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06

 土曜になり、昼過ぎに目を開けた透が空腹に耐えきれずベッドを出た。

「あ、透さん、おはようございます、大丈夫ですか?」

 作務衣姿の創大が食事の部屋から出てきたが、透に気が付いてまた戻って付いて来た。

「おはよー。とりあえずお腹空いて……また後で昼寝するかも」

「帰って来られたの、四時を回ってましたね。お疲れでしょう、どちらまで?」

「えーっと……日本海側の方って言ってたかな。大きな病院と繁華街に行ったよ」

「穢れは酷かったですか」

「ううん。病院は建物全体にふわーっと。だけど気になる感じはあった。酷くなる前にして欲しいって『おせん様』からの要望だったって」

「あ、そういうのですか」

 北東を護るうしとらの一族は『おせん様』を輩出する遠藤や遠野を囲う。おせん様とはいわゆる千里眼で、穢れを通してその量を知り、先を視る助言を施した。津田を介し、国はおせん様の言を最優先に澄永や『おいつ様』の飛白、『おしょう様』の神路、喜多を各地に派遣する。


 女神(おんながみ)は人と交わってその身に有した力を男に分け与えた。それが遠藤、飛白や神路などの家に伝わる浄化能力である。また、巽のように呪いはないが、女神の寵愛を受けた家の当主が彼女たちを保護する役割を担った。これが巽を除く七家の勃興である。おきよ様だけが女神の力の直系で、直截的に穢れを浄化した。


 透はまだ学生なので、地方への派遣仕事は金曜夜か土曜夜に限定される。

 昨晩も迎えに来た津田とヘリで飛び、小さなプロペラ機に乗り換えて夜中の病院と真っ暗なキャバクラや風俗のごった返す繁華街を壱と歩いた。黒い靄の漂う繁華街では酔っぱらいが透の元へやって来て、壱が不機嫌な顔でのしていた。

「酔っぱらいが? 殻憑きでもないのに、なんで寄って来るんですか」

 創大が不思議そうに聞く。

「病院で看護師さんの制服着てたの。さすがに人払いできないし、見られても変じゃないでしょ。それに白くてちょうど良いから。でも結構時間かかっちゃって。そのまま繁華街行ったんだ。それをなんかコスプレだと思ったみたい。一応カーデ羽織ったけど、壱曰く『カーディガンが余計にソレっぽい』って。そうなの?」

 聞いて創大が笑う。

『ナースの雄シゴと』という店の前で看板を背にした壱が一番不機嫌になったのは流石に透も噴き出した。

「透さん、お昼、パンケーキしましょうか」

「わーい、食べます! 沢山歩いたから、お腹空いちゃって」

「じゃあスープとオムレツもいたしましょうね」

 急いでどこかから戻って来てくれた多江が台所に消え、創大がコーヒーでカフェオレを作ってくれる。

「壱、ちゃんと起きてた?」

「ええ、学校のWEB研修があるって、飯持って離れに籠ってますよ」

「そうか。偉いねぇ、壱」

 いつもの席にまた座って、創大が苦笑する。

「そういうのは本人に言ってやってください」

「絶対いや」

「透さんから言われるのが一番嬉しいんですよ」

「だろうね……そういう呪いだもん」


 両手で持ったカフェオレの湯気が、おでこをなでる。

 男前で頭が良くて、何より壱は努力の人だ。朝から走ったり道場に行ったり鍛錬を欠かさず、教本はボロボロで、パソコンのタイプ音もよく聞こえてくる。巽が経営に噛んでいる私立高校なのだから、別に手を抜いたって構わない。だけど全方位で最良の護番であろうとしてくれる。すごい奴だった。極呪だろうが特盛りだろうが、壱は出来る限りの一番良い形で側にいてくれる。可愛い、可愛い壱。



 しかし透とて馬鹿ではない。


 壱は透だから護っているわけではないのだ。


「鬱陶しいでしょうけど、我慢してください。巽は私も含めて、あなたの為にある」

「やめてよ、創ちゃんまで。どうせ、もうそれもお終いになるんだから」


 浄化者の減少を止めようと、二千年に入ってからプロジェクトが立ち上がった。

 おせん様によれば穢れは明らかに減っていて、日本の総人口も減少する未来しかない。浄化者が減るのは自然の理でもあった。しかし浄化者がゼロになれば一体どうなるのか。誰にも予想ができず、縋る方法を模索した。


 果たして、あらゆる条件、あらゆる試算を重ね、澄永は透でお終いと出た。

 これまでに潰えた浄化家系をつぶさに洗ってデータに落とし、統計解析をして『おきよ様』が途絶えない道を探り、何度も何度もシミュレーションを繰り返す。だけど結果は同じ。透はおきよ様を産まないだろう。他家も同様の道を歩む結論しか出なかった。


「必要が無くなる役割なのに、護番なんて壱が一番貧乏くじだよ」

「また、そんな」

「おきよ様が途絶えるんじゃ、護番だって生まれない。そうでしょ?」

「ええ、まぁ、そうだとは思います。巽の場合、浄化者と呪い子はセットですから」

 頬杖をついてカフェオレの入ったマグカップの縁をなぞる。

 創大は白髪交じりの短髪を掻いて、苦い顏だ。呪い子でなくとも、巽にはおきよ様を主に戴く血の刷り込みがある。寧ろ多少の力がある一族の男女は皆が護番を羨んだ。呪いが憧れなど、重た過ぎて口が裂けても少女を前に言えないが。

「呪いが解ければ良いのに」

「え?」

「最近、よく思うんだ。私も大人になってきて、色んな人を見比べるようになって」

 創大が遠くを見ている透を見つめる。

「壱にはもっと広い世界が似合う。バスケだって上手だったんでしょ? 巽には海外の会社だってある。友達だって沢山いてさ、女の子だってヨリドリミドリ。私からすればリア充おばけだよ。何でもやれて、しかも努力できるんだもん、行こうと思えばどこにでも飛んでいけるのに」


 だけど壱はどこにも行けない。


 盆を肘の横に置いた多江が、そっと透の肩を触る。

「こっちが蜂蜜、こっちがメープルシロップです。おかわりも直ぐに焼けますから仰って下さいね」

「ありがとうございます、すごい、おっしゃれ! お店みたい、美味しそぉ」

 生クリーム付きのふっくら円いパンケーキが二枚、ベーコンとキノコのとろとろオムレツ、紫キャベツとキャロットラぺにグレープフルーツとヨーグルト、野菜の沢山入ったミネストローネ。

「多江さんのご飯が、本当に幸せ!」

「まぁ、それはありがとうございます。多江も透さんにお食事をお出し出来て幸せなんですよ。……きっと壱さんも」

 左手に多江のひんやりした手が重ねられて、透はふにゃりと笑む。



 食事の後、透はハクと蔵に籠って何百とある巽の史書の一部を捲った。

 呪いを解く方法の有無など恐らく誰も調べたことはない。浄化は必要だったし、そのため護番も無くてはならない存在だったから。近年で根本から覆す状況になっているのだ。人と穢れの減る土地に浄化は要らなくなる。

 澄永が絶えていくのを巽が見届けて終わるだろう。やがて誰の記憶からもおきよ様はいなくなる。


 而して呪いも不要でしかない。

 だから多少フライングで壱が自由になったって、問題は無さそうに思えた。


 死別という方法が真っ先に考えられたが、碧が行方不明になった翌日から祖母と透の能力が強くなった実績がある。恐らく浄化は必要な分、振り分けられる。結局壱はまた力が戻った静子の浄化で生かされ続けるだろう。それでは意味もないし、静子は確実に先に死ぬ。壱の命の保証をしてやれなかった。


 時々、うとうとと午睡を挟みながら黄色く薄い紙を捲り、既に見慣れた崩し文字を辿る。そうして夜になり、また目を瞑っていた透の前には壱とサイがしゃがみ込んでいた。嬉しそうにサイが舐めてくる。


「何してるんですか? 真っ暗で」

「サイちゃん、くふっ…ん……研修、終わったの?」

「はい。探しましたよ、どこにもいないから。サイ出した」

「昼寝するのにちょうどいいんだ。意味のわかんない本を眺めて眠たくなるから」

「わざわざ? こんな本読まなくても寝れるでしょうに。徹夜だったんだから」

 側でしゃがみ込んで、広げた史書を閉じて積む。ごろんとしたままの透が手を動かす壱を見て、気が付いた。

「あれ、壱、なんか汚れてない?」

「そうですか? そうか?…わからん」

「ちょっとだけ。朝はそんな穢れついてなかったのに……なんかしてきたの?」

「WEB研修」

「……そうだね。なんかちょっと、いやな感じがするやつ…おいで。どこで拾ったんだろ」

 首を傾げ、上半身を起こした透が壱の首に手を伸ばす。手のひらが男の首元に添えられて、温かい浄化が始まる。壱がラッキーと小さく呟いた。

「穢れもらってどこがラッキー……あ」

 壱があっという間にしゃがんでいた姿勢から長い脚を組んで間に透をぽすんと抱えてしまう。

「すぐ終わるよ。ちょっとだし」

「んー。ゆっくりコースで」

「そんなコースありません」

 男前は嬉しそうにして目を閉じねだる。

「本当に好きだね、浄化されるの」

 殻憑きや殻無しは浄化が辛そうにも見えた。透にはどうなっているのかはわからないが、喜ぶのは知る限り護番だけだ。それ以外の人は浄化されていることにも気が付かない。

「好きです」

 薄っすら目を開けた僕が、腕の中の頭に言った。

「はい、おわり」

「はや」

「ちょっとだし……壱、今晩、本当に行くの?」

「行きますよ。鬱陶しいでしょ」

 腕の中から見上げたが、壱が透の頭に顎を乗せたので首しか見えなくなる。

「でも」

「予想してたより数が多いんです。殻憑きが大勢この辺に集まるせいで、結局穢れもばら撒かれて殻無しまで出てる。他の従業員の安全もありますし。創大も、そろそろ誰か気が付いて騒ぎになるんじゃないかって」

「そか」

「なにより俺は屋敷に近づいてきているのが気に入らん」

「やっぱり私も」

「来なくて良いですよ。一人で大丈夫」

 頭を振って身体を離し、不安そうな顔で見る主人に壱はニヤリと笑う。

「壱、真っ黒になったら死ぬんだよ」

「わかってますよ。真っ黒になる程の量でもなさそうだったから。その代わり、後はよろしくお願いします」

「………うん…」

「腹減った。さ、飯行きましょ、飯。今日は皆ですき焼きだって」

 そのまま身体を持ち上げられて、壱が立ち上がってからゆっくり降ろされる。

 蔵の灯りを消して、二人は扉を閉めた。



 ◆◆◆◆


 土曜の昼食後、林家では父と兄が喧嘩になった。

 正しく言えばあらゆる反応に悪さに痺れを切らした父の手が出て、兄が殴られ、顔を顰めたような気がした兄が、手を振ったと思ったらなぜか父の二の腕がざっくりと切れていた、という事故のような経緯だ。

 千紗は噴き出した血に驚いて泣き、母の運転する車にのって青褪めていく父の止血をし、救急病院まで駆け込んだ。

 兄は家からはおろか、部屋からも一歩も出なかった。


 どうやって怪我させたのかはよくわからなかったものの、正樹の様子は変だし、怪我させたことに狼狽えも変化ひとつすらもない。母は正樹がDV付きの引きこもりになってしまったと号泣し、ここにきて林家は史上最大のピンチを迎えている。

『まぁ君、まだ毎晩出てるんだよね?』

 携帯の向こうで話を聞いた桃花が確認してくる。

「出てる……また同じことしてるのかなぁ」

『ねぇ、なんか考えたんだけど、変な動物に噛まれたとかで、病気になっちゃったとか』

「脳みそにウィルスが、って? 映画の見過ぎじゃない?」

『そう、それ。だって話し方も変だったし……今晩また尾行して、今度は動画で取ろうかな、って。それをお医者さんに見せたら何かわかるかもしれない』

「あ~。え、桃ちゃんまた行くの」

『うん。だって、元のまぁ君に戻って欲しい』

 案外桃花は本気で兄を好いてくれているんだな、と千紗は感心する。良い彼女じゃん。なのにあの馬鹿な兄は何しているんだ、本当。

 家族にこんなにも心を砕いてくれている桃花に申し訳なくなり、千紗もやっぱり一緒に行くことにする。

『一緒に行ってくれるの?』

「うん。だってなんか、皆変で気持ち悪かったし。一人じゃ桃ちゃんも怖いっしょ?」

『嬉しい!! 本当はちょっと怖かった』


 夜になり、千紗と桃花はまた正樹の後を追って、やはり同じD市駅に降り立った。

 桃花は時々正樹を撮っている。デバイスに映る兄は別人のように猫背で、ノロノロしていた。知らない兄、知らない彼氏みたいに。

「前と同じだね」

 桃花の呟きに千紗も頷く。

 改札を過ぎた時、兄と同じように動きが緩慢で何となくおかしな人が数人いるような気がした。駅を出て、夜空の下を外灯の少ない方向へと兄が歩き出す。

「やっぱり同じところ行くんだよ、これ」

「何なんだろ? マップで見ても、木しかないよね」

 マップアプリで浮かんだ前と同じ場所は緑色で一帯を覆われた自然公園でしかない。特段施設というわけでもない森林地帯とされている。

「ねぇ、他の人も同じだよぉ……」

 桃花が千紗にしがみついてくる。

 暗い夜道、距離を開けつつも正樹と同じ方角に向かってヨロヨロとした人間たちが無言で歩いて行く。

「彼氏でも連れてきたら良かった。前より怖いね」


 なるべく二人は人々から距離を取って兄を尾行した。

 ノロノロと歩くこと三十分程で、また前回と同じ森林地帯の周囲で皆が止まる。

「動画、暗くて顔がボケちゃう」

「あ~、暗いもんね……もう少し近寄る?」

 木々の奥に何があるのか、同じ方向を向いた人々が時折何かを口にしながらジッとしている。何言ってるんだろう? 千紗は耳を澄ますが『お』とか『よ』と断片的な言葉しか聞こえなかった。

「何人くらいいるんだろうね?」

 桃花が首を傾げながら数えて、三十人を超えた所で諦める。

「あ、まぁ君移動する」

「行こ」

 アスファルトの道路から外れ、草木の生える土を踏み、より暗がりへと人々が迷いなく入って行く。だんだんと兄のいる場所が分からなくなってくる。千紗と桃花はギュッと手を繋いだ。

 携帯でライトを灯し、離れた場所から音を頼りに迷いなく足を動かして行く人々を追った。時々こけても声も上げずに立ち上がる人がいて、地面を踏みしめる音、ぼそぼそと繰り返す声が響く。非日常的な光景に肌が粟立つ。

「泣きそう」

「も~漏れそう、千紗ちゃんいて良かった」

 ひぃぃぃっと半泣きで追った深い暗闇の後、突然月明りで辺りが開けた。


「……あ?」


 家がある。

「家?」

「家かな? お寺とか。大き過ぎない? 塀の終わりがないよ」

 開けた視界の遠目に見えるその家は長く高い壁が続き、建物を覆う。上部に見えた切妻屋根の一部は屋敷の大きさを物語っているように見えた。

「ヤクザの親分の家とか」

「ぅわ、ありそう!?」

 腰高の草が揺れる。示し合わせたように屋敷を向いて止まった人々の数は悠に五十を超えた。いやもっとかもしれない。千紗は兄を見ようとして、だけど上手くいかず目を瞬かせる。

「なんか……あっちの方、見えにくい」

「霧?」

 人々が集まった辺りには黒い霧が立ち込めている気がした。気のせいかもしれない、程度の。

 だけど、しばらく見ている内に、黒い霧が大きな塊になっていくようにハッキリと見え始めた。

「!? も、ももちゃ」

「ちょ、も、や~…なんなんこれ、ダメじゃない!? まぁ君、まぁ君」

 カタカタと震える桃花が兄の名を呼んで泣き出した。

「千紗ちゃん、まぁ君どうなっちゃうの? 怖いよ、私、いやだって」

「桃ちゃん、もう動画も撮ったし、帰ろう!? 今度は警察とか連れて」

「まぁ君!! 正樹!! 一緒に帰ろう!」

 千紗が、えっ、と思った時には遅かった。

 恐怖で半狂乱になった桃花が突然兄に向って走り出す。

「桃ちゃん、桃ちゃん、やめなっ!! やめ……」

 慌てて千紗が追いかけるが、桃花は足を緩めない。どんどん正樹に間合いを詰めて、まぁ君まぁ君まぁ君と泣きながら両手を広げて飛びつこうとしている。

 だが桃花を見た兄が無造作に爪を立てた手を振り上げるのが見えた。

「もも……っ」


 トスン、と確かに音がして、視界から兄の姿が消えた。

 ひゅっ、と千紗の喉が鳴る。

 兄がいた場所には、いつの間にかこちらに背を向けた黒い服の男。

「お兄ちゃん!!」

「………ん?」

 長身の男が髪を掻き上げながら鬱陶しそうな目でこちらを見る。

「え。え!?」」

 千紗が急ブレーキをかけて止まった目の前には、見慣れた担任教師がいた。

「あー……コレ、お前の兄ちゃんか」

「え? うんそうだよ、先生、ここで何して」

「あ~~~。面倒くせぇな」

「へ?」

 草の上に俯せた兄は意識が無いようだった。辰巳が正樹の首元の服を掴み、脇に手を入れてずるずると移動させる。桃花は泣きながら『まぁ君に何するの』を連呼して辰巳に怒っている。辰巳は怒鳴られてもグーで叩かれても見向きもせず、相手にしない。

「林」

「はい」

「ちょっと此処で待ってろ。お前のお兄さんは元に戻ってるが、暫く意識は戻らない。俺がもう一度戻るか、別のあーいうのじゃないまともな人間を寄越すから、それまで此処でじっとしてて」

『あーいうの』と言いながら、こちらの動きに一切頓着せず屋敷を囲ったままの人々を見ている。

「先生あの、あの人たち、何なの?」

「……後で言うわ」

 軽く言って、辰巳が行ってしまう。辺りは一度黒い靄に飲み込まれた。


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