【勇児】―衝動―
おばけ屋敷で無意識のうちに彼女を抱きかかえていた僕は、恥ずかしさで身悶えしそうになりながら出口で突っ立っていた。
沈黙が流れる。
胸の鼓動だけが鳴り響いていた。
彼女が面を上げ、僕に微笑みかける。
「お腹、空きませんか?」
「え? ああ。じゃレストランに」
時刻は午後四時三十分をまわったあたりだ。腹はあまり空いていないが、とにかく何かして落ち着きたかった。
レストランに向かって歩き出そうとする。
彼女が僕の手を取ったまま、立ち止まっていた。
「あの。わたし、お弁当作ってきたので、よかったら……」
はにかんでそう言う彼女。
「そっか。じゃあそこのベンチに」
端的に返事をする。もし今『ありがとう、うれしい』なんて言おうものなら、本当に身悶えしてしまいそうだった。
僕は深呼吸を繰り返しながら、近くにあったベンチに座る。
彼女は遠慮がちに僕の隣へ腰を下ろすと、カバンから青い包みに入った小さめの弁当箱を取り出した。
彼女がフタを開ける。弁当箱の中は一面黄土色だった。
彼女はスプーンですくうと、じゃがいもやにんじんと思しきものが中から顔を見せ、ご飯の上にのっていた。
「カレー?」
「はい。わたし、カレーしか作れない体質で」
肉じゃがを作ると、くしゃみが止まらなくなったりするんだろうか。
彼女は、スプーンでカレーをすくったまま、こちらを見ている。
「ど、どうぞ……あーん」
自分の口をあーんと開けた彼女が、僕の顔にスプーンを近づけている。
包みを見ても他にスプーンは見当たらない。初めから僕に食べさせるつもりで作ってきたみたいだ。
カレーの載ったスプーンを下目で見ながら口をへの字にして躊躇する。これまでとはまた違った恥ずかしさだ。
視界の隅。おっちゃんがあーんと口を開けている。おばちゃんが顔をしかめる。ちっちゃい子供が「きっと毒入りだよぉ」と言いながら跳びはねている。おじいさんが無表情に僕を見つめる。そして、そんな様子も知らずに彼女が泣きそうな顔で僕を見ている。
あぁ、もうだめだ……。どうせ僕は人の厚意を断れない。
観念して小さく口を開く。たぶん、周りからさぞかし僕の顔は間抜けに見えるだろう。おじいちゃんと目が合った。引き続き無表情だ。
スプーンが震えながら僕の口に入ってくる。舌の上に冷たい金属の感触。どっくいりぃ、どっくいりぃ、と子供の声が聞こえる。
「ふふぅんほっへ」
「え? えーと?」
彼女の手を取り、スプーンを僕の口から抜きとった。
自由になった口でカレーを噛み締める。冷めたご飯、弾力のあるにんじん、少し硬めのじゃがいも、ルーの滑らかな食感、スパイスの辛さがほんのりと口の中に広がる。
「……どうですか?」
僕を上目に、彼女がカレーの味を聞いてくる。
「家庭的な味、かな」
そ、そうですかと彼女が恥ずかしそうに下を向く。おっちゃんが頬を赤らめる。
おいしいとは言わなかった。まずくはないが、美味いわけでもない。
お手本通りの材料、市販の固形ルー。隠し味なんてものも感じられない。僕が初めて作ったカレーとよく似た味をしていた。
僕の感想に胸を撫で下ろした彼女は、二杯目のカレーをすくっていた。
あーん、で全部食べさせるつもりか……。
にいづまー、おさなづまーと子供のはやしたてるような声が聞こえる。
こうして、新たな羞恥の試練が始まった。
頬を上気させながらも、冷めたカレーをなんとか食べきる。
彼女は上機嫌で弁当をしまっていた。鼻歌でも聞こえてきそうだ。
「あ、そうだ」
彼女は何か思いついたように言った。
「最後に観覧車、乗りませんか?」
そう言って、彼女は目を細める。これまでのぼんやりした様子や緊張でどもることもなかった。
「だんだん速度が上がって、頂上で逆さまになるとか……ないよね?」
僕はいつの間にか疑り深くなっていた。
彼女は微笑んだまま首を横に振ると、僕の手を取り引っ張っていった。
「とりあえず、助走は要らないから」
「あ、そうなんですね」
観覧車にようやく乗り込めた僕と彼女。彼女は乗り込もうとして二度見送った。
彼女と向かい合って座る。
僕は外の景色を眺めていた。
遠くに見える夕日と、それを映す海。緑の生い茂る山は山吹色。大小さまざまなビル、商店街、住宅、行き交う車、長細い電信柱。街が黄色く染まっている。
窓に映る彼女は、僕と同じように外を眺めていた。
校内で何度か見かけたことがあるだけのかわいらしい女の子。それが今、観覧車で一緒に座っている。
彼女はなぜか僕のことが好きみたいだ。
僕は彼女をどう思っている?
『懐かしい』
夕焼けに染まる彼女は一枚の絵のようだ。
夕日を映す瞳は赤く輝き、栗色の髪が黄金色に染まっている。
『もう一度触れたい』
衝動が渦巻く。
じわり、じわりと胸を締め付けられるような感覚が広がる。
胸の奥から堰を切ったように流れていく。巡っていく。染み込んでいく。
『抱きしめたい』
手が震え出した。
僕の中で何かが打ち震えている。
止まらない。止められない。止めたくない。
こみあげるのは、どうしようもなくあたたかいもの。
『彼女のぬくもり』
この感情はいったいなんなんだ?




