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再考

 休日だったせいか、私たちは苦労することなくパーキングスペースを見つけることができた。

 「何だかラッキーだなぁ。こういう風にものごとがスムーズに行くと気持ちがいい」

「そうですね」

 特に意味のない会話をしながら、私たちはホテルのラウンジに座った。

 すると従業員の男性の一人が、近づいて来る。

 桑原は臆さないで自分から「ボンジュール、ボンジュール」と言う。

 その辺りは長所だと思うけれど、夕方なので「ボンソワール」と言うべき点が残念かもしれない。

 そつのない従業員はボンジュールと言ってから英語に切り替え、「やはり来て下さったのですか」と微笑みながら言った。

 桑原と同じくらいの年代の人なので、何か通じ合うところがあったのだろう。。

 「ほら、さっき言っただろう? ここでも食事ができると教えてくれた人だよ」

「あぁ、そうですか」

「うん。しかし、朝からずっと仕事をしているのかなぁ?」

 私は彼にそのことを尋ねると、そうではなくて一旦家に帰り、また夜の勤務に出て来たのだと言う。

「大変だね」と桑原が声を掛けると、外国への転勤がないだけましだと答えた。

 食事のことを尋ねると、ここでも出来るけれど、食べたいものがあるなら紹介をすると言ってくれた。

 すると桑原が、「僕はムールが食べたいなぁ」と言う。

 普段は意思表示が少なかったり、決断力がないのではないかと思えるようなところがあるのに、意外な反応に思えて、私は少々驚いた。

 従業員の男性は、グランプラス(市や町の中心になる広場)の近くにもあるが、車が止めにくいからと、ここから遠くないところを紹介してくれた。

 歩いて行けると言うので、チップを渡して彼に予約をお願いして、私たちは車をそのままにレストランへ向かった。


 紹介されたのは、照明を落とした雰囲気のいい店だった。

 殆どがカップルで家族連れは全くいない。

 私は、恋人でもいたならこういう所で食事をしたいけれど、相手が桑原であることを残念に思う。

 桑原も「いいところだねぇ」と言ってから「注文は任せるからね、好きなものを頼んだらいいよ」と言う。

 しかし、そこのところが違うのだ。

 自分が連れて来たのだから、この状況なら彼がエスコートをするべきで、言葉の不自由な部分についてだけ、私に助けを求めるべきだと思う。

 まさか直接そんなことを言う訳にもいかないので、私は一瞬黙ってしまったけれど、言葉を選びながら説明をすることにした。

 「桑原さん、ムールが召し上がりたいのですよね。私も好きですが、ソースにはたくさんの種類があるのです」

「いやぁ。僕は、何でもいい。ほら、どうせわかんないから」

「いえ、そう言われても私も困るのです。お好みがわかりませんし、私が訳しますので選んで頂けますか?」

 私は、メニューに書かれていた10種類以上のソースを訳した。

 ハーブやリキュールの入ったものもあって、味を想像しながら私自身のオーダーも考える。

 一通り説明し終えると、「君は何にするの?」と桑原が尋ねる。

 「私は、プロバンサル風のソースにします」

「ふーん、どんな味かなぁ?」

「ラタトィーユみたいなトマトソース味だと思いますが」

「そうか。じゃ、僕もそれにするよ」

 結局そうなのかと思う。で

 も、とりあえず自分で選んでもらったのだから、私としては納得するべきだとも思った。

 ワインを選ぶことになったけれど、それは私にもよく分からない。

「お店の人に尋ねましょうか?」と私が言うと桑原は賛成した。

 お店の人が、リースリングやムスカデ、シャブリといった日本でも聞き覚えのある白ワインの名前を言ったので、そのまま桑原も理解できたらしい。

「あぁ。じゃ、シャブリでいいよ」と無事に注文ができて、得意気な表情を浮かべた。

 わからない場合はピッチャーでハウスワインを頼むこともできるけれど、桑原はボトルの方がいいと思っているようだ。

 私には、まだワインの味が良く分からない。

 それでもビールはお腹がふくれてしまうので苦手だったし、ワインの方が飲みやすいと思う。


 「あぁ。しかしさぁ、海外は疲れるねぇ」と唐突に桑原が言う。

 その点については私にも異論はない。

「そうですね。お買い物にも不自由なことが多いですし」

「そうなんだよ。困るよねぇ。休日にはお店も休みだなんてさ。日本じゃ考えられないよ」

「文化や習慣が、何もかも違いますからね。ひとつずつ覚えて行くしかないのかもしれないと思います」

「そうだよね。まぁ、君は若いからいいけど、僕なんか可哀想なもんだよ。何だか自分がいっぺんに老けてしまってさぁ、年寄りになったような気がするんだ」

「そうなんですか?」

「あぁ、そうだよ。日本の国内にいたってさぁ、よく単身赴任していたけどね。ここは不便だ。買い物もできない」

「これまでも、単身赴任が多かったのですか?」

「あぁ、意外かな? 普通だよ、僕たちの年代じゃ。子供には学校があるだろう? 女房はさぁ、子供とセットだからね、オヤジはいつも一人になるんだよ」

「そうでしたか。では、ご自分でお料理なんかもなさるのですか?」

「あぁ、するよ。掃除も洗濯も料理もするさ」

「お偉いですね。ちゃんと家事がお出来になって」

「ははは。うちの女房はさ、自分でも仕事をしているから、僕の収入がなくても食べて行けるんだよ。そういう訳でさ、単身赴任したからって、たまに来てくれるわけでもないし、本社勤務に戻って家にいたら、もうゴミ扱いだよ」

「そうでしたか。きっとお子さんの事もあるし、お忙しいんでしょうね」

「うん。たださ、今回は海外だろう? だからたまには来る気になっているような気がするんだ」

「そう仰ったんですか?」

「いや、言わない」

 そう言って桑原は笑うけれど、自嘲なのか口の端が歪んで見える。私としては、出来れば見たくない男性の弱い部分だと思った。

「じゃあ、お尋ねになればいいのに」

「いや、もういいよ。今更」

「そういうものですか?」

「あぁ。まぁ君はさぁ、これからなんだから、そういう先輩を見て上手く行くように頑張ればいいよ」

「私もすぐには結婚しないと思っていますが」

「ほお、どうして? 誰かいい人が日本で待っているんじゃないの?」

「いえ、待っていないんですよ」

「そうか。頭もいいし、べっぴんさんなのになぁ」

「こういう事はご縁なんじゃないかと思っています」

「縁かぁ。また古いことを言うねぇ」


 私は、家族の中で孤立している桑原を思い浮かべ、少し気の毒に思った。

 それは、よくあることなのかもしれない。

 でも私は、男性のみじめな姿を見るのが苦手だった。

 男は強くて大きいもの、女性を包んでくれるような存在でなければならないというイメージが自分の中にある。

 どういうわけか、気が付けば「武士は食わねど高楊枝」という古い感覚を持っていた。

 もしかすると、幼い頃の父親のイメージがそうさせるのかもしれない。

 或いは、母親がそう言っていた影響もあるのだろうか。

 だから、男の子たちにはファザコンだとよく言われた。

 彼氏と喧嘩別れをしたのもその辺りが原因だったような気がする。

「オレは、そんなに強くない」と言っていた彼の顔を思い出した。

 別に甘えようとは思っていなかった。

 それでも、精神的に弱いところを見せられ庇ってばかりだと、がっかりしてしまうのだ。

 そうなると、私にとっては恋愛の対象にはならない。

 守ってあげなければならないという存在に対して感じるのは、母性のような感情であって、対等に愛し合うという感覚ではなくなってしまうのだ。

 目の前にいる桑原は少なくともずっと年上の頼れるべき人間であった筈なのに、こういう弱みを見せられると、がっかりするのと同時に私が庇わなければいけないような気になってしまう。

 その時の気持ちは自分でも上手く表現ができないけれど、好きな人物ではなくても、助けるしかないというような感覚だった。

 例えば仕事上でも、桑原の大雑把な所は目立つ。

 これまでもきっと誰かがカバーして来たのだろうと思ったけれど、ここには二人しかいないのだから、仕事を成功させるためには私ができるだけカバーしなければならないだろうと思う。


 ムールもシャブリもおいしかった。

 しかし、ムールの横にはポテトフライが山盛りで付いて来たのに、更にパンとバターまであって、それらは手付かずのままだった。

 桑原が「明日の朝ご飯に出来るのになぁ」と言うのを聞いて、私は紙ナプキンでそれらを包み、バッグの中に入れた。


 アパートに送ってもらう車の中で、(これからは出来るだけ自分を抑えて、つんけんするのを止めよう)と思った。

 それは私自身の為でもある。

 このままでは、どんどん険悪な雰囲気になって行く可能性があり、仕事も嫌になってしまう。

 それにこんなに孤独で若くない人を傷つけることになると、先で後悔をするかもしれないと思った。

 車を降りる時にお礼を言い、パンを渡すと桑原はとても喜んでいた。

 いろいろ先回りして考えて嫌っても仕方がない。

 こんなに単純な人なのだ。

 考えようによっては、やりやすいパートナーかも知れなかった。

 

 オートロック式のアパートのドア横には、テンキーが取り付けられていた。

 暗証番号を押すつもりで見てみると、キーの上には貼り紙があり、そこには故障中とニヶ国語で書かれていた。

 扉を押すとさっと動いた。

 桑原が入って来れた訳は、こういう事だったのだ。

 それならそうと言うべきだったのにと思い、ひとり苦笑いをした。


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