3話 「え……なにこれ?」
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「これってなんだろう……」
「いわゆる井戸じゃないか?」
「結構古そう」
「怪談だとよくこういう井戸出てくるよなぁ……中から髪をふり乱した女性が出てきたり」
「ちょ、止めてよ、そういうの……怖くなってくるじゃないか」
「ちょうどお誂え向きに人通りがない場所ですしね……」
「何か曰くつきなのは間違いなさそう」
「興味と恐怖が入り混じるっすね」
ワース達は街外れにある人気のない裏路地の奥にある古びた井戸を前にしていた。そこへたどり着いたのは全くの偶然で、気が付いたらその場所にいた。その井戸はかなりの年月を経てぼろぼろになった石が積み上がり、腐りかけている屋根がついた井戸だった。しかし、肝心の水を汲む桶が無く、井戸の中を覗き込もうにも入口が大きく堅牢な石で塞がれて中を見ることは叶わなかった。石の他に梯子はもちろんある気配がなく、例え石を退かしてもどうやって下へ降りるか手段に困るものだった。
石で塞がれたはずの井戸の奥から時折おおーんおおーんと唸るような音が聞こえてきた。
「中はどうなっているかね……」
「石退かして中入ってみる?」
「えーちょっと嫌だなぁ」
「ちょっとだけ見てみるのは?」
「うぅ……怖いけど仕方ないよね」
「とりあえず石を退かさなかいことにはな。にしてもこの石ってなんか触れちゃいけない気がするんだよな」
「まずこの辺りの人に聞いてみようや」
ニャルラはきょろきょろと辺りを見渡し、ある一点を目指し歩き始める。ワース達はそんなニャルラの後を追うようにして、ぞろぞろとニャルラが目指す人気のある店屋へ向かった。
「いらっしゃいな」
「ごめんくださいな、ここは何を扱っているんですかね……」
「おや、旅人さんかねぇ、ここは定食屋だよ。それにしても珍しい……もしかして門をくぐり抜けてきたのかねぇ!?」
ニャルラは店屋の暖簾を掻き分けながら中に入り、カウンター席に腰を下ろした。カウンターの中には一人の、ぴょこんと狐耳を出して割烹着を身にまとった女性が箸を持って立っていた。ワース達もニャルラに続いて席に座る。なぜニャルラがこの店に入ったのか、何をするのか疑問に思いながらもただニャルラに続くのだった。
「そうですね、ちょうど今日来たばっかりです。えっと、何か軽く食べれるものをお願いします」
「それじゃあねぇ……蕎麦がいいかね」
「それでお願いします。みんなもそれでいいよね」
ニャルラに促されるままにワース達は頷き、為すがままに蕎麦が出されるのを待つことになった。
「なぁ、これに何の意味が」
「いいから、せっかくの蕎麦なんだし楽しもうぜ。とりあえず」
焦れたノアが小声でニャルラに真意を確かめようとするが、ニャルラにそう諭され口を噤む他なかった。他のメンバー達はニャルラが何をしようとしているのか思い当たり、ニャルラの言う通りせっかくの帝都で食べられる蕎麦に興味を移した。
5分後。
「……おいしい」
「リアルで下手な蕎麦屋で食べるのよりも、ここで食べた方がいいよな」
「今までの街で蕎麦を扱った店はなかったから、特に美味しく感じる気がするよ」
「たしかVRではプリセットしてある味覚パラメータをプレーヤーの脳内で再現しているんだっけか……あれ、それともプレーヤーの体験してきた記憶を元に味覚パラメータを当てはめているんだっけ」
「まぁそんなのどっちでもいいじゃないっすか、美味しいんだから」
「ずぞぞぞぞ……ダシに何を使っているのかしら。鰹節は分るけど、もしかして干し椎茸?」
「すみません、もう1杯もらえますか」
ワース達は出された温かい蕎麦を十二分に堪能していた。鰹節をベースにした汁に干し椎茸の戻し汁を加えマイルドで深い味を出した汁に、コシが強めで少し太めの蕎麦麺を入れ、トッピングにピリリと辛味の効いた葱と戻してある干し椎茸になめ茸が入っていた。蕎麦粉の味に鰹節と干し椎茸の汁のコクのある甘い味が絡みつき、そこへ葱と茸がその味わいをより深いものにしていた。
「げぷ、食った食った」
「満足満足」
「これなら毎日でもいいくらいだね」
蕎麦を食べ終えたワース達の顔には笑顔が浮かんでいた。それだけこの蕎麦が満足に足るものだったといえよう。
「さて、」
とニャルラは言い、女将に顔を向け言葉を続けた。
「一つ聞きたいことがあるんですが」
「えぇ、何ですか? 私に答えることのできることならなんでも」
ニャルラの言葉を受けた女将はすでに中身が残っていないお椀を集める手を休めることなく、にっこりと笑みを浮かべた。
「裏路地の奥の方にある井戸のことなんですが……」
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その日の夜。
ワース、いや武旗真価は電気の消えた暗い部屋の中で、月明かりに照らされる窓を見ながらベッドの上に腰かけていた。
真価が何をしているかといえば、日課であるその日起きた一日の出来事を思い出していた。
MMOで、北門レイドボスであるエボニーフォレストタートルを倒し、帝都の中の北門へ入りいろいろなものを見てきた。今日一日だけでいろいろなことがあり、真価は肉体上は何ともなくとも精神上はたしかに疲れを感じていた。疲れはするものの、その分だけ楽しかったということであり、真価はそんなMMOでの冒険に満足を得ていた。MMOと出会うまでは亀以外のものに取り立てて興味を抱けなかった。それが今ではMMOと出会い、その中でミドリ達と出会い、そして仲間と呼べる人たちと出会った。それらは掛け替えのない物であり、宝物と言っても過言ではない。真価の中で、自分のことと亀のことの次に大切なものとして位置付けられていた。
真価は蕎麦屋での会話を思い出す。
『あぁ、奥の古井戸ねぇ。たしかに初めてきた方は気になるだろうね。あれはね、『貫水の井戸』っていってね、元々は水の精霊がお住まいする井戸だったの。水の精霊がお住まいする井戸だから、その井戸から水が絶えることはなくてみんな供物を捧げて崇めていたわ。私も供物に採れたての輝照蜜柑を置いてお願いしてたわね。それがいつしか水の精霊がいなくなって、代わりに魔物が出てくるようになったの。どうやら井戸の中がダンジョン化したって話ね。この辺りの住人ではどうにも出来ず石を置いて封印することになったの』
『そうね、その井戸がなぜ魔物であふれるようになったのか、調べてくれるんならありがたいわね。だけど、勝手に入ってはダメよ。街の安全のためにも封印石を置いている訳だし、何よりあなた達の安全のためね。一度役所の方で聞いてみた方がいいわよ。役所だとそういうダンジョン化した場所の調査の依頼を受け付けているわ。必要な道具や情報とかも取り扱っているって聞いたことがあるね。そうしたらこの辺りのまとめ役の鈴蘭さんに許可を貰いなさい。もしも鈴蘭さんから許可を貰えたら、中に入ってもいいわよ。何より中を調べてくれるならありがたいしね』
『鈴蘭さん? 鈴蘭さんっていうのはこの通りから街の中心に向かってちょっと進んだ先にある一際大きな商店の店主なの。この辺りのことなら彼女が全て仕切っているわ。くれぐれも無礼な真似はしないでね。あの人は礼儀作法にはうるさくて、私も何度怒られたことかしら。あぁ、普段はとても優しくて落ち着いた方なのよ』
『ちなみに役所へ行くなら明日にした方がいいと思うわよ。なんでも今日は守護門の浄化が為されて緊急の用事しか受け付けないって、たしかそう言ってたわね。となると明日は一層混みそうね、大変ね』
真価はごろりと体を倒し、ベッドに横たわった。
「明日は上手く行けば井戸の中へ入れるかな、ふぅ」
真価はため息を漏らす。
「帝都っていうからどんな街かと思っていたけど、思っていた以上に良い街だったな。なんか瘴気に侵されているらしいけど」
帝都を蝕む瘴気は守護門を侵したものの、まだ街の中を包み込むには時間がかかり、下層部に置いては局所的にしか影響を及ぼしていなかった。
「……そろそろ寝るかな。えっと明日は特に何もすることないしな。大学の方も後は成績が出てくるのを待つだけだし」
寝ると決めた真価は部屋の隅にいる亀達の寝ている姿を見て、寝間着に着替えた。寝間着に着替えた真価は寝る前のメールチェックを行った。大学が休みに入り、取り立てて交友関係が広い訳でない真価に用事のメールなんてそうそう来やしない。だからメールもない物だと思っていたのだが。
ぽぽぽぽーん
「あれ、なんだろうこのメール」
真価は唐突に鳴り響く着信音に訝しげな表情を浮かべながら腕に嵌めてある携帯デバイスから投射されるSRウインドをタップし、拡大しながら注意深くメールを眺める。
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From. mother-EW
Sub.新感覚アプリ〈タマシイコネクション〉配布について
このような形でははじめまして。
あなた様は私のことをご存じではないと思いますが、私はあなた様のことをよく知っています。けして危害を加えるつもりはないのでご安心ください。よければこのまま文章を最後まで読んでいただけたら幸いです。
さて、あなた様に新感覚アプリ〈タマシイコネクション〉をお届けします。
あ、ちょっと待って待って。変なアプリじゃないから。最後まで読んでって。
えっと、まずなぜあなた様にお届けするかに至ったかというと、このアプリを配布する対象がVRMMORPG『Merit and Monster Online』をプレイしている方の中からランダムに100名選んで、その選ばれた中にあなた様のアカウントがあったからです。現在10万人のプレーヤーがいる中でたった100人しか選ばれないのに、その中にあなた様があったんです! 凄いですよね、ね、ね!?
こほん、そのアプリですが、〈タマシイコネクション〉と言います。これはあなた様の『Merit and Monster Online』のアカウントを元にアプリが起動できるようになっているので、お手持ちの携帯デバイスやPCでお使いできます。
肝心の使い方ですが、いたって簡単。
アプリを展開すると、特定のアバターが登場するのでたくさんコミュニケーションを取ってあげてください。
アバターはあなた様にぴったりのものが選ばれるので、変更はできないので注意してね。でも、きっと変更することないぐらい気に入ってもらえると思うよ。
コミュニケーションの方法はいろいろと模索してみてください。かなり高度なAIを搭載しているので様々な反応を見せると思います。
まさしく魂と魂を繋げてください! アバターはあなた様がコミュニケーションを取れば取るほど成長し、様々な変化を見せます。
あなた様により良い世界を、きっと見せると思いますよ。
ここまで読んでいただきありとうございました。
ちなみに〈タマシイコネクション〉は削除不可能なのであしからず。
それでは新感覚アプリ〈タマシイコネクション〉をお楽しみください。
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真価はメールの文章を一通り読み終え、思わず呟いてしまった。
「え……なにこれ?」
真価は一層訝しげな表情を強めながらも、携帯デバイスを操作し、アプリ画面を開く。
そこには格子状立方体のキューブが浮かび上がる映像で表現された〈タマシイコネクション〉があった。
いくらなんでも怪しすぎるアプリだが、真価には不思議とこのアプリが悪意に満ちたものではないと思えた。ただ善意、いや何かの意志には従っているのかもしれないが純粋な願いに基づいていて、誰かを害するつもりでこのアプリが配布されたのではないと真価は思った。だからこそ、真価はそのアプリをタップした。
すると、アプリ〈タマシイコネクション〉が起動し、真価の携帯デバイスが光を放つ。光はすぐに収まったものの、真価は思わず目を閉じてしまった。暗い部屋でいきなり眩しい光が光れば、目を瞑らざるを得なかった。
「きゅー」
「え……と」
真価が目を開いて見た先には、携帯デバイスの画面に映ったエメラルド色に輝いた亀の姿があった。
「え、え?」
「きゅーきゅきゅ♪」
そう、真価のデバイスの向こうにはMMOの世界で共に行動するミドリの姿があった。




