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人物像

 桑原のアパートメントまでは、アランが心配するほどの距離はないと思っていたけれど、何度も止まっては地図を見ながら走ったので、1時間近くかかってしまった。

 アパートの前で自転車を降りて、とりあえずもう一度電話をかけてみようと、肩に斜め掛けしたバッグから携帯電話を取り出した時、「春野君!」と声が掛けられた。

 顔を上げてみると、スーパーマーケットの袋を提げた桑原がそこに立っていた。

「どうしたの? こんなところで」

 それは、こちらのセリフだと思った。

 ベッドで高熱を出して唸っているはずの桑原と、こんなところで出会うとは想像していなかったので驚いた。

「渡辺さんから、かなりお加減が悪いと伺ったので、様子を見に来たのです」

「あぁ、あいつか……。あはは、それは悪かったね」

「………」

「いやね、あいつが仕事の手続きについて、あれこれ突っついて来るんだ。あんまり早くしろって、うるさく言うものだからさ、こっちは風邪で高熱が出ていて動けないって言ったんだよ」

「病院へお連れするように言われました」

「いや、そんなの要らないよ。今朝はかなり気分が良かったから、果物と野菜を買いに出かけたんだ。あ、卵もね、リゾットに入れようかと思ってさ」

「そうですか。気がつかなくて申し訳ありませんでした」

「いや、そんなことないって。渡辺君にもさ、春野君には良くしてもらってるって言ったんだよ」

「………」

「何? なにか納得が行かない?」

「そんなことは、ありません」

「そう? それならいいんだけど……」

 この様子だと、桑原が嘘を吐いているのか、渡辺が話を捻じ曲げて理解するのかのどちらかなのだということは解ったけれど、どちらも困る。

 ここではっきりさせたい気もするけれど、言葉を選ぶべきだと思った。

 感情が昂っていると、どうしても表現が直截的になって良くない。

 私が黙っているので怒っていると感じたらしく、桑原は焦っていた。

「あ、良かったら、僕の部屋に来る? いや、それは良くないかな……。そうだ、すぐ近くのカフェに行こうか? もうすぐランチだし、何かご馳走するよ。ほら、リゾットのお礼にさ」

 本当はNOと言って帰りたいけれど、この際、公私の分け方ついて、ちゃんと話しておきたいと思う。それに時間を掛けてここへ来たのだから、食事くらいご馳走してもらったところで罰は当たらないだろうと思った。

「わかりました。では、ご馳走になります」

「じゃあさ、これ、急いで上まで持って上がって来るわ」

 桑原は買い物袋を持ち上げて見せてから、建物の中へ入って行った。


 桑原の言った通り、カフェはすぐ近くにあった。

 どうやら常連になっているようで、テラスの席に座ると、お店の人が「ボンジュール、ムシュー・エ・マドモワゼル」と声を掛けながら、すぐにメニューを持って来てくれた。

 英語のメニューを見ながら、自然に「何になさいますか?」と桑原に尋ねる癖が付いているを発見した。

 桑原の方も「いつもわかんなかったんだけどさぁ……」と言いながら、あれこれ質問して来るので、決めるまでに、かなり時間がかかった。


 どうして辞書を持って来て、自分で調べようとは思わないのだろう? 

 いい歳をして恥ずかしいとでも思うのだろうか? 

 でも、ずっとわからないことの方が、もっと恥ずかしいことだと思うのに。


 桑原は肉料理を食べたがっていたけれど、「消化に悪いと思います」と反対をした。

 結局、桑原はスープとトマトクラベット(くり抜いたトマトの中にエビの詰まったもの)を選び、私はスモークサーモンを載せたサラダにした。

 この日は、すっきり晴れてはいなかったけれど、曇り空の中にも薄日が差していて、外で食べるのには暑くもなく寒くもなく、気持ちのいいお天気だった。

 一緒にいるのが桑原ではなくアランだったらもっと良かったのに、と思う。


「で、昨日の人、出張に出かけたの?」

 私は先制攻撃を受けたかのように、ドキッとした。

 誤魔化そうかとも思ったけれど、話すのなら堂々としていた方がいいと思った。

「えぇ。今朝シャトルが事故に巻き込まれて到着せず困っていらっしゃったので、空港にお伴をして車を運転して帰って来ました」

「そうか。そんなことがあるんだねぇ。それは困っただろうな」

「朝、急に電話があったので驚きましたけど、昨日、支社長のところへ伺うのに助けていただいたので、すぐにお返しができてよかったと思います」

「あぁ、そうだね。出来るだけ借りは早く返した方がいいだろう。僕も彼にさ、今度お菓子かなんか買っておくよ」

「……えぇ」

「いや、お酒の方がいいかな?」

「さぁどうでしょう? でも男性ですし、それも喜ばれるかもしれませんね」

「飲まないと困るかな?」

「困らないんじゃないですか? お友達がよく来られているみたいですし」

「そうか。こっちの人はそういうことをよくするみたいだね。うちのアパートもさ、週末になると騒いでる奴が結構いるよ」

「そうですか」

「うん。まぁ、そんなにうるさいわけじゃないけどね」

「それなら良かったですね」

「うん。文句を言おうにも言えないからね」

 そこで桑原は、自嘲しているつもりなのか、わっはっはと笑った。


「ところで、ちょっと伺いたいのですが、今朝、お電話を頂いたんですか?」

「あぁ、掛けたよ。熱が下がったから、そう言おうかと思ってさ」

「出られなくてすみません」

「いや、事情が分かったからいいよ」

「ご心配いただいてたんですか?」

「そういう訳じゃないんだけどね、てっきり家にいると思った時間帯に留守だったもんで、何かあったのかと思ってさ」

「これからは携帯電話に連絡を頂けますか? 自宅の電話は、すぐ手元になくて出られないこともありますので」

「そうかい? もしも外出中なら邪魔をして、プライバシーの侵害にならないかと思ってさ」

「いいえ。携帯電話ならプライベートで出られない時は、切っておけますから構わないのです」

「あ、そうか。そうだよね。じゃあ、これからはそうするよ」

「はい。ありがとうございます。今日、渡辺さんからも電話があって驚きました」

「あぁそうだったね。余計なことしないように言っておくよ」

「いいえ。きっとわかっていらっしゃると思います。緊急だから掛けたと仰っていましたから」

「緊急? なにが?」

「支社長の具合が、かなり悪いからと仰って」

「そんな風に言ったのか。あいつ、本当におせっかいだなぁ」

「ちゃんと面倒をみるようにと、言われました」

「そうか。それは迷惑を掛けたね」

「きっと、ご心配だったのでしょうから、今回は仕方がなかったと思います。でも、やはり渡辺さんにも携帯電話の方に掛けてもらう方がありがたいです」

「あぁ、そうかそうか。それは言ってもいいよね?」

「はい。お願いします」

「そうか。それで自転車に乗って、わざわざ駆けつけてくれたんだね。どうもありがとう」

「いいえ。結局、お役には立ちませんでしたが……」

「そうそう、ちょうど昨夜から考えていたんだけどね、何れにしろ営業車が二台必要なんだよ。だから早目に購入してさ、一台を君が通勤に利用すればいいよ」

「え?」

「うん。そうしたらさ、お天気の悪い時も通勤が楽になるし、こんな風に僕が病気をしても代わりに得意先に行ってもらうこともできるだろ?」

「でも、営業社員の募集もまだできていないのに、先に経費を使ってしまうと、贅沢だと思われないでしょうか?」

「いいや。考えてもごらんよ。この国で何かしようと思うと、先回りして動かなければ必要な時に間に合わないんだ。それは渡辺君もアフリカで経験済みだから、サポートしてくれるよ。いや、むしろもっと早く動けとうるさいくらいだからね。問題はないよ」

「そうですか? そういうことなら私も助かりますが……」


 渡辺は、何か個人的に私に恨みでもあるのだろうか? 

 どうも桑原の話を聞いていると、渡辺が全てを捻じ曲げて解釈し、物事を混乱させているという気がする。

 本当は、どんなことでも一方の話だけを聞いて理解すると、判断を誤るものだと思うけれど、渡辺とまともに話ができるとも思えなかった。


「渡辺君ね……、個人的なことだし、本人が話すのを喜ばないので黙っていようと思ったんだけどさ、ちょっと荒んでいる感じがするのは、この春に離婚をしたせいなんだと思う」

「離婚されたのですか?」

「あぁ、奥さんがドイツの人でね、子供もいたんだけど、仕事をしすぎて家庭人としては失格だとかいう理由でさ、親権も取られてほとんど一方的に離婚されてしまったらしい」

「……そうだったんですか」

「だからね、本当は彼もこっちに来る予定だったんだけど、欧州は嫌だってさ。そういう訳で、あいつもかわいそうなんだよ」

「………」

「まぁ当分は、面倒な奴になるかもしれないけど、ちょっと大目に見てやってね。根は悪くないんだからさ」


 本当にそうなのだろうか?

 根は悪くないけど、荒んでいるだけ?

 ひたすらいい人なのは桑原の方で、渡辺は、桑原の考えているような人物像の人間とは、少し違うような気がした。

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