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不安


 パーキングに向かう途中の頭の中で、手を上げながらゲートに消えたアランの姿を思い浮かべていた。

 今頃アランは機中の人となっていて、あと少しで遠く米国まで行ってしまう。

 何だか取り残されたような気がして、不安に思った。

 こんなに男性と急接近したのは初めてだったし、お互いに気持ちの確認もしないままに親しくなって行くのも不思議な気がしていた。

 一つには、私がしっかりした自分の意見を先に持たないので、アランのペースで物ごとが進んで行った結果、今のポイントに辿り着いているのだと思う。

 既にアランの職業や住まいのこともよく分かっているし、友人にも会った。そしてすぐにご家族を訪ねることになっている。でも、肝心のアランのことについては、親切だという以外に、深いところは、まだ何もわからない。

 しかし、そんなことは、日本でも普通のことだったのかもしれない。人と出会ってからあ互いを知り合うまでには、時間がかかる。

 海外に出て来て、知り合いは会社の人間以外には誰もいない環境の中、たった一人、プライベートで親しく付き合ってくれる人が隣人のアランなのだ。日本でたくさん知り合いのいる環境の中で出会っていたら、心の中のアランが占める割合も、もっと小さかったかもしれない。ところが、知り合いで友人でご近所、もしかしたらボーイフレンド候補かもしれないというポジションのそのすべてが、一人の人によって埋め尽くされようとしている。

 まるで水を渇望していた砂漠の植物のように、自分の心の中に焦りがあって、こんな風にアランのことを考えるようになったのではないだろうか。

 もしも一人で勝手に気持ちを膨らませて、片思いだった時の失望が怖い。

 まだアランの気持ちもわからないのに、慌てて心が動かないよう、ここで留めておかなければいけないと、どこか心の片隅で警鐘が鳴っているのが聞こえた。

 

 ともあれ今の課題は、アランの車を無事にアパートメントまで乗って帰ること。

 車に乗って座席の位置やミラーなどを調整すると、イグニションにキーを差し込んでまわしてみた。エンジンはスムースに回転を始めたけれど、GPSのメインスイッチが分からない。ようやく見つけて押すと画面が明るくなり、ナビゲーションが始まった。Homeという目的地の表示を見てほっとすると、ブレーキペダルを踏みながらオートマチック式ののシフトレバーを動かした。


 欧州の高速道路では、国によって速度制限が違う。大抵は100㎞/hを超えるのが普通で、ここでは120km/hだ。日本のようにゆっくり走っていると、追突されそうになるので、かえって危ない。

 最初の10分間くらい、スピードに目が慣れるまではかなり緊張したけれど、慣れて来れば周囲に合わせて走るだけなので、怖いとは思わなかった。慎重にしなければならないのは、日本とは車線の位置が逆で右側通行だということ。したがって、右折よりも左折する時に、神経を使わなければならない。

 

 アパートメントの近くまで辿り着いた時、ガソリンが少なくなったことを警告するフューエルランプが点灯した。

 アランが出張から戻るのは水曜日だから、翌日はウィークディで出勤しなければならないだろう。この状態ではきっと困る、と思ったので、ガソリンを入れようと、アパートへと曲がる手前の大きな通りに面したスタンドに車を入れた。

 ところがここでは、日本で利用していたガソリンスタンドのように、人がやって来てサービスをしてくれるわけではない。予めそういうことは分かっていたけれど、それでもガソリンポンプの前で困った。まだシステムを知らなかったのだ。

 まごまごしていると、ガソリンスタンドの男性が建物から出て、こちらへ向かって歩いて来た。

 最初にフランス語で何か言われたけれど、何を言っているのか、全くわからない。その次にオランダ語に切り替えたようだったけれど、それも皆目わからず、遂にはポンプを指差して、どの種類のガソリンだとジェスチャーで尋ねて来た。

 そこには「ディーゼル」と「95」、「98」と表示されたポンプが並んでいる。

 英語で「わからない」と答えると、彼は首を振って手のひらを上にし、出て行くようにと出口を示した。

 見れば後ろで待つ車が既にあった。(なるほど、邪魔なのだ)と理解し、そこから退散することにした。

(不親切だなぁ。日本だったら……)という思いが、ちらと頭をかすめたけれど、日本でなら、ガソリンスタンドでシステムがわからなかったら尋ねればいいのだ。それができないのは、この国の言語が話せないからで、他人を責めても仕方がない。

 中途半端な英語だけしか出来ない、自分が悪いのだと思い直した。


 ともかく無事にガレージに辿り着くと、ほっとした。

 車のロックを何度か確かめてからエレベーターに乗り、自分の部屋に戻った。

 部屋に入ると電話が鳴っているのが聞こえ、慌てて取ってみると、先に出張して来たことのある渡辺からで驚いた。

「おはよう、春野君」

「おはようございます」

「これがプライベートな番号なのはわかってるけどね、緊急だから電話したんだよ」

「え? 何かあったんですか?」

「何かって……、あんたねぇ、桑原さんのこと、ちゃんと面倒を看てあげなくちゃ駄目じゃないか」

「はい。昨日、お薬と食べ物を持って行きましたけど」

「冷凍のリゾットと市販薬でしょ? 聞いたよ。でも高熱のある人を放っといて、彼氏と帰ったんだって? 桑原さん、嘆いていたよ」

「放っておいていません。それに、彼氏と一緒でもありませんでした。お隣の人が親切心から、車で連れて行って下さったんです」

「だって、朝まで留守にしていたんじゃないの? 電話がつながらないって言ってたよ」

「違います! 朝から出掛けていたんです。昨日、伺った後に支社長からお電話を頂いて、今日はお休みだって仰ったので、外出していました」

「ふーん。あ、そうか。見送りに行っていたんだ。彼氏の出張の」

「見送りではありません」

「ふんっ、まぁいいや。で、桑原さんのこと、どうすんの?」

「どうって仰られても……」

「病院へ連れて行くとかだなぁ、何とかしなくちゃいけないだろう。そのくらい、気がつかないの?」

「でも、ご本人からは解熱剤が欲しいとしか伺わなかったので、重くはないのかと思っていました」

「翌日も休むって言ったんだろう? それって快方には向かっていないっていうことなんじゃないの?」

「……そうだと思います」

「僕も何とかしたいけどさぁ、アフリカにいるんだよ。ここから行くよりも、君の方が近いんだから、何とかしてくれる気ないの?」

「わかりました。ご様子を伺います」

「頼んだよ。じゃあ」


 電話は、一方的に切られてしまった。


 ここへ転勤して来た社員は、たったの二人。

 それがどんなに大変なことなのか、ようやくわかって来た。


(とりあえず、桑原に電話をしてみよう)

 そう思って、携帯電話と家の電話に掛けてみたけれど返事がなかった。

 そんなに、調子が悪いのだろうか?

 もしも動けなくなっていたら、管理会社で鍵を借りなければならない。

 どうしようかと迷ったけれど、とりあえず出掛けてみることにした。

 アランには、留守中、車を使ってもいいと言われたけれど、ガス欠だったし、幸いお天気も良かったので自転車で出掛けてみることにした。

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