1章 雨宿り 2節
カーペンターズの曲に聴き入っている彼女が、唐突に口を開いた。
「ねえ、あっちゃんのアパートに今日泊まってもいい?叔父様に友達の家に泊まるって言ってきたの」そう言ってにっこりと笑った。
あつしは、思いもかけない彼女の言葉に驚きの表情を隠せなかった。
「えっ?じゃあ桂子にも連絡して3人の同窓会にでもしようか?」と咄嗟に答えてしまった。
「あら、桂子に連絡がつくの?長いことあってないなぁ・・」
何か考えているようであったがそれでも「嬉しい」と素直に喜んでいるように感じた。
あつしは入り口にある公衆電話に向かった。桂子に電話をかけるために。
あつしの部屋を、片付けておいてほしいと頼むために。
そして席に戻ると、彼女が話しはじめた。
2歳年上の兄と、拓郎の「つま恋コンサート」に行ったこと。
そこは、雑誌でみるような服を着た、若者が多勢いたこと。
そして、そのファンの熱狂ぶりに驚いたこと。
京都に住む兄のアパート周辺に、居酒屋「大将」があり、そこの息子が偶然にも、美奈子と誕生日が同じで、同い年であったこと。
いろんな不思議がたくさんあって、世の中って面白いね。と、くったくなくおしゃべりを続けた。
あつしは、そんな彼女を眺めていて「孤独を知らないお嬢様だな」などと考えていた。
そういえばあつしは、彼女の口から悲しいことや辛いこと苦しいことなど、何も聞いたことがない。
手紙の内容もそうだ。いつも楽しいことばかり。
何ひとつ悩みごとなど、抱いたことはないのだろうなと、思っていた。
ふと時計を見たら2時間近く経っていた。
「出ようか」そう言って、あつしは彼女を促した。
雨はあがり、気持ちいい風が吹いていた。
あつしは、自転車をおしながら彼女の横を歩いた。
「あっちゃんって無口になったね。きっと私の知らないあっちゃんがたくさんあるんだね」
そう言って彼女は、いたずらっぽく笑った。
そして、隅田川を眺めながらゆっくりと、あつしのアパートへと向かっていった。
アパートの近くの商店街で買い物をした。美奈代は花火を買っていた。
美奈代は料理ができるんだろうか、そんなことを思いながら、今夜のメニューはソーメンと焼き魚、おにぎりに卵焼き、そして具だくさんの味噌汁に決まった。
そうそう、ビールに「いいちこ」まで揃えた。
あつしは、飲まずにはいられない心境だった。
昭和の風情が、ぷんぷんとする1章目です。