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アランの実家で

 翌日は約束していた通り、アランの実家へ出かけた。車でほんの二十分ほどの距離だけれど、欧州では少し走れば街中からすぐに田舎のものへと風景が変わる。

 到着したアランの家の向かいは大きな牧場で、長く続くフェンスの中には、ゆったりと草を食む牛や羊がいた。

 毛でもこもこした羊を「可愛い」と眺めていると、アランが意地悪を言う。

「ここにいるのはね、可愛いおバカさん達なんだよ。何でも食べてしまうんだ。それにちっとも言うことを聞かない」

「そうなの? でも、このフワフワした毛がステキ」

「日本には羊はいないの?」

「たくさんはいないわ。子供の頃、動物園のふれあい広場というところで見たことがあるけれど」

「そう。都会で育ったんだね」

「えぇ、東京ではないのだけれど、近くの都市だったの」

「僕はこの通りの田舎で育ったから、ずっと街に憧れていたんだ」

「そうなの? じゃあ、米国に出張するのは好き?」

「あぁ、好きだよ。でもこれからは、君と離れることで淋しい思いをしそうだけど」

 アランは、そう言うと軽くキスをした。

 街で見かける恋人たちがそうするように、片時も体を離さないで、いつもどこかに触れていた。

「さぁ、みんなが待ってるよ」

 そう促されてアランの実家の門をくぐると、玄関から数人の子供たちが犬と一緒に飛び出して来た。

 その内の4-5歳に見える女の子が立ち止まり、私を見て「韓国人」と言ったかと思うと、次いでアランが「日本人だよ」と訂正しているように聞こえた。

 まだ、フランス語はよく分からない。でも、この二カ月余りで、いくつかの単語は聞き取れるようになっていた。例えば、今の日本人というジャポネーズだ。

 アランは、私の方をちらと振り返り笑ってみせると、手をつないで玄関の奥へと進んで行った。

 韓国人の彼女も、ここへ来たのだろう。二か月しか付き合わずに別れたと言っていたけれど、もしも私たちが同じように短い付き合いで別れたら、次のアランのアジア人の恋人に会った時、さっきの子は「日本人なの?」と声をかけるのだろうか。

 頭の中にいろいろな場面が浮かんで来たけれど、今からご家族に紹介されるという時に考えるべきことではないような気がした。こんなことを想像していると、普通に笑顔を浮かべても歪んでしまいそうな気がする。

 さっきの女の子の言葉を頭から振り払うようにして、リビングルームへとついて行った。

 大きめのリビングにはベビーベッドが二つ置かれていた。ひとつのベッドは空だったけれど、ベッドの主らしい6ヶ月くらいの赤ちゃんは、お母さんらしい人の腕の中で哺乳瓶からミルクをもらっていたし、もう一つのベッドの中には、まだ産まれて2ヶ月くらいではないかと思える小さな子が眠っていた。

 その近くでは小学生らしい子供たちがUNOをして遊んでいたので、この賑やかな環境で熟睡している赤ちゃんは逞しいと思った。

「さぁ、まず母からだ」そう言って手を引くアランに従ってキッチンに入ると、アランの母親が、ラビオリをソースにからめてお皿に移しているところだった。

 アランの母は、フライパンをコンロに戻して、手をエプロンで拭きながら、にこにこしていた。

「母さん、電話で話したかすみだよ」

「ボンジュール、かすみ。はじめまして」

「ボンジュール、はじめまして」

 片言で答えると、アランの母に顔を両手で挟まれて、キスをされた。

 お土産に持って来た大きめの梅酒の瓶を差し出すと、「メルシー」と言って、もう一度頬にキスをされた。

 挨拶であり礼儀なのだから、こんな風に普通にキスをするのに慣れなければいけないのだと改めて思うけれど、キスを受け止める方は出来ても、しなければいけない時には、まだ忘れてしまうだろうと思う。自分からするのは、かなり勇気が必要だった。

 ここから先は、家族どうしのフランス語とイタリア語の入り混じった会話となり、さっぱり理解できなかった。

 アランが紹介してくれたおかげで、彼のお兄さん夫婦とお姉さん夫婦は分かったけれど、それぞれに子供が三人いて、アランの妹と弟、従弟と一緒に来ている友人とその子供たちも入れると、もう誰が誰だか分からなくなった。

「ここはうるさいから、とにかく庭へ出よう」と言うアランに、また手を引かれて外へ出ると、日本の児童公園なら二つくらいは造れるのではないかと思えるくらいの広い庭が広がっていた。

 そこには、六人掛けのガーデンテーブルが四つ並べられていて、バーベキュー用の炭の入った大きなコンロで肉を焼いている人がいた。

「父さんだよ」とアランに紹介され、フランス語で一生懸命「ボンジュール、はじめまして」を繰り返していると、あっさり英語で「よく来たね」と言われて拍子抜けした。

「あぁ、そうだ。言い忘れていたけど、父と従弟のジャックは英語ができるんだ」

「そうなの?」

 そうアランに尋ねると、代わりに父親が返事をした。フレンドリーな人だと思う。

「それに彼の姉さんも少し話せるけど、今日は赤ん坊の相手でいそがしくちゃ、会話にならないな」

「私、何かお手伝いできますか?」

「ありがとう、かすみ。でもいいんだよ。手は足りている。アランが妬くといけないから、一緒に少し歩いているといいよ」

「でも……」

「ほら、行くよ。ちょうどアジサイが咲いていてきれいだし、名前は知らないけど黄色くて竹みたいな花があるんだ」

 アランと一緒に見に行ってみると、山吹がたくさんの花をつけていた。アジサイも見事に大きな花を咲かせていて、日本の一般家庭の庭では、こんなに大きなものを見たことがないと思った。

「大きなお庭ね」

「そうでもないよ。その分、家が小さい」

「そうかしら?」

「一応、ベッドルームは五つあるんだけどね、兄弟が五人いて、子供の頃だと大きくなるまで兄や弟と二人一緒にいたから、小さいベッドの部屋もあるんだ。今だと兄と姉に子供が三人ずついるので、どちらかの家族が泊まりに来ただけでもう満室だよ」

「なるほど。そういうわけなのね」

「もしかしたら僕たちだって、すぐに三人くらい子供を作ってしまうかもしれないし」

「………」

「恥ずかしいの? 可愛いなぁ、かすみは」

 ご両親の前だというのに、アランは人目をはばからずに私に触れ、キスをした。それだけで、もう身が縮んでしまいそうな気がしていた。でも従弟の友人というカップルを横目で見れば似たようなもので、やはり、これが普通なのだろうと思えた。

 やがて、アランの母が「ア・ターブル!(テーブルについて!)」と呼んだので、みんながぞろぞろと集まり、賑やかに食事が始まった。

 おままごと用かと思っていたテーブルにもちゃんとセットがされていて、一人で食べられる子供たちは、ちゃんとナイフ・フォークを使って食事をし始めた。

 料理はどれもみんなおいしかった。ただ、フランス語もイタリア語もほとんど何も話せないのでアランが訳してくれるのに頷いたり、質問に返事をしたりすることもあったけれど、基本的には家族の会話だったので、ひたすら聞いているしかない。

 理解ができないということは、人の作りだす意味を為さない騒音の洪水の中に身を置くだけでいるしかないということだと思った。

 イタリア語の特徴のある伸ばす音や、フランス語の歌を奏でているような音が絡み合って、そこへ子供の高い声が入ると、屋外でもとても賑やかだった。

 こんなにたくさん人がいるのに、何故だかふと淋しさを感じた。当然のことだけど、ここにいる誰一人として自分と血のつながりや過去の関係や、思い出があるわけではない。隣に座るアランを蝶番のようにして、みんなと細い線でつながっているだけなのだ。

 もしもアランとの関係がずっと続いたら、いつかは自分もこの一員になるのだろうか?

 誰もそうとは言わないけれど、たった一人の東洋人としてこの場にいることは、何だか解りやすい間違い探しのようにしか思えない。この環境の中で上手く生きて行く自分を想像することはできなかった。


 食後に片付けをする時には、食器を集めてキッチンに持って行った。後片付けなら誰にも相談しなくても、大体の手順は見れば理解ができる。お肉には普通のお皿が使われていたけれど、サラダやパスタには紙皿が使われたので、これらを周囲の女性に見習ってゴミ用の袋に入れる。

 次にデザートがあるらしく、アランの姉が笑顔で「ありがとう」と言うのと一緒に、席へ戻るようにと教えてくれた。

 そうだ。ここには笑顔があった。これまでに出会ったり接触をしたこの国の人は、ほとんどが商業関係で働く人たちなのに、誰もがちっとも笑わない。いつもすました顔をしていて、時には睨まれているようにさえ感じられるのだ。それを思い出すと、少し居心地が変わる気がした。

 笑顔を向けられるのは、それだけで素敵なことだ。でもこれで、片言でも会話ができると、もっといいと思う。そうして来週から始まるフランス語クラスのことを思った。

 席に戻ると、アランが「働かなくていいんだよ」と手を握りながら言った。でも女同士の中では、一緒に働く方が受け入れられやすいということがあると思う。もちろん、ここへは初めてやって来たのだし、アランとの関係も恋人になったばかりで手伝わなくても問題はないと思う。けれども第一印象を悪くしたくはないと思っていた。

 デザートにはティラミスとクッキー、エスプレッソが出された。何もかもが手作りで、私の育って来た環境とは全く違う。アランが、手早く上手に料理ができるのには、こうした環境で育って来たという理由があったのだと思った。

 デザートに使ったプレートを片づけようとしていると、アランが少し不機嫌そうに、それを止めた。ちょうどその時、横にいたアランの妹が私にウィンクをし、仕草で手伝わなくていいと示した。

「アラン、どうしたの?」

「そろそろ、帰ろう」

「えぇ、それはいいけれど、私、何かいけないことをしたかしら?」

「いいや、そうじゃないんだよ。疲れて来たんだ。この騒音に」

 なるほど相変わらず子供たちは賑やかだったし、この人数だから話し声は一瞬も止まない。

 アランは車からテディベアの包みを取って来ると妹に渡し、さよならのキスを始めた。

 戸惑ったけれど、アランに続いて後ろに続いていた私にも、みんながキスをしてくれるので、何となく要領を得た。

 キスと言っても、年配の人は本当に頬に唇で触れるけれど、若い人のほとんどは、チュッという音だけを立てて済ませる。来た時には握手だけの人もあったのに、帰る時には一番小さくて眠っている赤ちゃんを除き、子供も含めた全員にキスをしてから車に乗り込んだ。

 何となく分かったのは、アランが騒音の中にいるのが苦手だということは周知の事実で、一番に帰ることも予測されていたということだ。

 アランの両親と何人かの人たちは、車が出るのを見送ってくれたので、窓越しに手を振った。

「どうだった?」

「とても素敵なご家族ね」

「みんな親切なんだ。でも、うるさい」

「笑顔が嬉しかったわ」

「そう? それなら良かった」

「それにたくさん、ごちそうになっちゃって、今夜は何も食べられそうにないわ」

「そうだね。まぁお腹が空いたら、サラダとパンが残っていたから、あれで充分だ」

「ありがとう、アラン」

「何が?」

「約束通り、ご家族のところへ連れて行ってくれて」

「いいや、いいんだよ。また、これでひと月は行かなくて済む」

「苦痛なの?」

「騒音がね……。疲れたよ」

「そうなのね」

「離れると寂しいような気もするんだけど、出掛けるとすぐに帰りたくなってしまう。僕にはかすみがいれば、それでいいよ」

「……ありがとう」


 嬉しかった。アランを信じて良かったと思った。

 先のことを考えると不安でいっぱいだけれど、今はこうして一緒にいたい。

 それに時間はまだある。悲観的に考えるのは止めよう。このまま、ずっと先まで一緒にいられるかもしれないのだから。

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