第20話 これがダンジョンか
「迷宮!? それは何スか、師匠!?」
「話は後です!! 全員、一塊になって!! 下手に動くと――」
「冬木様ッ!!」
手負いの杉原と青華を中心に集まった冬木たちに声をかけてきたものがいた。
黒い梟が音もなく翼で空を切り裂き、姿を現した。
「黒渡ッ!!」
冬木が声を張って呼びかけた。
その姿はここ暫く見かけていなかった冬木の梟、黒渡であった。
黒渡は慌てた様子で冬木の元を目指す。
「大変ですじゃ!! 第一王子達の手勢が――」
「――ッ!! 黒渡!! 退きなさい!!」
何かを伝えようとした黒渡に、何故か冬木が杖を振り上げ襲い掛かった。
咄嗟に黒渡は翼で空気を叩き、杖の一撃をかわした。
そして、その背後に現れた黒い影が、冬木の一撃を短刀で受け止めた。
更に甲高い音と共に、黒い影は短刀を振り払い、冬木から距離を取った。
冬木と影は音もなく着地した。
「冬木さん!? そいつは!?」
「なんと!? 尾行さ(つけら)れておったのか!!」
その黒い影は注視すると、黒いぼろ布を全身に纏った男だった。
顔は目深に被ったフードのせいで確認できない。
しかし纏う空気が、男を只者ではないと伝えた。
「有栖さん!! 杉原の銃を回収してください!!」
「え!? ええ!!」
有栖はその言葉を聞き、糸ですばやく杉原の2丁の拳銃を回収した。
冬木は杖の先端を男に向け、杖の真ん中辺りと下端を握り、杖術の構えを取った。
そして、杉原達に背を向けたまま話しかけた。
「杉原!! 皆さん!! 後で迎えに行きます!! それまで生き延びなさい!! 絶対にですよ!!」
「師匠!! 待ってくれ!! 何がなんだか――!?」
その瞬間、うごめく闇が杉原達を飲み込んでいった。
動くことも出来ず、杉原達はそのまま闇に飲み込まれていく。
「むう!! 杉原ッ!!」
「――させぬ」
咄嗟に黒渡が杉原達の下に飛ぼうとしたが、更に現れた黒いぼろ布を纏った男達が放った投げナイフに拒まれた。
「「「「うあああああああ!?」」」」
叫び声を残し、杉原千華、弥蜘蛛有栖、秘留ひとみ、洲岡青華は闇に飲み込まれ、姿を消し、更に地面がひび割れ、地形が変化していく。
「……やれやれ。邪魔をしてくれますね。私の愛弟子たちに何かあったら、あなた方の所為ですよ」
冬木は笑みを崩さずにそう言った。
しかし、長い付き合いの黒渡は察した。
(――まずいのう。これは、久々にかなり……怒っておるな)
黒渡は冬木の邪魔にならぬよう、距離を開けた。
そんな冬木と黒渡を囲むように木々の間からぞろぞろと同じ格好の男達が現れる。
「ふふ。私に気付かれず、ここまで接近しますか。いえ、何か魔道具の類ですかね。まあなんでもいいでしょう」
そう言うと、冬木の体を黒い靄のようなものが覆い始めた。
そしてその靄は、次第に周囲へと広がっていく。
「とりあえず叩き潰しましょうか」
冬木が微笑んだまま言い放った言葉に、男達はまるで、背骨を直接撫でられたかのような、得体の知れない感覚を味わった。
それでも、彼らは逃れるわけには行かない。
彼らの『任務』はそんなに軽いものではなかったのだ。
音もなく襲い来る敵に、黒渡は同情した。
(哀れなことだ。……もう彼らは戦闘者としては終いであろうな)
黒渡の脳でそんな言葉が生まれた時、微笑んだままの冬木が纏う闇の中で一筋の光りが煌いた。
「……で、ここはどこだ?」
闇が晴れたとき、杉原達は薄暗い通路の中にいた。
より正確に言えば、粗く削られたようなむき出しの石壁の通路であり、光りが差し込む場所はないが、石壁そのものが発光し、周囲を照らしている。
そのため。少なくとも自分達の周囲を確認する程度には、困らないくらいの光源はあった。
「……どこなんだろうねー?」
杉原を支えながら、ひとみまた首を傾げた。
青華も首を動かし、周囲を探ろうとしていたが、先ほどの闇に包まれた際に有栖の糸が切れていたため、バランスを崩しこけてしまった。
「いって!」
「オイオイ、大丈夫かよ?」
「ああ、すまん。問題なか。なんかよく分からんことに巻き込まれたバイ」
問題ないとは言うものの、青華も杉原と戦い負傷してるため、思うように体が動いていない。
手当てしなくてはいけない。
(……弥蜘蛛ちゃん達に、洲岡の面倒見させんのも不味いしな。さっさと治すべきか)
直接的に青華が何かをしたわけではないが、青華は勇者の一人であり、有栖とひとみにとっては親と仲間の仇の同類である。
杉原と出会った当初は、恩人ではあるが、それでも人間である杉原に対しても強い警戒心と敵意を向けていた二人だ。勇者と下手に関わらせても不味いだろう。
というのが杉原の考えであった。
そのため、周囲を警戒しとりあえず危険はないと判断したところで、地面に腰を下ろした。
「よくわかんないんだが、とりあえず僕と洲岡は怪我がひどいからな。ちょっと休ませてくれないかな?」
「ええ、そうね。冬木さんから多少の回復薬は預かっているわよ」
そう言うと、有栖は懐から小さなビンに入った鮮やかな液体を取り出した。
ピンクと緑の2種類あり、ピンクは肉体の回復増進、緑は魔力の回復増進の効果がある。
「はい、杉原」
「ん、ありがとう」
「……ほら、受け取りなさい」
「おう、ありがとうな」
それぞれ2本ずつあるため、杉原と青華で分け合って飲む。
有栖が青華に渡す際には僅かに顰め面であったが、青華は気にする様子はなく、有栖もそれ以上は何も言わないので、杉原は気にせずにポーションをあおった。
ゲームのように一瞬で回復するわけではないが、高価なポーションを使ったため、二人とも10分も休めば全快する。
その間に4人は地面に座って話を始めた。
「……さて、じゃあまあ。ちょっと状況把握と行こうか。まず、ここどこよ?」
「そりゃまあ、ダンジョンでしょ」
石壁をさすりながら有栖がそう告げた。
しかし杉原は、胡坐を掻いた状態で首を捻った。
「そりゃあ、ダンジョンってところの中なんだろうな、とは僕も思ったんだけどさ。ダンジョンってそもそも何なの? RPGとかじゃ洞窟っぽいのが多いが」
「あー、私も詳しくは知らないんだよー」
杉原のとなりに座るひとみもまた、首を捻った。
自分と同じことをするひとみを可愛らしく思い、杉原はひとみの頭を撫でた。
ひとみは「子ども扱いしてー」と頬を膨らまし、不満そうな半目――いわゆるジト目で杉原を見つめたが、杉原は何も気にせずにひとみの頭を撫で続け、ひとみは一度嘆息するとそのまま頭を杉原に委ねた。
なんだかんだと言いつつ、この二人はかなり仲良くなったものである。
最早ひとみが、杉原を嫌っている様子はない。
「弥蜘蛛ちゃんは知ってるの? ダンジョンのこと」
「ええ、まあね。でも勇者。アンタも詳しいんじゃないの?」
「あ? オイが? 何で?」
青華が地面に寝転がったまま帽子をクルクルと指先でまわしながら、そう言った。
なお帽子は杉原の眼鏡同様、有栖が咄嗟に糸で回収していたため、青華の手元に戻ってきていた。
その様子に有栖は呆れたような表情を浮かべた。
「……こんなところで寛ぎすぎでしょ。まあいいわ。勇者ならダンジョンに潜ることもあったでしょ? ならアンタもダンジョン詳しいんじゃないの?」
「いや、オイはあんま知らんバイ。オイはそんな面倒なトコいかんで、適当に魔物の討伐でん(でも)行って稼ぎよったけん。ゲームの設定とかなら知っちょるけど」
「ああ、Earth of fantasiaな」
「げえむって、話によく出るあれのことー?」
「ああ、アレだよ。で、洲岡。ゲームだとどうなっていたんだ?」
「あー、そうやね」
青華は軽く虚空を見上げ、記憶を引っ張り出しながら話始めた。
「あー、まずEoFにおいては、迷宮は精霊が飽和状態になった環境に主となる生物が現れたときに出来るとよ」
「……よく分からん。なんじゃそりゃ?」
「主はまあダンジョンマスターとか言えば、分かりやすかかな。んで、精霊はそれぞれが適応したトコに、適応する属性の精霊が居るっちゃけど、偶に天候やら地形の関係やらで精霊が集まりすぎることがあるとよね」
「それが飽和か?」
「ああ。それで精霊は周囲の生物の魔力を食って生きちょる。この世界の生物は皆、魔力を持っとるけんな。地精霊なら地中の、水精霊なら水中の生物の魔力ば食うって具合にな。……ただ闇と光の精霊は自力でも魔力をいくらか作れるらしいけん、その2つのダンジョンはなかな」
「ふうん。じゃあ、生物が多いトコのほうが精霊は多いのか」
「そげんことになっちょるな。ばってん(でも)、人工物のなかでは精霊は生きられん。慣れん環境には適応しきれんらしい。海ん中で魚ば食って腹いっぱいになっても、呼吸出来んかったら死ぬやろ。オイはそういうモンち考えとる」
「なるほどな。じゃあその飽和ってのは、精霊が集まりすぎて糧となる生物がいない状況ってことか」
「ああ、まあ普通ならそんまんま精霊の数が減って調整されるっちゃけど、下手にそこに強か生き物が行って魔力ばぶち撒けると精霊が興奮するとよ」
「なるほどな。まあ分かるよ」
「で、そんだけならまだ大丈夫っちゃけど、その生物が意識的に魔力を扱えば、昂ぶった精霊は周囲の地形も簡単に変える。そして、自分達の糧となる生物が引き込まれるように口あけて待ち構えるようになる」
「そうやってダンジョンが出来るわけか」
「ああ、やけんダンジョンは作った精霊の属性で色々変わると。ここは一番多い地精霊のダンジョンやね。水精霊なら水中、風精霊なら空に出来る。行ったことはなかばってん、空のダンジョンは本当に空飛ぶ城のごたあ(ようだ)って話ぞ」
「ほう、そりゃあすげえな。……ねえ、弥蜘蛛ちゃん。君の知識とは重なる?」
「ええ、そうね。私が昔、母さん達から聞いたのと一緒ね」
それまで黙っていた有栖に杉原は話を振った。
この辺りでもゲームとこの時代は似通っているようである。
そこでふと、杉原は気になったことを青華に尋ねた。
「なあ、洲岡。お前はこの世界を未来の地球とゲームのどっちだと思っているんだ?」
「は? 知らん」
「……いや、知らんって。お前の意見を聞いているんだけど」
「知らん。どっちでんよか。別にどっちでん、現実であることには変わらん。こんなにもままならんのは現実だけやけんな」
「……ハハハ!! そうだな。これがゲームならクソゲーだしな。シャットダウン出来ねえとかロクでもねえ」
そう言って、杉原は快活に笑った。
他の勇者よりは話が通じやすいだろうと、杉原は安堵していたのだった。
そこでふと、そこでひとみが手を挙げて質問した。
「ねーねー。私、ダンジョンは危ないって昔お母さんに聞いたんだよー。何が危ないんだよー?」
「ああ、ダンジョンの中ってどうなってんの?」
「ああ、まあ危険な魔物もいるけど、基本的に警戒すべきなのは擬似生物ね」
「うん? それってなんなんだよー?」
そこからは青華の代わりに有栖が説明した。
青華のゲーム知識とやはり同様であったため、青華は説明を有栖に任せて黙った。
「擬似生物っていうのはね、その名の通り生命を模った生物よ。精霊がダンジョンマスターの魔力を元に生み出すものなの。人形兵やスライム、骸骨兵のように本来生物として必要な機能を持たないものの、ダンジョンの中では精霊の力で動く生物、それが擬似生物よ」
「なるほどね。だから擬似生物なのか」
「そう、そして擬似生物がダンジョンの中に入ってきた生物を襲い、魔力を消費させる。そのとき散った魔力を精霊は食べるのよ。そのまま相手が死ねば生命力を丸ごと精霊たちが持っていくけどね」
「なるほどな。でもそんな危険な生物がうろついていたら、他の生き物の入ってこねえだろ」
「そうでもないわ。ダンジョンの中は精霊が多いから、精霊の影響を濃く受ける。そうすると、身体能力や魔力量に補正がかかるのよ。ある程度の期間居ないと変化ないけどね。段階的に強化されるから」
「なるほどね。人間もそれはあるの?」
「大抵の人間はないわ。職業補正があると、ダンジョンの影響を受けにくくなるのよ。私達や杉原の場合、神殿で職業を得たわけじゃないけど奴隷化されてるから、ダンジョンの影響は受けられないわね」
「奴隷ってホントにロクでもねえな。マイナスしかねえや」
「そりゃそうでしょ。奴隷だもの……」
杉原の言葉に有栖が困ったように答えた。
杉原も口ではそういいつつ気にしていないようなので、特に問題はないのだ。
そのまま杉原は有栖に話の続きをするように促した。
「まあ、いいわ。奴隷を除いて、神殿で神官達の魔法によって授けられるものだから、人間しか職業は持ってないわ。だから迷宮に住み着くことは、魔物や魔人などの生物にとってはレベルを上げる以外の方法でも強くなることが出来る数少ない方法の一つなのよ」
「へえ、なるほどね」
「だからダンジョンに住み着く生物はそれなりに居るわ。ただ、ダンジョンが危険なのは間違いないから、そのまま死ぬのも多いけどね」
「じゃあ、ダンジョンにいる擬似生物以外の魔物なんかは結構危険なんじゃないか? 強くなってんだろ?」
「そうね。確かに長期間ダンジョンに住み着いた魔物なんかは危険よ。でも、数は多くないから気をつければ大丈夫ね。寧ろ怪我しても怯まない上にどっから出て来るか分からない分、擬似生物のほうが性質が悪いわよ」
「ふうん。そうなんだねー。気をつけないとー」
有栖の言葉にひとみがフンフンと頷いた。
杉原も頷き、手を挙げて質問する。
「あ、じゃあ最後に一つ。ダンジョンマスターは何でダンジョンを作るんだ? わざわざ自分の魔力まで使ってさ」
「簡単よ。巣作りのためよ」
当然のように有栖が言葉を返した。
それに杉原は、言葉を返した。
「いや、巣ならわざわざダンジョン作んなくてよくない? 自然の洞穴とかじゃ――ああいや。そうか。分かったわ」
というと杉原はぽんと手を打った。
しかし、ひとみはきょとんとした表情を浮かべていたため、有栖が説明した。
「普通の巣と違ってね、ダンジョンだと擬似生物や住み着いた生き物達が居るから簡単には奥まで進めないし、ダンジョンマスターも精霊の影響を受けるから強くなれる。魔力は多少使うけど、ダンジョンマスターになれるのは元々強い生物だからそんなの気にしないし。だからダンジョンは巣としては良質なのよ」
「……さて、ありがとう、皆。状況は分かったよ。じゃあ、そしたら今度はこれからどうするかだ。師匠は迎えに来てくれると言ったけど、僕は多少なり出口を目指した方がいいと思う。ここは敵多そうだし」
「そうね。このダンジョンのことは全然分かってないしね」
「下手に動くと危なくないかなー?」
「そりゃあそうさ。でもここにいても、どうなるか分からないさ」
「そうやな。オイもダンジョンに長居すべきではなかと思う。ばってん(でも)、どう行動すると?迂闊に動くと危なかとはそこの嬢ちゃんの言う通りやろうもん」
「ああ、だからフォーメーションを組む」
「フォーメーション、ってなんだよー?」
ひとみの言葉に杉原は頷き、三人の顔を見つつ説明した。
杉原は人差し指を立てて、口を開いた。
「まず、斥候。ひとみちゃんが最前列だ」
「え!? 私なんだよー!?」
「ちょっと!! ひとみに危ないことさせないでよ!!」
「落ち着けよ。この中で索敵能力が高いのは僕とひとみちゃんだ。ひとみちゃんは目がいいからね。だから一番前で正面の索敵をして欲しい。僕は魔力探知で背後を警戒したいしね。まあ戦わなくていいから警戒だけしてて欲しい」
「でも、杉原――」
「――ううん、いいよ。お姉さん」
反論しようとした有栖をひとみが止めた。
そして、拳を握り固め、はっきりした口調で言った。
「大丈夫。ちょっとびっくりしたけど、こんな事態だし出来ることはやるんだよー!! まだそんなに戦えないけど、冬木さんに目の使い方に関してはいろいろ指導受けたし、私だけずっと護られるわけには行かないんだよー!!」
「……まあ。ひとみがそう言うなら」
悩みはしたが、有栖も納得した。
杉原はひとみの頭を一度撫でると、今度は青華に向き直った。
「……なあ洲岡。お前とは殴り合いなんぞした仲だが、恨みがあったわけじゃない。一緒に戦ってくれないか?」
「いや……寧ろ、喧嘩売ったのはオイのほうやろ。こっちこそすまんかったな。許してくれ。こんな事態やし、代わりにオイの力ば貸そう」
青華は帽子を脱いで頭を掻きつつ、申し訳なさそうに言った。
その言葉に、杉原は笑って応えた。
「ああ、ありがとう。……助かるよ。お前にはひとみちゃんの真後ろ、前衛を頼みたい。何かあれば彼女を護ってくれ」
「ああ、任しちょけ。つうことで、お二人さんもよろしく頼むバイ」
「え、ええ」
「……うん、よろしくなんだよー!!」
有栖は若干、警戒しつつ、ひとみは努めて明るく答えた。
少なくとも有栖達が青華との協力を拒みはしなかったため、杉原は話を進めた。
2人に申し訳ない気もするが、状況が状況であるため仕方がない。
次に、杉原は有栖のほうを見た。
「色々負担かけてごめんな。でもこんな状況だしさ」
「……分かってるわよ。大丈夫。で、私は中衛ってトコかしら?」
「……ありがとう。うん、弥蜘蛛ちゃんは中衛。糸の妨害なんかで全体のサポートに入って欲しい」
「ええ、わかったわ」
杉原は冗談半分で有栖の頭を撫でようとしたが、有栖の鋭い爪に拒まれてあきらめた。
仕方なく杉原は手を引っ込め、苦笑した。
「さて、さっきも言ったけど僕は後衛だ。後方の策敵と銃の遠距離攻撃をする。撃つ前には一応何を撃つか言ってから撃つようにするけど、洲岡は弾に当たらないように気をつけてくれ」
「ああ、わかっちょる」
「よし、じゃあ僕も洲岡ももう回復したし、そろそろ――ウッ!!」
立ち上がろうとした杉原が急に額に汗を浮かべ、緊迫した表情を浮かべた。
その様子を見た他の3人は迅速に立ち上がり、ひとみは周囲に目を凝らし、青華はファイティングポーズを取り、有栖は糸を両手の爪から伸ばした。
「杉原ッ!! 敵なの!?」
警戒心に満ちた声で有栖が尋ねた。
ダンジョンの擬似生物はタイミングが悪ければいきなり出現することある。
そのため、ダンジョンではどんなときも警戒を怠るわけにはいかない。
杉原の態度に有栖達が警戒したのは当然のことだった。
「……ごめん。お腹がめっちゃ痛いのよ」
しかし、ごぎゅるるるーという音を腹から奏で、冷や汗まみれになっている杉原の言葉に3人は漫画のようにずっこけた。
そして勢いよく立ち上がった有栖が怒鳴りつけた。
「アンタ深刻そうな顔で何しょうもないこと言ってんのよ!!」
「しょうもなくねえよ!! マジ漏れそう!!」
「もしかしてポーションの副作用なんだよー? 飲みすぎると副作用あるって言うしねー」
「オイはなんもなかぞ」
「うおおおお!! 僕は腹が弱いんだよぉおおおお!! トイレ無いの!? トイレ!!」
「ダンジョンにあるわけないじゃないのよ!!」
「やばい!! マジ漏れる!! 人として終わる!! 人としての零○点突破するウウウウウ!!」
「オイやめろ!! 怒られるバイ!! 集○社とかに!!」
「あ、土と水の魔法でトイレ作れるんじゃないのかなー?」
「それだ!! うおおおおおお!! 今こそ鍛え上げた魔法の力を発揮する時!!」
「トイレにそこまで発揮しなくていいわよ!!」
散々騒いだが、何とか杉原は人としての尊厳を保ち、危機を乗り越えたのだった。
杉原はほっとした顔で「あー、魔法使いでよかった」と水魔法で洗った手を拭きつつ呟き、有栖達は思いもよらぬダンジョンの罠に既に辟易していた。
「クッソ!! 湧いて出てくるな!! ――これがダンジョンか!!」
杉原はそう言いながら右手の愛銃、マイビターハニーから空になった薬きょうを捨て、スピードローダーですばやく弾丸を装填した。
「岩石弾!! 右のスケルトン!!」
「おう!!」
青華に伝えてから杉原はハニーの照準を合わせ、右側にいた人骨型の擬似生物、スケルトンの頭を撃ち抜いた。
ドガッ!! と音を立てて、スケルトンは砕け散る。
しかしそれでもまだ、スケルトンは10体ほど残っている。
ひとみは既に後退し距離を取っているため、青華がスケルトンの懐に潜り込んで殴りつける。
「シィッ!!」
鋭い左ボディがスケルトンの肋骨を砕くが、意に介さずにそのまま手に持った石製の棍棒を振り下ろした。
「チッ!!」
青華は舌打ちし、腕でガードしようとしたがその前に銀に輝く糸がスケルトンの腕を縛り上げた。
有栖の糸がスケルトンを拘束したのだ。
「勇者!! 構うな!! やれ!!」
「――オウ!!」
今度はスケルトンの頭を右フックで打ち抜き、スケルトンを破壊した。
砕けた骨が辺りに散った。
「コイツら、痛覚も恐怖も無かっちいうんは本当なんやな。鬱陶しい!!」
「頭を壊せばくたばるらしいな!! 的確に頭をぶち抜くしかない!! それでも弾の消費が激しい!! クソ!!」
「――杉原!!」
「どうした!?」
度々襲い来る敵に疲労を覚えつつも、杉原達は何とか怪我も負わずに持ちこたえていた。
だが、それでも魔力は消費する。
特に杉原は弾数に制限がある分、派手に暴れることも出来なかった。
そんな状況に若干苛立っている中、有栖が杉原に声をかけた。
「これならまとめて一発でやれない?」
そう言うと有栖は、丁度縦に並んでいた4体のスケルトンを糸で固定し、動けなくした。
その光景を見て杉原は口の端を歪めた。
「――ああ、やっと撃ち易い的が出来た。疾風弾!! まとめてやる!!」
そして風の弾丸がハニーの銃口から放たれた。
疾風弾は他の弾劾と違い、撃った後にもある程度は弾道を変更できる。
疾風弾は踊るように的確にスケルトンの額を打ち抜きつづけ、4体をまとめて砕いた。
舞い散る破片の中を突っ切り、青華の拳が他のスケルトンたちの頭部を割っていく。
そして最後の1体を青華の右ストレートが打ち抜き、ひとみを除いた3人はその場に座り込んだ。
「はー、しんどいな。敵は強くはないが、数が多いな」
「そうね。数が多いのが厄介ね」
「牽制が効かんのも鬱陶しかな。しかしまあ、こげん骸骨ばっかり出てくるもんバイ」
「そう言うエリアなんじゃないのかなー? 場所によって出てくるのが決まってるとかー」
一人だけ体力にも魔力にも余裕のあるひとみが周囲に目を凝らしながらそう言った。
――今、彼らは杉原の魔力探知により出来る限り魔力が薄い方向に向かって歩いているのだ。ダンジョンの経路はどうなっているかは分からないが、最奥にダンジョンマスターがいるのは間違いない。
であれば出来る限り感じ取る魔力が弱い方向に行けば多少はダンジョンの外に近づくだろうという発想だった。
アバウトではあるが、このダンジョンは出来たばかりで複雑な道はまだできていない。
であればアバウトでも問題ないだろうと判断し、杉原達は進んでいたのだったが、既に50体を超えるスケルトンの襲撃に会い、疲労困憊だった。
「面倒だなあ。銃弾のストックも結構減ったし。休憩して弾に魔力込めないと不味いかな」
「レベルアップはしよるっちゃろ? ちっとは楽にならんのか?」
「そんなんで解決する魔力量なら解決しねえよ」
溜息混じりに洲岡の言葉に杉原は応えた。
擬似生物からでも倒せば生命力は手に入る。
元々のレベルの低い杉原は格段に成長しているが、それでも焼け石に水だ。
せめて、ソーシャルゲームのようにレベルアップと同時に全回復でもすればいいが、そこまで甘くはない。
これからのことを考え憂鬱になっていた杉原達だったが、ふとひとみが顰め面で自分達の通ってきた通路をじっと見つめているこに気付いた。
「どったの? ひとみちゃん?」
「えっと、何だかちっちゃいのが動いてたような――」
そこまで言いかけたところでひとみは息を呑んだ。
「え? 何が――」
「お兄さんッ!! 敵なんだよー!! 早く撃つんだよーッ!!」
その声に杉原はひとみの視線の先にハニーの銃口を向けた。
しかし、杉原の眼には何も映らない。
ただ、極小さな魔力の塊が飛んでいることに気付き、目を凝らした。
(アレは?)
禁断症状蝿 擬似生物
Lv 1
というステータスが表示された。
「禁断症状蝿? 禁断症状と猩猩蝿をかけた洒落とかか?」
「――お兄さんッ!! 何してるのッ!! 早く、早く撃ってってばーッ!!」
今まで見たことがないほどに狼狽するひとみに杉原も危機感を抱いた。
狙いを定め、引き金を引いた。
撃鉄が雷管を叩き、炎の弾丸が蝿に襲い掛かった。
蝿がいくら早かろうと、弾丸はかわしきれず容易く灰となった。
「うん? 普通に弱――」
「駄目!! アレだけはお母さんに聞いたの!! アレはまともに戦っちゃ駄目なんだよー!! 皆、走って!!」
「まさか、ひとみ!! 蝿が!?」
その言葉に、有栖も青華も額に汗を浮かべて反応した。
2人はにわかに立ち上がり、駆け出した。
「オイオイッ!! あの蝿、そんなに洒落にならないのか!?」
立ち上がって駆け出した仲間をひとみと杉原も追った。
杉原に併走するひとみは冷や汗を浮かべて答えた。
「アレは……、群れで襲い掛かってくる蟲なんだよー!! 多分まだまだ襲ってくるんだよー!!」
「いや、でも弱かったろ。アレ」
「違うんだよー!! あいつらは強いとか弱いとかじゃないんだよー!!」
「……じゃ、何でやバイの?」
「あいつらは……、ダンジョンでも最悪の毒虫なんだよー!!」
禁断症状蝿。
それは触れただけで猛毒を体内に侵入させ、12時間で確実に対象を殺すという、桁外れの毒性を持つ蝿である。
歯軋りしながらのひとみのその言葉と同時に、背後で黒い影がうごめいるのを杉原は感じ取った。
絶望の羽音が、迫ってきていた。




