傷負いのジュリエットII
翌日の休み時間。俺は絶望した。
「お前達は俺を怒らせた」
芹沢の登場である。なんなんだこいつ、宝生達となんらかのイベントがある毎に現れやがって。俺の隣に居たツキヒは早速寝たふりを決め込みやがったし。
「再三に渡る警告を無視し、お前は宝生さんを占領した」
「占領はしてねぇよ。まず宝生は場所じゃねぇ」
おそらく独占って言おうとしたんだろうな。まぁ、宝生の呼び名が様じゃ無くなってるってだけでもマシになったのかもしれないが、ピクシー排除してもまだファンクラブなんぞやってんのか。
「そんな事はどうでもいい! お前は解っているのか! 宝生さんは勿論の事ながら、この学年のアイドル三人を同時に攻略するなど……言語道断である!」
言語道断って割りによく喋るじゃねぇか。
つうか。
「石動と朝間もアイドル扱いなのか?」
「当然だ! 何故なら宝生さんのご学友だからな!」
それは当然じゃねぇと思うんだが……。宝生の友達だからそいつらもアイドルって考え方は、宝生は勿論、他の二人にもとんだ迷惑だ。
「そういや、ファンクラブってのはいつ出来たんだ?」
「一年の最初だ。俺は初めて彼女を見た瞬間から、心を奪われた」
って割りにはお前の心は女子全員に向いてたがな。
「石動や朝間もその頃からアイドルか?」
「? なんだ、その質問は」「いいから教えろ」「あの二人は一年の二学期頃だな。それくらいの時から宝生さんと仲良くなっていたと思う。つっても、俺は石動や朝間とは話した事が無いからな。正確には知らない」
宝生の人間関係までしっかり調べてる辺りが気持ち悪い。まぁ、役には立ったが。
「とにかくだ」
芹沢はごほんとわざとらしい咳払いをした。
「お前は宝生さんと」「私がどったの?」「藤枝は宝生さんと挨拶をしなければならない!」
突然現れた宝生本人に、咄嗟の切り替えしをする芹沢。今のは苦しい。
「ん。おはっす、藤枝君」
「おう、二回目の挨拶だな」
とりあえず芹沢の言う通りになってしまったが、既に朝、挨拶は交わしている。だから形だけに留めた。
「で、藤枝君と私がどったの?」
しっかり聞かれていた以上は誤魔化しても意味なんて無いのにな。どんまい、芹沢。と、同情の意味を込めて芹沢を見ると、芹沢はビシッと俺を指差していた。
「藤枝も宝生さんのファンクラブに入団すると言っておりました!」
「本人の前でそれを言うのか!?」
しかも言ってねぇし! 宝生からしたらどんだけリアクションしにくいやり取りだよ、これ!
「えっ! それは駄目だよ藤枝君! 私のファンクラブに入るには厳しい入団試験があるらしいから!」
「本人公認!? お前、自分のファンクラブがあるって知ってたのか!?」
だとしたら寛容過ぎるだろ。俺だったら即刻解散させるぞ。自分のファンクラブがすぐ近くにあるなんて、プレッシャーが尋常じゃないだろ。
宝生はたははと困ったように笑い、自分の太ももを摩った。
「まぁ、あんだけ騒がれてたらねー」
それもそうか。特に芹沢は、毎日毎日宝生宝生連呼してたからな。
「そんなことより藤枝君、あーちゃんが呼んでるよ」
「ん、了解」
「ちょっと待て藤枝! 俺の話はまだ終わっていない!」
ガシっと掴まれる俺の腕。うわ、なんだこいつの執念! 本気できもい!
「ここは私に任せて!」
そう言って宝生は、芹沢の腕にしがみついた。そのおかげで俺の腕が自由になる。
「私の事は気にせず、先に行って!」
おう、出たな無駄にかっこいい台詞。男子が言ってみたい台詞ベスト三に入る名言じゃねぇか。
「解った」
若干面倒になったためその一言に済ませ、俺は廊下へ向かう。
後ろから「月島君! 芹沢君を止めるの手伝って!」という声が聞えてきたが、まぁ気にする必要は無いだろう。
そして廊下に出ると、予想通りというべきか、朝間と石動が待機していた。朝間の事だから、一人ではないんだろうな、とは思ってたんだ。
「おはよう、朝間」
「お、おおおおはようごじゃいますっ」
邂逅一番噛み頂きました。そんなに頑張って噛まなくてもいいんだぞ? つかなんで敬語?
「私には挨拶しないのかい?」
隣でにやにやしながら石動が言う。わざと言ってんだって事は重々承知だが、こいつの場合はがああるように見えてしまう。
「石動は同じクラスじゃねぇか」
差し障りの無い返答をすると、石動は「それもそうだね」と、満足そうに笑った。
「で、用ってなんだ?」
聞きつつ朝間と目を合わせようとしたが、朝間は露骨に目を逸らした。それ、結構傷付くんだぜ? 避けられてるような気がして。
「ああああの、しししCDを、昨日言ってた、オススメを、もも、持っちぇきっ」
噛みすぎてなんて言ってるのか解らなかった。むしろ今の日本語だったか? どこかのDJさん、翻訳してくれ。ちぇきらっ。
「昨日約束したっていうCDを持ってきたらしいんだ。聴いてやって」
おお、どこかのDJはお前だったのか、石動。成る程、言われてみればそんな事を言われた気が……しないのはなんでだろうな。
「あのっ」
朝間は振り絞った勇気を拳にでも込めたのか、強く握りしめたそれを前へと押し出し、俺との距離を詰めてきた。
「このCDのバンドはニルバーナって言うイギリスのバンドで、インディーズだけどインディーズでは有名というかテレビに出てないだけでメジャーと同じくらい、ううん、それ以上に実力があって、ジャズファンにとってはなくてはならない存在で、だけど、熱いファン達の中ではテレビに出て色んな人に知って欲しいって人とテレビに出てにわかが出たら嫌だって言う人も居て――」
おう、いきなり饒舌になったな。しかも噛まなくなったし。所々接続語はおかしいが、瑣末な問題だろう。
その後も、朝間は延々とジャズについて、というか、そのバンドの話をしきりに続けていた。このCDはそのバンドのサードアルバムで、ファンからはゴールドレコードと呼ばれているだの、最後の曲が彼らを神格化しただの、と、必死になって語る。
こういう姿は、嫌いじゃない。ツキヒとヲタクトークをすればもっと白熱するからな。
だが、ちらりと石動のほうを確認すると、石動は「しまった」とでも言いたげに苦笑していた。もしくは、また始まった、と。
それで察する。それだけで解る。こいつは、朝間は人と話すのが好きなのだと。
ただ自信が無いのだ。何に? おそらく自分に。
だから話をしようにも、考えばかりが先行して言葉が詰まる。接続詞がおかしくなり、噛む。
だが、ジャズは、好きなものにだけは自身があるから、普通に話せる。
きっと、それが仇となるんだ。
「そのへんにしときな、希。藤枝も困ってるし、休み時間ももう終わる」
「ご、ごごごごめんなさい!」
石動に話の腰を折られ、途端に噛み噛みフィーバーを再開する朝間。
「ほら、急いで教室戻りな」
「う、うん! また、ねっ、美月ちゃんに、ふ、ふふ、ふじ、ふ……君っ!」
おい、人の名前はしっかり呼べ。諦めんなよ。
そういうふうに、朝間は廊下を走り去る。
その背中を見守る石動と俺。そして、もう声も届かないであろう距離が開いたのを確認してから、俺は聞いた。
「なぁ、石動。あいつ、友達少ないだろ」
「酷い事を確認するね。それくらい見れば解るんじゃないかい? 藤枝ならさ」
「…………」
そっちこそ、痛いところを突くじゃねぇの。
「どうしてそう思ったんだい?」
俺の問いに重ねられた問い。意地の悪いやつだ。休み時間だって、まだ多少は残ってるじゃねぇか。
「似たようなやつを、何人か見た事があるもんでな」
普段は人と話せないのに、特定の話になった途端饒舌になる。人はそういう人間をヲタクと称して毛嫌いする傾向にある。朝間の場合はジャズヲタクとでも言うべきか。
だが、それは仕方の無い事だ。理由はおそらく、熱の差に当てられるから。
特定の何かに熱中する事をまるで精神性疾患の症状かのように見ている。事実そうなのかもしれない。恋に熱中する事を恋煩いと呼ぶのなら、ヲタクもまた何かに熱中する煩い、つまり病気だ。
嫌がられるのも無理はない。だから俺達は隠してる。しかし朝間はどうだろうか。心を閉ざしているあいつに、そういう「他人の受け取り方」とやらを考慮する余裕があるのだろうか。
「ま、そう心配そうな顔をしなくてもいいよ」
俺の熟考を心配と判断したらしい石動は言った。
「少なくとも二人、あの子には友達が居るからね」
二人。つまり宝生と石動。
もしも俺が本当に朝間の心配をしていたのだとしたら、石動の発言は逆効果だ。
少なくとも二人友達が居る。それは、朝間のクラスでは彼女の友達を確認していないという事になる。そして昼休み、朝間は毎日この二人と済ませているらしいが、それが意味する事はひとつだ。
さらに、あいつのパーソナルワールドが確固たる裏付けとなる。
「成る程な」
心の壁を築き上げた朝間。どうして彼女はあんなものを作ったのか。
生まれつきではない。生まれつきなら、好きな物に関してであろうと饒舌にはならない。
本当は喋りたい。誰かと話をしたい。しかし心の壁を作らざるを得なかった。
「何が成る程なんだい?」
「いや、まぁ、気にすんな」
成る程なのは、全部だ。