引越し
アパートの賃貸料は、会社の支払いと決まっていた。
桑原は、家族が来ることも考えて、ベッドルームの3つあるアパートに決めると言う。
リビングとダイニングが別の部屋で、それぞれが日本では考えられないくらいの広さだった。
私はベッドルームが一つの、日本にいた頃と同じ程度のアパートを探した。
それでもひと部屋の大きさは、日本のそれよりも広かった。
同じ賃貸料でいくつかの候補があったので、その中から交通の便が良く、出来るだけお買い物のしやすい場所を選んだ。
桑原は、もう少し予算が膨れても問題ないからと言って、自分のアパートに近い物件を勧めてくれたけれど、3階にあるその部屋から見える景色が気に入ったのと、何となく彼の近くには住みたくないという気がしたので、ここが気に入ったということを強めに主張した。
桑原はいい人だと思う。会社には難しい上司もあることを耳にしていた。でも些細な問題と思いながらも、少しずつ感覚のズレが積もって行くと、どうしようもなく受け容れられないことができてくるものだと思う。
私は、この件については自分を我が儘だと思い、そこに引け目を感じている。
なので、できるだけ桑原に不快に感じさせないよう努力をしていた。
週末には、日本で既に契約してあった車が桑原の元へと届く事になっていた。
それに合わせ、私たちも土曜日にはホテルからアパートへと移ることにした。
いよいよ来週から、オフィスへ通いながら支社を開く準備をしなければならない。
まだまだ準備の足りない部分がたくさんあることを思えば、私は不安だった。
何しろ支店を開く時には、会長が来られる予定だと聞いているので、がっかりさせては申し訳がないと思う。
一番下っ端社員の私ではあるけれど、それでも会長がご高齢を押してお見えになることを思えば、それに間に合うよう何とか形にしたいと思っていた。
土曜日の午前中、私たちは桑原の運転する車で、ホテルからアパートへと向かった。
桑原が「荷物を運ぼう」と言うのを「重くはないので」と断り、スーツケースと共にアパートメントの前で降ろしてもらった。
午後からは、カタログで申し込んであったレンタルの電化製品と家具類が届けられることになっている。
船便で届く荷物もあるけれど、今のところは、これで引越し完了だ。
しかし、自炊できるだけの道具や細かい物が必要だったので、スーツケースをほどきながら家具の到着を待った。
殆ど空っぽの部屋で、シンクを机代わりに買い物リストを作っていると、携帯電話が鳴った。
今のところは桑原と不動産業者以外には登録がなく、表示された知らない番号に戸惑いながらも電話を取った。
当然のことだけれど「もしもし......」というのはおかしいので、「Hello......」と言ってみる。
相手が、いきなりフランス語で話し始めたので戸惑ったけれど、かろうじて自分の名前だけが聞き取れた。
とりあえず英語で自分の名前を名乗ると、相手も英語に切り替えて話してくれた。
フランス語訛りではあるけれど、相手の発音が聞き取りやすかったのでほっとした。
それは、今から15分ほど後に家具を積んだトラックが到着するという連絡で、時間指定がなく、荷物の到着時間について、不安に思っていた私は嬉しかった。
それまで買い物リストのメモ書きを続け、家具の到着後に買い物に出かけることにしようと思った。
この国では、日曜日に殆どのお店が閉まってしまう。
美術館や博物館も同じで、日本から来た私には、それがとても不思議に思えた。
スーパーマーケットは、大きな所なら夜8時まで営業しているので、お買い物が必要なら平日にも出来ない事はないけれど、勤めに出ている人達は、土曜日にまとめて買い物をし、日曜日をゆっくり過ごす人が多いらしい。
日曜日にミサに出かけるカトリックの習慣が今でも残っている所為だと、どこかで読んだ気がする。
やがて、時間より少し遅れてレンタル業者のトラックが到着し、照明器具の取り付けをしてくれた。
ついでに洗濯機や冷蔵庫なども、すぐに使えるようセッティングしてくれた。
キッチンテーブルが、思ったよりも大きかったこと以外、ほぼ思った通りのレイアウトになった。
家具が入ると部屋が落ち着き、ようやくここで暮らし始めるという実感が湧いて来る。
けれどベッドが到着しても、ファブリックがないのでは困る。
腕時計を見ると、既に午後4時に近かった。考えてみれば、まだ昼食もとっていない。
食料品を扱うスーパーマーケットは、大きくはないけれど近所にあったので、徒歩で充分に買い物が出来る。
しかし、食料以外の物を買おうと思えば、ダウンタウンへ出かける必要があった。
私は、トラムを利用して出かけることにした。
日本を出る前にインターネットで調べ、乗車の方法や経路図のダウンロードとプリントアウトをしておいたのが役に立つ。
調べてみると、アパートからほんの2駅で街に到着することが分かった。
これならもしかすると、自転車が便利かもしれないと思う。
でも今日は、自転車まで見る時間の余裕がないだろう。
街に着いた時には、かなりお腹が空いていたので、とりあえず何か軽い物を食べようと思い、サラダとパンのお店に入った。
注文をしてプレートを待つ間、何気なく周囲を見まわしてみる。
そして今更ながら、何て多くの人種が入り混じっているんだろうと思った。
予備知識はあったけれど、日本の都会とは全く比較にならない。
私は、一人の社会人として(ここでやって行けるのかしら)と、ふと不安になる。
でも頑張らなければならない。
考えていたよりも仕事の内容は重いけれど、これから新しい人たちが入って社員が増えれば仕事や責任を分担できるだろう。
そこへサラダの入ったお皿と、パンのバスケットが「ボナペティ」という声と共に届いたので、とりあえず急いで食べてしまうことにした。
そろそろお腹がいっぱいかな、という頃になって、携帯電話が鳴りだした。
ディスプレイには桑原の名前が浮かんでいたので、もしもしと言いながら電話を受ける。
「やぁ、春野君。家具は届いたかな?」
「はい、届きました」
「そうか。僕のところにもねぇ、今届いたんだよ。
もう、お腹が空いてねぇ……」
「あぁ、そうですよね。
私もお昼を抜いたので、とてもお腹が空いていました」
「どう、夕食でも食べに行こうか?」
「あ、すみません。
私は今、パンとサラダを食べているところなのです」
「え~? 何だ、そうか。
でもサラダくらいなら、まだ食べられるだろ?
僕は、今から街へ出ようかと思ってさ」
この口調だと、食事に付き合うように誘っているのだと思う。
でも私は、とりあえずはお腹がいっぱいになりそうだったし、夕食には、せっかく電子レンジも届いたので、片付けをしてお腹が空いたら簡単なもので済ませようと思っていた。
「申し訳ないのですが、もうお腹がいっぱいになってしまって……。
夕食も、もう要らないと思っていたところなのです」
「うわぁ、それは残念だな。
家具が来た時、すぐに電話をしておけば良かった。
まぁ、しょうがないか……。」
「すみません」
「いや、いいよ。
でも、明日の夕食は一緒に食べよう。
6時頃に迎えに行くのでいいかな?」
私はとっさに断るための言い訳を思いつかなかった。
何しろまだ友人がいる訳でもないし、親戚もここにはいない。
それに今のところ、私の予定は桑原にも全てがクリアーな状況だったので、口実が見つからなかったのだ。
仕方がないと観念して、誘いに乗ることにした。
「わかりました。お願いします」
桑原は贅沢なので、きっとおいしいものをご馳走してくれるつもりだと思う。
でも、私は嫌いな人と食事が苦手なのだ。
いくら頑張っても食べ物が喉を通らなくなってしまう。
どうやら桑原との食事がだんだん苦手になりつつあることを思うと、とても憂鬱になった。