傷負いのジュリエットⅢ
数日が過ぎた。過ぎてしまった。
当初の予定では三日くらいで朝間と友達になって、さっさとピクシー討伐を済ませようと思ってたんだが、そうはいかなかった。一番の理由は、積みゲーがふたつもあるからだ。
「ねぇ、そろそろあんたらの家にあるゲームのディスク、何枚か割っていい?」
「いいわけないでしょ。あれ全部、僕のなんだから」
ツキヒが速攻で答えていた。こと二次元に関しては俊敏だな、お前の反応、。あとはツッコミか。
「だからって、ピクシー討伐よりゲーム優先ってなんなのあんたら! 人の人格が懸かってるのよ!? 同じ人間として許せないでしょ!?」
「「いやべつに」」
「そう答えるとは思ってたわよでもいざ実際に聞くとむかつくぅうううう!」
「どうでも良いのだけれど、そんなに乱暴に扱うと髪の毛抜けちゃうよ?」
「抜けないわよ! あたしをなんだと思ってんのよ!」
「見習いでしょ?」
「違うぞ久志。こいつはただの劣等生だ」
「せめて天使って付けなさいよ!」
ついに天界でもそうじゃない、とは言わなくなったな。つうか、天使って髪が抜けたりとかしねぇの? 頭だけ交換してくんねぇかな。
俺達は放課後、人通りの最も少ない場所まで移動し、そこでポーターと話していた。経過報告をするためだ。
「つーかよポーター、俺達はお前の協力者なんだぞ? 多少の敬意は払うべきなんじゃねぇのか?」
「け、敬意って……」
ポーターは青ざめながら、自分の体を抱き寄せる。
「まさか、体で払え、って言うんじゃないでしょうね」
「二次元になって出直せよ」
「何よその判断基準! 最低! あんたこそ人間の中での劣等生よ!」
ひでぇ言われようだなおい。俺はただ本音を言っただけだってのに。そもそも最初に気持ち悪い事を言ったのはそっちじゃねぇか。
「とにかく、俺達にだって休息が必要なんだ。働いた時間の倍の時間を二次元で過ごさねぇといけねぇ。だから俺達は、やらないきゃいけねぇことをやってるだけだ」
「孝一郎。それだと僕らは一分も二次元に浸れないじゃないか」
「おう、そうだったな」
「あんたら働けぇぇぇえええええ!」
がみがみと五月蝿い女だ。お前はお袋か。
「ところで孝一郎。今、朝間さんと待ち合わせしていたはずだよね? 早く行かなくて良いの?」
ふと、ツキヒが首を傾げて聞いた。
そうなのだ。俺は今、朝間を教室に待たせている。内気な朝間を一人で教室に待たせるために用意した方便は、CDを返すために持ってきたがどこかの特別教室に置いてきてしまった。今日中に返したいから、探している間少し待っていてくれ、だ。
朝間の良心に付け込む真似ではあるが、俺は別に、あいつと本当の友達になりたいわけじゃない。良心云々を気にする必要は無いという事だ。
「すぐに行くさ。だがその前に、確認だ」
俺は人差し指を立てて、今度こそ本題に入った。
「今日、この放課後、なんとしてでも朝間のパーソナルワールドを攻略する。それに当たり注意して欲しいのは、間違えても壁を壊すような真似はするな、ってことだ」
「どうして?」
「あいつにとって心の壁は必要不可欠だからだ」
俺の説明に、ツキヒとポーターが揃って首を傾げる。こいつら、本当に考えてるのか? 少しはすぐに理解して欲しいもんだ。
「重要な点から言うと、朝間は本来心の壁を持っていなかった人間っだと俺は予想してるってことだ。あいつの心の壁は先天的なものではなく後天的なもの。つまり過去になんらかの経験をして、心の壁が必要になった、とでも言うべきか」
「どうしてそう言いきれるのよ」
「分析したからだ」
とはいえ結論はあくまで予想でしかないんだが、おそらく合っているだろう。
「となると、心の壁を破壊する事であいつのパーソナルワールドの状況が悪化する可能性がある。外的要因によるパーソナルワールドの変化が可能なら、パーソナルワールド、つまり内的要因による性格の変化もありえるはずだからな」
確認のためポーターのほうを見ると、そいつは「ばれた」とでも言いたげな苦い表情をしていた。わざと黙っていたということだろう。馬鹿が。
「そうなるのは好ましくない。だから壁は破壊するな。むしろ、パーソナルワールド内にある全てのオブジェクトには極力触れるな」
この警告だけしたかったんだ。だから、ここでの用事は終わり。
俺は早々に踵を返し、朝間が待つ教室へ向かった。
「待たせたな」
そう言って教室に入ると、やはりというべきか、噛みまくりの挨拶が返ってきた。慣れると逆に愛らしいもんだな。
「このCD、すげぇよかった」
「本当に!? もし気に入られなかったらどうしようってずっと怖かったんだ!」
嬉しそうに拳を握る朝間。ほんと、ジャズの話になると人が変わるな。おそらくこれが素の朝間なんだろう。
「最後のも良かったが、三曲目も好きだった」
「それ、わたしも好きです!」
だろうと思った。こいつの性格からして、なんとなく好きそうだと思ってたんだ。だからそれをチョイスした。
「ほんと、良いバンドを教えてくれたよ。お前良い耳してんな」
「そ、そんな事ないよっ。わたしが良いんじゃなくて、そのバンドが良かっただけ」
「でも、教えてくれたのはお前だろ」
かはは、と乾いた笑い声を上げてみせ、CDを手渡す。
「またなんか貸してくれたら嬉しいんだが」
「え? 良いけど、……その、わたしが好きなジャンル、偏ってる、よ……?」
「偏ってて上等。願わくばこのバンドの他のCDを貸してくれっと助かる」
「う、うん! 解った!」
気合を入れて元気な返事。ツキヒも朝間を見習えば、まがう事なき爽やか少年になれるんだろうな。
さて。
「でも、五曲目はあんまり好きじゃなかったな」
「……え」
途端に固まる朝間。おいおい、解り易すぎだろ。
あとは、こいつのジャズに対する熱意次第だ。まぁ、つまり大丈夫ということだ。
「なんつうか、音が安っぽくなかったか? 露骨に明るい調子にしようとしてるっつうか、無理矢理明るくしたって感じがして、俺は好きじゃなかった」
「そんなことないよ!」
突然張り上げられた細い声。途中で裏返った事がなんでもないことかのように、必死な形相の朝間は続ける。
「あの曲は、辛いけど楽しい事もあって、嬉しいけど、だからこそ悲しいこともあるんだっていう曲なの! 無理矢理明るくしてるんじゃなくて、そういう演出っていうか……」
勿論、そういう曲だってことは解ってる。
「確かに初心者の人にとっては解りづらいかもしれないけど、本当はすごく奥深い曲なの!」
違う。初心者にだって解るくらい、このバンドのあの曲は熟練されていた。それくらい、解ってる。
「だ、誰にだってあるはずだよ! 嫌なこととか、嬉しいこととかが一緒くたになって、自分の気持ちがわからなくなる事! それを音にしたのがこの曲で……だから心に響く曲で……」
解ってる。
やりたくない事をやる事で自分が安寧を得ているというジレンマを現した曲。
その曲がお前の心なんだってことも、勿論解ってる。
「……すげぇな」
だから、俺はそこで呟く。
「……え?」
マシンガンのように放たれていた言葉が途端に止み、教室の中が静かになる。
それを利用して、俺は言う。
「全然気付かなかった……いや、俺まだまだもぐりだなって思ったよ。勝手な頼みだってのは解ってんだけどさ、このCD、もう一回貸してくんねぇか。もう一回ちゃんと聴いてみてぇ。朝間の話し聴いたら、なんとしてでも理解したくなった」
感慨深げにそう言うと、朝間は数秒放心し、そして何拍か遅れて俺の言葉を理解したらしい、徐々に表情を綻ばせていった。
「うん! 何回だって貸す!」
その表情を見て確信する。
教室の明かりを全て点灯済み。様々な角度から当たる光は、一人の影を幾つも生み出し、色々な方向へ伸ばしている。
俺は既に、その内のひとつを踏んでいる。
「……コネクト」
さっさと済ませて、さっさと終わらせる。
移ろう景色。沈む体。一瞬の黒。そして変遷。
俺は先日と同じ、要塞の外に放り出されていた。すぐ近くにツキヒとポーターの姿を見つけると、駆け足でそっちに向かった。
「化け物と遭遇する前に入り口を探すぞ」
「え? ちょ、はや」
事態に乗り遅れたツキヒが動揺していたが、構っていられない。流石にあんな化け物となんて戦っていられん。
走る事数分。ようやく見つけた木製の扉。しかしそこはまだ開いていない。
「開いてないじゃないか!」
と、ツキヒが文句を垂れる。
「開けなかったんだよ」
あんだけのやり取りで心を開くなら、そもそも心の壁なんか作ったりしない。俺がやったのは、心の扉を用意させるまでだ。つまり、心の中に人を入れても良いかもしれない、と思わせただけ。
「アクセス」
俺は刀を取り出し、そして構えた。
朝間の過去にどんな事があったのかは知らない。しかしおおよその検討は付く。
彼女のジャズに対する思いが熱すぎて、友達だったやつが離れていったのだろう。その熱意を受け止めきれる人間が、朝間の近くに居なかった。一悶着あったか物音も無くいつの間にか離れていたのかも知らないし、そんな事は興味ない。
だが、充分だ。
鉄の壁を全面に貼り付けた要塞に、小さな、ほんの小さな脆い扉が用意されたのなら、可能性はゼロじゃなくなる。
居るはずだ。
宝生のように寛容でなくても。
石動のように母性溢れていなくても。
朝間の熱意を受け止められる人間は、必ずどこかに居る。
そういうやつと出会う可能性まで消してしまう壁なら。
「――ぶち壊す」
握った刀で、木製の扉に穴を開ける。
あの化け物が入れないように、と考慮した結果、この上なく小さな穴になった。人が一人通れるかどうかの、本当に小さな穴。
俺は、ピクシー討伐のために色んな嘘を吐いて、打算で好き嫌いを言っただけのもぐり以下に過ぎない。こんな最低な男ではなく、いつか本当に、好きなものについて堂々と語れるような、そういうやつと出会うための空白。
その穴を通って中を覗くと、そこには無防備に怯える朝間と、その周りにいくつかの楽器があった。シュールなのは、その楽器達に手足が生えている、という点か。
あれが、今回のピクシー。彼女の心の大半を占めるものであり、なにより、朝間からなんらかの気力を奪おうとしている妖精。
邪魔するものは何もない。
破壊していく妖精の群れ達。途中で外から化け物の雄たけびのようなものも聞えたが、俺の目論見通り、やつは要塞の中へは入ってこれなかった。
これで、朝間のピクシーは討伐完了だ。