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傷だらけのパラノイア  作者: 藤一左
cage in the princess
18/30

彼女が抱く最悪の話

 ピクシー討伐の後は芹沢君の時同様、何事も無かったかのように元の場所へ戻っていた。僕とポーターはトウギと朝間さんが居た教室前の出入り口。そしてトウギは朝間さんと二人で教室の中。


 トウギはあの後、本当に何事も無かったかのように会話を終わらせて、教室から出てきた。そして逃げるようにして学校から出て、僕の部屋に帰る。


「なかなかの手際だったじゃない」


「まぁ、思ってたよりは時間が掛かっちまったがな」


 労うポーターと、フローリングの上に寝転がるトウギ。


 今日はもうゲームをやるだけの体力は無いな、と思った僕は、アニメ鑑賞するためブルーレイの準備をしていた。


「お、気が利くじゃねぇかツキヒ。俺も今日は、もうゲームする体力が無かったからな」


「でしょ? 僕を舐めないでよね」


「あんたら、ピクシー討伐の達成感とか無いの……?」


 なんだかポーターが呆れていたけれど、どうして溜息なんて吐いているのか、僕には解らない。なんせピクシー討伐は所詮三次元での出来事だからね。全神経を二次元に費やしている僕らにとってはどうでもいいことだ。


 しかし、トウギは僕と違う事を考えたらしい。「達成感ねぇ」と意味ありげに呟くと、鼻で笑ってから体を起こした。


「達成感がねぇのは、なんでなんだろうなぁ」


 どういう意味だろう、と思いトウギのほうを見たら、トウギが見つめる先には訝しむように眉を潜めるポーターが。


「ま、いいさ」


 トウギは気分を切り替えるためか、大きく伸びをしてから続ける。


「今はとにかくアニメ成分の補給が先決だ。で、ツキヒ、何を見んだ?」


「キズダラ家のパラモーチョ」


「おい、なんだその駄作臭漂う謎のタイトルは」


 失礼な事を言うな、こいつ。結構面白いんだぞ。ネットの評価を見た限りでは。


「今はアニメ見ても良いけど、解ってるわよね、あの女三人組の中に、もう一人ピクシーの宿主が」


「あー、そりゃもういい」


 そんな二人の会話を聞き流しながら、ブルーレイを起動させる。


「もういいってどういう意味よ」


 不機嫌そうな口調で言うポーターに対し、トウギは簡単そうに答えた。


「もう一人の宿主は宝生だ。だから、その話はもういい」


 成る程、トウギってばもう解ってたんだ。流石、色々と手際が良い。


「なんでそう言いきれるのよ」


 怪しむような口調。それも仕方ない事だ。でも、トウギを疑う程、馬鹿げた無駄は無い。


「ピクシーは慢性化すると感染するんだったな? で、ひとつのクラス内に二人の感染者が居るのは奇跡みらいなもんだともお前は言ってた。つまり偶然では有り得ないってことだ。芹沢と朝間、双方に接点があるのが宝生だった。だから消去法で宝生が感染源。慢性化したピクシーの宿主だ」


 淡々ととんでも無い事を言うものだ。少しくらい感情を込めて言っても良いんじゃない? なんて、僕が言えた事じゃないから言わないけど。


「宝生のパーソナルワールドがどうなってんのかは知らねぇが、朝間ん時みてぇに危ないと判断したらすぐに離脱すりゃ問題ねぇ。とりあえず明日コネクトしてから判断しても遅くはねぇし、そうしてみねぇと今後どうすりゃいいかも決めらんねぇ」


 つまり、とりあえず宝生さん次第って事だ。


「ねぇ、思ったのだけれど、宝生さんとかにピクシー云々の事情を説明して、協力して貰うとか出来ないの? 心の有様がパーソナルワールドに影響を齎すなら、心構えだけでもしてもらえれば簡単じゃない?」


「馬鹿かお前は」


 即刻トウギに否定を喰らいました。


「他人に心を覗かれるのを、受け入れられるやつが居ると思うか?」


 ……言われてみればそうだった。パーソナルワールドは人の思想を具現化したものだ。つまり心を見るも同然。道徳的に見たら破綻している行いだろう。まぁ僕らは元々破綻してるからね、主に社会的地位とか。だから最底辺の住人たる僕には関係無い。


「ま、そういうわけだ。そもそも、口外すると天罰が下るらしいしな」


 話をさっぱり終わらせたトウギは、正座してテレビ画面と向かい合う。調度アニメのオープニングが始まったところだ。


 そして、アニメに熱中する事一時間。僕は思った。


 ネットの評判って、割りと当てにならない。






 宝生さんの中に居るであろうピクシーの処理として提案されたのは、朝間さんの時よりも簡単な作戦だった。


 朝間さんの時は彼女が内気という事もあり、用も無く近付くのが容易では無かった事と、僕らがパーソナルワールドへ赴くのがまだ二回目だった事もあり、夕日で伸びた影を踏む、という手段を取った。しかし宝生さんは別だ。


 彼女は普段、結構無防備だ。というか、人が近付くだけで警戒する人のほうが本来は珍しい。だから、今回は普通に、すれ違い様にコネクト作戦を実行することになった。


 とりあえず僕とトウギでは僕のほうが影が薄いから、宝生さんが一人で居るところを見計らって、僕がさり気なく影を踏んでコネクトする。それだけだ。トウギの強面が放つオーラは意外と大きいからね。


 善は急げ、とのことだけれど、それは所詮世間一般での常識でしかない。僕らヲタクは基本スタイルとして、嫌な事は後回しにする生き物だ。後回しにした挙句やらなくて済むようになれば万々歳なのだけれど、如何せん相手がピクシーではそれも有り得ないだろう。なんたって超常現象だからね。


 そういうわけで、五時間目の休み時間。いつも宝生さんと一緒に居るうえでクラスメートの石動さんにトウギが話しかけて近寄らせず、一人で居る宝生さんに僕は後ろから近付いた。


 自分の席で静かに待機している宝生さん。今思ったのだけれどこの簡単過ぎる作戦、実は穴だらけだよね。石動さんの足止めはトウギがしているけれど、宝生さんのほうから石動さんのほうへ行ってしまったらどうしてたつもりなのだろう。


 そんな疑問を抱きながらも、宝生さんが座る椅子の影と、宝生さん自身の影を見分ける。そして間違えないように踏んで、コネクト、と呟こうとした時だ。


 溜息が聞こえた。


 か細い、本当に細くて弱々しい溜息だった。


「?」


 今の、まさか宝生さんの溜息? まさか、宝生さんみたいな人が溜息を吐く理由が見当たらない。そう思って宝生さんの背中を見ると――宝生さんが、自分の足を抓っているのが偶然見えた。


「…………」


 何をしているのだろう、とは、勿論思った。眠いのだろうか。宝生さんだって夜更かししてしまう事もあるだろうし、ご飯を食べた後だからね、眠くなるのは仕方ない。でも、今日も一緒にご飯を食べた僕の見立てでは、宝生さんはそんなに食べて無かったように思う。


「どうしたの? 宝生さん」


 気になって声をかけてしまった。別に、コネクトと呟いた事にさえ気付かれなければ良いのだから、存在自体に気付かれないようにする必要は無いだろうと思ったのだ。


 しかし、僕のその考えなしの行動が、宝生さんを浮き足立たせた。


 目を見開いてこちらを向く宝生さん。


「ごめん、驚かせちゃった?」


「う、ううん、大丈――夫じゃないかもしれない! 今ので浮き足立った私は机に足をぶつけちゃってとても痛い! あっ、これ折れたかも!」


「どれだけか弱いの!?」


 浮き足立って骨が折れるって相当だよ!? それに、ぶつかったような音はしなかったし!


「私はいつだって乙女なんだよ! なんたってか弱いからね!」


 びしっ、と立ち上がって親指を立てているところ悪いのだけれど、動揺し過ぎて乙女とか弱いの言う順番間違えてるし。


「足、痛いの?」


「なんたって折れてるからね!」


「足が折れてる人はさっきみたいに俊敏な動きは出来ないんじゃないかなぁ」


 僕も骨じゃなくて腱なら切った事あるけれど、あれ、全然動けなくなるからね。本当に。


「さっき抓ってたよね。それで気になっちゃったんだけど」


「ふぇ……?」


 ふと、宝生さんの動きが止まる。そして見る見る青ざめたかと思いきや、


「蚊に刺されて痒かったなんて、口が滑っても言えないよっ!」


「じゃあ何が滑ったの? もろに言ってるよね、それ」


 取繕ったように完成された楽しそうな表情でもって、この上なくしょうもない事を言ってのけた宝生さん。この人、本当に楽しそうだなぁ。


 ふと、どこからか視線のようなものを感じて辺りを窺うと、トウギが石動さんと話しながら廊下へ出て行こうとしているのが見えた。その時険しい表情をしているトウギと目が合ったおかげで、ようやく自分の役目を思い出す。そうだった、コネクトしなくちゃ。


 きっとトウギは、僕が悠長に宝生さんと話していたから、石動さんを宝生さんから離すために廊下へ出たのだろう。目が合ったのは彼が僕を睨んでいたから。


「まぁ、それだけだから。大した事じゃなくて良かったよ」


 僕は何の気なしを装ってそう言うと、宝生さんに背中を向けた。


 そして、宝生さんから僕の顔が見えなくなったであろう角度に入ったところで、自分が彼女の影をちゃんと踏んでいる事を確認。


「コネクト」


 小さく呟くと同時に、世界が塗り変わっていく。四回目の体験。船酔いに似た感覚が僕を襲って、そして黒に塗りつぶされた次の瞬間には世界が変わっている。


 今回もそうだった。


「…………水?」


 視線を下に向けたままだったため、真っ先に視界へ入ったのは足元の水だった。


 薄く張り巡らされた、深さ一センチ程度の水。波紋を立てるくらいしかないそれは、僕が足を上げると、ぴちゃ、と音を鳴らした。


 次に、水の上に重い物が落ちる音。いや、正確には、水が跳ねる音と同時に金属が床を突く音がしたのだ。それもひとつではない。少なくとも十以上はあるであろう、重たい音。


 そして視線を上げた先に――数十人の騎士が居た。


 中世ヨーロッパの兵士みたいな、銀色の鎧を纏った騎士。その手には様々な武器が握られていた。


 聖剣。太刀。十字槍。等々。


「…………は?」


 そしてその全てが、僕に向けて掲げられていた。


 目前で振り上げられている一本の太刀。今にも振り落とされんとしているそれは、真っ直ぐに僕へ下ろされて――


「何してやがる!」


 ぐわ、っと、脳が揺れる感覚がした。僕の頭目掛けて振るわれていた刃は僕の頬を掠めて通過していく。


 後ろに尻餅を着いて跳ねた水が全身を濡らした。そこでようやく、僕は引っ張られた後に投げられたのだと気付いた。


「すぐ立て! よく解らんがこれはまずい!」


 僕を引っ張った張本人であろうトウギは慌しく叫ぶ。


「わ、解った……!」


 騎士の動きは今は鈍いけれど、もし素早く動き始めたらすぐに殺される。そう悟った僕は自分でも驚く程の素早さで立ち上がり、トウギの後ろに続いて騎士達による包囲網の穴から抜け出た。


「トウギ! なにさあれ!」


「まだ解らん!」


 騎士達からある程度の距離を取ってから振り返ると、目算するに三十人程の騎士が居た。


「ポーターのやつ、近くで待機してろっつったのにっ!」


 その様を見て毒づくトウギ。心なしか表情が青ざめている。


 僕とトウギとポーターは、誰かがコネクトした際、現実世界での距離と同じ距離を置いた状態でスタートする。教室のすぐ近くに居たのであろうトウギはすぐに駆けつける事は出来たが、どうやらポーターはそうじゃなかったようだ。


 ゆらゆらと、しかし着実に、陣形を作るようにして移動する騎士達。何かを守るための陣形のようだ、と思い中心へ目を凝らすと、その先に宝生さんの姿があった。


 但し。


「……なんだ、あれ……」


 但し、茨の鳥籠に押し込まれた状態で。


「なんだよっ……あれは!」


 茨は等間隔で並んでいて、人一人がぎりぎりで抜け出せないであろう半端なものだった。三人も入れば満員で、互いを押し合って茨に絞め殺されそうな、そういう鳥籠。


 どこかのお姫様みたいに綺麗なドレスを身に纏って、虚ろな瞳で足元を見つめる少女。


 違う。


 あれは、宝生さんじゃない。


 宝生さんは、あんな目はしない。


「撤退しようにも、情報が意味深過ぎんだろ……」


 この状況でなお分析を試みようとしたらしいトウギはしかし、答えの代わりに悪態を吐いていた。立ち尽くすしか出来ない僕とは大きな違いだが、結局結果は同じ。僕と同様に、無意味しか生み出せない。


「なによ、この状況……」


 ようやく現れたポーターもまた、僕らと同じ反応。


 これが。


 こんな意味が解らないうえほの暗い状況が、彼女の心境?


 そんなわけがない。これはバグだ。彼女は、宝生さんは優しくて、明るくて、いつも楽しそうな女の子なんだ。それが、こんな、これだとまるで……。


 ……まるで、なんだ?


 ぴちゃ、と、足元に波紋が届いた。ポーターのそれではない。陣形を築く騎士のほうから届いた波紋だ。


 視線を宝生さんから騎士達のほうへ戻す。


 すると、宝生さんを守るために築かれていたはずの陣形はいつの間にか、彼女を取り囲むそれに変わっていた。


「なに……やってんだ……」


 宝生さんへ向けられたいくつかの刃。途端にさっき騎士に切られた頬の痛みを思い出し、傷口に触れた……はずだった。しかし、そこに傷は無かった。


 痛みは記憶の中だけで、体が放つ痛みも既に消えている。


「ちょっと、待って……意味が」解らない。


 そう言い切るより先に、宝生さんが動いた。


 自分を取り囲む騎士のうちの一人へ向けて、自らの手を差し出したのだ。


 その手を、騎士の一人はなんの躊躇もなく、持っていた刃で切った。


「っつ!?」


 切られたのは彼女の手首。下手したら致命傷にもなりかねない場所。


 噴き出す鮮血。


 ……鮮血? 違う。


 宝生さんの手首から噴水のように溢れ出したものは、透明だった。


 それを浴びたその騎士は、ゆらゆらとしていた動きを活性化させ、見る見る活力を得ていく。


 そして、その手首から溢れていたそれが止まると、まるで流れ作業を行なうかのように、次の騎士が前に出た。その騎士に対し、宝生さんは逆の手を差し出す。


 騎士は、差し出されたその手に、刃を――


「やめろっ!」


 ――気付いたら、僕は走り出していた。


 手に握り締めた弓矢。こんなんであの騎士達に勝てるとは思っていない。


 それでも、体が勝手に動いていた。


「待ちやがれ久志!」


 後ろからトウギの声がする。


 待て? 待てだって? ふざけるな!


 あれを見てそんな事を言うのか? あんな光景を見て、まだ状況分析に徹するのが優先だって言うのか!?


 それでも、気持ちばかりが空回って、足は速く進まない。


 僕が騎士達の群れに到達するよりも先に、二人目の騎士が宝生さんによる血の洗礼を受けていた。


 なにしてんだ。なにしてんだよ!


 動きの遅い騎士達の合間を縫って、少しずつ宝生さんに近付く。


 しかし、血の洗礼を受けた一人目の騎士が、鎧を纏っているとは思えない素早さでもって、僕の前に立ちはだかった。


「なっ!」


 止まれない。避けられない。攻撃も、弓矢でこの距離は不可能だろう。


 まずい。そう思うのと、横に飛ぼうとしたのはほぼ同時だ。


 しかし間に合わなかった。その騎士の細剣は僕の横腹を貫く。


「がっ……はっ!」


 最初に感じたのは熱だった。


 熱い。焼けるように熱い。


 そして床に落ちて、熱は激しい痛みへと変わった。


「ぐあぁぁああっ」


 腹を押さえて蹲ろうとしたら、得体の知れない違和感に見舞われた。


 人生で二回目の、想像を絶する痛み。腱を切った時と同等だったはずの痛みはしかし、倒れると同時に消え失せた。


 何が起きた?


 生じた疑念は一瞬で巨大化し、脳内を埋め尽くした。


 手を見ても、腹を見ても、怪我などどこにもしていなかった。


 しかし、僕は確かに刺されたはずだ。その様をしっかりと見たし、痛みだって感じた。


 その痛みさえ消えているのだ。わけが解らない。


 だが、混乱している暇さえ無い。騎士による追撃が迫っていたからだ。


 僕は横へ転がり、振り下ろされた細剣をなんとか避けた。にも関わらず途端に頭が砕けたような感覚と、息が詰まるような浮遊感に襲われた。


 世界が回った。


 二週。三週。


 そして、地面に叩きつけられてから攻撃を喰らったのだと悟る。


 倒れたまま視線を運ぶと、細剣の騎士とは違う騎士が片足を上げていた。


 蹴られたんだ、と気付いてから、また痛みが無くなっている事にも気付いた。


 なにが起きてる? なにがどうなってる?


 解らない。


 これが解らないのは、僕が馬鹿だからか? そういう問題なのか? そういう次元の話なのか?


 君の心は、いったいどうなっているんだ?


 倒れたまま運んだ視線。もう何人目か解らないが、血の洗礼を受けて動きが活性化している騎士は何体も居た。


 そして、代わりに、宝生さんが今にも倒れそうなほどふらふらしていた。


 あそこで倒れたら、彼女は茨の柱に刺される。


「やめろ……」


 また、次の騎士が宝生さんを切ろうとしている。


「……やめろ」


 宝生さんは無抵抗で、切られる覚悟をするように、歯を食いしばっていた。


「やめろぉぉぉぉおおおおおおっぉぉおおお!」


 回避行動はもう辞めた。今はとにかく、宝生さんをなんとかしなければならない


 立ちはだかる騎士。その細剣は、僕の腕に突き刺さる。


 強烈な痛み。熱は一転して、凍るような冷たさに。


 だが、構わず、その騎士の横を走り抜けた。


 槍が頬を掠めた。


 チャクラムが太ももを抉った。


 代償に、鳥籠は目前へ。


「宝生さん!」


 伸ばした手はしかし、十字槍によって切り落とされた。


「――――」


 声にならない悲鳴が上がる。脳みそが干上がりそうだった。


 それでも、今度は逆の手を宝生さんに伸ばす。


 でも、宝生さんは虚ろな目をしたままで、その手を取ってはくれなかった。


 全身に電撃が走った。


 しかしそれは錯覚で、数秒硬直した後、腹部から刃が生えている事に気付く。太い刃。聖剣の刃。背中から貫通して、僕の視界に入っている。僕の血に濡れた刃が鏡になって僕を写している。


 首だけ動かし、後ろを見た。全身の筋肉が針金にでもなったんじゃないかと思う程、首は硬かった。


 それでもなんとか動かした視線が見たものは、鎧の仮面から静かに覗く、石動美月いするぎみつきの顔だった。


 全てが敵。何もかもが空回る。このパーソナルワールドは、宝生さんの心の中はそういう世界なのだと感じた。


 同時に、いつかの思いが脳裏を過ぎった。




 虹の麓にはいったい何があるのだろう。


 虹は架け橋ではない。空に弧を描き、大地へ辿り着く前に消えてしまう。


 だから、追いかける行為にそもそもの意味が無い。


 手の届かない所へは伸ばさない。それが上手い生き方なのだ。そう思わざるを得ない世界なのだ。


 虹の麓を追いかけて、頑張って這い蹲つくばって、泥まみれになって傷を負って、代わりに世界が見せるのは、そういう現実。




 遠くから聞えたシャットアウトという声と共に、僕の意識は闇に埋もれた。

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