10 モケモケ、初めてのトイレ体験
「わたしから話が出来るのはこれくらい。後は本とかを見てもらったらって思うけど。駆馬達はこの国の字読める?」
モケモケが尋ねてくる。我はモケモケから貰っていた小説に目を下ろしてみた。
うむ。まったく読めない文字が書かれている。
「読めんな」
「やっぱり。文字には言語の加護が働かないから。外国の本読むのは大変だと思う。駆馬のことだから文字自体読めないってことはないと思うけど。文字を覚えるのは少し大変かも知れない」
我等には言語理解のスキルがついている。だがその効果は限定的なものだった。
『名前は言語理解になってますけど質的にはイメージを共有出来る魔法ですね。例えば今ならモケモケちゃんの言葉を聞くのと同時にモケモケちゃんの頭にあるイメージも受け取っているんです。だから対面では相手の言葉が理解出来るんですよ。でも文字にはそのイメージが付与出来ないですから。文字は一から覚えなくちゃ駄目なのですよー』
とのことだ。
まあその程度の不便は想定内。むしろ話し言葉が理解出来るだけでも十分優遇されている。
「駆馬達が革命を手伝ってくれるのなら、文字くらいわたしが教えてもいい」
モケモケからありがたい申し出が出る。
「うむ。文字は覚えねばならぬからな。教えてくれるというのならコネクトームに読み聞かせをやってもらいたい」
「機械人形に?」
「ああ。AIの説明は難しいがコネクトームはとにかく物覚えがいい。恐らく一月以内で文字を覚えられるだろう。そしてコネクトームが文字を覚えれば自動翻訳が出来るからな。その時点で我等が文字を覚える必要はなくなるし、覚える際にもかなり楽に覚えられるようになる」
「……分かった。人形に言葉を教えるのは変な感じだけど、駆馬がそう言うならやってもいい」
「うむ。よろしく頼む」
その後も雑談を続けて食事会は終了した。モケモケを長期拘束するのも問題なので明日には元いた場所へと返す予定だ。
ただし今日は遅いので一晩泊めることになったのだが、ここでモケモケに問題が起きる。
「だ……第二ウェーブが」
下痢である。
「また美味しいもの食べたから……」
理由はともかく問題だ。だが一番の問題はモケモケの衛生観念だった。
「……廊下でうんちしていい?」
「駄目に決まっているだろう」
「やっぱり」
我は苦しそうにするモケモケをトイレに案内してやる。その間に聞いたことだが、やはりこの世界、というかフリパラにはトイレがほとんどないそうだ。庶民はおまるに排泄物を貯め、いっぱいになると窓から外に投げ捨てるらしい。
だがそれさえ足りない時は廊下の片隅で用を足すこともあるという。
「……だけどこの家にはうんちが一つも落ちてなかった。……やっぱりトイレが……ちゃんとある……んだ」
「うむ。だから我慢だ。我慢だぞモケモケよ」
モケモケを励ましながらトイレの中へと案内してやる。だがここでモケモケが悲痛な叫びをあげた。
「綺麗すぎる。壁も床も真っ白でお風呂みたいに綺麗。……うんちする所じゃない」
「大丈夫だモケモケよ。椅子が見えるだろう、この中にうんちをしろ」
我はトイレの上蓋を上げモケモケに座るよう指示してやる。
「こ、こう?」
「違う、向きが逆だ。前を向け前を」
「え、でもビデ使う時はこの向きだけど」
「ビデじゃないから」
座り方を教えるのも一苦労である。だが話はここで終わらなかった。
「中に水が張ってあるし。やっぱりビデの中にうんちするのは駄目だと思う。ビデはうんちの後お尻洗うのに使う所」
「だからビデじゃないと言ってるだろうが、いいから全部出してしまえ」
「ホントに? ……ホントに出すよ? 後で怒っても駆馬のせいだから」
「いいから早くやってしまえ」
「うん」
やっとでモケモケがうんちを始める。その様子を隣で眺めながら我は一仕事終えた満足感に浸っていた。だが。
「……男の人が見てる前でうんちするのは生まれて初めて。恥ずかしい……」
トイレの使い方を教えるのに夢中になっていたが、我も少女が用を足すのを見るのは初めてだった。
草原でモケモケと出会った時は出した後であったしな。
せっかくなので最後まで見守ってやることにする。
「……一緒にお風呂入った上にうんちするとこまで見られた。……もう駆馬にお嫁さんに貰ってもらうしかない」
うむ、一応考えといてやろう。
「それで……うんち出しちゃったけどいいの? このトイレ、床から外れそうにもないけど」
「ああ、中の水は排出出来るようになっている。だから問題はないんだが、その前にまずは尻を拭こうか」
「拭くって紙で?」
モケモケはトイレットペーパーを見て固まっていた。これは草原の時と同じやりとりになるな。
「ああ、先に水で洗っておくか。ウォシュレットだしな。横のボタンを押してみろ。ビデじゃなくておしりって書いてある方な」
「! ……やっぱりこれビデだったんだ」
「いやそうじゃなくて、とにかくおしりって書いてる方だ。……っと、文字は翻訳されないんだったな。ほらこれだ、ここ押すと下から水が出るからな」
少し細かい話になるが、日本で言うビデと外国のビデは少し違う。外国で言うビデはトイレとは別の独立した設備なのだ。だが日本だとなぜか女性器を洗浄する機能になってるからな。
外国のビデはその用途にも使うから完全に間違いというわけではないが、この辺は誤解の種になりやすい。
モケモケも外国で言う方のビデに慣れてるから説明するのに少し苦労した。
「……っと、押す前に少しだけ注意しとくぞ。そんなに勢いは強くないが直接尻に水が当たるから驚かないよう慎重にな」
「う、うん……」
モケモケは恐る恐るウォシュレットのボタンを押した。
「ひゃうっ……」
「ん……」
「これは初めての感覚……」
「…………」
「……ちょっといいかも」
モケモケはウォシュレットを気に入ったようである。
「……これは癖になるかも知れない」
癖になるのはどうかと思うが。
「よし、ひとまず尻は綺麗になったな。だがまだ濡れてるだろう。草原ではそのまま放置したが、やはり尻は拭いておけ」
「ん……分かった」
モケモケは素直にトイレットペーパーを使い始めた。
「うむ。水の時にも伝えたが、我等には安価に紙を作る技術もある。原料の木材は問題になるかも知れぬがな」
「それなら大丈夫。フリパラは林業が発達してるから。国中をはげ山にしてしまったアギルスとは違う。ただ国有林は王室が管理してたからこれからどうなるかは未知数だけど」
「なるほどな。革命の混乱で乱伐されぬよう注意は必要か。だが森さえあれば問題ない。紙の製造技術も我等は提供する用意がある」
「……うん」
こうして尻を拭き終えた後、モケモケにはちゃんと手を洗う所まで指示してやった。
うんちを流す際にモケモケが驚いていたのは言うまでもないことだろう。
「駆馬達は全部がすごいけど、お風呂とトイレは本当に綺麗。駆馬も綺麗でピカピカだし。きつい香水の匂いもしないし。……全部が綺麗で、これは本当に夢みたい」
「そうだな。このレベルの生活環境はすぐには実現出来ぬだろう。だが出来るところからやっていこう。革命中は難しい面もあるだろうがな。時間はかかっても衛生環境の向上については我が約束してやろう」
「うん。明日は駆馬を首都に連れてく。スピドール議長は強面で有名だけど駆馬なら負けないと思ってる。それに彼もフリパラを愛してるから。駆馬がこの国に必要と分かれば彼の協力も得られると思う」
モケモケの目は希望に満ちていた。
我は簡単に行くわけがないと思っているがな。
だが全ては明日以降。我はモケモケをゲストルームで寝かせ、その後我等も就寝する。
だが翌日、我は見通しが甘かったことを思い知らされる。というよりこの国の人間を舐めていたというべきか。
我等の屋敷がある森の外へとフリパラ正規軍が近づいて来るのを知ったのは、翌朝彼らがドローンの監視網に入ってからだった。




