失恋少女とみっともない王太子
――愛してるんだ、行かないでくれ。
何度その言葉を聞いてきただろう。
涙を流し、私にすがる男。
もう、何年か見ていないのに顔を覚えていたのはなぜだろう。
この日のためだったのだろうか。
あの日、または、ちがう日。
何度も見続け『みっともない』とさげすんだあの行動の意味を私はようやく知る。
初めて恋を知った。
初めて失恋を知った。
初めてどんな形でもいいから傍にいたいと願った。
紫の髪、紅い瞳、冷やかな態度なのに惹かれた理由を知らない。
最初っから好きだった。初めて会ったその日からあの人に惹かれた。
リ・ヴェール王国第二王子コーラル・ハックマナイト・リ・ヴェール様。
『行かないでくださいせ!お願い、どんな形でもいい。私をお傍においてくださいませ!!』
涙を流した。
恥も外聞もなく、ただ縋った。
『なぜそんなことをしなくてはならない。僕は唯一を見つけた。彼女以外いらない。』
彼の返事はもっともだった。
私もおんなじことをした。
『なぜあなたを受け入れねばなりませんの?すでに公爵令嬢としての立場を持っている私はそんなものいりませんの。むしろこれ以上は望みませんわ。』
彼よりもひどく、彼を拒絶した。
初めて知った。
それがどんなにつらいのか。
死にたくなるほどの痛みが胸を襲う。
けれど、私は死ぬ前に償わなくては。
今まで踏みつけ、拒絶したあの人たちに。
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謝ろうと思った。
だがしかし。
私はこんなことを望んでいたのではなく………
「ココ?」
「はい、なんでございましょう?」
「ん、なんかぼーっとしてたから。」
「そうでしょうか。」
「うん。」
現在の私の居場所、それはリ・ヴェール王国王太子ジェット・カイヤナイト・リ・ヴェール様のお部屋。
蒼い髪、黒い瞳、穏やかなのに冷酷な部分も持ち合わせる最高の次期国王。と称賛されている彼の部屋でのんきにお茶を飲んでおります。
「あ、あの…王太子様。」
「前みたいに『ジェット』と呼んでほしいな。」
「……。」
顔の筋肉は動いてるのに目が動いてない彼の前から逃げ出したい。
みっともない!と叫んでた私、帰ってきて。切実に。
(……あのみっともない人はどこに行ったの?)
今まで噂が嘘だと思ってたが実は私の認識は間違っていたのかもしれない。
「この度は、2年前私がしてしまったことについて王太子様にお詫び申し上げたく――――「ジェット。」」
途中で切られました。
私の精一杯の謝罪を、序章すら聞かずにぶつぎりされました。
「……こちらに参らせていただきました。」
私はもちろん無視いたしました。
王太子に向かって無礼?
そんなの私は気にいたしません。みっともない!と怒鳴った自分、おかえり。
「今になって、わざわざなんで来たの?」
そうです、これですよね!普通。そう聞きますよね。
なんで最初っから聞いてくれなかったの!?
「…最近、思うところがありまして。あなた様に対してかなりひどいことをしたなと実感いたしました。
当時の私は、一切の罪悪感を感じておりませんでしたが、今の私は謝罪をせねばならぬと判断いたしました。それゆえ、いまさらですが謝罪に参りました。」
「そう……それは、コーラルにシトリンが見つかったから?」
「…………っ!!」
図星をつかれて焦る。
シトリン・モルガナイト子爵令嬢。
私より2歳したの16歳。コーラル様と同い年である彼女を知らぬ者はいない。
彼女の剣舞は素晴らしく、弱冠16歳にして、18歳の私に負けず劣らずの色気がある。
だが、頭の方は少し残念らしく、猪突猛進型の令嬢だ。
それでも、コーラル様が見初めたのも分かるほど純粋で、あたたかい。
幼いころから貴族社会に身を浸してきた者にはたまらない、癒しだ。
かくいう私も、彼女は妹のように思っている。
彼女は明るくて優しい。嫌なことがあれば自分のように怒ってくれる。
例え身分はしたであろうと私は彼女を妹のように大切にしていた。
だからだろうか。
彼があの子を唯一といったとき、引き裂かれるような痛みとともに確かに私は彼女なら負けるのも仕方ないと思えたのだ。
けれど、彼女が選ばれたからこそ、私の悲しみと痛みは今もなお疼き、死の道を選んだ。
行方不明という形で消えることを、私は望んだ。
実際に行方不明になってもいつか見つかるし、生粋の公爵令嬢である私は一人で平民の世界を生きることはできない。
だから選んだ。
死の道をたどるその人生を。
これは、その間の懺悔。
一方的に心を軽くしたい私の押しつけ。
「否定、できませんわね。」
「……。」
「私、初めてあんなにみっともなく縋りついたんですの。そして、受け取ってもらえなかった。
ようやく、あなたの痛みを知りました。
あんなに、痛いことだったのですね。大切な方からの言葉というものは。
―――心より、謝罪申し上げます。申し訳ありませんでした。
どうか、もし覚えているのならお忘れになって下さいまし。
あれは、なかったことにして新しい恋を探してくださいまし。
もう見つかっていたのなら余計なお世話ですが。」
「……。」
彼は何も言わなかった。
「…それではそろそろお暇させていただきますわね。
お茶、ごちそうさまでした。」
私は、彼に応えを求めることはしなかった。
許してもらえないことなど予想していたから。
自己満足が果たされただけで十分だ。
彼に背を向けて、一歩踏み出そうとしたとき。
「きゃぁっ!?」
いきなり腕を引かれた。
「ココ。」
耳元で穏やかな声が聞こえる。
どうやら、彼の腕の中にいるらしい。
(…………え?)
「ねぇ、ココ。」
「な、なんでしょう?」
「謝罪って、言葉だけじゃなくて誠意を見せるものでしょう?」
にっこりという擬音語が聞こえる。
なぜだろう、表情が見えないのに。
「だからね、ココも俺に対して誠意を見せるべきだと思う。」
「はぁ。」
「ねぇ、ココはどうしたらいいと思う?」
「……(こんな体制で冷静にものが考えられるわけがありませんわ!!)」
「ふぅん、わからないのか。じゃあ、教えてあげるよ。」
嫌な予感しかしない。
「え、遠慮したします。私自分で考えたいんですの。」
「ダメ。時間切れ。」
次の瞬間、言葉が放たれる。
「―――――王太子妃に成れ、ココシア・グロッシュラー・ラ・タンザナイト。」
ぞくりとした。
背筋を駆け抜ける、何か。
命令の言葉に、従いたくなる。
あぁ、本当にあのころのみっともない王太子はどこにいったのか。
「お受けいたしますわ、ジェット・カイヤナイト・リ・ヴェール様。」
口を突いて出た言葉。
「今日から君は俺の物だ。ココシア・グロッシュラー・カイヤナイト・リ・ヴェール、と名乗れ。
俺も、ジェット・カイヤナイト・グロッシュラー・リ・ヴェールと名乗ろう。」
死にゆく前のひと時のはずだった。
謝罪のために赴いたのであり、求婚されるためではない。
だが、あの言葉には逆らうなどという意思が持てなかった。
『――――――王太子妃に成れ、ココシア・グロッシュラー・ラ・タンザナイト。』
ひどく甘美な命令。
あれほどまでにひどく傷つけた私をなぜ彼が望むのかは知らない。復讐だろうか。
しかし、今はどうでもいい。
なぜなら、心は満たされてしまったから。
こうして、失恋少女は幸福少女になり、みっともない王太子は完璧な王太子となる。
この後、少女はどうでもいいと思ったことを心底後悔する。
だが、それをわれわれが語ることはできない。
なぜなら、かの王太子から語ることのないようにという命令が下ったのだから。
だが、一つだけ言っておこう。
リ・ヴェール王国ではのちに蒼い髪と緑の瞳の王子と、蒼い髪に黒い瞳の少女が生まれる。
彼らは、彼らの両親にとてもそっくりであったそうだ。