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【ミスト】―天空の塔―

 指輪を眺めて座っている、しっぽの生えた彼女。

 彼女が魔物だと疑っている僕は、イスから立ち上がると彼女の横に立った。無造作に彼女のネコのような耳に触れる。

 途端に、ビクっと背筋を伸ばす彼女。僕はそのまま彼女の耳をさすった。

 彼女は「ちょ! や、めなさいよ」と羽をぱたぱたさせ、しっぽをフリフリ、肩を小刻みに震わせている。

「やっぱり」

 彼女は魔物だろう。

 黒いネコの耳、コウモリのような翼、黒いしっぽが二本。


 たぶん、僕は彼女を知っている。

 でも、確証がない。


 彼女が勢いよくイスから立ち上がり、僕の手も跳ね上がる。

「なにが……『やっぱり』よ!」

 ぱしんと乾いた音がレストランに響き渡る。僕の首が六十度回転していた。遅れて、頬からひりひりとした痛み。

「ふん! とっとと行くわよ!」

 そっぽを向いて店から出る彼女を、呆然と頬に手を当てて見ていた。



「次はあれ」

 彼女が指差しているのは、天空の塔と呼ばれるものだった。赤茶けた重厚な外壁にはツタがまとわりついている。長い年月であちこちが欠けて変色し、黄色がかった塔は首が痛くなるほど高い。天まで伸びるという表現がぴったりだ。大昔の戦で造られた過去の遺物らしい。

「塔には入れないよ」

 今は使われていないとは言え、一般人の出入りは禁止されているはずだ。

 それにもう、彼女の言うことを無理して聞く必要はない。むしろ、一刻も早く彼女を連れて町から出たい。

「そう。行くわよ」

 僕の手を引っつかみ、どんどん塔に向かう彼女。

 僕の声は聞こえてないのか?

「塔に入ってなにするつもり?」

「決めてない」

 今回も気まぐれみたいだ。

「塔の中は魔導兵が警備してるらしいけど」

 魔法で動く鎧が四六時中巡回していると子供の頃に教わった。武器は持っていないらしいが、捕まればやっかいだろう。

「そう。行くわよ」

 僕の声は彼女の耳には届かない。ネコは耳が悪いんだ、たぶん。

 もうすぐ塔の入り口に着きそうだ。

「心配しなくても大丈夫よ。魔導兵は得意だから」

 胸を張って言う彼女。

 魔導兵が得意ってどういうことだろう。嫌な予感しかしない。

「そ、そう……あの木馬なんてどうかな?」

 悪寒がした僕は、クマぐらいの大きさの木馬に顔を向ける。小さな子供が乗っていて、前後に揺られている。ただ揺られている。子供は手足をばたつかせて楽しそうだった。完全に子供向けだろう。

「アンタ、バカにしてんの?」

「そんなことはないけど」

「さっきから様子が変ね? どてかぼちゃ」

 何かを感じとったか、足を止めて僕を尻目に問い詰めようとする彼女。

「いや、ジョーダンだから」

「ふぅん。そう」

 彼女は怪訝な表情を浮かべながらも僕の手を引っ張り、天空の塔へと向かった。



 遠くの窓から差し込む光が足元を照らす。深い闇とかすかな光で、あたりは暗い赤色をしていた。静寂の中、僕と彼女の足音だけが響き渡る。誰もいない石造りの回廊。


 カシャ――

       カシャ――


 僕と彼女の足音に交じって、かすかな物音が聞こえる。

 僕は足を止め、音のした前方の曲り角へ耳を傾ける。

 息を切らしながらも休み休み六十四階まで塔を登ってきた。

 ここまできて近くに魔導兵がいるらしい。


 音は遠ざかっていった。

 もう何も聞こえない。聞こえるのは僕の心音だけだ。

 また歩き始める。


 ガシャン――

     ガシャン――


 いきなり聞こえ出した物音に足を止める。

 かなり近い。

 僕はいつの間にか、彼女の手を強く握り締めていた。手には汗がじっとりと滲んでいる。

 彼女に目をやると、全く平気のようだった。早く行けとばかりに、ジト目で僕を見ている。


 鎧の音が聞こえなくなったのを確認して、再び歩き始める。

 物音は聞こえない。

 曲り角が近づいてきた。音を立てて唾を飲み込む。魔導兵と出くわさないのを祈るしかない。

 覚悟を決めて、彼女の方を向く――


 鎧がいた。

 彼女の後ろに音もなく浮かんでいる。

 頭のない鎧。

 盾を持って構えている。


 鎧はゆっくりと腕を振り上げた!


「しまった!」

 僕は彼女の手を引っ張って駆け出す。

「あら?」

 彼女はきょとんとしていた。

 僕は前のめりになって跳びだすように曲り角を曲がる。


 鎧がいた。

 僕の手が届く距離に。



 時間が止まる。



 鎧が盾を振り上げる!


「うぉああっ!」

 僕は驚愕で絶叫を上げる。

「よっと」

 拍子抜けするような声が後ろから聞こえた。

 鎧の動きが止まり、周囲の空気が凍てつく。瞬く間に全身が分厚い氷で覆われていた。

 彼女が凍った鎧を蹴飛ばす。

 手足がバラバラになって吹っ飛ぶ。

 壁にぶちあたり、大音響を上げて散らばる鎧。


 目の前で起こった光景に、僕は口をあんぐり開けて突っ立っていた。


 助かった、がこれでいいのだろうか……?

 彼女は凍った鎧を蹴り回して遊んでいた。背後に迫っていた魔導兵の成れの果ても混じり、やかましい音を立てている。

 もしかして、壊した鎧は僕が弁償するのか?


 ガシャンガシャンガシャン!

 ガッシャッガッシャ!


 下の階から鎧の迫ってくる音が続々と聞こえ出した。

 彼女に目をやると、にこやかに手もみしている。

 全部ぶっ壊す気だ……。

 ぞくぞくと背筋を冷たいものが駆け巡る。

「ちょ、ちょっと!」

 不服な声を上げる彼女の手をひっつかみ、有無を言わさず上を目指して走り出す。

「おぉぉおぉぉっ!」

 次々と襲い来る鎧の腕を避け、雄たけびを上げながら駆け抜けていった。



「なんなのよ、まったく」

 荒く息をつきながら、彼女の声に顔を上げる。

 彼女は頬を膨らませていた。まるでオモチャを取り上げられた子供のようだ。


 天空の塔、最上階。

 ここまで無我夢中で突っ走った。あれだけの数の魔導兵を弁償なんて、夜も寝ずに働かなければならなくなる。彼女が破壊した二体を弁償するだけでも一苦労だ。魔導兵がいたところでどうせ老朽化して朽ち果ててるだろうと勝手に思い込んでいたが、そんなことはまったくなかった。しかもあれほど大量に出くわすとは……。

 無理やりでも、塔の入り口近くの木馬にしておけばよかった。


 息を整えながら周囲を見回す。最上階は展望台のように広々としていた。テーブルや長椅子、望遠鏡まで備え付けてある。

 空が近い。肌寒い風が、ひゅうひゅうと空気を巻き込みながら吹き抜けていく。

 手すりから町を見渡す。地上から見上げていた城が見下ろせた。町並みは屋根ばかりで、雑踏では人が小さい点となって蠢くように行き交っている。


 振り向くと、彼女が長椅子に座っていた。隣をぱんぱんと叩いている。

 座れということか。

 苦笑いにも似た笑みを浮かべ、イスまで歩み寄る。


 子供っぽいところはちっとも変わってない。



 もし彼女が“彼女”だったなら、きっと僕は――


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