狩人の詩 (4)
ユウは自分自身に腹を立てていた。
矢を外したことにではない。彼とて百発百中というわけでないし、それを望むのは自惚れでしかない。
足を挫いた事でもない。咄嗟に攻撃を受けて、獲物の側へと立場が変わらなかっただけで十分であり、そこから先は運不運の問題だ。
そんな結果論に腹を立てていた訳ではない。彼が腹を立てているその原因。外したのは、足をくじく事になったのはなぜか。
彼は、獲物を見くびるという狩人に在るまじき判断をした。前足をけがしているからとか、体型からして動きはそれほど素早くないはずだと、まさしく思い込みで判断を下してしまった。その結果がこれである。
互いに素早く動くことこそ出来ないが、ゆっくりと自分の間合いを取ろうと動き出す。剣歯虎は矢を避けつつ襲うため木を回り込もうとし、大してユウは射線に障害物が来ないよう剣歯虎の動きに対応する。最奥部よりも少し森の出口に近づいたとは、言えまだまだこんな奥では風もほとんど吹かない。そのため湿度がこもりやすい事もあり、あまり暑くなくても汗が滲んでくる。もっとも、森で鍛えている事もあり、汗がたれることこそ無かったが、それでもこのような根比べでは、本来もっと湿度の多い密林で生息しているとされている虎類の方が優位だ。
実のところ、剣歯虎は密林で狩りをしている訳では無かったが、そのような事を知るよしもないユウは、侮る事を恐れ虎の知識を当てはめて考えている。
互いにわかっていた。次の一撃が勝負だと言う事を。
剣歯虎はかなりの深手を負っていて攻撃に移れずにいる。だが、それはユウとて変わらなかった。彼もまともに弓を構えることも出来ない状態だったのだから。
確実に相手を仕留めねば、やられるのは自分。それ故に、互いに軽々しくは動けなかった。
故に……互いに相手を伺いつつ、細い喬木で囲まれた空間を、ゆっくりと顫動していた。
二人が道に迷わず村にたどり着いたのは、実のところ全くの偶然だった。道中に咲く白い花も、流水で洗われる巌のこけも、それらは一切目印とはなっておらず、ただそこから離れる事だけに専念した結果だった。なので、急に見晴らしが良くなり、種付け前の畝だけが作られた田畑が開けた事も、小鳥のさえずりが高い声をしたものに変わったことにも気づかなかった。
それ以前に、黄色の陣羽織の少年が、重装備の青い陣羽織の少年を抱えてたどり着けた事は、奇跡と呼んでも良かった。重い板金製の全身鎧を着込み、牙により傷ついた仲間を抱き抱えて歩くのはかなり時間と体力のいることだが、若さがそれを可能にした。公達らしからぬほど鍛錬をつんでいたと言うことかも知れない。
そう、かなりの醜態を見せてしまったが、騎士としての鍛錬は積んでいる。それは、剣歯虎の攻撃を防ぎきったということからも明らかだ。初めての実戦で緊張し、思うように闘うことが出来なかったと言え能力がないわけではない。ただ経験がなかっただけで。
だが経験のなさが全ての面で悪い方に出てしまっていた。友人を背負うようにして一歩一歩村に近づく度に、食いしばるように結ばれた口元が一段ときつく結ばれていった。伏せた顔からのぞく目は、何かを求めて彷徨っていた。
何かすらもわからず、ただ、何かを彼は求めていた。恥辱にまみれた自分に憤っていた。友人が襲われているにもかかわらず、腰を抜かし小便を漏らし、なにも出来ずにいた自分に愛想を尽かしていた。身に危険が迫ったときも、剣を闇雲に振るうばかりで、結局なにも出来ずにいた自分に見限りかけていた。だが、何が足りないか、何を必なのか、その何かを、彼は与えられずにいた。
「あんた……いえ、若様。どうなさいました」
少年を見かけた男は、その立派な甲冑に気づくと言葉を改めた。
馬鹿な公達が何かやらかしたのだろうが、それにしても異様だった。ぐったりとして土気色の顔をした青い陣羽織の少年を抱え引き摺るようにして、まるで幽鬼の様な風貌で脇目も振らず村へと近づいてくる黄色い陣羽織の少年。
「若様?」
男の前を、少年は見向きもせずと言うより、全く気づきもせずに通り過ぎ様とした。
恩を売る、と言うよりも、後難を恐れた男は、全く気付いて居ない振る舞いの少年に改めて問い直す。
助けても礼の言葉があればましな方だし、別に死なれても領主やその縁者でも無い限り知ったことで無い。陣羽織は見たこともない紋章だから、余所から博付けにでも来た公達だろう。手当をしても間に合いませんでしたと申し出れば、さすがにそれ以上はしてこない。余所の領民を勝手に処罰するなど御法度も良いところだからだ。だが、手当をしなかったとなると、話は全く別だ。見殺しにしたのと同様にとらえられてしまう。そのことを理由に後でどんな因縁を含めてくるかわかったものでない。実際、重傷の少年一人であれば、逆に後難を恐れ非常手段に訴える事もあり得た。
その頃になると、男も少年の異様さに気がついた。前に見たことがある。初めて森に入って、そのとき一緒に森に入った親父が死んだ時の、村人の一人がそんな顔をしていた。
「こっちです、若様」
肩に手を置かれ、一瞬だけびくりとしたが何も反応しない少年に、それでも男は話しかける。このような状態がいつまで続くかわからない今、彼には話しかけ、責任者に引き合わせるのが一番だ。
男は、聞いてはいない事を理解しつつも話しかけながら、少年の肩においた手で村長の家へと誘導していくのだった。
村人が、二人を見つけて駆け寄ってきた時も、彼は実際には理解していなかった。
森を歩いているといつの間にか人が現れ、そして気がつくと簡素な部屋に友人は寝かされており、穿たれた傷の手当を受け手いる。だが認識は出来ているが理解できていなかった。
唯々、動きを眺めるとも無く見ながら、自分の気持ちの中で踊っていた。
村人たちは実に親切であったが、彼は自分を密かに嘲っているように感じられてならなかった。自分に対する恥ずかしさ、嫌悪、怒り。全てが、彼らをまったく知らない村人に投影され、それを見て更に心かき乱す。投影された思いが、村人もそうに違いないと感じさせ、それによって生じた自らへの憤りが、更に自分自身を責めさいなむ。
先ほど自分を助けてくれた老狩人に対する憧れと、嘲笑されたことへの無念感。
村人が仲間を村長の家らしい所へ連れていく時も、周囲を全く感じること無く、ただ彼は老狩人とのやり取りのみを噛み締めていた。
何か声がかかり、誰かが自分の甲冑を剥いでいく。身と心を守ってくれている甲冑が、はぎ取られていく。後には、むき出しの自分。そして、自分を守ってくれた剣も……




