第二章の一 冥華(めいふぁ)の庵
「あなたの庵はこちらです。侍女を一人入れてあります。好きに使ってください。なにかありましたら私に。それでは」
案内役の宦官が終始つんけんしたままそう言って去っていき、冥華は庵の中に入った。
部屋は暖かく、部屋の中に活けられている桃の花の香りがしていた。
奥から人が現れ、冥華に礼を取った。
「林薫玲と申します。これより、冥さまのお世話をさせていただきます。何なりとお申し付けくださいませ」
髪を撫でつけて結い上げ、赤と青の繻子の紐で飾った、冥華より少し年上に見える娘だった。 胸元の詰まった襦を着て、襞の少ない短めの裙を穿いている。帯も動きやすいように腰の上で締めている。けれどその布は宮外の娘たちには手が出ない上等の布で、衿には唐草と小花の刺繡が施してあった。
「薫玲、よろしくお願いします」
「はい」
「私は先ほど、皇太子鳴鳳さまから、冥華と名を賜りました。以後そう呼びなさい」
薫玲は目を大きく見開いたあと、ガクガクと頷いた。皇太子から名を賜るのは、寵愛、または友愛の印だ。
「は、はい、冥華さま」
冥華は落ち着きなく頭を動かし、何かを探している。
「あれはどこ?」
「ああ、まだ籠です。隣の部屋に」
聞くが早いか冥華は隣室に行き、それを見つけた。藤蔓で編んだ大きな籠だ。鹿の角で作った留め具を外すと、中から黒い長毛種の猫がするりと出てきた。
両目が水を張った深い甕のように真っ青だ。それは冥華の左の目の色に似ていた。
冥華は
「これは私の猫で黒潭といいます」
と言った。
「はい」
猫に名前をつけるだなんて変わってるなと薫玲は驚いた。
そんな習慣は薫玲の周りにはなかった。
「黒潭の、水と、厠を」
冥華に言われて、薫玲は、小部屋の隅にすでに設えておいたそれらを、冥華に案内する。
萌宮でも後宮でも、猫や小鳥、小型の犬を愛玩する嬪準は珍しくはなかった。
猫は悠々と、子猫と木の花が描かれた、白い焼き物の厠に向かい、用を足すと、魚の形の器に入れられた水を飲み、日当たりのいい場所に置かれた椅子の上に飛び乗ると、毛繕いを始めた。
それを見て、冥華は薫玲に言う。
「ありがとう」