歪み - ひずみ
月曜日。
すっかり調子を取り戻した桑原と一緒に、経理を担当してもらう会計事務所と、会社設立手続きを頼んでいる弁護士事務所へ出かけた。
会計事務所では、この国の経理事務に必要なフォームの入ったソフトを渡された後、担当者を紹介された。
数字をそこに入れて送信すれば、毎月の会計を集計し、税金の申告ができる仕組みになっている。
詳しい説明を受けた後で時計を見ると、アポイントの時間にぎりぎりだったので、あいさつもそこそこにし、急いで弁護士事務所へ向かった。
弁護士の言うには、来週には許可が下りるので、新会社設立の準備を進めても大丈夫とのこと。
これからは新入社員を募集したり、広告宣伝をすることも自由になる。しかし、電話がなければ本当に不便だ。
「関係ないお話なのですが……」と前置きをしてから、電話会社の工事の状況を弁護士に話した。
すると「それはいけない」と言いながら、その場で何本かの電話をしてくれた。
初めに、どこに問題あるのかを調べている様子だった。
なるほど弁護士とは、こういう手順で証拠を集めてから対処するものなのかと思った。
この先も自分で解決できるとは思わないけれど、それでも参考にはなる。
「あちらが間違っているので、然るべき担当者に話をつけてみましょう」と言ってくれた後、電話会社へ掛けてくれた。
結果的には二日間しか繰り上がらなかったけれど、水曜日の朝には、工事に来ることが決まった。
これでインターネットも使えるようになるし、これまで郵送や桑原が自宅に持ち帰ってFAXで送っていた資料も事務所で処理ができるようになる。
そう考えると、やっと一歩、先に進んだ気がした。
弁護士事務所の方から、新しく雇用契約をする際の条件を話し合い、契約書を作ることが提案された。
ところが桑原の言うには、社内的にアフリカ支社の契約を参考にするということに決まっているらしく、来週、渡辺が出張して来るのを待つ必要があるのだそうだ。
それなら、これ以上長居をしても相談料がかさむだけだと思い、さっさと事務所に戻ることにした。
事務所の戻ってから、日報のようなものを作った。
桑原にはそんなものを作るようには言われていなかったけれど、メモ書きでもいいから残して置かなければ、仕事の内容が特殊なので、何ができていて次には何が必要なのか分からない。
桑原は人当たりがよく容姿も悪くないので、得意先にとっては感じのいい人なのだろうと思う。営業には、そういうことが必要条件だということは理解できるので、そういう意味では優秀なのかもしれない。
でも事務処理能力の方は、あまり高くはないように見える。
一緒に仕事をしていると、時には二度手間になったり、優先順位や仕事の内容を理解していないのではないかと感じることがしばしばだった。
水曜日には無事に電話が開通し、インターネットにもつながるようになった。けれどもネットワームの設定など分からないことも多いので、専門の技術者に来てもらえるように頼むと、二週間後まで予約でいっぱいだと言われた。
桑原が「弁護士に電話をしてくれるかな」と言うので、言われるままにした。
二週間も待たされることを弁護士に言えば、また何とかなると思ったのだろう。
確かに、ネットワークがないのは不便ではあるけれど、まだ二人だけのオフィスだし、電話がないということほど困るわけではない。
インターネットが通じたことで、他にもしなければならない処理がたくさんあって、それらを片づけている間に、二週間くらいはすぐに過ぎて行くと思う。
しかし桑原にとって、海外にいて言葉もシステムもよく分からない中で、やっと見つけた一つの特殊な解決方法がこれなので、魔法を使うような気持ちになっているのではないかという気もする。
でもあまり子供っぽいことをすると、弁護士に対してもみっともないと思う。
それでも上司だし、こういう状況でNOと言うのはとても難しかった。
電話を切って二十分後、電話会社から連絡があり、技術者は次の月曜日に来ることができるがどうだろうか、と都合を聞いて来た。
桑原は口の端を歪めながら笑い、「ふむ、やっぱり、こっちの方が早いんだなぁ」と言った。
こうなると、また気持ちが悪い気がするのだ。
日本でもこういうことは、時々起こる。元々の責任は、きちんと日程を組めない電話会社にあるので悪いことをしているわけではないのだろう。
けれども順番待ちを抜かしたような気がして、重くはなくても不正を働いているような罪悪感を感じる。
おそらく、この件に関しても弁護士は料金を請求して来るだろう。
つまりお金で解決をしているということなのだ。
まさか外国人差別や人種差別という訳でもないのだろうと思う。なのに、どうして何もかもが普通に動かないのだろうか。
自分できちんと抗議をするべき相手や方法を見つけられないことに対する無力さと、好みとは違う方法で物事の解決を図ったことにストレスを感じる。
それでも全ての構造が違う社会に入り込んで、必要なサービスを受けられなければ、思うように生きていけないのも事実だとわかっていた。
こんな感覚を理解してもらえるのは、やはり日本から外国に出て、仕事をしている人間に限定されるだろう。
けれども桑原と話をしても、立場の違いや感覚の違いが大きすぎて、とうてい理解し合えるとは思えない。
共感できる相手が欲しかった。
明日にはアランが帰って来る。
1週間離れている間に、心の距離が開いたかと言えば、そんなことは全く感じられない。
むしろ、会えなかった間にも話したいことが募っていて、アランのことを考える時間がもっと多くなっていたような気がする。
それでもアランばかりを頼りにするわけにも行かないので、インターネット上にある海外組のグループサイトを覗いてみた。
掲示板があって、自分でもトピックを立てられるようになっているし、メーリングリストもあったので、登録をしてみた。
そこには、すでにたくさんの書き込みがあり、ざっと目を通してみると、難しい条件で暮している人もたくさんあった。
例のドイツに住む男性の書き込みもいくつか見つかって、欧州人の「個人主義」について書かれていた。
内容が理解できないという訳ではないけれど、書き込みの内容は、かなり長くこちらで暮して経験を積まなければ、実感するのが難しいという気がした。
その人のHNはシュバルツ。調べてみるとドイツ語で黒という意味だと解った。
雨や曇りの多い国で過ごしているので、私はニュアージュ(フランス語で雲)というHNを名乗ることにした。
「はじめまして」というタイトルで掲示板にレスをしてみる。
近い国に引っ越して来たと表現をし、はっきりとどこに暮らしているかは書かなかった。
この掲示板を特に危険だと思ったわけではないけれど、ネット上で個人情報は出来るだけ書かない方がいいと聞いていたからだ。
それから舞にもメールを書いた。
今日の出来事について、舞ならどう思うだろうか。
その時は、誰かにたった一言「わかるよ」と言って欲しい自分がいた。