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3話

 

「貴方もこの街に来たことがある人間なら、シヴァール公の名くらいは聞いたことがあるだろう」


「ええもちろん。有名なお方ですよねぇ良い意味で」


 虫の止まるような速度で揺れる幌は夕日の落ちた街のはずれの森を進んでいる。

 その上では幌馬車の主と件の医者が、昼と同じような様子で話をしていた。

 とは言っても獣脚の医者の方は黒革の鞄を脇に携えていて、頭には新たに身長の低い帽子が加わっている。身なりも幾分かきちんとしているようだ。

 主の方も寸分変わりないように見えて...いや、寸分も変わりないらしい。

 相変わらず中途半端な長さの金髪は纏めてフードの中に封じ込め、長い脚を放り出していた。


 一行は手紙の主、シヴァール公のもとへ向かっていた。

 すでに前方に見えてきている高い白壁の屋敷が、アルミス・シヴァール...この街をおさめる領主の邸である。


「良い意味で有名か...含ませた物言いだな」

「いやいやぁ。良いお方じゃあないですかぁ。すこ〜し女遊びが過ぎるくらいで」

「そう言えるのも今のうちだと思っておいた方が後に落胆せずに済むぞ。

 あの方が持ち込んでくるのはいずれも厄介な仕事ばかりだ。それもその、女絡みの」

 厄介な仕事を引き受けられる仕事であるから仕方ないのだがな。

 と続けた言葉にはどこか力がない。

「あ、そういえば」

「ん?」

「何で運び屋なんか...あぁ、だめだ、ちょっと質問の仕方を変えます」


 主は初めの質問の片鱗でさえも肩をびくつかせたように見えた。明らかな防御感だった。

 決して訊かれたことがない質問ではなかったが、動揺を見せないようにする余裕、それさえも与えられないようなタイミング。

 そして...質問の『仕方』を変えるというのは。

 既にして答えにくい質問であるのに、一体どんな情報を掘り返そうと言うのか。


 男は肩を震わせてからの一連の感情の流れを確かに見ていた。がたん、と幌馬車の車輪が道端のなにかに乗り上げて、帽子が浮く。

 月光が空を覆う木に遮られて、その表情は闇に隠された。


「誰が、何のために、あなたにこの仕事を託したのです?」


 暗い闇。幌馬車が主の心情を表すようにかすかに揺らいで、馬車を引く動物が鼻息を上げる。主はまるで気配を消してしまったかのように呼気を消していた。

 動揺のあまりか。

 それとも溢れそうな何かを封じ込めようと、耐えているのか。


「だれが...」


 男が堪えられないくらいの静寂が流れて、がたがたとして音に紛れ、絞り出すような声が聞こえた。

 森が途切れ、青白い月光が幌馬車に注がれる。


「その質問に答える義務は無い...」


 無表情を装って主を伺う男の顔と、無表情を貼り付けて溢れる感情を閉じ込めた主の顔が、ほの白く浮かび上がった。

 思えば短い暗闇の時間だった。しかし深淵にすがり付く悲鳴のような呻きがずっと昔の記憶のように霞んでいる。


 男は自分に言い聞かせる。

 落胆はしなくとも良い。

 杭は穿った。いくら扉を閉ざそうとも、あとは勝手に流れ出す。


 しかし主がフードの下に苦味の濃い笑みを浮かべることまでは、男の予想には無かったものだった。


「...と、言おうとしたが、協力をしてもらっている身としてはそうも言いにくいものだな。

 いつか話そう。でもそれは今ではない」


 しゃりしゃりしゃりしゃり。車輪が地を踏んでたてる音が、ふと変わった。

 砂浜に似て、白くて丸い粒が緩やかな起伏を成す庭がシヴァール邸を囲んでいる。

 屋敷から漏れだした金の光が主の顔に射す。

 男はその時初めて、純粋に主の笑みを見た。


「着いてしまった。旅路はどんなものでも長いものだからな、運送中にでも話そう」


 豪華だが背後の森と良く調和する昔ながらの造式である屋敷の全貌が見えた。

 隣接された馬小屋から従者と思しき男が掛けてきて、幌馬車の前方に目を向け戸惑った様子を見せる。


「お話は伺っています。馬車から降りて中にお入り下さい。そちらの...牛は、木に繋いでおきますので」


「必要ない。そこらへんに放置しておいて大丈夫だ。エアは大人しいぞ」


 エア、というのかこの牛さんは。

 男はまじまじと鼻を鳴らす動物を見た。


「しかしそう言いましても...」従者も食い下がる。


「新人なんだ。許してやってくれ」


 新たに会話に挟まれたのは低い声だった。

 見やれば屋敷の重厚な扉から、1人の男が半身を覗かせている。

 咄嗟に姿勢を正した従者の態度でその正体は予想がつく。

 鋼鉄で練り上げられたような長身、白髪の混じった黒髪からはおよそ40代に差し掛かってはいると思われるが、にこやかに細められた親しげな目やくっきりした細面の輪郭はどこか若々しい。

 シヴァール公。

 その位は公爵ではないが、その優雅さ故に俗称としてそう呼ばれている。本来の位は領主にある。


「エア殿はちゃんとわが邸にお招きしたいと思っているけれど、そうもいかなくてね...扉が小さい。

 本当に申し訳ない限りだよ。

 そうだ君...彼を牛なんて呼んではいけない。もちろん繋ぐ必要もないよ」

 従者は頭を垂れてエアから手を離す。

 シヴァール公は手を広げ、扉を開けて中へと促した。

「カイル、それと医者の方、よく来てくれたね。中に入って、少し体を休めるといい」

 話を向けられた主と男は互いに顔を見合わせた。

「カイルと名乗られているんですね?」

「察しの通り偽名だ」

「こちらも名を知っておいてもらわなければ何かと都合が悪いのでは?」

「それもそうだな」

「僕は巷ではビックフットと名乗っているのです」

「偽名か」

「察しの通り偽名ですよ〜」

 男の脚に目を向けた主が妙な顔をしたのを区切りに、ふたりは幌から降りた。

 シヴァール公の面前というのもあってか、カイルの方から先に降りる。


「どういうことですか」

 地面に足を着けるなりのカイルの第一声。

 片手はエアの毛に埋もれさせて耳の後ろを掻いている。エアは気持ち良さげに尻尾を2、3度振った。


「話は長くなるよ。とりあえず入ってから話そうか」

「入ってしまうと交渉成立でしょう。教えて頂けるまで動きません」

 そうか。とシヴァール公は小さく呟く。


「リリア、こっちにおいで」


 彼が扉の中に呼びかけて間もなくして、シャンシャンと軽い鈴の音と足音が近付いてきた。

 カイルは思い出す。


【6歳の女子。くれぐれも身分を明かされることがないよう、隣国までの運び届けて欲しい。】


 荷とされる彼女の名に、シヴァールの姓。そして記憶が正しければ。


 「紹介しよう...」


 扉から溢れる光の中に、シヴァール公の腰ほどまでしかない小柄な影が現れた。

 豊かな金髪がふわふわと波打ち、派手ではないが繊細な装飾がされた白い丈短のドレスも合わさって、天使でも現れたかのような登場だった。

 しかし。その可愛らしく丸い蒼眼の下、顔のした半分は布に覆い隠されている。

 ドレスと同様の装飾で無骨さは感じないものの...それが逆に、その格好の異様さを目立たせる。


 「リリア・シヴァール。私の娘だ」







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