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タイムスリップは魔法の世界で。  作者: 世野口秀
第1章 タイムスリップのはじまり。
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第8話 だいすきだったよ

 そこにあるのは死体だった。

 最早口を開くことはない。

 何があっても頬笑むことはない。

 どうやっても立ち上がることもない。

 何をしても、どう足掻いても、どれほど願っても、こんなにも傍にいても、あんなに泣き喚いても、あれほどに呼んでも、どんな手を尽くしても、何を捧げても、どれほど後悔しても。

 もう遅いのだ。

 手遅れで、終わっていて、終わりきっていて、何もかもがどうにもならない。だからこそこんなにも辛いのだ。


 それが『死』と言うものなのだ。



 目の前で泣き叫び、遺体を抱く有栖を見て杉原は、そんなことを考えていた。

 あれから、杉原達は男達にもう一つの隠れ家まで連れて行かせた。

 そして出会った。

 否、最早見つけた、と言う表現が適切だった。

 そこに「あった」のは、小柄な人間の少年の上半身と蜘蛛の下半身を持つ生物だった。

 褐色の肌に金色の髪、紫の瞳、そしてがりがりにやせ細った顔に僅かながら残る面影が、この死体が弥蜘蛛有栖の弟である、弥蜘蛛有耶だったのだと言うことを窺わせていた。

 脚は折られ、額の四つの眼の一つが潰され、歯は折られ、指は捻じ曲がり、あまりにも痛々しい姿だった。


「こ、こんな。こんなの嘘よ。約束、そう約束したの。約束したのよ!! きっとまた会おうって!! 離れ離れになってもお互いがお互いを守るために生きようって。だから、私が死ぬまで有耶は生きてる!! そう言う約束をしたのよ!! 有耶は、有君は、嘘を吐かないもん!! きっと、今まで約束なんて破ったことなかった!! だから、だから――」


 大粒の涙を流しながら、言い訳をするように、言い聞かせるように、有栖は言葉を紡ぐ。

ただ只管に、只管に。

 自分自身を宥めるように、

 自分自身を誤魔化すように。


「死んでないよ。有君は、生きてる。やっと会えたんだもん。だから、きっと――」

「――お姉さんッ!!」


 そこで、声を上げたのはひとみだった。


「もう、……死んでるんだよ」

「……………」


 ひとみの言葉に、泣きながら喚いていた有栖は、言葉を紡ぐのをやめた。

 そのまましばらく呆然としていたが、うつろな眼で有耶を見つめると、ゆっくり彼の髪を、ぼろぼろに痛んだ痛々しい髪を指で梳き始めた。


「……弟さんが死んだことが受け止められないくらいに、辛いのはわかるんだよ。でも、弟さんはもう――」

「何が、分かるの?」

「え?」


 ひとみの言葉に、有栖は噛み付いた。先ほどとは打って変わって、淡々とした口調で、しかしはっきりとした怒気を露にした。


「ねえ? 私の気持ちの、何が分かるの?」

「その、私の両親も殺されて――」

「ええ、そうね。私もあなたも、守ってくれる人は居なくなった。でも、この子は私が守らなきゃいけない子だったのよ。小さくて、泣き虫で、弱々しくて、すぐに『お姉ちゃん』って頼ってきて、本当にどうしようもない――どうしようもないくらいに守ってあげたかったのよ。……なのに、守りきれなかった」

「……」


 ひとみも最早、何も言えない。

 杉原と黒渡もまた何も言えない。

 糸で簀巻きにされた男達は、青ざめた顔で黙っている。


「何度殴られても、蹴られても、有君も生きているんだって思えば、耐えられた。糸を作りすぎて、血を吐くくらい臓腑を痛めても有君も頑張ってるんだって思っていたら、我慢できた。あいつらに酔って面白半分で鞭を打たれても、タバコの灰を押し付けられても。機嫌が悪いってだけで、気を晴らすためにってだけで、爪を剥がされても、ナイフで皮膚を剥ぎ取られても、あの子のためなら生き抜くことが出来た。絶対守るって誓ったのに……。ねえ?」


 大きく体を仰け反らせ、振り向いて、有栖は男達に尋ねた。


「なんで、有君は死んだの?」

「……いや、その……」


 言いよどむ男の一人に、有栖は指先から伸ばした糸を飛ばし、右耳に強く巻きつけると、そのまま何のためらいもなく糸を引っ張り、引きちぎった。


「ぎゃああああ!? 俺のッ!! 俺の耳をオオオオオ!! この化けもんがッ!! 殺す!! ぶっ殺す!!」


 怒鳴り散らす男の左耳に、有栖は糸を飛ばして、再度引きちぎった。

 二度目の鮮血が舞った。


「ぐあああああああ!? 待て、待ってくれ!! 話すちゃんと、だから」

「いいから話せって言ってるのよ」

「分かった!! ソイツが死んだのは三日前のことだ――」


 今から三日前、糸から編み上げたアラクネの布を回収するために、男達は有耶のいる小屋に向かった。


 彼らは三日に一度、有栖達の作った糸の回収、給餌のために小屋に行く。

 だが、やせ細った有耶が作れる布の量は最早大したものではなく、段々と糸を紡げなくなりつつある有耶に、男達は腹を立てていた。

 


 アラクネの紡ぐ糸は魔力と彼女達の体内で生成される液体状のタンパク質分子の連鎖で組成されたものであり、蜘蛛の肉体の出糸突起から出すか、魔法により指先や周囲の空間に糸として召喚し、扱うことが出来る。

 アラクネは体が人間ほどもある上、魔力を混ぜて作り出すため、普通の蜘蛛の糸より張るかに多量の糸を作ることが可能だが、当然限度もある。

 また、元がタンパク質であるため、作るにはタンパク質が欠かせない。

 そのため、アラクネの肉体は許容を超えて作ろうとすると、肉体そのものを分解しタンパク質に変える働きを持つ。

 また、糸を作るにはアラクネの糸の元である液体を蜘蛛の肉体にある特殊な臓器で作り、魔力と混ぜる必要がある。

 しかし、酷使しすぎると魔力を混ぜる際に負荷がかかり、臓器を痛め、そこから全身に悪影響を及ぼす。

 酷使し続け、身を削り、体の内側から痛められた有耶の肉体は最早、死の一歩手前だった。

 彼の体はぼろぼろだった。

 しかし、それでも彼は糸を紡いだ。そうしなければ姉が辛い思いをすると分かっていたからだ。

 姉が弟を守ろうとしていたように、弟もまた姉を守ろうとしていたのだった。

 だから、彼は文字通り身を削って働いていたのだ。



 そんな彼を、男達は蹴りつけた。殴りつけた。


 自分達は賭け(ギャンブル)に負けてむしゃくしゃしていたうえ、糸を碌に作れていない。

 そんな自分勝手な理由で、彼らは有耶を暴行した。彼の足が砕け折れるほどに。彼の眼が潰れるほどに。彼の歯が砕けるほどに。指がありない方向を向くほどに。


 涙ながらに姉の名を呼ぶ子どもが、その命を散らすほどに。


 そうやって彼は死んだ。




「そう……」

「あ、ああ。だけどよ。まあ、お互い落ち着こうぜ。お互いに……」

「五月蠅い」


 そう一言だけ呟いて、有栖は耳を引きちぎった男に歩み寄ると、その首に糸を巻きつけ、引っ張った。


「か、かはッ!?」

「ひ、ひぃ!?」


 そして男の首を締め上げる。仲間の男が悲鳴を上げる。

 だが、有栖は手の力を弱めない。ぎりぎりと締め上げる。男はじたばたと暴れて逃げようとするが、両手を封じられた今は足で暴れる程度のことしか出来ない。


「あんたらは、いいよね。こんなもんで死ねて。……有君(あの子)はもっと、きつかったはずなのに」


 有栖の眼には最早、男の命など路傍の石ほどの価値も映らなかった。


「ま、待ってくれよ!! ソイツは確かにクソ野郎だが、俺には事情があったんだ。ガキのころ、親に捨てられ孤独に生きてきたんだ。こういう生き方しか知らなかった!! 本当なんだ!!」


 もう一人の男の方が騒ぎ出した。

 このままでは、自分も殺される。そんな状況は避けたかった。

 自分を切り捨てられた男は、首を絞められながら仲間の男を睨みつけていた。

 そんな様子を杉原はぼんやりと見つめていたが、男の言葉の真意を知るために、ひとみに目を向けた。


「……ホントなんだよー」


 ひとみは静かにそう言った。

 杉原は興味がなさそうな顔で、「ふうん」と呟いた。

 黒渡は黙ったままだった。

 男は人間相手なら同情を買えるかと思っていたが、当てが外れ愕然としていた。

 そして、有栖に首を絞められていた男は、泡を吹き、尿を垂れ流し、痙攣しながら。

 

 死んだ。


 ごとり、と音を立ててその男は、崩れ落ちた。


「ヒィッ!!」


 次は自分の番だ。男は気付いていた。


「おい!! 同じ人間だろ!! シーイングではっきり出てる。杉原千華!! お前、こんな化け物の方を味方すんのかよ!?」


 男は杉原相手に喚き散らした。

 そんな男の方に、杉原は顔を向けた。

 しかし、眼の焦点は男に合っていなかった。その男に焦点を合わせるつもりなど、杉原には毛頭なかった。


「同じ人間? 笑わせるな。お前らが同じ人間なら、僕はこの娘がお前らを殺すことに抵抗を感じただろう」


 一度言葉を切って、杉原は続けた。


「一緒にするな。畜生以下のクソくらいめ。いくらかでもポケットに金を入れておけばよかったな。地獄の沙汰も金次第だそうだが、無一文じゃあ地獄行きだ」


 杉原はそう言い放った。


「う、ううああ。嫌だ。おい、杉原……さん、頼む!! やめさせろおおおおおお!!!」

「そこで、自分が家族を奪った少女に命乞いをしていたなら、まだマシだったがな。僕に向かって何言ってんだよ。だが、一応聞いとくか。弥蜘蛛ちゃーん。仇を取っても大切な人は戻ってこないぜ? とかなんとか、昔読んだ小説で言ってたことだけどさ」


 杉原は無表情に、口調だけふざけた様子で、有栖に話しかけた。

 有栖は死んだような目で返した。


「知ってるわよ。それくらい。だからこんなに……こんなにも認めたくなかったのよ。あの子が死んだことを。……私だって、この子が生きてるとは限らないなんて事は分かっていたわ。それでも生きてて欲しかった。でも駄目だった。……だから復讐するのよ。……ねえ、死んだ家族に帰ってきて欲しくて、復讐する奴なんているの? 少なくとも私はね、私がこうでもしなきゃ、……やっていられないから、殺すだけよ」

「……ああ、そうだな。僕も同じ考えだ。と言うわけでおっさん。僕はあんたらの名前を脳細胞に残すつもりは一切ないから、シーイングも使わない。眼も向けられずに蹴り飛ばされる路傍の石のように。気がついたら踏み殺されていた虫けらのように。ただ死ね。只管に、死ね。一寸の虫にも劣る魂しか持たんお前の命の使いどころなんて、そんなもんさ」

「うわああああああ!!! やめ―――」

「だから五月蝿いわよ。せめて苦しんで死ね」



 そして、その男もまた死んだ。




「こんなものじゃな。取り敢えず今日はここを拠点にして寝ておけ」


 黒渡は魔法で作った大きな土のかまくらを見ながら言った。

 初級土魔法ノームネストで作られたものだった。


「ありがとうございます。黒渡さん。さあ、秘留ちゃん。君はもう休んで。疲れたろう? 大丈夫。明日は師匠に来てもらえるから」

「うん。……でもお姉さんは」

「心配しないで。僕が行くから。黒渡さん。秘留ちゃんのこと、お願いします」


 そう言うと、杉原は歩き出した。体は黒渡に直され、魔力も多少回復していた。

 彼らは今、男達の隠れ家から少し離れた位置に居た。

 有栖はと言うと。


「……」


 未だに有耶の死んだ部屋で、ぼんやりと虚空を見つめていた。

 有耶の亡骸は、有栖に優しく抱かれていた。

 有栖の殺した男達は、杉原が引き摺って外に放り出していた。



「よう」


 と、杉原は背後から話しかけた。


「君が勝手にそこにいるから。僕も勝手にここにいるぜ」


 そこまで話しかけて、杉原は床に座り込んだ。


「……ねえ」


 有栖は振り向くことなく、杉原に声を掛けた。


「うん? 何?」

「何で、私達がこんな目に遭うの?」

「……さあな」

「……アンタ達のせいでしょ」

「知らねえよ。どうしようもなかった連中が、どうしようもないことをしただけだろ。そこに全人類を巻き込むんじゃねえ。つーか、僕を巻き込むな」

「――アンタ達の所為だろ!!」

 

 有栖は糸を杉原の首に飛ばしてきた。

 杉原は糸を掴み取ると、マジックディスターブで破壊した。多少魔力の回復した今、糸の一本程度はどうにでもなる。

 それでもそう何度もはできないが。


「だから、僕を巻き込むなって」

「五月蠅い!! あんた達がいなければ、私達はこんな目に遭わずにすんだのに!! なんで、なんでこんな目に遭わなきゃいけな――」


 有栖の言葉は最後まで続かなかった。

 静かに立ち上がり、歩み寄ってきた杉原の平手が、有栖の頬を打ったからだ。

 乾いた音が部屋に響き、有栖の頬が赤くなった。


「うるせえよ。さっきからいちいち。悲劇のヒロイン気取りか。図に乗るな」

「何すんの――」

「秘留ちゃんだって、辛いんだ」

「……え?」

「あの娘は、村を襲われて一ヶ月程度しかたっていない。両親の死による心の整理も、多分ついてないだろ。だけどあの娘は自分のすべきことが分かっている。あの娘は立派な娘だ。僕や君なんかより余程余程強い」

「……それは、そうだけど」

「そんな娘を相手に、『私の気持ちの何が分かる?』って。お前だってあの娘の気持ちは、なんもわかってないだろ。何をお前だけ被害者みたいな顔してんの?」

「それは、アンタもでしょ!!」

「ああ、僕もお前らの気持ちなんぞ知らん。家族どころか親戚友人隣近所、どいつもこいつもぴんぴんしてる。ひいじいちゃんなんざ未だに勢い良くカツ丼かっ込んでたからな。元気良すぎてワケわからん」

「じゃあ、アンタみたいな奴が――」

「でも、お前はいきなり家族も友達もいない時代へのタイムスリップに巻き込まれて、そんな世界で生きぬく羽目になった奴の気持ちが分かるか? ついさっきまで、家族と何を話そうか、なんて考えていたら、知らねえ環境に放り込まれて、帰る方法もない奴の気持ちってわかんのか?」

「……あんた、勇者なの?」

「だったらシーイングでそう出るだろ。僕はただ巻き込まれただけだ。勇者のような強さなんてない」


 有栖は杉原の言葉に困惑した表情を浮かべていた。

 杉原の職業は、何もないままだった。

 たいていの人間は、10歳ころには神殿で職業の加護を与えられる。そうして成長の補正を掛けるのだ。そのため職業がないのは、神殿を利用できない魔人くらいのものだ。

 そもそも、神殿は人間が創ったものでもあるため、魔人は利用できないのである。

 そのため、人間である杉原が職業を持たないということは有栖にとっては不可解なことだった。

 杉原の立場が、有栖には分からなかった。



「どういうこと?」

「別に。家族や友達に会えないってだけだ。二度とな」

「……寂しくないの?」

「下らないことを聞くな。……そんなもん」


 杉原はそこでやっと気付いた。

 偉そうなことを言ってやっと気付いた。


 そうだ。そうなのだ。


「寂しいに決まってんだろ」


 杉原の母は陽気な人だった。


『では問題です!! 今日の夕飯はなんでしょう? 1,まだ出来てない。2,以下同文。3,以下同文。さあどれ!?』


 なんて言われたときはどうしようかと思ったものだ。

 だが、いつでも笑顔で杉原千華を支えてきた。


 杉原の父は寡黙な男だった。


『む……』

 

 父との会話で、父が最も発する言葉はこれだった。会話が進まなくて困ったものだった。

 だが、家族のためなら只管に努力する男だった。


 二人の姉は良く喋る人だった。


『ちょっとちょっと千華!! あのさ――』

『うーい!! 千華、聞いて聞いて』


 騒がしくて仕方なかった。

 だが、人のことを良く見てくれる人達だった。


 杉原の兄は柄の悪い男だった。


『おう、何してんだテメェ?』


 街中でいきなり話しかけられると、驚いたものだった。

 だが、杉原の進む指標になってくれた人物だった。



 そして、小学校、中学校、高校と様々な友達が出来た。

 良く喋る奴も、寡黙な奴も、体育会系な奴も、インテリ系な奴も、馬鹿な奴も、真面目な奴も、居た。

 嫌なこと、苦しいことも人生でそれなりにあったが、それでも杉原の人生はそれなりに楽しかった。

 楽しめるように努力してきたつもりだった。


 だが、その全てが塵芥と化した。


 もう二度と、優しい家族には会えない。

 もう二度と、気心の知れた友人と会うことはできない。

 その意味を、今の有栖の様子を見ていて杉原はやっと悟った。

 こんなにも、こんなにも。


「涙が……」


 杉原の目から涙が溢れた。

 家族に会いたい。友人に会いたい。

 しかし、それはもう叶わない。

 それは、『死』と何が違うのだろう?


 杉原の胸はそんな気持ちで一杯だった。


「杉原、アンタは……」

「……言っとくが、僕と君は境遇が似ているだけだ。『同じ』じゃない。お互いの気持ちを理解することは、出来ない」

「……」


 口を開きかけた有栖に、杉原は涙を拭い、そう言い放った。

 目は赤いままだったが。


「……だから、知ったような気になるな。代わりに約束を果たせ」

「……約束?」

「ああ、僕は秘留ちゃんを助けた。ついでに君の首輪も壊した。有耶君は間に合わなかったが。それでも約束そのものは、僕は果たした。だから、対価をよこせ」

「……ああ、分かったわ」


 つまり、最初にした約束、『お前の体をよこせ』ということだ。


「ええ、いいわよ。いたぶろうが、犯そうが構わない。……なんなら殺してもいいわよ」


 両手を広げて、自嘲気味に、彼女はそう言った。


「……お前が死んだら、お前を守ろうとした有耶君は犬死だぞ? そんなことも分からないくらいに頭が沸いたのか?」

「バカにしないで。それくらいわかってるわ。……でも、もう私は、こんな世界で生きていたくない。もう、何もかもが嫌なのよ」


 泣き笑いのような表情で、有栖はそう言った。

 

「……そうか。じゃあ、命令その1だ。こいつを見ろ」


 杉原が示したのは、一枚の紙だった。

 有栖は杉原の言葉の意味が分からなかったが、有耶の遺体を抱き上げ歩み寄った。


「この紙が、何よ?」

「男達の死体を片付けているときに気付いたんだ」


 杉原は弱い火魔法で、予め拾っておいた枯れ木に火をつけ、松明にした。


「これは……」


 それは、一枚の手紙だった。

 有耶が自分の血で鋭い爪を使って刻み込んだ、乱雑な文字で紡がれた文章だった。

 

「君への手紙だ。弟君からな」

「……有君」


 そして、有栖はその文章を目で追っていった。



『お姉ちゃんへ。

 やあ、元気かな? 元気だといいな。俺はね、もう元気じゃない。手が震えるんだ。目がかすむんだ。口の中から鉄の味が消えないんだ。体が寒くて震えが止まらない。

 分かってる。分かりきってる。

 もう、俺は死ぬ。死にたくはないけど。死にたくないのに。死ぬ。

だから手紙を残そうと思う。ははは。昔はあんなに楽しかったのにね。お姉ちゃんや、友達のみんなと暗くなるまで遊んで。お母さんには怒られて、お父さんはニコニコしてて。今でもはっきり覚えてる。

 ああ、前置きが長いね。俺はいつもこうだ。目も指も、もう疲れてきたよ。だから本題だ。約束を破ってごめん。お姉ちゃんとの約束を破るのは、今回で初めてだよ。うーん、心苦しいね。何が心苦しいって、約束を破ったのにわがままを言うことだよ。

 ねえお姉ちゃん、生きて。多分、俺らの人生は幸福より不幸が多い。生きていてもロクなもんじゃないかもね。でも、それでも生き抜いて欲しい。死んだ方が楽かも知れないけど、まだあの世で再開するには早すぎるよ。

 信頼できる仲間に会って、一緒にいて楽しい友達を見つけて、そして愛する恋人を見つけて欲しい。俺も彼女欲しかったけど、駄目だったからさ。だから、お姉ちゃんには俺と同じくらい格好良くて、俺と同じくらい料理が出来て、俺と同じくらいに面倒見が良くて、そして、俺よりも、俺なんかよりもずっとお姉ちゃんのことをだいじに出来る人を見つけて。それが俺の最後の我がまま。

 こんなシスコンの弟ができてお姉ちゃんは大へんだね。ふふん。まあそれもお姉ちゃんが俺をあまやかしたからだよ。さて、いい加げん、手がうごかしにくくなってきたみたいだ。がんばったけどー、もうむり。かんじもかけなくなってきた。だからさいごにこれだけかいておくね。

 おねえちゃん、だいすきだったよ。そしてこれからもだいすきだ。

 あなたのおとうと やくもゆうや』


「……有耶。アイツこんなのを」

「驚いたよ。小さな文字でびっしりと書いてあったからね。よくやったもんだぜ。この手紙は檻の下の隙間に突っ込まれてた。僕も気付いたのはたまたまだ」


 有栖は、呆然と壁を見つめ、文字を指でなぞっていた。


「で、君はまだ死んでいいとか言うの? もしそうなら、知らん。勝手に死ね」

「……死ねるわけないでしょ。こんなこと言い残されて。あの子に嫌われるじゃない。有君はシスコンだけど、私はブラコンなのよ。だから……決めたわ」

「何を?」

「この世界で、私は幸せになる。何があっても、笑顔で、命を終えてみせる」

「……そうかい」


 唇をかみ締めて言い放った有栖の言葉に、杉原は優しく微笑んだ。


「さて、ロリっ娘には寝ろと言って、鳥さんにゃあそれを見といてくれと僕は言ったんだがな」

「「ギクッ!!」」


 杉原が、ドアに向けて言い放った言葉に漫画のように、一人と一羽が反応した。

 そこからそろりと、ひとみと肩に乗った黒渡が姿を現した。


「……ごめんなさいなんだよ」

「いや、気になってのう……」

「やれやれだ」


 そんなひとみたちの言葉に、杉原は肩を竦めていた。


「ねえ、ひとみ」


 と、ひとみへ有栖が話しかけてきた。

「なんだよー、お姉さん」


 ひとみはにっこり笑って応えた。


「……さっきはごめん。冷たいことを言っちゃった」

「いいんだよー。許してあげるんだよっ!!」


 ばつが悪そうに言う有栖に、ひとみは微笑んで言った。

 そんな様子を、杉原は微笑みながらその様子を見た後、また表情を引き締めて口を開いた。


「さて、いい加減、有耶君も楽になりたいだろ。この子を埋葬してやりたい。弥蜘蛛ちゃんの一族だとどうしていたんだ?」


 そして有耶に歩み寄ると、顔にハンカチを被せた。


「……基本的には火葬よ。そしてお骨は墓に埋葬されるわ。ただ、その墓は勇者に村ごと滅ぼされたから……」

「そうか。……じゃあ、仕方ねえな。火葬して、どこか眺めのいいところに埋めてやろう。それでいいか?」

「……いいの?」

「いいよ」

「……そう、ありがとう」


 有栖はうつむいたまま、そう落とすように呟いた。


「なら黒渡さん、どこかいいところないですか?」

「む? ああ。この森の奥には美しい湖がある。人も滅多に来ないし、そのあたりでどうじゃ?」

「……いいわ。ありがとう」




 そして、三人と一羽は美しい湖岸に居た。

 色とりどりの花が咲き乱れ、とても美しい場所だった。

 そこで木を組み、集めた花を飾り、有耶の遺体をその上にそっと寝せた。

 そして、黒渡と杉原で火魔法を使って遺体を焼いた。

 煙が高く、高く、昇っていた。

 全員が、炎に包まれる有耶に手を合わせていた。

 そして、黒渡と杉原は最後に土魔法で大地を陥没させ、有耶の骨を地面に沈め、そのまま墓標として黒渡が金天(きんてん)双樹(そうじゅ)と呼ばれる木の枝を折ったものを、有耶の遺体を埋めた地の上に突き刺した。


「この木は生命力が強い。こうして地面に刺しておけば、有耶の養分で大きく育つじゃろう。夏には陽の光りを浴びて金のように輝く美しい花を咲かせる。きっとこの木も美しく育つ」

「……そう。何から何まで、ありがとう」

「いいさ。僕も黒渡さんも大したことはしてないよ」

「……お姉さん」


 ひとみが心配そうに有栖を見つめた。有栖はひとみを安心させるように、優しく言った。


「大丈夫よ。さっきも言ったけど、こういう可能性も考えてはいたから。だから最後にこれだけ言って、私の気も済ませることにするわ」


 そして、金天双樹の枝を見つめながら、言った。



「さよなら、有君。私もあなたがだいすきだったよ。これからもずっと、忘れないから」


 一陣の風が吹き、有栖の頬を優しく撫でた。

 その風は有栖には、有耶が涙を拭ってくれているように感じた。


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