一人の週末
翌日から桑原は、無事に出勤できるようになった。
さっそく渡辺から桑原の携帯電話宛てに連絡があって、支社として機能させるために急ぐべき手続きについて話をしていたけれど、その時、車を購入することに同意を得た。
何もかもが思うように進まないこの国では、優先順位を自分たちで決められないので、できることから進めて行かなければならないと分かって来た。
話を聞いている内に、立場は桑原の方が上だけれど、それは同族会社に近い状態の人間関係によって得られた地位で、実力的には渡辺の方が上なのだとわかって来た。
もしかすると渡辺の不機嫌はその辺りにあって、私に矛先が向くのは八つ当たりなのかもしれないと思う。
それにしても理不尽なことなので、渡辺の態度を受け入れることはできない。
木曜日には車を選びに出かけ、1600㏄の車を購入した。会社のロゴを入れるけれど色は何でもいいと言われたので、ネイビーブルーを選んだところ、またもや「女の子らしい色にはしないの?」と桑原に言われた。
納車には10日間かかるそうで、まだ少し待たなければならなかったけれど、車が手に入るということで行動範囲が広がり、ここでの暮らしにも幅が出来る。
夕方、帰宅すると大家から連絡があり、壊れたレンガ塀を見に来てくれた。でも材料をそろえる必要があり、日曜日に出直すと言われた。
自分で修理されるようで少し驚いたけれど、今週は何も予定がないので、「お待ちしています」と答えておいた。
アランからは、短いけれど、お礼と仕事の忙しい状況を知らせるメールが届けられた。
その辺りのメンタリティーに関する説明が難しかったので、渡辺からの電話の一件については伏せて返信をすることにした。
車が手に入りそうだと書くと、アランも喜んでくれた。
アランの車のガソリンについては、使う用事があるならディーゼルを入れれば良いし、使わないのなら、そのままでもいいということだった。
こちらでは、ディーゼルカーが標準だと知って驚いた。
こんなところにも、無駄遣いをしない頑固な欧州人の考え方が表れていると思う。
塀の修理の件を伝えると「早くてビックリだ」と返事があった。
金曜日には会社の電話工事に来ると連絡があって喜んだけれど、結局、誰も来なかったので待ちぼうけとなってしまった。
夕方まで待って抗議の電話をしたけれど、「技術者が足りなくてすみません」という以外の答えは聞かれなかった。
次の工事の予約は一週間後。
日本では考えられないことだという台詞を、何度繰り返し言ってみたところで何も変わらない。
理屈では分かっていても、やはり、その言葉が口を衝いて出て来た。
帰宅する前、桑原が忘れていたと言って、渡辺が出張して来た時に申し込んであったという日本人会の会報を渡してくれた。
新会員のところには、他の日本人と並んで、桑原と私の名前が所属している会社名と一緒に並んでいる。少し驚いたけれど、こうして他の日本人とつながることで何となく心丈夫になる気がした。
土曜日には、さっそく会報を頼りに、日本食の材料を売っているスーパーマーケットへ出かけた。
お店の壁には、日本人のための語学学習のクラスや個人レッスンの案内、子供のための塾の宣伝、旅行会社の広告などが所狭しと貼られていた。
魅力的なものもあったけれど、平日の昼間は仕事があるし、夜も残業がなかったとしても帰宅時間にはぎりぎりとなりそうだったので、難しいと思った。
そこで日本の文化センターに回って調べてみると、いくつか候補が見つかった。
秋から始まる毎週土曜日のフランス語クラスの申し込みもしたかったけれど、その前に夏の講習会へ申し込むことにした。こちらも土曜日のレッスンと、お盆休みのうちの三日間が日程に入っている。
今更ながらお盆が関係ないということで、習慣の違いに驚いた。
旅行の企画もあったけれど、まだよく知らない人たちと出掛けても楽しめるかどうか、自信がない。それよりは、もっとこの国のことを学びたいと思っていた。
夜、久しぶりにインターネットを楽しんでいると、海外在住者のグループを見つけた。
既婚者も多いけれど、独身のメンバーもたくさんいたので、参加申請をしてみた。
ただ残念なことに、米国やアジアからの参加者がほとんどで、同じ国からの参加者がなかったけれど、ドイツからの日本人男性がいて頼もしかった。
日曜日の朝、起きてみると、舞からメールが来ていた。
無事にカナダへ戻って、仕事の準備をしているらしい。
日本と取引のある機械部品のメーカー勤務になるので、専門用語を調べて学習中とあった。
「私も、同じことをよくしていたわ」と返事を書く。
海外に出ている自分の状況を、今一番よく理解してくれるのは舞なのだと気がついた。
日本の友人からのメールの返信は、大抵の場合「いいなぁ、羨ましい」か、「大変ね」という感想が書かれている。
何も冷たくされているのではなくて、経験がなくて想像がつかないのだろうということはわかる。
それでも気持ちを理解してもらえないことは淋しかった。
おそらく1年後には、日本へ戻ることになる。そうしたら、きっとここの生活を忘れて、普通に日本人としての暮らしを続けることになるのだろう。
そう考えると、アランとのことがちょっと不安に思える。
隣人という以上にはなれないのかもしれないし、たとえお付き合いをしても1年間だけで、その後は遠距離恋愛ということになるのかもしれない。国内でも大変なのに、欧州と日本という距離で続けるのは非現実的な気がした。
やはり最初から、恋愛はあきらめておいた方が無難だろうと思う。
アランの部屋を訪ね、水やりをしようと植木鉢を点検して回った。
ベランダのプランターが乾いていたのでコップの水では足りず、じょうろを探したけれど見当たらない。
住人の留守に勝手にあちこち開けるのはためらわれたけれど、水を汲むので洗面台のところまでは許容範囲だろうと思って、台の下の扉を開けた。
思った通りにじょうろがあったので、それを取り出すのに屈んだところ、奥に置いてある箱が見えた。
ハングル文字の書かれた入浴剤らしい箱。
急いでその箱から目をそらすと、水を注いでベランダへ移動した。
たったそれだけのことに、心が乱れていた。
アランはただの隣人で、それ以上ではない。そう自分に言い聞かせながら水やりをさっさと終えて自室に戻った。
塀の修理は、二時間ほどで終わった。
大家さんの英語は片言だったけれど、何となく会話ができて良かったと思う。
親切そうに見えるけれど、壊れた塀の件については一言も謝罪がない。だからと言って、こちらに材料費を請求するとかそういう話でもないし、責任とか補償とか、そんな会話の関係ない世界を不思議だと思った。
日本だったら、「どうして壊れたか」が問題になると思う。何しろ、危険なのだから。
ところがアランも含めて、誰も何も言わない。
もしかすると私が言い出すべきことなのだろうか?
でも、私には怪我をするなどの直接の被害はなかったし、アランにしても同じだ。
事を荒立てたくないと思う。
海外で勝手がわからないのだし、終わったことを今更言っても仕方がないだろう。
アランが帰って来たら、この件について質問をしてみようと思う。
こうして、事あるごとにアランが思い出される。
本当に早く、アラン以外の地元の友人や知り合いを作らなければならない。
それには、どうすればいいのだろうか。
日本人会に入ったところで、日本人としか交流できない。海外にいても日本の会社に勤めている限り、現地の人と個人的に知り合うことが、意外と難しいことに気がついた。