アランの部屋で
オードブルの仕上げをすると言うアランに続いて、キッチンの方へ移動すると、彼が手慣れた様子で料理の仕上げを始めた。
温かいオードブルには、小さなピザを用意してあって、すでに野菜やサラミなどがソースを塗った生地の上に並べてあった。それらにチーズをのせるとラップを被せておく。あとはオーブンに入れて焼けば完成だ。他のメンバーが揃うのを待ってから焼いても、時間はかからないだろう。
もうひと皿は、冷たいオードブルでゴートチーズのディップ。メキシカン風のチップスを添えて出すのだと教えてくれた。
不意に、以前付き合っていた彼も料理ができたことを思い出した。
日本にいると、何もかもが平均的に見えるのはどうしてだろう。いや、そうではなくて、それは逆かもしれない。『みんなと同じ』であることが大事なので、『彼もできる』或いは、『彼も持っている』ことが大事だったりする。
他人に見せるために付き合っているのではないけれど、友人と彼のことを話す時に同じような条件である方が、余計な興味を持たれなかったり、比較して低い評価が下ったりしないので気が楽だった。
そんなに遠いことではないのに、少し前の自分がとても愚かに見えた。それか海外に出たことで、少し世の中のことが見えるようになったのかもしれない。だからと言って、お互いに意地っ張りで、あのまま付き合いを続けることは難しかったし、戻りたいとは思わないけれど、次に恋をした時には、もっと相手のことを尊重しようと思っていた。
アランは、前菜の準備が終わると「少し、座りましょうか?」と言い、リビングのソファに移動した。それから「シャンペンは、少し前に知り合いからまとめて買ってるので、遠慮しないで飲んでください」と勧められた。
本来私は、おなかが膨れてしまうので炭酸の入った飲み物は苦手だった。でも、この時はカシスの香りとリキュールの甘さで、おいしく飲むことができた。
それでも、まだ良く知らない男性と二人で向かい合って座っているのは緊張する。
ふと時計を見上げると、約束の時間から三十分が過ぎていたので、アランの友人たちが、そろそろ来る頃ではないかと思った。
よそのお宅に招かれた時は、時間ちょうどに行くと相手の準備が整っていなくて慌てさせてしまう場合があるので、僅かに遅れて「申し訳ありません」と言いながらお邪魔する方がいいと習ったことがある。もしかしたら、そういうことかもしれない。
それでも、30分は遅すぎると思うけれど。
そう考えていると、アランが言った。
「仕方がないなぁ。彼は昔から遅刻の名人なんですよ」
「名人なんですか?」
「えぇ、学校では試験の時にも遅れたことがあって、とんでもない奴なんです」
「あら、そうなんですか?」
「外で待ち合わせなんて無理ですから、会いたい時には押し掛けるか、家に呼ぶんです」
「まぁ、そんなに?」
「あ、でもね、来ると言ったら必ず来るんです。だから待たなきゃ仕方がない」
「なるほど」
「いい奴なんですがね…。まぁ、二人で飲んでいましょう」
「えぇ、待つのは平気なんですよ。でも私、酔っちゃうと困るので、お水を頂いてもいいですか?」
「もちろんですよ」
私が立とうとすると、アランが手で制してお水を持って来てくれた。
お礼を言うとニコニコしながら「日本人女性は、静かなのですか?」と尋ねる。
「人に依りますね」
「僕は、静かだと落ち着きます」
「ありがとうございます」
お礼を言うのは変かもしれなかったけれど、他に言葉が思いつかなかった。
「僕、実はアジア人の女性が好きで、前の彼女は韓国人女性だったのです」
「そうでしたか」
「えぇ。とても頭のいい女性だったんだけど、彼女の友人たちが騒がしくて、おまけにご両親にお会いした時も、驚くほど賑やかでした」
「それも多分、人に依るのだと思いますけど」
「そうですね。僕だって祖父母がイタリアから移民して来てこの国にいるので、別に彼女と友人や家族だけで韓国人を評価してはいけないと思うのですが、とにかく疲れてしまったのです」
「それは、わかります。あなたには合わなかったということなのですね」
「だから2か月で恋が終わりました」
「2か月? それは短いですね」
「僕の場合、イタリア人の家族が集まったら、とても賑やかで、子供の頃からそれが苦手だったのです」
「まぁ、そうなんですか? んー、でも、イタリア人ファミリーって、私から見ると、とっても仲良しに見えますよ」
「その通りなんです。仲良しです。でもね、愛が飛び交い過ぎると息ができない」
私はアランのおどけた調子に笑った。
「私は、母以外に家族はいませんし、親戚は遠くに暮らしていたので、時々しか会うことがありませんでした。なので静かな環境で暮らして来たのですが、賑やかで仲のいいファミリーを見ていると、羨ましく思いますよ」
「そうですか? じゃあ今度、僕の親の家に招待しますよ。あなたは、僕と一緒に逃げたくなるかもしれない」
「そうですか? 逃げたくはならないかもしれませんよ」
「よし。じゃあ、来月の最初の日曜日に出掛けるので、一緒に行きましょう」
「え? 本当にですか?」
「えぇ、そうですよ。都合が悪い?」
「いえ、そんなことはありませんが、急にご一緒してもご家族の方に驚かれないかと思って」
「驚いたりしませんよ。従弟や、その彼女や友達や親戚や…。ともかくパーティーをすると言えばいろいろやって来るんです。僕の両親は、昔レストランで働いていたので料理が得意で、いつもテーブルからはみ出しそうなくらい食べ物があります」
「そんなに、たくさん?」
「えぇ、大家族だったから、いつもそうでした」
「ご兄弟は多いのですか?」
「5人兄弟で、僕が真ん中なのです。姉、兄、弟、妹がいます」
「わぁ、いいなぁ」
「イタリア料理ばかりだけど、家で作ったパスタは本当においしいですよ」
「私、パスタが大好きなのです」
「あぁ、それは良かった。じゃあ、来月の最初の日曜日ですよ。空けておいてくださいね」
「日本だと、遠慮をして行かないと思うのですが…。厚かましいかもしれないけれど、行ってみたいと思うのです。アラン、本当にいいですか?」
「かすみさん、僕が誘っているんだよ」
「ありがとう。嬉しいわ」
私にとって(特に男性とは)、こんな風に急激に発展する友人関係は初めてだった。
相手が外国人であることと自分が外国に暮らしていることの両方の環境が、私を少し変えた一瞬のような気がする。
そして、アランは優秀なのに、気さくないい人だと思った。
1時間遅れて、アランの友人がやって来た。
男性はアルベール、女性はイザベラと言った。
最初に、アランたちはキスのあいさつを交わし、私とは初対面なので握手のあいさつをした。それから三人はフランス語で会話を始めたので、私には何の事だかさっぱり分からず、でも、私を紹介してくれていることと遅刻の言い訳なのだろうということは、なんとなく察しがついた。
アランが「では、今日は英語で会話をしよう」と言ってくれたので、彼の友人たちもフランス語訛りは強かったけれど、私のために英語で会話をしてくれた。
日本では、こんな風には行かない。なぜなら日本人は恥ずかしがって、英語ができても、こんな風に切り替えようとはしないからだ。よく考えてみると、それは不親切で失礼なことではないかと思う。日本に帰ったら私も気をつけようと思った。