悪役令嬢だった私は妹の幸せを祈る予定でした(予定でした)
「リリア、あなたは私の代わりに隣国の第二王子、シルヴィス殿下に嫁ぐのよ」
物語通りにそう告げたとき、妹はほんの少しだけ目を丸くした。
金糸のように繊細なブロンドが陽の光を受けて揺れる。桃色の瞳は淡く光り、まるで春の朝露のような無垢さを湛えていた。
私の妹、リリア・エルフォード、十六歳。誰が見ても可憐で、守ってあげたくなるような女の子。
「……わかりました。お姉様が望むなら」
そう言って、彼女はそっと目を伏せた。反抗も、戸惑いも見せず。
その姿は、物語の中のしおらしいヒロインそのものだった。
――そう。これは物語なのだ。
私は知っている。ここがかつて私が前世で読んだ乙女小説、『いばらの王子と金の花嫁』通称『バラハナ』の世界であることを。
そして私は、その小説の中でヒロインのリリアをいじめ抜く意地悪な姉、セレナ・エルフォードに転生してしまったのだ。
隣国の第二王子、シルヴィス殿下は、幼少の頃に魔物の呪いを受け、醜い獣の姿に変えられてしまった。
その呪いはどんな魔導師にもどうすることもできず、彼は人々から忌避され、都から遠く離れた辺境の城でひっそりと暮らしていた。
そんな彼に、政略の名のもとに〝生贄〟として差し出されたのが、リリア――ヒロインである彼女だ。
けれど物語では、リリアはその呪いにひるむことなく、愛と優しさでシルヴィスの心を癒し、ついには呪いを解く。
醜い獣は美しい王子の姿を取り戻し、リリアは聖女として、二人は真実の愛を育むのだ。
その影で、セレナは――。
リリアの幸せを妬み、偽りの手紙や策略で彼女を陥れようとする。
だがそれらはすべて失敗に終わり、最終的にいわゆる「悪役令嬢」として断罪され、没落する。
……でも、私はそんなことしないわ。
小説を読んでいた前世の私の記憶は、セレナが思春期を迎える頃――十年ほど前には戻っていた。
だから、運命は変えられる。
これまでの人生でも、リリアをいじめるようなことはしてこなかったし、もちろんこれからもしない。
だから、互いに別の道に進み、幸せになるの。
あなたは隣国で麗しいシルヴィス王子と。
そして私は、この国でひっそりと、あなたの幸せを祈りながら静かに暮らすわ。
「……」
悲しげに目を伏せている妹を見つめる。
長いまつ毛が震えている。小さな手が、膝の上でぎゅっと握られている。
怖いのよね……。ごめんなさい、あなたと一緒にいてあげられなくて。
でも、この物語の結末を知っている私は、信じてる。
あなたは強く、優しく、誰からも愛される存在。
「リリア、あなたならシルヴィス殿下の呪いを解けるわ。そして、幸せになるのよ」
「……お姉様」
そう願った、あの日の私は知らなかった。
一年後、この物語がとんでもない方向に進んでいくことを――。
*
――一年後。
カツン――、カツン――。
規則正しい足音が、ゆっくりと近づいてくる。
屋敷の扉が開かれ、リリアが現れた。
彼女の隣には、すっかり呪いが解けたシルヴィス王子。そしてその後ろには、屈強なお付きの騎士。
リリアが……帰ってきた。
「……お久しぶりですね、お姉様」
小説と……違う。
リリアが嫁いでからの一年、ちゃんと小説通りに進んでいたのだろうか。でも時々、彼女から手紙は届いていた。
最初のうちは、戸惑いや緊張を綴った内容だった。
そのうちに、王子と心を通わせているらしいとわかって、私はひとまず安心していた。
やがて、王子の呪いが解けたという報せを聞いたときは、心底ほっとした。
でも――帰ってくるなんて、聞いていない。
どうして?
私が邪魔をしにいかなかったから、自ら来たの?
もしかして、私……断罪される? なんかやばいことした??
「お姉様ったら、一度も会いに来てくれないのですから……」
「……それは」
静かにそう口にするリリアのピンク色の瞳は、変わらず優しげに笑っている――はずなのに、どこか鋭く研ぎ澄まされた光を孕んでいた。
ブロンドの髪は以前より少しだけ短くなっており、毛先にはゆるくカールがかかって、歩くたびにふわりと揺れる。
あの日、私の代わりに呪われた王子のもとへと嫁いだ、あの可憐な妹は――
――まるで、違う人のようだった。
静かに隣に並んでいるシルヴィス殿下は、物語通りに、かつての醜い獣の面影など欠片もない。
長身で、澄んだ青色の瞳と銀色の髪を持つ、美貌の王子。
優雅にリリアの手を取り、目元にかすかな笑みを浮かべている。
そして、リリアはゆっくりと階段を上り、私の前に立った。
「どうして……帰ってきたの?」
ぽろりと、つい聞いてしまった。
「……驚きましたか?」
その声音は、微笑のまま。けれど、どこか試すような響きを含んでいた。
「私は、お姉様の望んだ通りシルヴィス様の呪いを解きました」
そう言って、リリアは微笑んだ。
それは――あの春の日、怯えたように目を伏せていた少女の顔ではなかった。
どこまでも美しく、どこまでも強く。
まるでこの一年で、何かを〝超えてしまった〟ような、そんな凄みすら感じられる表情だった。
「だから今度は、私が幸せになる番です」
――私が幸せになる番?
もう、あなたは幸せになったんじゃないの?
物語通り、王子は麗しい。それに、愛おしそうにリリアを見ている。
……それなのに。何かがおかしい。もしかして、物語通り私に復讐しなければ、幸せにはなれないということだろうか――?
妹の瞳がほんの少しだけ愉しげに揺れた気がして、背筋にひやりとした感覚が走った。
「私はこの国で大人しく、あなたの幸せを祈っていたのよ……?」
「そう……お姉様が会いに来てくださらなかったので……」
カツン――とヒールの音を立てて、リリアが一歩私に近づいた、次の瞬間。
彼女の表情が、どこか嬉々としたものへと豹変した。
「我慢できずに! 来ちゃいました♡」
えっ。
「だって……お姉様と離れて暮らすなんて、そんなの寂しくて、死んじゃうかと思ったんですよ?」
えっ? ええっ!?
「でももう大丈夫です♡ シルヴィス様の呪いも解きました♡ 呪いをかけたのは魔王だったんですけど、魔王城に押し入って、ぶん殴ってきてやりましたぁっ♡」
えええええええっ!?
驚愕して言葉も出ない私に構わず、リリアの隣でシルヴィス王子が続ける。
「あなたが、リリアを僕のもとに嫁がせてくれた姉君ですね!」
「え……っ、は、はぁ……」
「感謝申し上げます! お会いするのを楽しみにしておりました!」
「は……? はぁ……」
「お姉様! 褒めてください♡ ご褒美ください♡ お姉様のおかげですって、王様に何百回も言いました♡」
リリアは私の目の前でくるりと一回転した。
まるで舞踏会のプリンセスみたいに、ふわりとスカートが広がる。
笑顔はどこまでも無垢で……狂気じみていた。
「それで、ちゃんとお願いもしてきました! シルヴィス様と、王宮の方々に♡」
「……まさか」
「ふふっ、これからは、お姉様とずーっと一緒に暮らす許可、いただきました♡ だから、これから毎日一緒ですよ♡」
ええええええええええっ!?!?
きゃはっ♡ と、可愛く微笑みながらそう言ったリリアに、私の頭の中は混乱する一方。
「でも……王子様がそんな簡単に他国で暮らすのって……」
「シルヴィス様は第二王子ですし、国王様は魔王を倒した聖女である私のお願いは、なんでも聞くとおっしゃってくれました!」
「せ、聖女のお願い……」
愛の力で呪いを解いたんじゃないの?
ぶん殴ったって……どういうこと??
リリアとシルヴィス王子は、「ねーっ♡」と、微笑み合っている。
「お姉様も私にご褒美くれますよね? 小さい頃みたいに、これからは毎朝起きたら隣にいてくださいますか? 夜も一緒に眠って……ああ、嬉しい……っ! ずっと夢見ていたんです♡」
こわいこわいこわいこわい……!!
原作にはない展開と、リリアの豹変ぶりについていけない。
この子、こんなキャラだったっけ!? いや、絶対違う。確かにちょっと姉のこと好きだなぁと感じるときはあったけど、ここまでじゃなかった……!
私がしっかり悪役令嬢をやらなかったせい!? そのせいで、世界観が壊れてリリアのキャラクターにバグが……!?
「あの……殿下は本当によろしいのですか!?」
「もちろん! 僕を救ってくれたリリアが望むなら、僕はどこにだって行きます! それに、リリアから姉君の話はいつも伺っていました。お会いできて光栄です!」
「は、はぁ……」
だめだ、なんかこの王子もキャラ崩壊してる。
どうしようかと、頭を抱えたとき。
王子の後ろにいる人物と目が合った。
長身で、黒髪の騎士。王子の側近だろうか。やれやれ、と言いたげな表情を浮かべている。
もしかして、あなたもこのぶっ飛んだ夫婦に付き合わされてしまったの?
ご苦労様。
そんなことを考えていたら、その騎士が静かに一歩前に出た。
姿勢は完璧で、無駄がない。
けれど近くで見ると、彼の瞳にはほんの少し、「慣れてます」というような疲れの色があった。
「リリア様の姉君、セレナ様ですね。初めまして、シルヴィス殿下付きの騎士、アデル・シュタイナーと申します」
「は、初めまして……ご苦労様です……」
思わず言ってしまった。
こんな挨拶、初対面の相手に失礼だったかもしれない。でも、出てきてしまったのだから仕方ない。
アデルと名乗った騎士は、ふっと小さく笑った。
「お気遣い痛み入ります。リリア様の〝姉愛〟には、時に命の危機を感じることもございますので……」
「命の危機!?」
「ええ。……実はセレナ様に会えなさすぎて、リリア様が一度大暴れしたことがあります」
「え!?」
私に顔を近づけて、こっそりと耳打ちするアデル様に、私は思わず大きな声を出してしまう。
「ちょっとアデル! お姉様と距離が近いーっ!」
「はは、申し訳ありません」
むーっと頬を膨らませたリリアに、アデル様は軽く笑って答えた。やはり彼女の扱いには慣れている様子だ。
「とにかく、姉君の噂を聞いてから、私もずっとお会いしたいと思っておりました」
「……え?」
唐突な言葉に、目を見開く。
まっすぐに私を見つめている彼の視線は誠実で真面目だけど……少しだけ、何か期待するような熱を感じる。
シルヴィス王子の側近の騎士なんて、物語の中ではモブだった。
確かにチラッと出てきていたけれど……イラストもなかったし、名前すら覚えていないようなキャラだ。
「聖女リリア様があれだけ崇拝するお方ですからね、きっとただの姉君ではないと。……あなたがどれほど素敵な方か、知りたかった」
「……あの、それって」
思わず問い返してしまった私に、アデル様は一拍置いてから視線を逸らした。
「あ、いいえ、その……ただの騎士としての、敬意です」
軽く頭を下げるアデル様。その動作すら洗練されていて、まさに〝完璧な騎士〟という感じだ。
だからこそ、少しだけ耳が赤くなっているのが見えて、妙に動揺してしまう。
「アデル~~っ!!」
けれど、再びリリアが声を上げると、私の腕に抱きついてきた。思いのほか力が強くて、少しよろめく。
「え、ちょ、リリア……?」
「もう! アデルとそんなに見つめ合わないでください! お姉様が誰かに口説かれる未来とか、私想像したくありませんっ!」
「いや、口説いているわけでは――」
「お黙り、アデル!!」
すかさずピシャリと叱りつけるリリア。
シルヴィス王子はというと、隣でにこにこと楽しそうに笑っているだけ。
「ははっ、リリアが元気になってよかった。セレナ様に会えて本当によかったね」
「はい! 私は世界で一番お姉様のことが大好きですから! お姉様がいてくだされば、他には何もいらないです♡」
ぎゅっと私にくっつきながら、リリアはきらきらした笑顔で私に向かって叫ぶ。まるで恋でもしているかのような熱量で。
「ええ……?」
それ、シルヴィス王子の前で言っていいの?
そう思ったけれど、横目で彼を窺ってみると、王子はご機嫌な様子でにこにこと微笑んでいた。
やはり、慣れているのだろう。
「……あなた、大変ですね」
「はい。ですが、いつものことですから、問題ありません」
「そうなのね……」
私はそっとアデル様に視線を向けて、溜め息交じりに声をかけた。
けれど彼は、小さく微笑んで答える。その瞳には、どこか諦めと、妙な愛着が滲んでいた。
「あ! またお姉様と見つめ合ったわね!? もう、こうなったら誓約書を書いてもらおうかしら……〝お姉様に恋心を抱かない〟って!!」
「リリア、それはさすがにやりすぎじゃ……」
「だーめーでーすー!! 書いてもらうまで、アデルとは目を合わせちゃだめですよ、お姉様っ!」
ぴしぴしと私の視線をアデル様から引きはがすように身をねじ込ませてくるリリアに、思わず後ずさりそうになる。
近い。熱量が本当にすごい。
「リリア、アデルならいいじゃないか。彼は優秀な騎士だ。きっとセレナ様のことを守ってくれる」
「でもでも……っ!」
シルヴィス王子が、あくまでやんわりと、笑って口をはさんだ。
リリアはぎゅっと唇を噛みしめ、何かを堪えるように私に抱きついている。
「お姉様のことは、私が守ります……!」
「……リリア」
ぽつりと呟かれた言葉に、私はその小さな背中をそっと抱きしめた。
彼女は本当に姉(私)のことが好きなのね……。
それは素直に嬉しいし、この世界で生きてきたリリアは可愛くて大切な私の妹。
アデル様は黙って私たちを見つめ、シルヴィス王子はそっと目を細めていた。
ああ……私は静かにひっそりと、妹の幸せを祈ろうと思っていたのに。
こんな展開になるなんて、思ってもみなかった。
「お姉様……とりあえず今夜はお姉様のお部屋で一緒に寝ましょうね?」
「…………わかったわ」
しぶしぶ頷くと、リリアは可愛らしい声で「やったぁ♡」とはしゃいだ。
「お姉様、大好きですっ♡」
これは……しばらく、平穏とは無縁の生活になるかもしれない。
お読みいただきありがとうございます。
最強の妹が書きたくて……(*´ω`*)
面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価をポチっと押していただけると嬉しいです!
●このお話を気に入ってくださった方はこちらもぜひよろしくお願いしますm(*_ _)m
『秘密の幼女は騎士団長の膝の上でお菓子を食べる(正体バレたらたぶん死ぬ)』
https://ncode.syosetu.com/n8583km/