしているほうだとは思ってたけど、そこまで行くと超能力でも使ってるんじゃないかとさえ思うよ」
それはこっちの台詞だ。どうして俺が超能力使ってるって知ってんだよ。
とにかく正解だったらしい。俺達はまんまと、石動の掌で踊って、見事朝間の人見知りをなんとかし、さらに宝生とツキヒをお近付きに、ってやつにも乗りかけていたわけだ。
石動は降参するように手を上げて、相槌を打った。
「正解だよ。全部合ってる。といっても、優莉を月島に近付けようとしたのは別に、恋仲にしてやろうと思ってたわけじゃない。私もそこまで余計なお世話を出来る程図々しくないからね。ただ君達なら、女に興味が無さそうだから調度良いと思ったのさ」
成る程。そこまでお見通しだったか。
事実俺達は三次元の女にこれといった興味は無い。俺は元々だが、ツキヒは悲惨な過去をもって現実の異性を拒むようになった。表には出さないが、結構なトラウマ持ちなのだ、あいつは。
そういった要素まで読まれていたのなら、これがなんらかの心理戦だったのなら、俺の負けだ。完膚無きまでの敗北。
しかし。
「その余計にお世話を他人に押し付けようとする程度には図太い神経してんだろうが」
俺の口から零れたそんな文句は、ただの嫌味だ。それ以上の何物でもない。
石動は「それもそうだね」と、乾いた笑声を上げた。
「君は解らないけど、月島ならなんとかしてくれるかもしれないとは思っていた。それを利用しようとしていた。こういうと、なかなか酷い事をしたものだね。……でも、反省をする気は無いよ。優莉のためならね」
友達思い、というだけではないだろう。それだけでここまで出来る人間、そうは居ない。
こいつも引きずっているのだろう。厳島という少女を中心として回った、あの悲劇を。
だから、彼女の時と状況こそは違えど同様に苦しんでいる今の友人こそは、助けたいと思ったのだろう。
俺はひとつ深い息を吐いて、保健室のベットに横たわる二人の姿を交互に見た。
「宝生が抱いてた、倒れる程の悩みってのが解決出来るかどうかも解らん」
なんせあんな状態になるような心理状況だからな。措置を施すのは容易では無いだろう。
「なら、君は優莉を見捨てるのかい? 願わくば、協力して欲しいんだけど」
猫の手も借りたいのなら猫の手を借りればいいものを、何故そんな事を俺達に言うのか解らない。……なんてとぼけられる程、馬鹿にも鈍感にもなれない。
「人聞きの悪い事を言うな」
といっても、半分は見捨ててるようなもんなんだがな。
「そればっかりは、久志本人に聞いてみないとどうにもならん。だから少し、席を外してくれ」
「……? しかし、月島も優莉もまだ目覚めていないよ?」
「久志の事なら心配すんな。水ぶっかけてでも叩き起こす」
「……余計に心配なんだけど……」
おい、真面目な話をしてる最中なんだから、その冷やかな目は辞めろ。挫けそうになるだろ。
「とにかく、少し時間をくれって事だ。だから頼む、お前は授業に戻ってくれ」
別に俺は宝生をどうこうしたいわけじゃない。助けたいなんて思うほど宝生に好感を持ってるわけじゃないからな。
だが、そうじゃないやつが居るもんでな。念の為、確認しなきゃいけないんだよ。
俺の懇願が届いたのは数分後で、石動は渋々ながらも、保健室から出ていった。
ここで一安心、というわけにはいかない。この保健室にはまだもう一人、話をしなければならないやつが居る。