狩人の詩 (5)
だんだん握力がなくなり弓が下へ下がっていく事は、意思の力だけでどうにか出来る事柄でなかった。自分がだんだんと不利になっていくのを、痛いほど感じた。
視線の先の剣歯虎は、羊歯を踏みつけながらゆっくりと横に移動する。
確かに、剣歯虎の出血もかなりのもので、四肢のふんばりも利かないだろう。四肢の踏張が聞かない分、爪による攻撃には精彩が無くなる。これは、明らかだ。だが、その最大の武器である牙に影響は全く出ていない。
剣歯虎も、獣故の本能でどうやら逃げるためには倒すしか無いと悟っている様だ。その点はある意味幸いだ。手負いの獣ほどやっかいなものは無い。それ故、猟師の中には一発必殺にこだわる者が多い。だが、ユウは逆に、必中などあり得ない事を身をもって経験した故、必中にこだわらないと言う姿勢と同時に必中を目標に腕を磨いてきた。
だが、ユウの武器である弓は、左腕の負傷によりかなり威力が殺がれている。
このままでは、自分が不利になる一方だ。だが、剣歯虎に隙はない。
ユウは、しかし希望を捨てないでいた。
絶望は愚か者の結論であり、彼は愚か者ではなかった。
「およしなされ、彼なら、確実に仕留めるはずですから」
村人は、激情に任せて、再び森に入ろうとする少年を必死に止めようとした。せっかく助かったのに、なにも危険を冒す必用なんて無いだろうと。十分戦ったんだから、また戦う必用も無いだろうと。
むろん、それには打算があった。下手にもう一度森に入られ、今度は命を落とされては、どんなとばっちりが来るかわかったもので無い。それ故、少しでももてなし、くつろがせ、落ち着かせようと試みていた。
そして、重い板金鎧を少年が脱ぐのを手伝ってくれる。胴着だけになった少年を落ち着かせようといろいろと世話を焼きだした。
村の女の一人が、さすがに、高価なお茶や珈琲は出せないが、気持ちを落ち着かせるための薬草茶を差し出すと、軽く頭を下げて木製の茶碗を手に取り、音を鳴らしてすする。民草に軽くとは言え礼をするなど、本当に気が動転しているのだと村人は皆理解した。
そして、村人の一人が、剣も預かりましょうといって、少年が持った剣に手を伸ばす。
そのときだった。少年は手に持った剣を再び腰に纏うと、村人に一言「ありがとう」と礼を言うと、壁に掛けてあった黄色い革製の上着を手に取って、森の奥めがけて先ほど来た道を戻るように駆け出した。
一瞬の出来事に唖然とする村人達。
村長らしき人物は、そんな少年を軽く頭を振りながら見つめていたが、数人の男たちに、助けてあげなさいと命じた。
男たちは、なにも言わずに自分の家に、森に入るための身支度を整えるために向かった。
少年は、たどってきた道を戻っているはずだ。重い全身鎧を着込んだ男が同様の装備の男をを引きずるようにして歩いた跡は、地面には道のように跡がつくしはねのけた枝は折れ、否が応でも目に付いた。そのおかげで簡単にユウが闘っている場所にたどり着くし、上手くいけばその前に少年に追いつくことも出来るであろう。
少年の後を追う村人はそう確信していた。
恥辱と悔恨の渦巻く混沌から醒めたとき、そこがどこであるかまったく理解できなかった。確か、先ほどまでは友人を背負って村を目指していたはず。だが、そこには友人はおらず、そして新調した板金鎧は彼の身体を守っていなかった。
代わりにあるのは、いつの間にか身体の一部のように違和感の無くなった剣が一振りと、板金鎧の下に着込んでいた胴巻き《プールポワン》、それにどこで手に入れたのかわからないが、狩人が夜露をしのぐ際に着るような、動きやすい革の上着。
一瞬、自分の姿を不思議そうに眺めると、はっと自分の成すべき事を思い出した。
こうしてみると、まったく愚かしいまでにはっきりと村まで進んだ痕が刻み込まれている。だから、俺のような愚かな濡子でも直ぐに後をたどれ訳だ。
もう倒されているかな。いや、きっと倒されているだろう。だが……
だからこそ、行かなくてはならない。
せめて、約束くらい守れなくては、この先、どうやって生きていけるというのだ。
自分の中で、他人にはわからない何かを結論づけると、少年は力強く歩み出した。先ほどまでの夢遊病者のごとき歩みではなく、しっかりと大地を踏みしめる歩みで。
彼は愚か者だったかも知れないが、絶望だけはしていなかった。




