第13話 見ていた人
灰石坑道の二層手前で、継ぎ目が“道じゃない”と見えた夜、結人は少しだけ長く眠れなかった。
崩れているわけじゃない。
壊れているわけでもない。
それでも、あの線は信用できなかった。
進める感じ。
帰れる感じ。
避けた先。
戻る足。
持ち直す荷。
その全部が、結局は“道だと思っている線”に支えられている。
なのに、その線が一度ズレて、何もなかったみたいな顔をしている。
結人は布団の中で目を閉じながら、あの段差の先を何度も思い返していた。
そこは道じゃない。
灰野の一文も、やはり頭に残る。
短い。
でも、妙に正確だ。
コメント欄の言葉は、最近ときどき自分より先に言葉になっている。
結人が嫌だと思っていたものに、他人が輪郭を与える。
それはありがたい。
でも少し怖くもあった。
見えてきている。
けれど、見えてきたものが大きくなるほど、今の自分では抱え切れない感じも強くなる。
翌朝、結人はいつものように端末を開いた。
アーカイブ。
コメント欄。
再生数はまた少しだけ増えている。
数字としては、まだ本当に小さい。
それでも、昨日までの自分なら届かなかった場所に少しずつ届いている感覚がある。
コメント欄を開く。
炭酸:継ぎ目のやつかなり嫌だな
通り雨:道が道じゃないって説明、めちゃくちゃ分かる
迷子の斥候:二層の怖さ、敵よりそっちなんだな
灰野:そこは道じゃない
そこまでは見覚えがある。
だが、その下に一件だけ、長めの文章が増えていた。
配信、最初から見ました
灰鼠の時から、見てる場所が少し変でした
今回の継ぎ目の話で、ようやく何を見ているのか少し分かった気がします
その記録、消さないでください
結人の指が止まる。
長い。
しかも、最初から見ていたと書いてある。
灰鼠の時から。
つまり、本当にかなり最初からだ。
結人はそのコメントの投稿時刻を見る。
深夜。
名前は、まだない。
数字と記号だけのアカウント。
それでも、その文章には他の短いコメントとは違う熱があった。
その記録、消さないでください。
なぜか、その一文が一番強く残る。
消すつもりなんてなかった。
そもそも消すほど大した数字もついていない。
でも、そう言われると急に、自分が残しているものの意味が少しだけ変わる。
今までは、自分のためだった。
怖さを忘れないため。
次に少しましにするため。
でも誰かが、消さないでほしいと言った。
必要としているかもしれないと言った。
結人はそのコメントを何度も見返したあと、初めて返信欄を開いた。
少し迷ってから、短く打つ。
残します
送信する。
たったそれだけなのに、少しだけ手が震えた。
配信で喋るのとは違う。
見ていた相手に、自分から返した。
誰なのかは分からない。
それでも、向こう側に“人”がいた。
⸻
昼前、端末に通知が来た。
コメント返信ではない。
メッセージだった。
送り主の名前を見て、結人は少しだけ目を見開く。
篠宮澪
知らない名前ではない。
いや、現実で会ったことはない。
でも最近、切り抜きまとめの片隅や、ダンジョン配信の感想欄で何度か見たことがある名前だった。
大手ではない。
ただ、配信を丁寧に整理して、見どころや危険箇所を静かにまとめる人だ。
結人は通知を開く。
はじめまして
篠宮澪です
いきなりすみません
天城さんの灰石坑道アーカイブ、最初から見ていました
特に二層手前に入ってからの記録がかなり重要だと思っています
もし嫌でなければ、少しだけ話せませんか
配信の切り抜きというより、記録の整理の話がしたいです
結人は、その文章をしばらく読んだまま止まっていた。
切り抜きというより、記録の整理。
そこがまず引っかかった。
再生数を伸ばしたいとか、見せ場をまとめたいとか、そういう話ではない。
記録として整理したい、と言っている。
しかも最初から見ていた。
灰鼠の頃から。
継ぎ目の話まで。
結人の胸の奥で、何かが少しだけ静かに動く。
理解者、という言葉はまだ大きすぎる。
でも少なくとも、この人は自分の配信を普通の攻略配信として見ていない。
どう返すべきか迷った。
警戒もある。
だが、断る理由も今は見つからない。
結人は少し考えてから返した。
はじめまして
天城結人です
自分でよければ大丈夫です
記録の整理、ちょっと興味あります
送ってから、呼吸が少し浅くなっているのに気づく。
他人と話す。
しかも自分の配信のことを。
慣れていない。
でも、嫌ではなかった。
数分もしないうちに返信が来る。
ありがとうございます
じゃあ、まずは今まで見えていたことを少し整理してみます
天城さんは“敵の強さ”じゃなくて、“人が危なくなる順番”を見ていますよね
一層では
・止まる
・見失う
・上を見る
のあとが危ない
二層手前では
・進めると思う
・避けて終わったと思う
・戻れると思う
のあとが危ない
それって、かなり大きい違いです
結人は、メッセージを読みながら少しずつ背筋が伸びていくのを感じた。
自分がノートに散らしていたものが、他人の文章の中でちゃんと並んでいる。
一層では、止まる・見失う・上を見る。
二層手前では、進めると思う・避けて終わると思う・戻れると思う。
そうだ。
そういう違いだった。
自分の中にある嫌さは、確かにこうして整理できる。
澪からさらに続く。
だから、天城さんの配信って“攻略配信”というより
“事故の前兆記録”に近いと思います
それがすごく珍しいです
ちゃんと残した方がいいです
事故の前兆記録。
結人はその言葉を、ゆっくり頭の中で繰り返した。
攻略じゃない。
事故の前兆。
それは、自分がやってきたことにかなり近い。
勝つ方法ではなく、終わる前の形を残している。
だから地味だ。
でも、だから必要なものでもあるのかもしれない。
結人は端末を持ったまま、しばらく黙っていた。
それから、短く返す。
自分では、そこまではっきり分かってなかったです
でも、かなり近いと思います
すぐに返信が来る。
近いです
それと、もう一つ
継ぎ目の違和感、かなり危ないと思います
あれは敵の出現位置というより、地形の側が先におかしい感じです
もし今日も行くなら、そこだけは無理しないでください
そこだけは無理しないでください。
その言い方が、結人には妙に残った。
正しい。
冷静だ。
でも、数字や面白さより先に、まず生きて戻ることを言っている。
今までのコメント欄にはなかった種類の言葉だった。
結人は少し迷ってから返した。
はい
今日も見るだけにします
送信し終えたあと、ふっと息が抜けた。
自分が見ているものを、他人が整理してくれた。
しかも、残した方がいいと言った。
昨日まで少し曖昧だったものが、今日はもう少しだけ輪郭を持っている。
事故の前兆記録。
それが今の自分の配信なら、続ける意味はあるのかもしれない。
⸻
夕方、結人はいつもより少しだけ遅い時間に灰石坑道へ向かった。
配信開始。
同接は1から始まった。
結人はその数字に、少しだけ目を止める。
0じゃない。
初めてだった。
誰が見ているのかは分からない。
でも、もう最初から誰かがいる。
「天城結人です。今日は灰石坑道、二層手前まで。継ぎ目を中心に見ます」
少しだけ間を置く。
「一層と二層手前で、危なくなる順番が違うので、その差を見ます」
コメントがつく。
炭酸:きた
通り雨:今日も見る
迷子の斥候:継ぎ目回だ
そして、少し遅れて。
澪:無理はしないでください
結人の目が、その名前で止まる。
篠宮澪。
本当に見ている。
しかも最初から。
結人は少しだけ呼吸を整えてから、前を向いた。
「……はい」
小さく返して、灰石坑道へ入る。
今日は、昨日までとは少し違う。
一人で見ていたものが、初めてちゃんと整理された状態で戻ってきた。
止まる。
見失う。
上を見る。
進めると思う。
避けて終わると思う。
戻れると思う。
その順番の違いを、結人は前よりずっと意識して歩く。
継ぎ目も見る。
敵も見る。
でも、敵だけに引っ張られない。
坑道の奥は今日も静かだった。
それでも、もう以前の静けさとは少し違っている。
見ている人がいる。
残した方がいいと言った人がいる。
そして、その記録を整理してくれる誰かが現れた。
それだけで、灰石坑道の薄暗さの中に、ほんの少しだけ別の光が差した気がした。




