プロローグ
薄暗い狭い坑道が下へ下へと、どこまでも続いている。
そしてその坑道は途中で幾つにも根分かれを繰り返し、まるで木の根の迷路のように下へ下へと向かって果てしなく広がっていく。
迷路の如き坑道の深層、薄暗き987坑道の最果てにて。
今日もベレンはたったひとりで、かすかな鉱脈を探っていた。
・・・"たったひとり"とは、ひょっとしたら正確では無かったかも知れない。
強いて彼以外の存在はと言えば、数体のロボット工作機械とアンドロイド工兵達もいると言うことも出来る。
しかし、それらはやはり人ではないので、"たったひとり"との表現は多分間違いではない。
それらの物体は、人気のない坑道のあちこちに、ポツンポツンと所在なさげに佇んでいる。
ベレンは目の前に広がる岩肌に手のひらをそっと添えて、地中から何かを掴み取ろうとするかのように静かに目を瞑る。
彼の手のひらがジッと少しだけ熱を持ち、手が触れている岩肌に淡い赤い光りが微かに灯り、じんわりと広がっていく。
しかしその儚い光はすぐに消えて、岩肌はたちまち元の冷たい岩壁に戻った。
ベレンはその冷たい岩肌を見つめながら、そっとため息を吐く。
「また昨日と同じだった・・・その前も・・・もう幾日もずっと・・・」
ベレンがひとり静かに探っているのは"シルマリル"の鉱脈である。
"シルマリル"は大変希少な鉱物資源で、かつては他の鉱山でも見つかっていたが、今ではもうこの鉱山以外では発見されることはない。
過去他の鉱山で発見された鉱脈は、もう尽く枯れ果ててしまったと聞く。
"シルマリル"は、他に例を見ないとても変わった特徴を持っていた。
それは元来鉱物の一種であるにも係わらず、自然状態では一部の鉱石の中に、液状の量子の集合体として、ごく希に少量偏在する。
この液状の量子鉱物は偶然に発見出来たとしても、見つけた瞬間に量子性質が失われ、忽ち気化してもう元の液状には戻せないので、鉱物としては永遠に失われる。
ただ、シルマリルは液状量子集合体として存在する時で、偶然または人為的な高エネルギー、または高衝撃を受けた場合にだけ、初めて安定した量子組成の結晶体鉱物へと突然変異した。
すなわち、シルマリルは結晶化した場合にのみ、量子としての性質を残しながらも、ようやく人によって採掘可能な鉱物資源となるのだった。
それこそ、地中内部を貫く地脈に量子論的に偏在する、あえて人体に例えるならば、血液中に偶然に発生する血栓とも称すべき希少な結晶体。それが"シルマリル"の正体であった。
しかしながら現在に至るまで、星系広しと言えどその鉱物はここ惑星"エレギオン"でしか発見されていない。
当然ながら、そんな特別なシルマリルの採掘作業は困難を極めていた。
それは初めての発見から100年以上経過した現在においてさえも。
来る日も来る日も、ベレンはただ独りでひたすらシルマリルの鉱脈を追っている。しかし彼が独りでいるのは、彼がそれを望んだからでは決してなかった。
シルマリルの鉱脈は、特殊な適性がある人のみが感知出来る。
物理的な工業技法では、採掘はおろかシルマリルが存在する鉱脈の感知すら出来ないし、また先に述べた理由で偶然に発見できたとしても、その瞬間に貴重な鉱物は失われてしまう。
さらに言えば、例えそんな特殊な適性ある人であってさえ、他に人が付近にいる状態では、何故か頭中にノイズが発生して感覚が阻害され、シルマリル鉱脈を感知できなかった。
だから今ここにおいては、採掘作業が出来るのはベレンしかいないし、よって彼は常に独りでいるしかなかった。
そんなシルマリル的な都合はさておき、ベレン個人的に言うならばもっと根源的な理由も存在した。
それは、彼は生まれながらの鉱山奴隷であったので、彼自身の意志ではこの"エレボール鉱山"を離れる事が出来ないと言うものだ。
ベレンはまだ、14歳になったばかりの少年だ。もちろんこの世界においてもほんの子供に過ぎない。
青みがかった黒髪を短く刈り込んだ、よく見ればなかなか整った顔立ちの少年であったが、残念ながら彼の魅力的な容姿はここでは大した意味は持たない。
言うまでもなく、彼は他人に顧みられる事もない、ただの奴隷階級の先住民に過ぎなかったから。
「今日も見つからなかった・・・。まだ当分地上には出してもらえないだろうな・・・」
ベレンは長い期間に亘る単独作業の日々で、いつしか癖となってしまった独り言を呟く。
傍に佇む工作機械やアンドロイド工兵が、彼の話し相手にはなってくれることはない。傍にいるそれ等は、単にベレンの逃亡を阻むだけの看守に過ぎない。
だからベレンは、いつものように坑道の片隅の椅子に腰掛け、いつもと変わらぬたった独りだけの食事を始めた。
アンドロイド工兵が一日一回だけ地上から運んで来る、冷たく侘びしい食事時間が今日もまた繰り返される。
ベレンは今月に入って、もう2週間近く坑道内部にいる。
運良くシルマリルの地脈を見つけることが出来れば、しばらくは他の人と作業を交代し地上に出してもらえるのだが、それは滅多に起こる事ではない。
とは言え、ベレンは過去1年に数回ほどシルマリルの地脈を探り当て、結果僅かな量の結晶体を手に入れたことがあった。
客観的に見れば、そんな希な出来事さえも、他と比べれば随分と幸運な出来事であったようだ。
それと言うのも、ベレンが鉱山に入るようになった頃には、この惑星の先住民であり、彼の一族でもある他の"デュナダン"達は、もう既にシルマリルの地脈を感じ取り、それを探り当てる能力をほとんど失っていたからだった。
ベレンは薄暗い坑道を照らす点々とした明かりを、地上の夜空の星々に見立て、遠くまで続く地底の夜空にぼんやりと視線を漂わせながら、とうに固くなったパンとチーズをかじる。
「この前、外に出たのはいつだったっけ・・・?」
ベレンの記憶はすでに曖昧になりつつある。
「いつの日か・・・この地底の牢獄から離れ、本物の星空に飛び出していけたらな・・・」
その願いは、彼自身決して実現する事はない夢物語だと常に理解してはいても、・・・彼はそう願う事を止めることが出来ない。
ベリルは地上から見上げる星々に、自分たちの世界とは違う別の世界が存在することを知っている。
何故ならば、外部のその星々の世界からやって来た人々こそが、ベリル達"デュナダン"の民を奴隷とした張本人であったからだ。
この"エレギオン"と呼ばれる惑星に彼らがやって来たのは、もうかれこれ100年以上昔のことになる。
それはベリルの祖父達が生きた時代であった。
自分たちとよく似た姿形をした、よその世界からの訪問者達は最初はとても友好的であった。
彼らは、自分たちは学術研究の調査隊で"ロタリンギア"と言う星の国から来たのだと言った。
彼らはデュナダンの首長達に沢山の贈り物をした上で、この星で少しだけ調査をしたいのだと言った。
それから間もなく、彼らの技術者が大勢"エレギオン"を訪れる事となった。
彼らはここエレギオンに存在する"エレボール"を始めとした鉱山に関心を持っている様子だった。
それから程なくして、また他の星からも別の訪問者達がやって来た。
今度の訪問者は"マリーエンブルク"と言う星の国から来たと名乗った。
彼らもやはり技術者で、ロタリンギアの人々と同じくエレギオンの鉱山に関心を持っていた。
彼らの科学技術は自分たちとは比較にならないほど進んでおり、"デュナダン"はそれらの技術を全く理解できなかった。
しかしながらデュナダンの民の誰一人として、それを気にかけることはなかった。
何故なら彼らは以前と変わらない生活を続けていたし、彼らの来訪後であっても、同じく変わらない普通の生活を送って行けたからであった。
"彼らは彼らのままに。自分たちは自分のままで"それがデュナダンの生き方だと・・・。
しかしそれはあまりにも世間知らずで稚拙な処世術だったと言うことは、後ほどデュナダンの民自身が思い知ることになる。
"ロタリンギア"と"マリーエンブルク"の技術者達の仲は険悪だったが、普段の彼らは特に争うこともなく、お互い不干渉で鉱山の調査を独自に進めていた。
デュナダンは山の民で、ずっと昔から鉱業を生業としていたのでこの地の鉱山には詳しい。
それでデュナダンは求められるまま、いつしか幾ばくかの報酬を得る代わりに彼ら双方の調査を手伝うようになっていた。
そんなある日の事。マリーエンブルクの技術者がデュナダンの助けを得て、エレギオンのとある鉱山で"何か"を発見した。
実はその"何か"こそが、彼ら双方がずっと探していた希少鉱物"シルマリル"であった。
マリーエンブルクの科学者達は、シルマリルを密かに自分たちの母星に持ち帰ったが、その事は直ちにロタリンギアの科学者達に知れる所となる。
そしてロタリンギアは、突如として惑星エレギオンに多数の戦闘艦を送り、マリーエンブルクの技術者達を拘束すると同時に、元々この地にいたデュナダン達諸共この星を占領してしまった。
その後直ちに、ロタリンギアは惑星エレギオンの領有を宣言し、先住民デュナダン達はロタリンギアの奴隷とされて、そのまま鉱山労働に使役させられた。
自分たちが奴隷の身となって、初めてデュナダンの民は科学技術の差の意味を理解する事になった。
当初こそはデュナダンの民にも抵抗する者がいたのだが、それら抵抗する者はすぐに全てが殺し尽くされた。
散発的な抵抗は種族の絶滅をもたらすことに等しく、いつしか"抵抗"は何ら意味を持たない事をデュナダン自らが思い知らされた。
当初の笑顔で友好的な訪問者は、今やデュナダンの圧制者と化していた。
それからしばらく経った後、ロタリンギアとマリーエンブルクとの間で戦争が起こったらしいが、デュナダン達にとってそれは最早どうでも良いことだった。
彼らの最初の来訪から100年を過ぎた今ですら、ベレン達デュナダンは奴隷のままであったし、ロタリンギアとマリーエンブルクの戦争は未だに続いていた。
この地、"ロタリンギア宮中伯領"第28星系内惑星エレギオンは、元ロスト・コロニーであって、且つマリーエンブルク領との絶え間ない紛争地帯であり、またこの100年間いつ終わるとも知れない両軍の戦闘が行われている最前線であった。