異邦人生活のはじまり
五月最後の快晴の朝、私たちは欧州に向かう機上の人となり、アムステルダム経由のフライトでその小国へ辿りついた。
ガイドブックによれば、日本との時差は七時間。
空港を出てみると、日本とは違う乾いた爽やかな風が吹いていて、長く外にいると肌寒くさえ感じられた。
この時期、欧州では太陽の眠る時間が遅くなる。十九時では日本の昼間とも変わらないような明るさで、二十二時を過ぎてようやく空が暗くなって行く。
ゆっくりした速度で沈んで行く太陽を見ていると、もう少し北へ行けば白夜があるということが、感覚として理解出来る気がして来た。
到着した夕方は、時差のおかげで日本と日付は変わらなかった。計算をしてみると、既に二十四時間近く旅をしていることが分かる。
道理で疲れている筈だ。
それでもインターネットなどで現地に住む人の話を読んでいると、ここで眠ってしまったら時差を克服するのが難しくなるので、昼寝をせず眠る時間まで起きていた方がいいと書かれていた。
桑原にもそのことを話してみると、意外にも「そうか」とあっさり受け入れられた。
のみならず、桑原の年代ではパソコンを使うのがあまり得意ではないということや、英語が上手ではないから、いろいろと世話を掛けるというようなことを言われて驚いた。
この年代の人はもっと威張ってみるとか、上からものを言うような人が多いのに、こんなふうに話しかけてくれることが意外だった。
やはり営業をしていた人は、多くの人と付き合うので角が丸いのかもしれないと思う。
この件から桑原という人は、シンプルで付き合いやすい人だという印象を濃くした。
初日は、ホテルにチェックインしてから、食事をしただけで夜になってしまった。
かなり疲れてはいたけれど、桑原がお祝いだと言って食事の時にシャンペンをご馳走してくれたので、心地よい酔いを感じながらぐっすり眠ることが出来た。
翌日は月曜日で、朝から関連会社を通じて、予め紹介してもらってあった不動産業者へと出かけた。
最初にオフィスの場所を決めなければならない。
この日は、まず地図に取引先が持つ二か所の工場の中間となるエリアに丸く線を描いて、それとにらめっこをしながら物件を探した。
業者にいくつかの物件を提示されたけれど、製品をストックして置く倉庫としても利用したい事や、それを運搬するのに便利な場所という条件に合う所は多くない。
こうして絞って行くと、残った候補は三か所となった。
午後からは、実際に物件を見せてもらい違いを見て歩いたけれど、広さを求めれば、どうしても街からは離れる。
慣れないフランス語アクセントの英語通訳をしながら私が気付いたのは、トイレが新しいとか厨房のあるなしくらいのことで、オフィスとしての機能についてはよく理解が出来なかった。
夕方ホテルに帰ってラウンジで打ち合わせをしている時、桑原に、どの物件がいいと思うかと尋ねられた。
しかし、いきなりそう尋ねられても私は返答に困る。なにしろこれまではただ一度、自分のアパートを探す時に不動産業者を訪ねたという経験しかないのだ。
それに私は、日本で働いていた時と同じように通訳代わりの心づもりでいたので、こんな重要な決定にも関わることになるとは想像していなかったということもある。
そこで正直に分からないと返事をすると、それでは、どれが好きかと訊き直された。
私としては、もう少し街中のオフィスを想像していたので、買い物に不便な点を挙げ、厨房のある方がランチにも便利でいいのではないかと役に立ちそうにもない意見を述べた。
ところが桑原は、なるほどと言いながら、そこだけが厨房設備の整っていた物件に決めると言う。
その後、私が困った顔をしているのに気が付いたのだろう。
「いや、本当はどれでもいいんだよ。賃貸料も殆ど変わりがないし、納品に出かけるのにも同じくらいの距離の物件ばかりだから」
そういうことだったのかと私は納得した。
私は責任がどうということを意識していた訳ではないのだけれど、未知の環境の中で自分が手探りのまま、何かを決定してしまうのが怖かった。
しかし、オフィスが決まらなければ何も出来ないのも本当のことだ。
まずオフィスが決定してから、そこへ通うのに便利なように私たち銘々の住居も決めなければならないし、新会社設立の届け出やワーキングビザの取得、営業アシスタントの募集などもして行かなければならない。
翌日は、まず携帯電話を二台購入することになった。
プリペイド式なので、住所がなくても簡単に購入できる。
出来るだけ憶えやすい番号をと頼み、機械は桑原が最新式のものを選んだ。
私の機械については、好みがあるかどうかを尋ねられたけれど「特にありません」と答えると、
「それでは同機種にしたら良いと思うが、自分のものと区別を付ける為に黒以外を選ぶようにね」と言われた。
私が迷わずネイビーブルーのものを選ぶと、「地味なんだなぁ、女の子らしい色にしないの?」と桑原が言う。
“らしい”というその台詞にはゼネレーションギャップにも似た軽い失望を感じるけれど、仕事に専念して生きてしまうと、他のことには考えを深く巡らせる余裕がなくなるのではないかとも思う。
この日は朝から曇りがちだったのが、お昼前には雨になった。
雨と言っても日本のように音を立てて降るような種類のものではなく、霧のような細かい雨なので傘をさす人を見掛けない。
その代わり気温は下がってしまうので、薄手のコートには手放せないと思った。
この国では雨が多いと聞いていたからもっと鬱陶しい感覚を想像していたのだけれど、この程度の雨なら私も傘を差さないし、そんなに負担には感じないだろうという気がした。
私たちは昨日の不動産業者へと出かけ、事務所の賃貸契約を結び、その後アパート候補を探すことにした。
最初は、オフィスのすぐ近くがいいのではないかと桑原が言った。
しかし昨日確認したように、オフィスは広くて立派だけれど街からは離れていた。
企業誘致を推進しているこの国の政府機関からの援助があるということなので、不便なのは仕方がない。
けれども暮らすとなると、すぐにも車が必要だし、私にとっては勝手の分からない国で情報もなく、何かと不便ではないかと思う。
桑原にそう告げると「車で送り迎えをするから、田舎に住みたければそれでもいい」と言う。
そういう問題ではないと思ったけれど、それを口には出さずに、他にも暮らすのに必要と思われる条件を考えてみた。
「例えばですが、和食の材料を購入したいと思えば首都圏か、それに近いエリアに住まう方が便利だと思います。お店はこの辺りにしかありませんから」
地図を指で示しながら言ってみた。
「そうなんだ。ふーん、しかし騒音がうるさくないかなぁ」
「どうでしょうか。あまり中心地でなければ夜は静かになると思うのですが。それに日本のものを取り扱っている本屋さんもここですし、日本人学校もこの辺りなので、日本人会や日本人の為のフランス語クラスに入ることなどを考えると、やはり街の方が便利かもしれませんね」
「なるほど。しかし春野さんは良く知っているね」
「インターネットで調べておいたのです」
「そうか、なるほど。じゃあ街の方にしよう」
私は海外に来て、知らない土地にひとりになるのは確かに不安だ。けれども交通手段さえ確保できれば一緒に住む訳でもないので、桑原の住まいと近くである必要はないと思っていた。
「街に住むとすれば、交通にも便利ですから一人でも何とかなります。桑原さんが静かな場所をお好みでしたら、私のことなどお気になさらず、田舎にお住まいになっても結構ですよ。車さえあれば、お買い物には問題ないでしょうし」
「いやいや、やはり君とも近い方がいいでしょう。結婚前のお嬢さんだし、何かと便利なこともあるよ」
私はこの辺りから、桑原の言動に、何となく煩わしさを感じ始めていた。