07
広い草原に、黒い霧に似た靄が広がる。殻憑きに殻無し、不出来な殻無し崩れが巽の呪いに呼応する。それは天敵を護る者。この世で一番邪魔な奴。
壱の手には黒刃があった。鞘の存在しない、常には在処のわからぬ刀。護番が望めば自由自在に手中に現れる。
ハクとサイが淡く光りながら一帯を走り回る。
二匹が殻を通り抜ければ全て斬り、ぶつかれば吠えて教えた。殻憑きは動作も鈍く、造作なく近寄って振った拳を振り下ろせば意識を無くして草むらに倒れ込む。
殻憑きは何体いるのかもわからなかったが、瞬く間に端から落として穢れを吸収していく。殻無しは黒刃で斬って吸った。
次から次へと振り下ろし、黒刃が吸った靄が護番の腹に落ちていく。壱は時折ぺろりと唇を舐め、次の動きを試算した。殻無しは大きな塊になると飲まれて厄介だ。小さな間に対処したい。一人で大勢を相手にするのは久方ぶりで腕が鳴った。毎朝鍛錬を欠かさないのはこんな遥夜への備えでもある。
殻無し崩れが湧き出るように現れては薄く身体に纏わりついた。
どこを斬れば正解かわからない相手に黒刃を滑らせ、霧散させる。目まぐるしく殻憑きが体当たりをかましてくるが、上手に受けとめ、あるいは避け、落とす。そのたび柄で首元を軽く叩いた。
壱の身体は腹から次第に黒く染まり、斬るたびにその面積を広げていった。
「数が多いな」
靄の中でボヤいても聞く者はいない。
多分屋敷の屋根から創大や瑞貴が双眼鏡なりで見てはいるだろうが。
まず目前の護番目掛けて大勢来るが、時折忘れた頃に天敵へ向かおうとする殻無しが出る。そのたび耳をピクンと動かすハクとサイが気づいて吠え、壱が黒刃を振り上げた。
恐らく今夜が集いのピークだ。
透には委細が知らされていないが、寄り集まった穢れの目的は天敵の除去だった。いつの時代も穢れで生まれた駒の数がピークを迎えると箍が外れたように一斉に浄化者の元へと押し寄せる。居場所を知られて逃げられた浄化者はいない。
屋敷の中に入って来られると面倒なので、静子と創大と相談し、壱が一人で片付けを請け負った。誰も反対などしない。護番とはそういうものである。
心配などするのは、あのオカルト耐性ゼロの主人ひとり。
サイが吠えた方向に向かっていると後方から女の叫び声がした。
足を止めず振り向くと、黒い靄が生徒の兄を再び覆おうとしている所である。
「……あー……あ!?」
ぱたたたたっと走ってきた白いパーカーが必死で林千紗に飛びついた。見る間に靄が晴れていく。
「透さ……ハク、行け!!」
ひとつ鳴いて全速力のハクが主人の元に先に駆けていく。
ぞろりと穢れ全部が天敵に気付いて殺気立つ気配を感じ、壱のうなじが逆立つ。
「違う違う、そっちじゃない……まずはこっちだ」
腕を捲って黒刃を握り直す。もう両手首まで真っ黒だ。
だけど背中が少し温かかった。近くに主人の気配を感じて勝手に身体が喜び始める。
常人にはない動体視力で靄を端から捉えて横に凪ぐ。腹に落ちる冷たい感覚を無視して呼吸の熱に集中する。大丈夫、自分はまだ護番に違いない。
真っ黒になるまで穢れを吸収できる極呪持ちだが、本来そんな矛盾した護番はいない。せいぜい吸収出来ても半身くらい。真っ黒とは即ち死である。死んだら主人を護れない。自衛本能が働くべきだったが、生まれた時から壊れていた。
『おきよ様を護るに値しない番』だと四方会まで開かれた所以はそこにある。
壱は淡々と殻無したちを斬り続けた。左を斬り右へ凪ぎ、サイの声で腰を落とす。
足を動かし、振り上げた手を降ろす。汗が背中を流れ、蟀谷を伝って顎から落ちた。夜の草原に意識を無くした身体がうめき声と共にごろごろと転がって行く。
「はぁ……はぁ……」
殻無しを合わせると百近くを相手にし、首まで黒く染まった壱が息を吐く。
そろそろ身体も重くなる。一度止まって刀を仕舞い、手の甲で汗を拭いた。
「壱」
場にそぐわぬ可愛い声が背後から聞こえる。眉間に皺を寄せて、振り返らずに答えた。
「ちょっと、こっち来ないで下さいよ」
「うん」
「大体、なんで来た?」
「千紗ちゃんが」
「『千紗ちゃん』!?」
「そう、千紗ちゃんが見えたから。友達が危ないのは放っておけないでしょう」
声がドヤっている気がして、バキバキの腹筋から力が抜けそうになる。いつから林とそんな友達になった。遠足の班ごときが急に太い絆になるのかよ。
と言うか、せっかく友達になったなら、まずこのタイミングで出てくるなよなぁ…。
「まぁ……ちょっとそれは後に置いといて。もう少しで終わります。そっちが良いなら家ん中に戻って下さい」
「戻んないよ」
「はぁ?」
「戻るわけないでしょ。ここに、い、ま、す!!」
ようやく振り返って、顔色の悪い『友達』の横でしゃがむ主人を睨むと、あっけらかんとしている。
両者睨み合った末に僕が負けてやった。
「好きにしろ」
「ありがと、壱!!」
んー、と適当に返し、ブンと手を振って黒刃を出す。
透が見つめるその先で、壱が時々肩で息をしながら斬って回る。
「ねぇ」
「はい!」
千紗がようやっと臨界点を超えた恐怖やら理解不能な状況を脇に置けるくらいには心を取り戻し、なぜか突然現れたクラスメイトに声をかけた。
「付き合ってんの?」
「へ?」
「あ、違う……いやそれもアレだけど……あんたたち、何なの? 透どっから来たの!? そんで何してんの先生は」
「私の家、そこなんだぁ。壱はなに……何だろう。壱は、皆を正気に戻してる、ところ」
「正気」
繰り返しながら千紗は転がっている兄を見る。
「じゃあ、お兄ちゃんは元に戻ってるって言ってたけど、そこの転がってるのが私の兄なんだけど、もうおかしく無くなるの?」
「うん、壱がそう言ったんでしょう?」
「うん」
じゃあ大丈夫だよ、と透がにっこり笑って請け負う。
「この世にはね、ずーっと昔から、人間が落として行く穢れが有るんだ。そこら中に」
千紗に向けて言っているのかなんなのか、透が汗を滴らせる辰巳を見つめながら続ける。
「普通は視えないの。恨みやつらみ、妬み嫉み、未練や憎しみは誰でも抱えるものだけど、いちいちそれが視えていたらやっていけない。でしょ? だけど、視える人もいる。そういう貧乏籤には大体役割が与えられてて、私は穢れをゼロにする人。壱は……戦う掃除機みたいな。穢れを吸い込みながら、ゼロにする人を邪魔する奴から護る人なんだ。ややこしいね」
「ちょっと何言ってるのかわかんない」
透が嬉しそうに笑う。
「そうだよね……とにかく、千紗ちゃんのお兄さんはもう大丈夫だし、悪いことは何も起きないよ。悪いのは壱が全部持って行く……ほら、もう壱、真っ黒」
辺りにはもう、黒い服の男以外に立っている者はいない。
壱は黒刃をしまって汗を拭う。
肩で息をして立ち止まったその後ろ姿は、夜に融けるみたいに黒ずんで見えた。うなじも耳の後ろも黒くて、両頬の外側がじんわりと空に染みている。
透が表情の読めない瞳で男を見ていた。千紗が最初の問いを再び口に仕掛けた時、第三の声に遮られた。
「もういいな。回収するが」
「おー」
また知らない眼鏡の男が近くまで来て辰巳に声をかけた。
同時に屋敷の方からトラック数台の音がする。
「お疲れ様。今回は久しぶりに多かったな」
「ああ。殻憑きが多い。後処理も大変だな。津田、彼女と……あともう一人。こっちの子は、透さんのクラスメイトな」
「………」
辰巳が千紗と桃花を振り返り、津田と呼ばれたスーツで眼鏡の男が複雑な表情でこちらを見ていた。その後、辰巳が眼鏡の耳元で何か話しているようだった。眼鏡が口を開き、辰巳が何度か頷く。
「千紗ちゃん」
「うん?」
「色々驚いたね。ごめんね」
急に透から謝られて、何がと思うのと同じくらいに『それは違う』と感じる。
「ううん、違うよ。こっちがありがとうを言う方なんだってことは、流石に私でもわかるよ」
透が目を丸くする。
「えぇぇぇ……にひ」
「辰巳もさ~、お兄ちゃんのこと、よくわかんないけど、本当にありがとうございました!」
「おー」
担架が運ばれてきて、微睡む兄を迷彩服の男の人たちが連れて行ってくれる。津田が桃花と千紗も一緒に病院へ運ぶと誘う。
「ね、月曜、学校でさ、教えてね! 色々!!」
「………うん!」
「また明日!」
「また」
透は嬉しそうに頷いて、二人は何度も手を振りあった。
◆◆◆◆
深夜二時、ガラガラと玄関の引き扉が開き、会食を終えた智成が辰巳家へ帰宅する。長い廊下を歩き、台所で水を飲もうと食事室に足を踏み入れた。
「……あれ、まだ起きてた?」
「おー、おかえり。お前もご苦労様。どうだった」
「うん、最後は向こうもご機嫌でした。もうすっかりお怒りは鎮静、可愛いもんだ。来年からの収益予測と役員改選のメリットで着地点を見つけたんでしょうね」
「そうか。上々だな」
叔父の創大がウィスキーを舐めながらテーブルでパチパチとパソコンを叩いている。
「こんな夜中に、まだ書類仕事?」
「いや今日は、ほれ、壱がな」
「……あ、あぁ、そうだった。終わったんだ。無事に?」
「ああ、特に。後は津田とおいつ様の仕事だ。壱も向こうでご機嫌な顔で寝とる」
汲んで来た水を片手に、智成がひとつ向こうの部屋に置かれたソファに眠る壱の顔を覗きこむ。薄っすらと黒さの残る首、肘を曲げて頭の下に置かれたTシャツから覗く二の腕はまだまだ黒い。
長身の身体の上には透がすやすやと寝こけている。
ひと晩じゅうくっ付いて眠れば、壱がどんなに黒くなっても翌朝には元に戻る護番の仕様である。
「良いなぁ。俺も透さん抱っこして寝たい」
「あほう」
茶化して叔父へ向いて言い、二人でひそひそと笑う。
壱が何食わぬ寝顔のままで身体に乗せていた透を智成から隠すようにしてソファに挟んだ。
「こいつ起きてんだろ」
「………」
壱の手があっち行ってろと智成に向けて振られる。
透の手がもぞもぞ動いたが、壱が背中を小さく叩くとまた止まった。
「壱のご褒美タイムだからな。邪魔したらキれられるぞ」
「自分だって見張ってる癖に、よく言う」
「俺のは静子様との約束だ」
水を飲み干した智成が風呂に入ると部屋を出て行った。
◆◆◆◆
「千紗ぁ、昨日どしたん。日曜も遊べるか連絡してんのに既読もつかんし」
理子が携帯で前髪を整えながら尋ねてくるが、千紗も首を捻って答えを探す。
「それがさぁ、大変だったんだよ、週末」
「なになに」
「お兄ちゃんとお父さんが喧嘩になって、お父さんが滑って転んで、腕に結構大きな怪我しちゃって」
「え~」
「救急病院行ったりして。で、その後に四人で車に乗って帰ったら、その帰りに事故に巻き込まれちゃったんだよね」
「ま!?」
「マジ。バスに乗っていた人とかもいて、結構大きな事故になっちゃって」
「そんなニュースあった?」
「いや、だけど誰も大きな怪我とかはしてないんだって。訪日を秘密にしている要人が絡んだ事故らしいから、ニュースには出ませんて説明された」
「なにそれ! そんなんあんの? SNSで叫んでいい?」
「やめてよ、なんか怖いわ。それで事情の説明とか色々あったり、各自の聞き取りとか? そんで病院で日曜も泊まって、月曜に家に帰ったんだ。理子の連絡どころじゃなかった」
「そらそーだ。父大丈夫なの」
「今日も会社は休んでる。結構痛いみたいで。机の角でぐさってなったらしいから深いみたい」
「ひゃー! 痛そう!!」
理子が二の腕をさする。
それから理子が過ごした日曜の遊び報告を聞いている内にチャイムが鳴り、また日常が始まる。
教室では土日が嘘みたいに穏やかに時間が流れ、授業中に笑い声が上がり、休み時間になれば誰かがふざけて椅子が倒れたり。
千紗は時折、左から二列目、前から二番目の澄永透に目が行く。彼女にはちょっとした入学前の思い出があった。結局、世話になってしまった御礼が未だに言えないままだが。
四限になり、千紗は受けていない小テストの返却が始まる。
「昨日のはちょーっと難しかったみたいだな。平均点が六十点まで落ちた。返すぞ~」
次々と呼ばれる名前。騒がしくなる教室。
「澄永」
静かに立ち上がった色素の薄い天使の輪が教卓に進み、笑顔の辰巳からテストを受け取る。
「がんばった」
だけど天使の輪は無言で受け取り、ぺらぺらとどうでも良さそうに手にして席に着いた。小テストはクシャリと鞄に突っ込まれる。
綺麗で髪の毛ツルツルで、数学の小テストも満点なんだ。
千紗は世の中って不公平だな、と思いながら今日も友達のいない独立国家を眺めた。
第一章がこれで終わりです。
また第二章書いたら投稿します。
20~30人くらいの方に読みに来て頂けた・・・!かなぁ
KASASAGIの数字の整合性が???でよくわからないな。
ブクマにリアクションありがとうございます。
ご評価は今日つけてもらったけど、マイナス訴えスね。OK!!でもまだ続けるけど。
とりあえず今年は色々やってみるので、読んでやってもいいぞ、という方がいらっしゃれば
また次話もよろしくお願いします。




