4章 二人 5節
「3年!」と、キャスリンは驚きの表情で言った。
「あなた、3年もここに居たの。私ぜんぜん知らなかったわ」と言うと、母親が、
「そりゃあそうだろうとも、ドイツから帰ったって家に帰るくらいで、店の方へ来た事も無いじゃないか、すぐにロスに行って、トムに会いに行ってるだけじゃあないか。店がどうなってるかなんてお前が知るわけ無いだろう。もっとも店に来て邪魔なんかしてもらってもこっちが困るけどね」と、カウンターやテーブルを拭きながら、母親がキャスリンに小言を言った。
「まあ、そりゃあそうだ」と、キャスリンは口の中でモゴモゴ言いながら、母親の方に向いていた顔を、ウエイターの方に向けた。
「あなた、名は何ていうの。わたしはキャスリン、苗字は知ってるわよね」と、言うと再び顔を母親の方に向けて、
「明日はロスに行ってくるね。いいでしょ、じいちゃんの容態もそんなに悪く無かったんだしさ」と、言った、と言うよりは、言い放っていた。
「戸田美奈代」と、ウエイターは横を向いているキャスリンにポツリと自分の名を言った。
「え!」と、キャスリンは「odaminayoって言った」と、聞きなおした。
ウエイターは「おだ」と言う所で、一瞬うろたえたような顔をしたが、
「いいえ、toda、戸田美奈代よ」と、はっきり答えた。
そのウエイターは離婚直後、日本から逃げるようにアメリカに来ていた美奈代だった。
美奈代は、両親に勧められ一度は結婚したものの、ふとしたことから夫婦の間に亀裂が入り、半年で離婚した。
別れてから東京の知人の所に身を寄せていたが、その知人が仕事の都合でアメリカに行くことになり、そのまま美奈代も一緒にアメリカに来て、ここで働くようになった。
知人は一年ほどで日本に帰ったのだが、美奈代はキャスリンの両親とも馬が合うのか、二人に大事にされていた事もあり、この店の居心地がよくなり、以来、3年ここのウエイターとしてアメリカに居残っていたのだ。
今までの事をかいつまんでキャスリンに話すと、
「ああ、離婚のショックで、そんな暗い顔をしているのね」と、キャスリンがなるほどねと言う顔でうなずいた。
だが美奈代は、軽く頭を横に振り、
「そうじゃないの」と、軽く否定した。