3章 別離 5節
あつしの部屋に入ると、孝一は「なんか、懐かしい部屋だな」と、部屋の中を一通り見回した。
「そんなに珍しい物なんか置いてないよ」と、あつしが手のひらで、その辺にでも座れよとでも言うかの様なしぐさで、孝一を制した。
タクシーを降りてから、部屋に着くまで近くのコンビニで軽食や、酒、つまみを買ってきていた。
それを二人で袋からガサゴソとテーブルの上に出しながら、孝一がいきなり前置きなしに話し始めた。
「ほら俺たちが学生時代一緒にバンドをやっていたトムって奴いたじゃないか、アメリカから来た、カリフォルニアから来ていた奴」
「ああ、確かそんなのがいたな」と、あつしは突然学生時代の事を言われた事もあり、どんな奴だったか思い出そうと、缶ビールのフタを開けながら、目は宙を泳がせていた。
「そうそう、確か実家が日本で言うパブみたいな事をしてるとかで、小さい時から音楽ばかり聴いて育ったとかって言ってたな」
「そう、奴だよ。あいつが先日のメールでな」と、そこまで言うと、あつしが、
「お前たち、まだやりとりしてたのか」と、ちょっとびっくりした様に、孝一の顔を覗き込んだが、孝一も缶ビールのフタを空けながら話を続けた。
「あいつ、国に帰ってバンドを作ったらしいんだが、最近ベースがメンバーから抜けたいと、言ってるって、そうメールでよこしてきたんだ」と、言って、缶ビールをぐいっと一口のみ、つまみをぱくりと一口、口に放り込んだ。
「そういえばお前、昔バンドやってた時ベースやってたな」と、あつしもビールとつまみを口に放り込みながら、モゴモゴとしゃべった。
「でっ、なっ!そのバンドに入るために、今の会社を辞めてアメリカに行こうと思ってたんだ」と、孝一は目を輝かしながら話した。
「しかしお前、今勤めてるような会社に入る事が、お前の夢だったんじゃあないのか」と、あつしが聞きなおすと、孝一はこの4年間、自分がうまく行かなかった事を、かいつまんで話して聞かせた。
そして、最近ではあせれば焦るほど、仕事がうまく行かなかった事を話した。
「それでもういいやと、思ったんだ。なんだか気ばかり焦っちまってな、今はもう一度、一から仕事をやり直す気にならないんだ」
「そうか、そんな事になってたんだ」と、あつしは孝一とは月に一度とは言わなくとも、ふた月に一度くらいは会っていた。
孝一の一番の親友だと自負していただけに、この孝一の変化に気が付かなかった自分を恥ずかしく思った。
もう孝一はこれからの事を決めているようだった。
その事も今からあつしが相談する余地が無い事がわかり、また友として寂しい気もした。
それに、今ここで孝一にとって、他に何か良い方法があるか、あつしには思い当たらなかった。