第6話 安い坑道、嫌な坑道
灰石坑道へ通う理由を、結人はうまく一言では説明できなかった。
稼げるから。
それは半分だけ本当だ。
浅層の中では、まだ持ち帰れるものがある。
灰鼠の牙。
鉱屑トカゲの尾。
微光鉱片。
一つ一つは安いが、数が揃えば換金にはなる。
危険だから。
それも半分だけ本当だ。
強い敵が出るわけではない。
一発で終わるような怪物もいない。
だから軽く見られている。
浅層専門の探索者も多いし、日銭目当てで入る人間も多い。
でも、結人にはずっと嫌だった。
終わったと思った後。
見失った後。
避けた後。
戻った後。
そういう“後”に、妙に噛み合う。
だから結局、結人が灰石坑道へ通う一番大きな理由は、
まだ見えていないものがある気がするから
だった。
⸻
朝、安い電気ケトルの音で目が覚めた。
ワンルームの部屋は狭い。
狭いが、前より少しだけ散らかり方がましになっていた。
机の上には端末。
メモ帳。
予備の充電器。
安物のイヤホン。
昨日政府ギルドで買った、少しだけ高い保存食。
前なら、その保存食は買わなかった。
買えなかった、の方が近いかもしれない。
結人は袋を開け、いつもの固い栄養バーではなく、少しだけまともな味のする携帯食を齧った。
塩気がある。
妙にそれだけで現実感があった。
端末を開く。
昨夜返したコメントのあと、さらに二件だけ増えていた。
終わったと思った後が危ないってどういうこと?
灰石坑道って、敵弱いのに事故多いって聞いたことある
結人は少しだけ画面を見つめる。
増えたと言っても、たったこれだけだ。
同接だって相変わらずほぼない。
配信収入も、生活を支えるには全然足りない。
それでも、ゼロではない。
昨日までなかった反応が、今日は少しだけある。
結人は短く返信を打った。
敵が強いというより
動き直した時に噛み合う感じです
送ってから、少しだけ考え、もう一件。
今日も潜るので見えたら話します
それだけ書いて端末を閉じる。
言い切れない。
でも、前よりは言葉になってきている。
⸻
灰石坑道の入口前は、朝のうちはまだ空気が軽い。
浅層だからだ。
装備も顔つきもばらばらな探索者が集まり、軽い雑談のまま入っていく。
政府ギルドが立てた注意板はあるが、立ち止まって読む人は少ない。
結人はそこで、短槍の石突きを軽く地面に当てた。
調子を確かめるための、いつもの癖だった。
その横を、見慣れたような、見慣れないような男が通る。
少し重い足運び。
無駄口は少なそうだ。
結人より少し年上に見える。
男は坑道前の混み具合を見て、小さく舌打ちした。
「朝から詰めすぎだろ」
独り言みたいな声だった。
だが結人には、その言い方が少しだけ引っかかった。
詰める。
前に寄る。
戻る。
まだ形にはなっていないが、同じところを見ている気配があった。
男は結人に気づくと、一瞬だけ目を向けた。
「入るのか」
「はい」
「灰石坑道、よく来るのか」
結人は少しだけ迷ってから頷いた。
「最近は多いです」
男はそれ以上は聞かず、入口の方へ顎をしゃくる。
「なら分かるだろ。ここ、敵より人の方が嫌な時ある」
結人は、その言葉に小さく目を上げた。
敵より人の方が嫌な時がある。
かなり近い。
かなり、今の感覚に近かった。
「……あります」
男は短く頷く。
「だよな」
それだけ言って、先に入っていく。
結人はその背中を少しだけ見送った。
名前はまだ知らない。
でも、ただの探索者ではない気がした。
少なくとも、灰石坑道の嫌さを“敵が弱いのに面倒な場所”で終わらせていない。
結人も少し遅れて中へ入る。
⸻
一階層は、今日もぱっと見は平和だった。
湿った石壁。
低い天井。
靴裏に乗る薄い砂。
遠くで何か小さいものが走る音。
前方で、若い探索者が灰鼠を一匹仕留める。
その瞬間、別の探索者が少しだけ前へ寄りかけた。
結人は無意識に息を止める。
二匹目。
壁際から、灰色の影が走った。
だが今度は前へ寄りかけた探索者が、自分で一歩止まった。
後ろから誰かが平らな声で言う。
「寄りすぎんな」
前の探索者が舌打ちしながらも足を戻す。
二匹目は空振った。
結人は小さく息を吐く。
一階層は、やっぱり前よりましだ。
終わった入りはまだある。
でも、止まることが増えている。
灰鼠の牙を二つ拾う。
小さい。
安い。
だが、集めれば換金できる。
そのあと、鉱屑トカゲが出た。
岩肌に紛れるように張りついていた一匹を、前の二人組が見失う。
片方が中央へ寄りかけたところで、もう片方が小さく言う。
「寄るな」
トカゲが壁沿いに走る。
二人は追いすぎず、少し間を置いて処理した。
結人は、それを見ながら頭の中で並べる。
寄りすぎない。
終わったと思って入らない。
見失っても詰めない。
まだ粗い。
でも、ただの勘じゃなくなってきている。
⸻
広場手前まで来た頃には、持ち袋の中に
•灰鼠の牙
•鉱屑トカゲの尾
•小さな微光鉱片
が少しずつ増えていた。
微光鉱片は、壁や床の割れ目に混じる浅い鉱石だ。
指先ほどの大きさしかないが、研磨材や簡易灯具の材料になる。
拾う手間の割に高くはない。
だが、灰石坑道に何度も潜る人間にとっては、こういう小さい物の積み重ねが生活そのものだった。
結人は広場手前の壁際にしゃがみ、鉱片を一つ拾う。
角が少し欠けている。
状態は悪くない。
その時、さっきの男が少し離れた位置で立ち止まっていた。
こちらを見ているわけではない。
だが前方の探索者たちの足と肩を見ているのが分かる。
結人は何となく声をかけた。
「さっきも、見てましたよね」
男が少しだけこちらを見る。
「何を」
「人の詰まり方」
男は一拍置いてから、短く笑った。
「見てるな。敵そのものより先に、そっちが崩れる時がある」
かなり近い。
やっぱり近い。
「よくあります」
「この坑道はな」
男は壁にもたれたまま、前の混み方を見て言う。
「弱い敵ばっかだから、終わった気になるんだろ。で、そのあと自分から噛みに行く」
結人はその言い方を、頭の中で反芻した。
自分から噛みに行く。
嫌な言い方だった。
でも、かなり本質だった。
結人が黙っていると、男はようやくこちらへ体を向ける。
「お前、最近よくいるだろ」
「はい」
「変なところ見てるよな」
結人は少しだけ目を細める。
褒められている感じはしない。
けれど、馬鹿にされている感じでもなかった。
「変ですか」
「普通は敵見る」
男はそれだけ言って、肩をすくめた。
「でも、この坑道はそれだけじゃ足りねえ気がする」
結人は、小さく頷いた。
名前はまだ聞かない。
今はまだ、それでよかった。
⸻
二階層へ下りる手前の空気は、一階層と少し違う。
静かになるわけではない。
むしろ、人はまだ多い。
だが、どこかで全員が少しだけ足を測り始める。
それでも、まだ軽く見ている人間は多い。
荷喰い虫が出たのは、その直後だった。
継ぎ目の影から半身だけ突き出した顎が、前の探索者の袋口を狙う。
探索者は慌てて身を引く。
噛みつきは外れる。
そこで終わったと思って、手が戻る。
結人の背中に冷たいものが走る。
「戻すな!」
思ったより先に声が出た。
前の探索者の手が止まる。
荷喰い虫の顎が、そのすぐ横を噛んだ。
乾いた音。
空振り。
前の探索者が荒く息を吐く。
周囲も少しだけ止まる。
結人は、自分で言ってから少しだけ息を詰めた。
今のは、初めてだった。
ただ嫌だと思うだけじゃなく、
何を止めるべきかが先に言葉になった。
前の探索者が結人を見る。
「……今の、手か」
結人は小さく頷いた。
「はい。避けたあと、戻したところを狙ってました」
少し離れたところで、さっきの男が低く言う。
「見てたな」
結人はその声にだけ、短く返す。
「多分」
多分。
でも、前よりはずっと確かだった。
荷喰い虫の顎片が一つ、地面に落ちている。
結人はしゃがんで拾い上げた。
小さいが硬い。
刃の補強材や工具の先に使われるため、浅層素材としては比較的値がいい。
今日の換金の中では、これが一番ましになるかもしれない。
結人はその顎片を袋へ入れながら、さっき自分が口にした言葉を頭の中で繰り返していた。
戻すな。
かなり短い。
かなり荒い。
でも、止まった。
前の探索者も、まだ少しだけこちらを見ている。
無視ではない。
それだけでも、前より何かが違った。
⸻
帰り道、坑道入口に近い売店で結人は少しだけ立ち止まった。
今日は荷喰い虫の顎片がある。
微光鉱片もそこそこ拾えた。
大きくはないが、換金はいつもより少しだけ上になるはずだった。
棚に並んだ消耗品を見る。
安い回復薬。
予備の包帯。
靴底補修材。
細い金具。
短槍の石突きに巻く滑り止め。
結人は少し迷ってから、靴底補修材と、いつもは買わない少しだけ上等な包帯を手に取った。
全部を変えられるわけじゃない。
でも、前より少しだけ迷わず選べる。
それだけで、生活は静かに変わる。
会計を済ませたところで、背後から声がした。
「おい」
振り向くと、あの男だった。
荷は少ない。
だが無駄な傷が少ない。
見れば見るほど、ただの雑な探索者ではなさそうだった。
男は結人の手元の包帯を見て、少しだけ口元を歪める。
「今日はちょっとマシだったか」
結人は一瞬だけ言葉に迷ってから頷く。
「少しだけ」
男はそれで分かったようだった。
「灰石坑道、稼げるっていうより、慣れると無駄が減るんだよな」
結人はその言い方を、妙にしっくり感じた。
稼げるというより、無駄が減る。
確かにそうかもしれない。
「名前、なんていうんだ」
聞かれて、結人は少しだけ目を上げる。
「天城結人です」
男は短く頷いた。
「坂城迅」
それだけ言って、先に店を出る。
結人は、少しだけその背中を見る。
坂城迅。
名前がついた途端、さっきまでの会話の輪郭も少しだけ濃くなった気がした。
敵そのものより先に、人の崩れを見る。
この坑道はそれだけじゃ足りない。
結人は買い物袋を持ち直す。
今日は、ただ潜っただけではなかった。
換金が少しだけ良くなるかもしれない。
消耗品を少しだけ良くできた。
政府ギルドでは“続けているものが反映されている”と言われた。
坑道では、初めて止める言葉が先に出た。
そして、同じところを見ている人間の名前を一つ知った。
たったそれだけだ。
だが、たったそれだけが前より多い。
結人は端末を開き、配信のメモ欄に短く打ち込む。
•荷喰い虫
•避けたあと、手を戻したところを噛む
•戻すな、で止まるかもしれない
書いてから、少しだけ見つめる。
言葉としてはまだ弱い。
でも、さっき確かに止まった。
端末を閉じる。
明日も、灰石坑道へ潜る。
まだ見えていないものがある。
でも今日、少なくとも一つだけは前より形になった。
それで十分だった。




