幸せな時間
事務所へ戻ると、桑原と渡辺が打ち合わせをしている最中だった。
「お、早かったねぇ」と桑原が言ったので、事情を説明した。
「そう? じゃあ、サンドイッチが役に立ったんだ」と渡辺も言い、二人の間には別れる前の嫌な空気がなくなっているのが感じ取られた。
時計を見るとまだ二時過ぎだったので、資料を整理してコンピューターに打ち込む作業の続きをしようと思った。。
しかし、その前に水に浸けて置いたカップを洗って、コーヒーでもいれようかと思い階下へ降りると、既にカップは洗ってあり、棚の中に並んでいる。
(誰が洗ってくれたのだろう)
疑問は湧いたけれど、口に出すと二人を比べるようになってしまうので、尋ねるわけにも行かないと思う。
コーヒーを三ついれて二階へ上がり、配る時に「カップを洗って頂いて、ありがとうございました」と、どちらにも視線を合わせずに言った。
すると渡辺が「いや、構わないよ」と返事をしたので、視線を合わせて頭を下げる。
ふと離婚をする前は、家でもそういうことを普通にしていた人なのかもしれないという考えが湧いた。ドイツ人女性と結婚していたのだそうだから、その方が自然だろう。
アランも一人暮らしだからという以上に料理が好きなように見える。もしかすると渡辺にも得意料理があるのかもしれない。だからと言って、そういう私的なことを訊けるような雰囲気ではないので、ただ頭の中で想像を膨らませていた。
するとふいに渡辺が言った。
「男女は平等なんだからさ、君一人がそういうことを負担する必要はないんだよ。三人とも一人暮らしで、条件は同じなんだ。コーヒーだって自分が飲みたい時に、気が付いたら他の人の分もいれるようにしたらいい」
一瞬、自分の考えを読まれたような気がしてドキッとした。まさかそんなはずはないけれど、人の気持ちを先回りして考えられる人なのだろうか?
そうだとしたら、初対面の時の嫌味な感じはどういう訳だったのだろう。
ここは慎重な態度をとっておく方がいいと思った。
「ありがとうございます。お気遣い頂いてすみません」
突き放すような感じにならないように注意をしながらそう言った。
外出をしたので、この日は就業時間がとても短く感じられた。
夕方、仕事が残っているという二人を残して、先に事務所を出た。
夜は九時を過ぎてもまだ明るいので、五時半を回ったばかりの今から家に向かえば遅くても七時までには到着できるだろう。日が長いので、いきなり初日から夜道を運転することが避けられると思うとほっとした。
信号をいくつか越えて、慎重に左折の指示器を出しながら高速道路へ入った。
ここには料金所がないので、入口でいきなり渋滞をしていることは少ない。
こうして運転をしてみると、これまで気が付かなかった日本との違いを感じた。
例えば信号機の立つ位置が違うし、高速道路上ではスピードが時速百二十㎞制限で、それ以上で走っている車も多い。あろうことか、ところどころに穴は開いているし、安全地帯や停止線などもない場所で、X字に移動しなければならないところがあって、とても危険だ。
アランを送った飛行場から家までは空港線だったせいか、比較的整備が行き届いていたのかもしれない。でも今回は、家へ帰るだけで緊張してくたくたになった。
ガレージの契約はしていないので、路上のパーキングを上手く見つけられるといいと思いながら到着すると、残念ながらアパートの周辺はみんな詰まっていた。困ったと思いながら、もう一周してみると、幸運なことにアパートの前で一台の車が動き始めるところだった。
その車が出て行ったあと、無事に駐車することができた。
パーキングの近くにはチケットを販売している機械があるので、購入しようとコインを入れてみた。すると何故か時間の表示が朝までになる。
よく読んでみると、この地域では夕方5時から朝の9時までと土日は無料だと分かった。これも幸運なことだ。
そこで車のドアロックを確認すると、部屋へ戻った。
アランとは夕食の準備を交互にする約束になっていた。そして今日は私の当番の日だ。
パスタも大好きだけれど、やはり和食が恋しくなる。ご飯を炊こうと思ったらぎりぎり二合分しかなかった。
車も手に入ったことだし、明日は日本食材のお店に寄り道をして、お米を買おうというアイデアが浮かんだ。
時計を見ると、会社を出てからまだ四十分しかかかっていなかった。これなら明日寄り道をしても、じゅうぶん夕食の時間には間に合うだろう。
ちょうどお米を研ぎ終わった時に、携帯電話へのメッセージ着信の音がした。水に濡れた手を拭いて、携帯電話を取り出してみるとアランからだった。
「ごめん。米国からの出張者があって、今日はビジネスディナーになった。遅くなるかもしれないから、先に僕のベッドで待っていてね、アラン」
何だか気が抜けてしまった。自分の分だけを作るのと、誰かに食べてもらうことを考えながら作るのでは、気分がまったく違う。それでもお米を洗ったのでご飯は明日のお弁当用にし、今夜は簡単にお蕎麦で済ませることにした。
お弁当はお互いに気が向いた時に作るということになっていた。夜は一つのベッドで眠っているので、お弁当が重複して困ってしまうというようなことはない。
アランが遅くなることは、しばしばあったけれど、仕事が忙しいのは分かっていた。米国企業で働いているので、夜中に携帯電話が鳴りだすこともある。それは時差の関係で、あちらが時折、勘違いをするのだと聞いていた。
部屋で食事の後片付けを済ませると、パソコンを開いてみた。
日本の友人からと、カナダの舞からのメールが届いていた。以前なら、毎日メールを楽しみにしてパソコンを開けていたのだけれど、近頃は、それもおろそかになっている。
日本の友人には、ここの生活の愚痴を書いても分かってもらえないことが多い。例えば、この国では仕事が遅いと言っても、日本でもそういうことはあると普通に返信が来る。遅いことのニュアンスが伝わらないのだ。
日本では、少なくともビジネス関連のことで他所の会社なり団体に連絡をすれば、何らかのレスポンスがある。ところが、これがないこともある。日本でなら、そんな信用の置けない会社とは取引きができないと思うので、切ってしまうところだ。しかし、取引先を変えても同じことが起こる。これには呆れた。
特に電話会社はひどかった。
しかし、この感覚を伝えたくても、経験をするのでなければ、本当にはストレスを理解してもらえない。
それは誰が悪いということではなく、理解できないのは仕方のないことだとわかっている。ここへ来るまでは自分にも理解できなかったことなのだから。
日本の友人からのメールには、恋愛関係の倦みのようなことが書かれていていた。そうなのだ。時間が経てば恋愛感情も褪せて来て、やがては薄れて消えてしまう。そして、そこに残るのは、乾いたり輝きを失くした情のようなものだと思う。
それを慣れ合いと呼び心地よく感じる人もあれば、魅力を感じられなくなって、新しい恋に向かう人もある。
今は幸せに過ごしているけれど、アランとの間も、そんな風に感じる日が来るのだろうか?
友人には、慰めの言葉を探しながら返信をした。
舞からのメールは先日に引き続き、ビジネス英語で引っかかるということと、アランのことを一緒に喜んでくれている内容だった。
「そう。じゃあかすみも、もう淋しくないわね。何だか行間にハートマークがいっぱい埋もれていたわよ」
その一行を読みながら、私は声を立てて笑った。そんな風に言ってもらえると、とても嬉しい。舞の言うとおり、今はアランのことをほんの少し考えるだけで、とても幸せな気持ちになることができるのだ。
出会えたことに感謝し、ずっとこの時間が続くよう祈らずにはいられない思いでいた。