遠くなった日本
この週末の金曜日、自宅へ電話会社が工事に来ると連絡があったので、私は会社を休むことにした。自宅に電話が通っても会社の方の電話回線がまだなのは気になるけれど、同じ電話会社でも街の支社の方が人手が多くて早く来られるということなのだろうか?
私が休ませて欲しい旨を告げると、桑原は、自分も出社しないと言った。私がいなければ行っても仕方がないし、どうせ連絡は携帯電話の方に入るのだから自宅にいても同じ事だと言う。
確かにその通りだ。でも、そう言われると申し訳ないような気持ちになる。そこで工事の時間帯を問い合わせてみたが、大よその時間さえ約束できないと言われたので、一日中待たなければならない。これ以上自分ではどうしようもない種類のことなので、割り切ろうと思った。
それでも電話とTV、インターネットが同時に通じれば、生活は一変するだろうと思った。日本と通じることで、淋しさを感じることは少なくなる。
私は、朝からずっと待ち続け、ようやく午後3時頃に工事人がやって来た時には、待ち長かったことや本当に来てくれるのかどうかという不安も一瞬で忘れ、とても嬉しいと思った。
小雨の中、月曜日の分までの食料品の買い物を済ませて家に戻ると、早速パソコンを開いてみた。メールボックスには友人からのメールがいくつか届いていた。
こちらへ来たばかりの頃に葉書を出さなかった友人たちは、私がこんなに長く電話回線を待っているなんて想像もつかないらしく、私が忙しさや何かの理由で連絡をしないのだと勘違いをしている様子だった。それらに一通ずつ、言い訳めいた事情を書かなければならないことに、少し負担を感じた。
それは、自分自身もストレスを感じている点なのに、責任範囲でない事情について謝らなければならないことについて、更に煩わしさを感じていたのだと思う。
引越しと同時に電話回線が繋がらないなんて、日本では、まず考えられないことだ。比較しても仕方がないと思いつつ、私も欧州なのに信じられないとは思う。でも、ここでは、こういうスピードで社会が回っていて、日本しか知らなければ、欧州でそんなことがあるとは想像がつかない。そういう当たり前のことが、私自身もまだよく理解できていなかったかもしれない。それでイライラするようなことは、しょっちゅうあった。
最後に、学生時代からの友人の久しぶりのメールが一通あった。
舞という名の彼女は、子供の頃に父親の転勤でカナダと米国に暮らしたので、フランス語と英語、日本語のトリリンガルになっていた。
しかし、高校生の時に日本へ戻って来たので、日本語を学ぶのにかなり苦労をしたと話し、クラスで受講している最中にも、よく漢字の読みを確認して来た。
懐かしいと思ってメールを開けると、カナダへ引越すという内容で、その前に一度会っておきたいと書いてあった。私は今の状況と、会えなくて残念だという返信をした。
短大生の頃、彼女とは仲良くしていたのが、彼女は四年制の大学に編入し、私が就職をしたので生活がすれ違い、いつの間にか、お互いへの連絡が途絶えてしまっていた。
彼女は美人だけどあっさりしていて、ものの言い方がかなりストレートだった。日本語で会話しているというのに、まるで外国人と会話をしているようで、男の子たちは、彼女のそういう面が苦手らしく、友人としては付き合えても、恋人にはしたくないと言うのを何度か耳にした。女性にとっては付き合いやすい長所でも男性にとっては違って見えたりするところが不思議だと思う。
考えてみれば、彼女の長所はこんなところにもある。久し振りでも違和感がなく、こうして昔のように普通に会話が出来るということもその一つだ。日本人のように細かい感情の動きを見せないことで、人に余計な気遣いをさせない。それに女の子同士でグループを組んで悪口を言い合うような事とか、流行に乗り遅れまいとするようなところもない。
私とも、べったり一緒にいたという訳でもなく、時折、気が向いた時に会ってお喋りをするという風な付き合い方をしていた。
彼女は、孤高と言えば、そういう生き方にも見える。
私自身も、人の悪口を言う事は好みではないし、いつもグループの中にいるというのが面倒だったりするけれど、誘われると何となく一緒にいることもあったし、流行にも多少は興味を持って、人に流されるようなところがあったと思う。
そのあと、久し振りにSNSを開いてみた。
話題はTV番組の事や家族のこと、恋人のことなど、いろいろ見つけられたけれど、海外に出て、私と似たような環境にある人のページはない。
そこでチャットに参加してみた。何となく日本語で話が出来る相手が欲しかったのだ。
ところが、海外に暮らしていることを書いた途端に、話題が暮らしている国の地理や文化、食べ物の話題へと移ってしまい、私自身のことは何も話せなくなってしまった。
ただでさえ、こういう目立ち方をして話題を奪ってしまっているので快く思わない人もあるのに違いない。そんなことを思うと、どこにいるかを正直に答えたのは間違いだったと気が付いた。しかし、もう遅い。私は早々にその場を退散した。
週末の間、私はネットサーフィンをしてみて、たったひと月しか離れていない日本が、こんなに遠いということを実感した。
TVのスイッチを入れると、英語の番組はBBCとCNNだけ。ほとんどがニュースか子供の番組を流しているので、興味が持てずにスイッチを切った。考えてみれば、日本に暮らしている時にも、TVを観ることは少なかったのだ。
金曜日の夕方に書いた私のメールは、時差の関係で、日本の土曜日の真夜中に届いている。土曜日の午後から夜にかけて友人が書いてくれたメールが、同じ日の朝から昼には私の元へ届いた。
「今、何時?」という質問が二人からあった。サマータイムの7時間という時差を説明するのだけで疲れた。友人の立場で考えてみれば、私も同じように質問をしたかもしれない。でも、どうしてこんなに簡単なことさえ自分で調べてみてはくれないのだろうと、その時は淋しく思った。検索で「時差」と書き込んで調べれば、世界の現在時刻はすぐにわかる。それだけ自分に深く興味を持つ人がいないのだろうというようにも思えた。
舞からも夕方近くになって、返信があった。つまり、日本では真夜中に近い時間。彼女だけが時差を調べて、「そちらは、まだ夕方ね」と書いて来てくれた。
嬉しかった。
海外在住経験者だから気が付いてくれたのだろう。その些細なことが、今の私の中では異国にいる人間とそうでない人という、壁を持たない話相手としての親しみを感じさせてくれた。