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面倒なので黙っていたら天才参謀と誤解されました  作者: 濃厚とんこつ豚無双
第二部 三ヶ月戦争編

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第十八話 山上宮の王

アーレン王都ヴァイスブルンにある山上宮の正面は、半分がまだ貨車の荷だった。

クラウスを乗せた馬車は、門まで五十歩ほどを残してそれ以上進めなくなった。

御者が無理に進めようとするのを遮って、クラウスは建設現場のような宮殿を歩いた。

今日は、もしこの予定をねじこまれなければ茶会の日だったのだが。そんなことを思いながら。


玄関広間の壁には、白馬に跨った騎士と竜が描かれていた。

騎士の外套にはアーレン王家の古い紋章がある。

ところが槍を向けられた竜は、馬より少し大きい程度しかなかった。

オトフリート二世は、画工の肩越しにそれを睨んでいた。


「小さい! これでは竜退治ではない。翼の生えた七面鳥を、鎧を着た男が追い回しておるだけではないか!」

「陛下。これ以上大きくいたしますと、尾が柱へ掛かります」

「ならば騎士を小さくしろ! 敵が小さければ、勝った者まで小さく見えるではないか!」


どうやら小さくされるのは、英雄の方に決まったらしい。

壁際に控えていたザイラー参事官がクラウスの到着を告げると、オトフリート二世は振り返った。


「さっそく文句を言いに来たか、北の若造!」

「私からの文句ではありません」

「相変わらずつまらん返答だ!」


この方は、相変わらず挨拶に要求するものが多い。

ただ、今日ここまで呼びつけられた理由を考えれば、その程度の無理はまだ軽い方だった。


オトフリート二世は、画工も職人もその場へ残したまま、広間の奥に置かれた仮の卓へ向かった。

卓上には、厚さも封蝋も異なる文書が積まれている。

最初の一通にはアーレン王国鉄道院の印があり、その下へ王都の鋳物組合や北部の材木商から届いた訴えが重ねられていた。

さらにダールベルクとエルツの鉄道当局、ブリュック自由市の商務参事会からの書面まで混じっている。


訴えの本文は、差出人ごとに違う言葉で書かれていた。

だが、その上へ添えられた遅延証明は同じだった。

登録貨物番号と予定引渡時刻。実際に通過した時刻。そのずれによって生じた費用。

オトフリート二世は、そのうち一通を持ち上げた。


「会議では、鉄道に北が指図するとは聞いておらん! ところが私が自国の線路で貨車を一本先へ出しただけで、北からも南からも同じ形の苦情が届き、最後にはアーレンの商人までこの紙で損害を数え始めた! 君はこれを、北が何も命じていないから問題はない、と説明するつもりか!」


最初から、声に怒りがあった。


「王室優先貨物は、陛下の御命令どおり先に通っております。北側の鉄道当局が、その命令を止めたわけではございません」

「ならば、なぜ私の机へこれだけの苦情が積まれておる!」


卓が叩かれて文書の束が卓上で鳴った。

クラウスは服の内側から、バルク宰相の親書と損害一覧の控えを取り出した。


「先へ通した王室貨物は一本です。しかし側線へ入ったのは、その駅だけで終わる貨物ではありません。その先では、貨車を受け取るため別の邦の機関車と側線が空けられ、荷主と工場は引渡時刻に合わせて人を集めておりました。一本を待たせたことで、それらの予定も順に動いたのです」

「私はアーレンの列車を動かしただけだ!」

「以前であれば、そうだったのでしょう。いまの登録貨物は、アーレン国内で運行を終えません」


オトフリート二世の指が、文書の端で止まった。

クラウスは卓上から、アーレン王国鉄道院の報告を抜いた。

山上宮へ運ぶ石材列車を先に通したため、登録南行第七号が四十六分側線で待った。

その遅れを取り戻すため国内貨物二本の待避を変更し、予定外の機関車と乗務員を使っている。

王都の鋳物組合から届いた訴えには、石炭列車の到着が遅れ、夜番の炉を一基落としたとあった。

北部の材木商は、空貨車の返却が翌朝へずれたため、山上宮へ送る次の木材が積めなかったと記している。

そのさらに後ろに、北の諸邦からの損害報告が並んでいた。


「陛下の御命令は、そのまま実施されました。その結果として生じた遅れが、アーレンの鉄道院から国境の向こうまで集められたのです」


オトフリート二世は三通を続けて読み、それから卓上に積まれた残りへ目をやった。

一枚ずつ差出人は違う。

それでも同じ登録番号と同じ時刻の書き方が使われ、同じ欄へ王室優先貨物先行と記されている。


「……なるほど」

先ほどまでの怒声とは違う声だった。

「お前たちが持ち込んだものは、鉄道に関する条約だけではなかったのだな」


オトフリート二世は、紙の上部に印刷された登録番号の欄を指で叩いた。

「列車へ命令する権限は残したまま、何を遅れと呼び、誰の損と数え、どの番号の下へ集めるかを、北の形へ変えたのだ」


否定はできなかった。

クラウスは登録番号の出自も、運送状の骨組みも、損害証明が何のために置かれた欄なのかも知っている。

知っているどころか、それらを南側へ持ち込める文書へ直した当人だった。





帝国諸邦会議は、少なくとも議事録の上では安穏のうちに閉じた。

会議二日目に軍事通行をめぐる条文がまとまり、残る日程では鉄道と通商に関する追補議題が扱われた。

ブリュック自由市が訴えたのは、国境を越えるたびに運送状を書き直し、そのたび費用が加算されることだった。

エルツでは封印検査のため貨車が側線へ溜まり、ダールベルクでは北側で生じた小さな遅れが、南側の船積みや工場の運行まで崩していた。


それぞれ別の理由から出された提案は、同じ分科協議へ送られた。

そこで作られたのが、登録された民間貨物を対象とする六か月間の暫定試行だった。

十六邦の鉄道行政を一つにする案ではない。

国内の列車番号も発着時刻も、どの列車を側線へ入れるかも、それぞれの邦が自国の権限で決める。

国境では機関車と乗務員も替わった。

共通にしたのは、一枚の運送状と貨車の登録番号、貨車扉の封印、それをどの国境駅でいつ引き渡すかという取扱いである。


ただし北マルク十一邦には、すでに連邦内の貨物を通すための書式があった。

南マルク五邦には、五邦すべてを通して使えるものがない。

新しい書式を一から起こせば、試行を始める前に六か月が終わる。


だからこそ、北側の様式を基礎にすることが最も早いと判断した。

とはいえ、単に既存の紙を持ち込んだわけではない。

連邦法の条番号を消し、北側の官署名を一般化し、国内列車番号を共通欄から外した。

南側の税関が開封した場合にも同じ運送状を使い続けられるよう、封印の再記録欄も作った。

北の制度を南へ命じる紙ではなく、南側が自国の命令で使える紙にした。


少なくとも、クラウスはそう考えていた。

会議で、それを北への服従と呼ぶ者はいなかった。

北側は新しい中央鉄道局を求めず、南側も国内の鉄道監督権を譲らなかった。

そして紛争の際は帝国に調停を求める。

軍用列車と軍名義の貨物は対象から外され、試行は六か月で失効する。

目の前のオトフリート二世も、アーレン国内の列車順を決める権限が王国に残ることを、ザイラー参事官へ確かめてから署名した。


誰もが欲しかったものを少しずつ持ち帰り、誰の権限も目に見えて減らなかった。

試行は会議閉会から三日後に始まり、それから登録貨物はほとんど問題なく動いた。

北の石炭が南へ届き、南の食料と織物が北へ渡った。国境で機関車と乗務員が替わっても、運送状と封印と登録番号は貨車に残る。


最初の数日は訂正票や照会が多かったが、やがて駅員は登録番号を覚え、商人は引渡時刻を契約へ書き込み、工場は到着予定に合わせて荷役人を集めるようになった。


それは、バルク宰相の構想を受けてクラウスが起草した案が、期待どおりに働いた結果だった。

国境駅で紙を書き直す時間が減り、誰がどの貨車を受け取るのかが事前に分かる。

遅れが生じても、同じ番号を追えば責任の区間を確かめられる。

第一期運行報告は二頁しかなかった。

時間帯を外れた遅延も、濃霧による四十分が一件だけである。

クラウスはその二頁を見た時、制度が予定どおり動いていると判断した。


しかし、試行開始から十五日目、初めて問題が起きた。

オトフリート二世が、アーレン王国の国内規則に基づいて石材列車を王室優先貨物に指定した。

山上宮の大階段に使う石材の採石場からの出発が雨で遅れ、このままでは王都へ着くのは翌日の午後になる。

石工は階段の下部を組み終えており、次の石が来なければ仕事が止まるから、と。


登録南行第七号を一駅手前の側線へ入れ、石材列車を先へ通す。

かつて月を通した時と同じ王命は、そのまま実行された。

石材はその日の夕刻に山上宮へ届き、同じ日に苦情も届いた。

最初はアーレン王国鉄道院だった。

続いて王都の工場や商人から書面が上がり、翌日にはダールベルクとエルツから照会が届いた。

さらに翌日にはブリュックの保険組合が、遅延に伴う費用を送りつけてきた。


この結果も、制度が正常に働いたからこそ起きた。

損害の発生区間も、遅延の起点も、費用を請求すべき相手も、以前より早く分かった。

クラウス自身が、そうなるように文書を作った。

だからオトフリート二世へ、北側が意図しなかった結果だとは言えても、制度から生じ得ない結果だったとは言えなかった。


バルク宰相は、謝罪も王命の撤回も求めなかった。

ただし、同じ形で再び王室貨物を走らせれば、暫定試行に参加する鉄道当局は約束された時間に貨車を渡せない。

次回からは関係鉄道へ先に知らせ、代わりの引渡時刻と遅延によって生じる費用を決めておく必要がある。

その説明と苦情の処理のために、クラウスは再び南へ送られた。


「何を約束すればよろしいのでしょうか」

出立前に尋ねると、バルク宰相は損害報告から顔を上げなかった。


「何も約束するな。記録が正しい損害については支払いを求めろ。それから次に王室貨物を動かす時は、皆を驚かせぬよう先に知らせてほしいと伝えろ」

「国王陛下へ、列車の順を勝手に変えるなと申し上げるのと、ほとんど同じではありませんか」

「同じに聞こえぬよう説明しろ、君が整えた案だろう」


どちらかというと、あなたの言葉を文書に変えただけなのですが、とクラウスは思った。

そして、だからこそ外交官ではなく自分が怒鳴られる役に選ばれたことも理解できた。

なんにしても、ありがたい役目ではなかった。





オトフリート二世は、苦情に添えられた遅延証明を一枚ずつ見ていた。

親指で手袋の縫い目を何度も押している。


「会議では、北側にすでにある書式を直して使うと聞いた。運送状も封印も、その方が早いという説明だったから、私も認めた。南側の鉄道官が自国の運行へ合わせて欄を直し、同盟鉄道局が承認した以上、これは北からの命令ではない。その説明も理解しておる」


クラウスが言おうとしていたことを、先にすべて言われた。

オトフリート二世は、損害証明の欄へ指を滑らせた。


「だが、アーレンの鉄道院も商人も、この番号を使わなければ自分の損を説明できなくなった。北から借りた紙が、どの時刻を基準とし、何を損害として数えるかまで決めておる」

「基準時刻は、南側を含む関係鉄道当局が合意したものです。北が単独で定めたわけではございません」


「それも分かっておる!」

王は報告書を卓へ戻した。

「分かっておるから腹が立つのだ。北に命じられたのなら拒める。帝国に押しつけられたのなら追い返せる。だがこれは便利だから皆で選び、自分たちの名で署名した!」


オトフリート二世は勢いよく椅子から立ち上がった。

そのまま飛びかかってくるかと少し身構えたが、ただ踵を返しただけだった。


「ついて来い」

「どちらへお連れになるのでしょうか」

「君はまず、返事を求められた時だけ素直に従うことを覚えろ。来い!」


オトフリート二世は返答を待たず、広間を出た。

クラウスは苦情の束を鞄へ戻そうとしたが、ザイラー参事官が無言で首を横へ振った。

置いていけという意味らしい。言いかけた言葉を飲み込んで、素直に後に続いた。


そのまま広間を抜け、北翼の露台へ出た。

石造りの露台には、屋根は途中までしか掛かっていない。


眼下に、ヴァイスブルンの街が広がっていた。

赤い屋根の間から教会の丸屋根がいくつも立ち上がり、その向こうに王立新歌劇場の大きな屋根が見える。

さらに北には谷に沿って鉄道線が伸び、白い蒸気を上げる貨車が走っていた。


「ここから見れば、国は美しい」

オトフリート二世は欄干へ手を置いて言った。

「だが、地図にすると嫌な形をしておる。北へ開いた谷からは石炭と鉄が来る。機械も、近頃はそちらから買った方が早いと皆が言う。反対に穀物と葡萄酒を売る市場は南にもあり、河を下れば帝国の商人が待っておる。どちらか一方を切れば、この街はすぐ痩せる」

そこで大きく息を吐いて、小さな声で足した。

「私は、どちらにも呑まれぬ国を作ったつもりだった」


視線の先、線路の上を短い貨物列車が北へ向かっている。


「北の様式は便利だ。積み替えは減り、貨車は早く着く。鉄道官も商人も喜んでおる。だからこそ、たった十五日で皆がそれを当たり前だと思い始めた」

オトフリート二世は、眼下の貨車を指した。

「駅員は登録番号で貨車を呼び、商人は引渡時刻を契約へ書く。工場は石炭が届く時刻を信じて倉庫を空ける。私がその時刻を一つ動かしただけで、損害の束がこの山を登ってきた」


「すべてが北の制度へ置き換わったわけではございません。アーレン国内の運転命令も鉄道監督権も、従来どおり王国に残っております」


クラウス自身が、その権限を残すために条文を分けた。

北側の時刻表がアーレンの駅員へ直接命令しないよう、国内運転と国境引渡しを切り離した。

王室貨物を先へ出す権利も、協定のどこにも触れさせなかった。

そこだけは事実だったが、同時に意図があったことも知っている。

だから、その言葉は自分でも苦しいとわかっている弁解に近かった。


「そうだ、書類の上では何一つ奪われておらん!」

声が、露台から街の方へ抜けた。

「それでも、次に私が貨車を先へ通そうとすれば、鉄道管区長は昨日の損害を持ってくる。商人は契約を示し、工場主は消えた炉の火を数える。皆が北の時刻を守れとは言わぬ。ただ、その時刻を動かした費用を王へ返してくる!」


オトフリート二世は笑った。

「じきに北の石炭と工業品が、南の工場を支えるようになるだろう。素晴らしいことだ!」

けれどその笑いは形だけだと、クラウスにもすぐにわかった。

「工場は北から来る貨車を待ち、その工場で作った品を、また同じ貨車で北へ売る。そうなれば次に目障りになるのは税だろう。せっかく貨車が国境を越えるのに、関税の帳簿だけが別では不便だと、きっと誰かが言い出す!」


否定はできなかった。

登録貨物が増えれば、国境ごとに違う税率や申告手続が、次の遅れとして目立つようになる。

鉄道上の障害を一つ外せば、その後ろにあった別の障害が大きく見える。


「関税まで揃えば、次は貨幣か、工場の規格か!」

オトフリート二世はクラウスへ向き直った。

「北の工業品で南の工場が動き、その工場へ南の兵器発注が集まり、軍人が同じ鉄道と同じ規格を前提に動員表を書く!」


白い手袋を嵌めた手が、北へ伸びる線路をなぞった。


「鉄道条約の次は関税同盟。その次は連邦かね、ライフェンベルク!」

「宰相閣下がそのようなことを求めたことは――」

「わざわざ求める必要があるものか!」


返事はすぐに来た。


「便利な方へ、駅員と商人が勝手に合わせる! 工場がその後を追い、軍が工場へ合わせる! 最後に政治家は、すでに出来上がったものへ名前を付ければよい!」


思わず、眼下を走る貨車へ視線を移した。


「軍事協定なら、署名する前に皆が警戒しただろう。関税同盟なら議会も商人も騒ぐ。だが貨車なら通した。便利だったからな」

オトフリート二世は、クラウスから目を離さなかった。

「これは駅員と商人から入ってきた。だから誰も立ち止まらなかったのだ」


反論できる言葉は、見つからなかった。


「王冠を取り上げる必要すらないのだ! 王冠は残す、王室貨物を先へ通すことも禁じない。ただ、一度使うごとに費用と苦情が王の机へ積み上がる! いつしか王の方が命令を控えるようになる!」


その言葉には、条文上なら反論はできる。

アーレン王国の国内鉄道監督権は失われていない。

王室優先貨物も、命令どおり先に通った。

協定のどこにも、北側がアーレン王の命令を拒否できるとは書いていない。


「しかし以前にも、一本を先へ通せば、別の列車は待っていたはずです」


オトフリート二世は、すぐに振り返った。


「もちろんだ。だが以前ならその遅れをどこで埋め、誰へ何を払うかはアーレンの中で決められた。いまは国境の向こうの工場まで、私が決めた時刻の続きを待っておる」

そうして、北へ伸びる線路へ目を戻した。

「遅れを見えるようにした者が、どの時刻を正しいものとして数えるかも決める。北は列車へ直接命令せずとも、皆が北の表から外れることを恐れるようになればよい」


「バルク宰相閣下が避けようとしているのは、南マルク諸邦の鉄道も工場も、ハイゼンベルクの市場と規格だけで動く状態です。北との接続を残せば、一方から道を閉ざされた時にも、もう一方へ貨物を流せます」

「それはそれは、ありがたい心遣いだ!君たちが善意で手を伸ばしたなら、掴まれた側は痛くないとでも思うのか!」


そこまで言って、しばらく眼下の線路を見ていた。

やがて欄干を押さえていた手を離して息を吐いた。


「それでも、試行は続ける」

「……続けていただけるのですか」

「何を驚いておる。便利だから厄介だと言ったのだ。北が気に入らぬからといって、ハイゼンベルクの秩序へ戻り、あちらだけに首を預ける趣味はない」

「では、今回の遅延によって生じた費用について、どこまでをアーレン側で御負担いただけるでしょうか」

「王室貨物を先へ通したため、余分な機関車と人員を使ったのであれば、その費用は王室会計へ戻せ。他邦へ生じた直接の損害も、今回の遅延によるものと確認できるなら支払わせる」

「それは……そうしていただければ、こちらとしては助かります」

「何だ、その顔は」

「正直に申し上げると、もう少し御反対なさるかと考えておりました」

「石工を一日半遊ばせるより、貨車を一本先へ通した方がよいと私は判断した。その判断は撤回せん。だが私が決めた結果、他人の機関車を余分に動かし炉を止めたのなら、その費用まで商人へ押しつけるつもりもない」


オトフリート二世はそこで、クラウスへと向き直った。


「ただし、取り違えるな。賠償を支払うのは、北の理屈を認めたからでも、この制度に納得したからでもない。私が命じその結果として金が掛かったから、私が払う。それだけだ」

「そのように本国へ報告いたします」

「いいか、君たちは私を騙したのだ、ライフェンベルク」


すぐには返せずにいると、構わずにオトフリート二世は続けた。


「国内の列車順はアーレンが決める。王権は何も失われない。君たちは諸邦会議でそう説明した。確かに、書かれていたことに嘘はなかった」

「はい」

「だが、その権利を一度使えば、翌朝には十六邦の時刻と損害が私の机へ積まれるとは言わなかった」

「遅延が国境を越えて記録され、損害の発生区間を確かめられることは、制度の目的に含まれております」


「ならば、なお悪い!」

オトフリート二世の手が欄干を打った。

「予想していなかったとは言わせんぞ。君はその紙を作ったのだろう!」


「記録が各邦で共有され、遅延の原因と費用が確かめられることは想定しておりました。ただ、それを陛下が王権への拘束とお読みになるところまでは、考えておりませんでした」

「そこまで考えず、私に署名させたのか!」


「北の様式が南へ定着すること自体は、宰相閣下の設計に含まれております」

クラウスは、一度言葉を切った。

ここで知らなかったと答える方が、よほど簡単だった。

「南マルク諸邦が帝国の規格だけへ依存しないよう、北との取引を日常の運行へ組み込む。そのために、北側の既存様式を基礎にしました。陛下が御懸念になっている効果が、すべて偶然で生じたとは申し上げられません」


オトフリート二世は、しばらく何も言わなかった。

数秒の後、鼻から強く息を吐いた。


「まったく、君は妙なところで正直だな」

「他に申し上げようがございませんので」

「まあ、よかろう。便利なのは事実だ。怒鳴ったら少しは請求書を突き付けられた気分も晴れた。……しかし、だからといって君を許したわけではない」

「承知しております」

「北は私を騙した。少なくとも私はそう考えておる。バルクには一言も丸めず、そのまま伝えろ! どうせ気にも留めんだろうがな!」

「承知しました」

「そして私はこれからも必要であれば貨車を止める。ただし次に王室貨物を先へ通す時は、先に知らせ、関係邦には代わりの時刻を作らせる。損害が出ればアーレンが払う。この条件なら試行を続ける」

「本国へ、アーレン王国からの正式な条件として持ち帰ります」

「そうしろ。それから苦情を寄越した者どもには、次からは驚かせぬと伝えよ。ただし、王が自国の線路で何を先へ通すかまで、北の帳簿に決めさせるつもりはないとも書け」


クラウスは、先ほど王から命じられたことを思い出した。


「そちらも、語調を整えずにお伝えしますか」

「それは少し整えろ!」


基準がよく分からなかったが、一番腹が立っているのはバルク宰相に対してだとは理解した。

そこだけは、何の裏表もなく共感することができた。





後年、三ヶ月戦争の通俗的な開戦原因はオトフリート二世が大階段の工事を一日早めるため、登録貨物を一本待たせたことである、とされた。

その遅れへの苦情に激怒した「狂王」がハイゼンベルク帝国の介入を招いた、という筋書きである。


出来事の順序を覚えるには便利な説だった。

しかし当時の公文書上では、王室優先貨物をめぐる紛争は処理されている。

王はノルトマルクへ怒りを隠さなかったが、記録の確かな損害はアーレン側が負担することになった、と。


また、ハイゼンベルク帝国の判断について後世もっとも頻繁に引用されたのは、当時の陸軍卿ヘッツェンドルフ公が退役後に刊行した回想録『帝国陸軍とマルク危機』の一節である。


『諸邦会議の閉会に際し、陛下も外務省も、その成果に満足していた。

十六邦は皇帝陛下の召集に応じ、帝国の宮廷において協定を結び、その正本を帝国外務省へ寄託した。

諸邦間に争いが起これば、彼らは再び帝国の卓へ戻る。帝国はマルク秩序の裁定者たる位置を回復したと考えられたのである。

私もその協定の成立に反対しなかった。

試行は六か月に限られ、対象は民間貨物のみとされ、軍用列車と軍名義の貨物は明文をもって除外されていたからだ。


ただし、私は当時から一つの懸念を持っていた。

裁定者は、当事者が裁定を必要とする限りにおいて必要である。

駅員と商人が同じ番号を読み、同じ帳簿を使い、同じ引渡時刻の中で争いまで処理するならば、いつしか日々の秩序は裁定者を必要としなくなる。


山上宮の石材列車によって、その懸念は現実のものとなった。

アーレン王は北側の様式へ抗議した。しかし試行から離脱しなかった。

北側も王命の撤回を求めず、損害の負担と次回の通告手続によって問題を処理した。


しかし、彼らは帝国の調停を求めなかった。

制度は最初の衝突によって壊れるどころか、王室貨物を扱う新しい手続を加え、以前より強くなったのである。

だからこそ動くにはあの時しかなかったのだ。


翌年まで待てば、帝国が対処せねばならないものは一つの鉄道協定ではなく、それを当然のものとして働く駅員、商人、工場、そして諸邦政府そのものになったであろう。

そして、それこそがノルトマルクの狙いだとほとんど天啓のように理解したのだ。


ゆえに、私は戦争を命じたのではない。

帝国が必要な時に行動する能力を失わぬよう、将来の選択を保持するため、必要な措置を実行したにすぎない。』

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― 新着の感想 ―
ライフェンベルクは便利なように整えただけなんだけど合理的故にみんなが使う。だから文句も言えないってのは笑う。後から見たらすごい策略に見えるとこも。
コレはまた、巧妙な遣り口ですねえ。
2026/07/28 12:30 ゆきかぜまる
とんでもねえ浸透工作だ…!!
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