9.温泉が湧き、沸いています。
僕が魚の殻を割り、魚ジュースの補充をしていると話しかけてきた硝子の民がいた。
「こんにちは」
「こんにちは。あなたは?」
「私はここの長。この村で、一番のお年寄りぞぃ」
村長は球体に近い体をして、細い管のような長い腕が5本もある。硝子の民は基本的には地球人と同じような形をしているのだが、時々このような予想外な姿の者もいるのだ。
他にも手足がなく常に浮かんでいる者(手足を体内に収納しているらしい)や、足のみの者などもおり、変化に富んだ造形をもっている。
個人差はあるらしいが大人になると、このような変形ができるようになるらしい。なんとも不思議で素敵な民である。
「その魚ジュース、お風呂上がりにキューっと。それが最高だぞぃ」
長もこの魚ジュースの愛飲者のようだ。
「お風呂上がりに一杯。いいですねぇ」
僕も長に同意する。ほてった体に染みわたる冷たい牛乳などは、なんともおいしく感じるものだ。
「おや、あなたも、お好きなのですか? 今、私は丁度温泉に行くところぞぃ」
「温泉ですか?」
「そう、年に数回湧くぞぃ。熱くて気持ちいいぞぃ」
この世界にある温泉はすべて突然に湧いて、数日後にはなくなってしまうらしい。出現する場所は決まっており、温泉が湧いた時にだけ一般に解放される場所があるようだ。
主に村の年配者が、この温泉が湧く日を楽しみにしているらしい。
「温泉、いいですね」
「ならば、ご案内しましょうぞぃ」
長はそう申し出てくれた。
「あ、ありがとうございます」
魚ジュースの補充もそこそこに、僕は長についていく。魚の殻を割る作業で少し汗をかいたところだ。丁度よかった。
子供たちは、まだ村を走り回っている。
「子供たち、元気ですね」
何も話さないまま、無言で歩くことに耐え切れなくなってきたので、話題を振ってみた。
「そうじゃな。子は元気が一番じゃ。あの子達も大人になったら、立派な職人になってほしいものだぞぃ」
ほとんどの硝子の民は将来硝子細工の職人になる。そういう役割を持って生まれたからだ。
彼らは一人前になった時、特別な炉から流れ出る硝子の元に息を吹きいれ、人型を作る。そして硝子が冷めて固まったモノは、なんと役割を得るのだそうだ。
「硝子の民は、そうやって生まれるのですね」
衝撃の事実を聞いてしまった。
「私たちは大地から作られ、役割を果たすために生き、寿命が来ると大地に体を溶かし、そして再び作られる時を待つのだぞぃ……そう言う風に、昔からすべて決まっておるぞぃ」
「そうなのか……」
生まれながらにして、すべてが決まっている……それは果たして幸せなことなのか?
少なくとも今まで見てきた人たちは役割が決まっているからといって、不幸には見えなかった。むしろ自由がある僕らの世界のほうが、窮屈で自由ではないような気がしてきた。
しかし、それは隣の芝だから青く美しく見えるだけなのかもしれない。生き方の自由が認められているのが当たり前、という価値観の国に生まれて、その中で暮らして来たから思う単なる思い込みなのかもしれない。
「ええと……温泉にはたくさん人が来るんですか?」
思考が暗めになってきたので、僕は話題を変えた。
「貴方のような若い人はあまり来ないぞぃ。年寄りばかりぞぃ。……若いので来るといえば、おぉそういえばケアヒルさまはよく温泉に入りに来るぞぃ」
「そうなんですか。ケアヒルさんは神官長でいろいろ大変そうですし、温泉につかって疲れをとりたいのかもしれませんね」
僕も温泉に入って癒されたい。
「うむ、そうかもしれないぞぃ。ケアヒルさま以外にも……ムィオンさまも来るぞぃ」
「ムィオン、さま?」
「ムィオンさまは、教会で子供たちに勉強を教える方ぞぃ」
教師ということだろうか。
「ふたりは、とても仲が良いぞぃ。温泉でいつも難しい話をしているぞぃ」
「へぇ……」
ムィオンはケアヒルの師であり、昔栄えたという器械文明について研究しているらしい。
そのようなたわいもない噂話をいくつかしていると、温泉が湧いているという場所についた。
巨大なすり鉢状をした地形の中央にその温泉があった。白い硝子の岩肌が光にきらめき、湧き出る温泉を受け止めている。結晶が花開く絶景の中入る温泉はさぞかし極楽であろう。
「この温泉につかると、肌がつやつやのかちかちになるぞぃ」
「つやつやのかちかち、ですか」
つやつやはとにかく、かちかちって。硝子の民の肌に対する美的感覚は地球人類とは異なるようだ。
僕は温泉を見る。
その温泉に僕は何か違和感を覚えた。
深さは分からないが、広さは学校にある一般的な大きさのプールくらいだろうか、なかなかに広い温泉である。勢いのある間欠泉ではないが、大地の一カ所から穏やかに透き通った綺麗な水が湧き出ていた。その温泉の澄んだ水に青い空が映っている。
ふと、僕が感じていた違和感の正体がわかった。
この温泉は湯気が立っていないのだ。そう、湧き出ているのは『湯』ではなく単なる『水』のように見えるのだ。
湯気の立たないほどぬるいのかもしれないが、この温泉は到底温かいとは思えなかった。
僕は温泉の温度を測ろうと水に手を入れた。
「ぅあちっ」
その手に感じたのは、熱さ。しかも、予想外に高い温度を感じた。
僕は、水面を見た。
先ほどまで、なんともなかった水だが、水面に赤々と燃える火が現れていたのだ。
「なんだこの池」
僕は小石を投げ入れた。小さな火が燃え上がる。どうやら刺激を与えると、波紋の上に火が上がる池らしい。
さすが異世界、わけがわからない現象だ。
しかしよくよく考えてみれば、硝子の民は水が苦手だ。彼らは水の中に入って魚を捕ることはしないということを僕は思い出した。
それならば彼らが入る温泉が普通でないことは、想像に難くない。
「……僕にはこの温泉は無理みたいです」
入ってしまえばこんがり焼けて、火傷してしまうだろう。
「残念ぞぃ。貴方は柔らかいから、カチカチになると思ったのに」
「……僕も残念です」
(焼いてもカチカチにはなりませんよ、おじいさん)
僕は「粘土の人」とは呼ばれているが、もちろん実際には粘土ではないのだ。
ちなみに温泉へは服のまま入るのが習慣で、温泉上がりに乾燥の魔法を使って乾かせば、服も体もカチカチのつやつやの仕上がりになるそうです、まる。