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常識の違い 2.

 アランは、バスケットに軽くたたんだシャツを三枚入れて持って来た。

「ねぇ、アラン、たったこれだけでいいの?」

「他にもあるけど、後は帰ってから実家に持って行くよ」

「あら、これじゃあ、さっきのリゾットと相殺すると、まだリゾットがたくさん余る計算になってしまうわ。気にしないでアイロンの必要なものをみんな持って来て」

「たくさん時間がかかってしまうからいいよ。僕もパッキングしなくちゃいけないし」

「あら、ここで待たなくてもいいのよ。洗濯物だけ持って来て部屋に戻ってくれれば大丈夫だから」

「じゃあ、こうしない? このアイロン台を僕の部屋に運ぶから、かすみは、キッチンでアイロンを掛ける。そうしたら僕は、パッキングをしながら、一緒にいられるし、ついでにワインを開けて、一緒に夕食もできる。どう? このアイデア」

「あら、すごく素敵だと思うわ。特に一緒に夕食というところが素晴らしいわね」

「よし、じゃあ、そうしよう」

 アランは、片手にアイロン台を抱え、もう片手にスチーム用大型水タンクの付いたアイロンを軽く抱えてさっさと移動して行く。かなり重いものなのに、やはりこちらの男性は力が強いと思う。

 アランの後ろから、私もバスケットを抱えてついて行った。


 私がアイロンを掛け始めると、「本当にいい?」と遠慮がちにアランが洗濯物の山を持って来た。

 こちらでは、お天気の悪い日が多く、日光で殺菌することができないので、すべての洗濯物にアイロン掛けをする習慣があるのだと聞いた。そういう訳で、下着にまでアイロンを掛ける。

 私は、アランが下着をより分けて向こうへ持って行ったのが目に入り、一瞬、止めようかどうしようか、迷ってしまった。でも、何も言いだせないまま、アランが持って行くのに任せた。

 男性のいない家庭に育つと、こういう場面での前例や参考に出来るような経験もなく、倣うべき会話の記憶もない。それに、知り合ったばかりのアランとの関係を考えれば、恥ずかしくて「それも掛けるわ」とは言いだせなかった。

 アランに対してだけではなく、他の場面でも男性を相手にする時には、上手に距離が測れないのが困る。親切にどこまで甘えていいのかもわからないし、相手に下心があるのかどうかも見分けがつきにくい。もしかしたら直接対面している相手ではなく、周囲が変な勘違いを起こすのではないかとさえ不安になる。そういう時には、早く面倒なことのないお婆さんにってしまいたいと思ったりもしていた。

 アイロン掛けをしながら、男物は大きいと感じた。アランは太ってはいないけれど、欧州人の胸板は厚い。アイロンを掛け終わったTシャツを、たたむ前に自分の体に当ててみるとワンピースのようだった。

 アランが言ったほど洗濯物は多くなかった。ただ、一枚だけ選り分けから外れたらしいトランクスが混じっていたのには戸惑ったけれど、さっとアイロンを掛けてからTシャツの間に隠しておいた。

 パッキングのために、クローゼットや引き出しの開閉をする音がバタバタと聞こえていたけれど、アランの方も早く片付いたらしく、アイロンのコードリールを巻いている時にキッチンへ戻って来た。


「え? もう終わったの?」

「えぇ、終わったわよ。だってこちらのアイロンって、スチームがたくさん出るから早く出来るのよ」

「わぁ、本当だ。全部終わってる。どうもありがとう」

 この時は、アランが頬にキスをするのを何となく自然に受け止められたので、少しだけ慣れて来たのかと思うと、小さな自信が湧いて来た。

 アランは、その中から三枚のシャツを選ぶと、トランクに入れると言って、洗濯物の一番上に乗せ、バスケットごと持って行った。

 アランが洗濯物をしまう間に、アイロン台をたたんでおこうと思っていたら、アランが、見覚えのある大きな布を持ってやって来た。ベランダに干したのをすっかり忘れていた私のベッドカバーだ。

「あら、嫌になる。私ったら忘れていたわ」

「僕も、ちょっと思い出して見に行ってみたんだよ。ほら、これも終わらせよう。大きいから、僕も手伝う」

「そうね、ありがとう。まだアイロンは冷めていないし。でも、他の洗濯物も入れなくちゃ」

「うん、バスケットに入れておいたよ。持って来るね」

「まぁ! ごめんなさい」

「気にしないで。僕には兄弟が多かったから、洗濯物なんて見慣れているんだよ」

「そうなの? でも助かったわ。ありがとう」

「そんなに何回もありがとうって、言わなくてもいいんだよ。大したことじゃないんだから」

「そう? でも、これは習慣なのだと思う。日本の方が回数が多いのかな?」

「うん。そう思うよ」

「私、男の人に洗濯物を取り込んでもらったのなんて初めてだと思うわ」

「そう? 小さくて可愛かったよ」

 一瞬、さっきのアランの大きなTシャツが頭の中に浮かんだ。なので、アランの言うのが私の下着類のことを指しているのだと気がつくまでに、時間がかかった。

 気がついてから「もうっ!」とアランに言うと、アランは、へっへと笑いながら「また忘れてるよ」と自分の頬を指差した。今度は、首を回されても大丈夫なように、アランの口を手でふさいでから頬にキスをした。

「かすみ。君は賢くなったねぇ」と苦笑しながら言うアランの顔に、私も笑った。


「ね、何か作ろうと思ってたんだけどさ、思ったより早く終わったから、外へ食事に行かない?」

「それもいいアイデアね」

「少し先にビストロが出来たんだけど、内装がおしゃれでおいしいんだ」

「あら私、着替えなくてもいいかしら?」

「うん。それで十分だよ」

「ビストロとレストランってどう違うの?」

「ビストロってね、大昔、戦争の時にフランス軍がシベリアで兵士に食事をさせるため、キャンプでにわかに用意した食堂だったって聞いたことがある」

「あら、そうなの?」

「うん、僕も人に聞いたので、詳しくは知らないんだけど、だから名前だけが残っていて、気軽に食事を出来るお店をビストロって呼ぶみたいなんだ」

「へぇ。勉強になったわ」

「いや、別に知らなくてもいいことなんだけどね」

「でも気軽に行けると嬉しいわ」

「うん。僕も面倒なのは好きじゃない。よほどおいしいレストランは別だけどね」


 アランは十分以内の距離だというので、歩いて出掛けることにした。

 まだ時間は午後六時過ぎで、日没までの三ー四時間は明るい。

 その時まで、全く意識していなかったのだけれど、一緒に歩くと少し後ろを歩く癖があって、アランに横に並ぶようにと言われた。

「ねぇ、日本では、そんな風にして歩くの?」

「そうだったかもしれない。気がつかなかったわ」

「どうして?」

「何となく、ついて行く感じの方が楽だからかしら?」

「そういうの、僕は可愛いと思うけど、横に並ぶ方が話しやすいよ」

「そうね。これから気を付けるわ」


 ビストロに到着した時も、アランは私に先に入るよう、扉を開けてくれた。

 けれども、先に入って勝手に席に座っていいのかどうかさえ知らない私は戸惑った。

 ともかく「ボンジュール」と言って入ったものの、振り返ってアランの助けを頼まなければならない。

 これでは子供みたいで恥ずかしい。

(少しでもフランス語を話せるように勉強を始めよう)と思った。

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