中編
どうもばんははろ、EKAWARIです。
中編というわけで二人の生活メイン回です。
あ、ちなみに魔界の飯のレベルはイギ○スと同レベルくらいに思ってくれて問題ないです、あしからず。
アキが聖に呼び出されて2日目の夜が来ました。聖の願いを叶えるためにアキは今は羽を仕舞い、人間の姿を取っています。
「美味いっ!!」
聖が作った夕食を平らげて、澄んだ秋空のような満面の笑みでアキはそう目の前の席に座る聖に笑いかけました。今夜の夕飯はカレーです。大粒に切られ、2時間かけて煮込まれた野菜たちはとても美味しいとアキは思いました。それを暖かく見守りながら、慎ましく笑いつつ聖もまたカレーに手を伸ばしました。
「オレが作れるのはカレーと雑炊くらいだからね。滅多に作らないし、気に入ってもらえたんなら良かったよ」
「んぐ?そうなの、でもマジで美味いって」
そういいながらアキはにこにこと大皿にのっているカレーを平らげていきます。その無邪気な笑みはまるで人懐っこい犬のようで、見ているだけで和みます。
「うーん・・・ありがとう。あまり人に褒められなれてないから、変な感じ、かな。でももっと美味しいものだって世の中あるよ?・・・うん、そうだな。今度はもっと美味しいものを食べに連れてってあげるよ」
「マジで?やったぁ。ていうか、昼食の時も思ったけど、人間っていつもこんな美味いもん食ってんの!?かー、ずるい。なんかずるい。これに比べりゃ普段おいらたちが食ってる食事ってまるで馬の餌じゃん!」
「え?そうなの」
アキが語る魔界でのこと、それらの生活。それは奇妙に現実感と幻想が織り交ざっていて、聖にはとても興味深い話ばかりです。たとえば、淫魔になった幼馴染にいつも馬鹿にされること、学校で先生に悪友達と屈託していたずらをしかけて、煉獄の上で一日逆さづりの系にされたこと、学校の裏庭で飼っているケルベロスのこと。それらをアキはとても楽しそうに身振り手振りを加えながら話します。ただ、そこに家族についてだけは含まれていなかったことが少しだけ気にはなりましたが、聖は敢えて追及は避けました。人には言いたくないことはある。そう思っての配慮だったのでしょう。
「あ、そういえばさ」
ふと、思い出したような声で聖は言葉を発しました。
「うん?なに」
そう穏やかに聞き返す聖に対して、アキはその芥子色の瞳に真剣なものを混ぜ、声を潜めるように言いました。
「家族ってこんな感じでいいの?てか、なんで家族になってほしいなんて願ったのさ」
それは、アキが昨日聖と契約を交わした時から胸に抱いていた疑問でした。だけど、昨日はあれから契約の疲れによって聖は眠ってしまい、アキはアキで周囲の人間に自分の存在を違和感なく溶け込むよう暗示をかけることに忙しかったし、今朝は昼過ぎまでお手伝いさんが来ていましたので、聞けなかったのです。
聖はそれに、右手親指を口元にあてて、僅かに考えるような仕草を見せながら静かに語りだしました。
「うーん、君と過ごすのは退屈しなさそうだったからかな」
「そんなことのために魂差し出すの?」
アキは片眉をひそめながら、少し困惑しているような様子で聖を見ていました。
「ていうか、アンタくらいの年頃だったらさ、彼女がほしいとかそういう願いのほうが多いんじゃないのか?えーと、確かこー、思春期のオトコはイロゴトしか考えていないケモノだってリースは言ってたぞ」
リースというのは、淫魔になったアキの幼馴染の名前です。金髪褐色肌のボンキュッボンと出るところが出たいかにもな美女で、クールで男慣れした悪魔で、彼女は色んなあることないことをいつもアキに吹き込んでいました。
「いらないよ」
それに、静かな声音でそう聖は答えました。胡桃色の大きな瞳は柔らかくちょっとだけばつが悪そうにアキをみています。
「どうせ長くないんだ。君の力で彼女が出来たとしても、確実にオレはその子を置いて逝くことになる。後味悪い思いを味あわせちゃうことになるでしょう。女の子を置いていくなんて、心苦しいじゃないか。だからいらないよ」
はあ、そういう考え方なのか、それがアキが聖に向けて思った最初の感想です。
しかし、そこまで聞いてはたとアキは、聖が自分に対してある誤解をしていることに気付きました。
(おいら、女なんだけどな・・・)
そう、聖は男と誤解しているようですが、アキは正真正銘女の子です。
彼女は別に美少女とかというわけではありませんが、意志の強そうなつり目に、大きな口元が印象的で、その顔立ちは少年にも少女にも服装次第でどっちにも見えるほどに中性的な顔立ちをしています。
おまけに髪はさほど短いわけではありませんが、ツンツンボサボサした癖っ毛で、やんちゃな性格も手伝い、あまり手入れもしていません。
彼女は今年で80歳になりますが、人間でいえばまだ15歳くらいの発展途上。生まれつき、やや骨太な体付きであり、病弱で成長が遅れ気味な聖に比べたら10cm近く背は高く、胸は洗濯板呼ばわりされても仕方ないくらいぺったんこです。
直接触ってようやく胸のふくらみに気付きそうなほどにツルペタです。リースと同い年であることが疑わしくなるくらい胸のふくらみがありません。それに加え、今のアキの格好はといえば、黒いパーカーにブルージーンズというややボーイッシュな服装をしています。
間違われるのも無理はないといえばそうなのでしょう。おまけに自分はあまり口がよくないことも彼女は自覚していました。リースなどにはいつも口をすっぱくして『アンタも年頃なんだから少しは女らしくしなさい』と言われているくらいです。まあその忠告を守った試しはないのですが。しかし、それはそれ。これはこれ。男に間違われて傷つかないかっていったらそれは別問題です。
『あらあ、元気なお子さんね、ほほほ。ところで、あなた、男の子?女の子?どちらかしら』
なんて子供の頃から聞き飽きるくらい聞いてきましたが、それでも女の子なのです。
聖に今まで男に間違われていたという事実に微妙にへこみながら、アキは銀のスプーンを口に銜えながら、椅子から垂らした足をプラプラさせました。それに気付いていないのか、聖は続けます。
「だから、君で良かったよ」
「何がさ」
じっと聖を観察しつつそうアキは口にしました。スウェーデン人と日本人のハーフである聖は、そのせいなのかは知りませんが顔立ちがとても整っています。癖一つないストレートの薄茶色の髪に、胡桃色の瞳を彩る睫は長く、病弱であるためなのか小柄で色白で筋肉もろくについていません。どこから誰が見ても深窓の美少年です。正直自分より少女染みた外見といってもいいでしょう。どう考えても容姿で負けている。そんな相手に自ら女だと名乗るのはなんだか嫌だな~なんてことを思いながら聖の言葉をまっていました。
「オレさ、弟がいたんだ」
「?」
なんだか唐突に感じることを聖は口に出し始めました。とりあえずアキは真意がわからないまま、黙って聞くことにしました。
「正確には生まれる前に死んじゃったんだけど。でも、母から弟か妹が出来るんだっていわれて、それが弟だって判明して嬉しかったんだ。こんなオレだけどおにいちゃんになれるんだって思ったら、凄く嬉しくてワクワクして、早く生まれてこないかなって楽しみにしてたんだ。病院で仲良くなった子とかが兄妹の話とかするの聞いて、凄く羨ましかったから。あまり一緒にいられないかもしれないけど、それでも目一杯可愛がろうって、そう思っていたんだよ」
ここでないどこか遠くを見つめるように、聖の胡桃色の瞳が静かに影を落とします。それにどう言葉をかけていいのかわからなくて、ただアキは所在無さ気に足を組んで、紡がれる言葉を待つだけです。
「あと一ヶ月で生まれるはずだったんだ。でも父さんや母さんと一緒に死んじゃった」
「・・・ぇと・・・・その、ヒジリ」
アキは続きの言葉も思いつかないまま、ただ感情のままに声をかけました。そんな彼女の様子に苦笑して、聖はアキを安心させるように微笑みながら、そっとその黒い頭に手を伸ばしました。
「オレはずっと、君みたいな弟が欲しかったんだ。だから嬉しいんだよ」
そうしてぐしゃぐしゃと撫でます。伸ばされた青白い手は掴めば折れそうなほどに細く、頼りないものだったけれど、とても暖かくて、今自分がいる状況の恥ずかしさに、ついアキは赤面してしまいました。
「アキ?」
「なんでもねー!」
恥ずかしさに膨れながらそっぽを向きつつ、でもアキはその手を払うことはしません。それを見て自分に笑いかけてくる少年に少しだけむっとしつつも、だけど、まぁいっかとそう彼女は結論付けました。
自分は本当は女だから、『弟』になんてなれないけど、それでも契約者がそう望むのならまあいいか。自分に弟という役を望んでいるなら、だったらそう振舞おう。
「んじゃ、これからよろしくな、・・・お兄ちゃん」
そう、頬に差す赤みを抑えながら、アキは右手を差し出しました。
それに少しだけ面食らったように聖は目を丸くして、やっぱり慎ましく笑いながら自分も右手を差し出しました。
「よろしく、アキ」
それから、日々が過ぎるのはあっという間でした。
聖は病院通いの片手間、体調の良い日は必ずと言っていいほどアキを色んな場所に連れまわしてくれました。
人間の世界のものは全て新鮮に見えるのでしょう。人間である聖からしたらそれほど珍しくない場所に行こうと、その度にアキは無邪気に喜び、元気にはしゃぎまわりました。たとえば公園、本屋、レストラン、ショッピングモール。それは本当に楽しそうで、そんなアキを見ているだけで聖の心は癒されました。
嬉しくて、楽しかった。一人じゃないということはこんなにも嬉しいことなんだって、そんな幸福感に、喪失感で空いた胸の穴が塞がっていくかのようです。いつからか、慎ましい微笑みは、心からの笑顔に変わります。そんな自分の変化もまた、彼には嬉しいことでした。
最初に思った印象のまま、アキは悪魔と名乗りながら悪魔らしくなくて、無邪気で元気で明るい良い子でした。笑いながら「兄ちゃん、行こうぜ」そう呼ばれて手を引かれるのが、たまらなく嬉しかった。もしも弟が生きていたのなら、もしも弟が育っていたのなら、弟とこんなふうになれたのだろうか。そんなIFを夢想せずにはいれないほど、アキとの日々は暖かかった。
どうせ先が短い身なんだ。それなら、こんな自分が役に立つのなら、この日々との代償に魂がどうなっても良かった。ずっとこんな日が続けばいいのに。そう思うほどに彼は満たされていたのです。
12月になりました。
寒い中でも空が晴れ渡って心地よい日差しが差すその日、聖はアキに一つの提案をしました。
「遊園地に行こう」
それは都内にある小さな遊園地で、季節が冬になったのもあって、利用者は殆どなく、見かける人々はまばらで、まるで自分達の貸切になったかのような有様でした。
それは最も賑わう春や夏のシーズンに訪れる人たちからしたら、とても寂れた光景だと感じたのかもしれません。
だけど、人間界のもの見るもの聞くもの全てが新しく見える悪魔見習いの少女にとっては、違いました。
「すげえ、なんだこれ!」
アキは芥子色の瞳をキラキラさせながら、弾む足取りでかけて、普段見かけることのない設備たちを見回しました。
「なあなあなあ、ヒジリあれなんだ?あれなんだ?」
そういってせっつくように説明を求める様は可愛らしく、思わずくすりと小さく笑いながら聖は説明します。
「ジェットコースターだよ。オレはここで見てるから行っておいで。腕にはめているフリーパスを見せたら乗せてくれるから」
「え?いいのか」
「うん」
そういって駆けていく様が本当に、無邪気な子供そのもので可愛くて、ベンチに座りながら聖はそんなアキを見上げます。アキは嬉しそうにシートに座って、ジェットコースターに乗りながら、笑顔でぶんぶんと聖に手を振っています。高速回転しながらも楽しそうに手を振る姿を見ているとこっちも嬉しくなって、聖も笑い返しました。
聖はこういう絶叫マシンの類には乗れません。医者に注意を受けているからです。だけど、こんなに喜んでくれるなら、来て本当に良かったなと思いました。アキが喜んでくれたら聖も嬉しいです。絶叫マシンには乗れないから隣で楽しむことは出来ないけれど、それでも空想は自由です。自分がアキになってマシンに乗ることを想像する。それはそれで楽しい時間でした。
戻ってきたアキは絶叫マシンを気に入ったのでしょう。それからも午前中はずっと色んな絶叫マシンに片っ端から乗って過ごしました。
昼食はお手伝いさんに作ってもらったサンドイッチです。
「くぅう、美味い!」
今日もまた、アキはオーバーリアクションなくらいに表情をコロコロ変えながらサンドイッチにかぶりつきます。その様は本当に幸せそうで美味しそうで、見ているだけでこちらも幸せになるような笑顔でした。
「アキ、口元マヨネーズついてる」
「んぐ?」
大口を開けて食べているからでしょう、アキの口の端には聖の指摘どおりマヨネーズがついています。それを聖は自分の手に持っているティッシュで綺麗に拭い取りました。聖は全く気付いていませんが、一応アキは聖とは異性です。つい、赤面してしまいながら、アキは口の中の物を飲み込みました。肌が褐色であるためか、アキが照れていることに聖は気付かなかったようです。
それに複雑になりながら、アキはついもやもやと今朝から思っていた言葉をぶつけました。
「なあ、アンタ気付かないのか?」
「ん?何が」
「・・・なんでもねー。ええい、ちんたら食ってたらおいらが『兄ちゃん』の分も食っちまうんだからな」
「うーん、それは困るなあ」
思わず話題を逸らしましたら、内心少しアキはへこんでいました。
いや、そりゃあ『弟』として振舞おうと思ったのはこちらも同じですが、少しくらい自分が女である可能性に気付いてくれてもいいのに。そんなにおいらって男っぽい?なんてことを思いながら、脳裏に幼馴染の淫魔の顔が思い浮かびます。
『アンタの進路、サキュバスとか絶対無理よね。色気皆無だもの。ああ、せめてあたしの半分でも胸が合ったらまだ見れたのにね?アンタには使い魔がお似合いよ』
そういって悩ましげにポーズをとりながら、胸を強調してくる彼女に『いや、別に羨ましくねーし』と答えたのは何十年前のことだったでしょうが。実際今までは馬鹿にされても何も思わなかったのですが、今だけは無性に羨ましい気分です。
そんな沈んだ気分を察したのか、聖はぽんぽんと、幼い子供をあやす様にアキの癖の強い黒髪を撫でてきました。その顔はとても穏やかで優しかったので、まあいっかと思ってアキは今という時間を楽しむことにしました。
そうして日が暮れるまで楽しんでから、アキは聖と共にこの遊園地の名物である観覧車へと乗りました。思えば、自分だけが今日は楽しんだようなもので、聖とまともに一緒の乗り物に乗るのはこれがはじめても同然です。その事実に、アキは恥ずかしくなって赤面しました。自分は悪魔で、聖は契約者なのに、何をやっているんだろう。自分が楽しんでどうするんだか。こんなんじゃ、またアイツに馬鹿にされる。そんな考えが浮かびましたが、夕日に照らされやわらかく微笑む聖の横顔が凄く綺麗だったから、まあいいやと思ってその考えを捨てました。
「今日は楽しかったね」
自分だけ楽しんでしまったと思ったアキからしたら、少しだけ意外な言葉です。
「おいらはね」
「君が楽しんでくれたら、オレも嬉しいよ」
「なんでさ」
「オレは君のお兄ちゃんだからね」
その言葉がアキにはよくわかりませんでした。
「お兄ちゃんだったら、おいらが楽しかったら嬉しいものなのか?」
「そういうものなんだよ」
やっぱりよくアキにはわかりません。
「そういうものなのかなあ?」
「そうだよ」
だから、あまり言う気じゃなかったそのことを口にしたのです。
「おいらにはわからないよ。おいらにはさ、兄貴いるけど、アイツにはそんなこと言われたこと一度もなかった」
ぽつりとした声で語られるアキの言葉、それに少しだけ驚きに目を丸くしながら聖は聞きます。
「お兄さん、いたのか」
「ヒジリと違って、厳格で無口で無愛想で、いっつもしかめっつらしてて、自分は重職に就いているからってすっげー偉そうでさ、おいらのことはいつだって「落ちこぼれ」呼ばわりで、ほんっとうムカつく兄貴で」
思い出す間に腹が立ったのか、アキはいいながら拳を握り締めて、憎々しげに眉を寄せて続けました。
「だから、立派な悪魔になって、アイツを見返してやるんだって、そう思ってた」
そこまで吐き出してから、ふとアキは視線を聖のほうに向けて、にかりと笑いながら言いました。
「ああ、そんな顔すんなって。だからさ、おいらには家族とか兄弟とかあんまりわかんないんだけど、きっとあのクソ兄貴よりもおいらにとっては、聖のほうがずっとずっとお兄ちゃんなんだよ」
楽しいことが終わっても、日々は一日一日と過ぎていきますし、楽しいことがあれば辛いこともあります。これはアキが来る前も来た後も同じです。
己が内から湧き上がってきた衝動のままに、その日聖は、自室のベットでゲホゲホと咳き込んでいました。発作が起きるのは決まって夜です。
薬を飲んでも一時しのぎでしかないですが、そうしてじっと固まって発作が通り過ぎるのを待つ。これは子供の頃からの聖の習慣でした。携帯電話の1のボタンを発信すれば病院に連絡がいくようになっています。だけど今回の発作は入院するほど酷くはない。そう聖は判断して発作が落ち着くのを待ちました。
そうしてどれくらい時間が経ったでしょうか。聞こえるのは乱れ荒れた自分の呼吸音だけです。じわりと汗が額を流れ落ちます。疲弊して、指先一つ動かすのも億劫です。
ああ、寝なきゃ。そう思っていたときでした。
「・・・なぁ」
此処最近すっかり聞きなれた声が耳に届きました。
何故きたのだろう。今までは聖が発作に襲われている日もアキが部屋に来ることはなかったのに。そんな疑問はありましたが、聖はそれでも誰かが傍にいてくれるというのはそれだけで嬉しいことだったので、追求はしませんでした。最も、追求出来るほどの余裕自体彼にはなかったのですが。
震える唇を開いて、聖はゆっくりと掠れる声でその同居人の名前を呼びました。
「・・・・・・アキ」
「苦しいのか」
暗闇にぼんやりとアキの姿が浮かび上がります。褐色の肌に黒い髪は夜に溶け込むようでしたが、そんな中唯一異なる色をもったその芥子色の瞳が、ぼうと浮かび上がるようでした。それが猫の目みたいで綺麗だな、とそんな見当違いなことを思って、ゆっくりと視線だけを聖は上げました。
「・・・アンタさ、馬鹿じゃないのか。おいらと家族になって、なんて願わずに「病気を治してくれ」って願えばよかったじゃないか。たくさん楽しいことを教えてくれたのはアンタじゃん。生きてたら、きっともっと今より楽しいことに出会えるんだ。なんでそれを得る手段を放棄してんだよ」
苦しそうな顔をして、眉根を寄せながらアキはそんな言葉を言いました。聖はただ静かに拳を握り締めながら語るアキを見ています。
「いや、今からでも遅くねーよ。「病気を治してくれ」にしろよ。ヒジリ。そうしたら、そう願ったらそうしたら、おいらはそれを叶えてやるんだ、だからさ、なあ、病気を治せにしとけよ、ヒジリ。おいらと家族になりたいなんて願いなんかで魂を差し出すなよ」
懇願するようにそんな言葉を口にするアキ。その姿を本当に、悪魔とは思えないと聖は思いました。そしてゆっくりと聖はその骨と皮ばかりという表現が似合いそうな手をアキの頬に向かって伸ばしました。
発作はおさまったばかりです。正直に言えば一言二言口にするだけでも今の聖には辛い。だけど、彼は目の前で泣きそうになっているアキの姿を見てゆっくりと言葉を吐き出しました。
「・・・いいよ。それに、・・・オレが長生きしたら、アキがオレの魂回収するの・・・時間かかるでしょ」
アキは魂は死後に貰う、そう初めに言ってました。そして40年留学しており、そろそろクリアしないと命に関わるくらいヤバイとも。それを思っての聖の言葉でしたが、アキの険しい顔は益々酷くなるばかりです。
「わかんねーよ。アンタ、わかってないんだ」
搾り出すような声でアキは言います。
「悪魔に魂を差し出すってその意味が。回収された人間の魂がどんな扱いをされるのか、しらねえからそんなこと言うんだ。おいらの事情なんか気にするなよ。どうせ差し出すってならさ、それまでもっとずっと幸せになれよ!うんと幸せになって、それから死ねよ!こんなとこで命、諦めんなよ。これじゃあ得すんのはおいらだけじゃないか」
最後のほうは怒鳴るような声でした。それを見ながら、聖は精一杯の笑顔を湛えて言いました。
「もう、・・・幸せ、だよ」
「なんだよ・・・それ」
「君が・・・家族になってくれて、ずっと、楽しいんだ・・・嬉しいんだよ、だから、いい・・・んだ」
夢見心地な顔で、そういって聖は笑いかけます。それは本当に幸せそうな顔でした。
「なんだよ、それ」
ぽたり、ぽたりと褐色の肌を伝って大きな涙の雨が流れ出しました。同色の拳はブルブルと震えています。
「馬鹿だよ、アンタ。おいらは、おいらはさ、悪魔なんだぞ。なんでさ、なんで・・・どうして」
アキの涙は止まりません。ボロボロボロボロと流れ出る様はまるで洪水のようです。しゃっくり上げ、肩を震わせながらアキは泣いてました。それに手を伸ばしながら、聖は優しく肩をたたきました。
「女の子みたいだね、アキは」
(女だよ、バカヤロウ)
このニブチン、朴念仁。なんて心の中で罵倒しながら、それでもアキはそれらの言葉を心の中に仕舞ったまま告げることもなく、一晩中泣いて過ごしました。
そうして夜が明ける頃、アキはようやく顔を上げて、淡く微笑みながら言いました。
「みっともないところ見せちゃったな。悪い。契約は続行だ。変なこと言い出して悪かったな。これからもよろしくな、お兄ちゃん」
そうやって笑う顔はいつも通りのあってほしいと聖が思った、暖かな笑顔でした。
続く
次回で完結します。
まだお付き合いください。