2.金環の歯車に誘われて。
子供のころから様々な機械を分解し、いじり壊してきた。
あまりの好きが高じて機械工学系の高専へ進み、学年の中でも1,2位を争うほどの変人として、知らないものがいないほどの地位を僕は手に入れた。寝ても覚めても機械のことばかり考えていたのである。
そんな僕は自宅の庭にある手作りの工房で、いつものようにジャンクショップで入手した硝子製の珍しい機械をいじっていたのだが……?
「ここはどこだ! 黒い太陽が空にある場所なんて僕は知らないぞ」
防護眼鏡を額まであげ空を見上げてみれば、ぽっかりと黒に輝く太陽が世界を淡く照らしていた。金環日蝕の太陽のような、淵が金色で中が黒い色をした星が空に輝いていたのである。
いや、太陽というには、空にあるそれは何か違和感があった。むしろ空にあるそれは穴といった方がいい。どういう仕組みなのかは分からないが、天には穴が開いており、空はそれ自体が青い色にやさしく発色していたのだ。
「……それはとにかく、工具たちも一緒にここへ来たみたいだな」
空の異常はとにかくとあたりを見回せば、見覚えのある物質たちが足元に散らばっていた。カッターナイフ、ニッパー、ラジオペンチ、圧着ペンチ、ピンバイス、ピンセット、貫通ドライバー、精密ドライバー等々、これらは先ほどまで机の上にあった工具たちである。
さらに丁寧なことに愛用の工具箱(キャスター付)まで置いてあった。中を調べてみると、ノコギリ、スパナ、レンチ、棒ヤスリ、指矩、電圧計、ジグソー、インパクトドライバー、各種パーツ等々、欠けることなく工具は一通りあるようだ。工具箱に忍ばせていた愛読書の『図解 古代・中世の機械技術』も入っていた。
僕はほっと胸をなでおろした。これらがあればここがどこだろうと文句はなかった。
「いつまでもこんなところにいても仕方ないか」
僕は工具を拾い集め工具箱へしまう。とにかく誰か人を見つけて、ここがどこなのか訪ねたかった。
僕は工具箱からチョークを探し、工具箱を押しながら白乳色をした石畳の道を歩き出した。無機質な風景の中では、どの道を通ったのか覚えるのは難しい。しかし、何か目印をつければ、仮に同じ場所をぐるぐると回っていたとしても気がつく。草木も生えていない乾燥している土地だ。所々に残したチョークの印も、雨が降って洗い流され、跡形もなく消えてしまうことも無いだろう。
「ここは廃墟か遺跡か何かなのか?」
相当長い時間放置された場所なのだろうか、多くの建物の屋根は崩れ、壁は割れ、柱は折れ、かろうじてそこに建物があったという痕跡のみを残していた。
どこを見渡しても草木は1本も生えておらず、かわりに様々な形をした結晶が地面から生えていた。
石英のようにきらめく砂埃が舞い、乾燥した地面をわずかに削り取っていく。
「何らかの理由で人が住めなくなったから、この都市は捨てられたのだろうか? 砂漠化とか?」
それほどまでに生命の気配がまったく感じない、非常に乾燥した無機物な空間であった。
――あぁ、それにしても車輪の力は偉大である。
この工具箱は人の力では持ち上げることができないほど非常に重いのだ。知り合いには「オレの工具箱は1トン以上ある」と豪語していた者もいたが、そこまでいかなくとも僕の箱も相当に重いのである。
車輪を発明した先人たちに感謝しつつ、僕は工具箱を押しながら廃墟の中を進んでいく。
廃墟はどこまでも続いている。入り組んだ路地はまるで意地の悪い迷宮のように、迷いこんだ侵入者を外へは出すまいとしているようだ。
階段や大きな段差がないのがせめてもの救いだった。そのようなものがあれば、たちまち立ち往生してしまっただろう。
廃墟を歩き続ければ、ふとお腹の虫がゴロリと鳴いた。
動けばもちろん腹が減る。喉も渇く。
人間1日2日食べなくとも生きていけるとは言うものの、空腹というのは飽食の現代に生まれ育った者には、いささかきつい試練である。
僕は工具箱に腰をかけて休憩に入る。
せめて草の1本でも生えていれば、口に含んで多少でも空腹を癒せるものを。
しかし、この廃墟にはそのようなみずみずしい物はなく、きらきらと輝く砂と石があるだけである。
「ん、この音は?」
微かに聞こえる水音。さきほどまでは、工具箱のキャスターが石の地面を滑るときの音でかき消していた、このささやくように小さな音。
今、休憩したことでその音が耳に届くようになったのである。
僕は音の聞こえる方へ向かって歩き出した。水があればそこになにか食べられるようなものがあるかもしれないのだ。たとえ見つけられなくとも、水さえあれば生存率はぐっとあがる。
生水をそのまま飲むのは危険であるが、この際は仕方ない。簡単な濾過装置でも造れればいいのだろうが、材料を探しにいく時間も惜しい。
今は、とにかく一刻も早く水と食べ物が欲しかった。
水音を頼りに廃墟を突き進む。
そこはかつて用水路として使っていたものなのだろうか、今もなお新鮮な水の流れがもたらされていた。そして、その水流に明らかに水の反射とは異なる輝きが見えた。
「魚だ! 食べられるのか? あぁ、毒があってもこの際かまわない。腹に何かおさめたい」
どんな姿形をしていようと、食べ物とは思えない味だったとしても、食べてやろうと僕は心に決めた。
しかし、その決意はその魚の全貌と知ったとき、絶望へと変わる。
水は澄み、水中もよく見えた。無論、その中を泳いでいる魚の姿もとらえることができたのだが――硝子でできた壺のような物体が群れをなし泳いでいたのだ。
毒がありそうだとか、おいしくなさそうだという以前に、これはどうみても生物には見えない。形は魚のようにも見えるが、どうしても群青色をした金魚鉢にしかみえなかったのだ。
「……」
もしも仮にこれが魚だとしよう。
この世界の生物の形だとしよう。
そう仮定すると、このあたり一面に生えている奇妙な形の結晶や塊は植物なのではないだろうか。草1本生えていないのではなく、そもそも草という物が存在していない?
確かに見ようによっては、地面から生えた細長い塊は葉や茎に見えるかもしれない。色の鮮やかな結晶は花や実に見えるかもしれない。
だとするとこの無機質と思われた廃墟は、あふれんばかりの草花をたたえた自然豊かな場所ということになる。
「……」
僕は現実を逃避するように無言のまま、水の流れに足を踏み入れた。冷たい流れは心地よく、歩きつかれ火照った足をいたわる。
僕は魚を捕まえようと、1匹の魚に狙いを定めた。硝子のような魚の動きは緩慢で、さほど運動神経の良いわけではない僕でも簡単に捕まえることができた。
触り心地は、擦り硝子のようなざらりとした感触。やはり硝子の壺にしか見えない。
見た目が硝子っぽいだけで、捕まえてみればなんとなるかもしれないと思ったが、世の中そう上手くはいかないらしい。
「やっぱり食えそうにないな……これ。でも、飢え死にと言う事だけは避けたい……」
どう見ても魚型の硝子細工にしか見えなかった。そのままがぶりと食すにしても、硝子質の硬い表皮は歯が立たないだろう。
しかし、食べられそうな形の物といったらこの魚しかない。そこら中に生えている植物と思わしき結晶体は、この魚以上に食欲をそそらない。
この魚をかじってみる、みないで迷い、右手に左手にと持ちかえながら弄んでいると、ふと魚に違和感を感じた。質量のある流体が入れ物の中を移動するときに感じる、重心が移動するような感触が手に伝わってきたのだ。
僕はこの魚を振ってみる。魚の表面は透明度の低い硝子で出来ているので、中身は見えないのだが、中に何か液体のようなものが入っている気配がした。
「中身は……液体なのか?」
それならば食せるかもしれないと、僕は割ってみることにした。中に何か入っているのは確かなのだから。
僕は工具箱から金槌を取り出し硝子の魚に打ちつけてヒビを入れ、少しづつ穴を広げていく。
魚の中には、液体とも、気体とも分からぬ物体がゆらゆら揺れていた。鼻を近づけてみても、特に癖のある匂いは無いようだ。
背に腹は変えられない。食べなくては、背中がお腹にくっついてしまう。
僕は淵に口をつけて、恐る恐るそれを飲んでみた。
「ん? 可も無く、不可も無く」
無味なヤシの実ジュースを飲んでいるような、しかし、何かエネルギー的なモノが、体内に吸収されるような感覚が胃に染み渡る。
空腹と喉の渇きは、あっという間に癒された。この魚、意外と栄養的には高いものなのかもしれない。
おいしいかどうかはとにかく、空腹を満たせる物が手に入ることが分かったので、なんとかこの世界でも生きていけそうだ。
ちなみに容器というのか魚の皮のほうは、当たり前だが口に合いませんでした、まる。
この小説を書くにあたっての参考文献。
『図解 古代・中世の超技術38 「神殿の自動ドア」から「聖水の自動販売機」まで』 小峰龍男 講談社