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【勇児】―悲鳴―

 気持ち悪くなってベンチでうつむいている、見せ物カップルの僕と彼女。

 多少回復してきた僕は、マントの上から彼女の背中に手を置いた。

 途端に、ビクっと背筋を伸ばす彼女。僕はそのまま彼女の背中をさすった。

 彼女はあぁとかうぅとかよくわからない声を上げながら羽をぱたぱたさせ、肩を小刻みに震わせている。

「うぅ……やっぱり、勇児さんの半分はバファ○ンで出来てると思います」

 僕の半分は風邪薬で出来ているらしい。顆粒タイプだろうか。


 しばらくして、彼女が勢いよくベンチから立ち上がった。

「次はあれなんてどうですか?」

 彼女が指差しているのはおばけ屋敷だ。窓ガラスが割れ、壁のコンクリートが薄汚れている。まるで本当の朽ち果てた病院のようだ。

 絶叫マシンの次はおばけ屋敷――彼女は同じ過ちを繰り返すつもりなのか。

「口から魂が出てたりはしないよね?」

「魂? えとー? 一寸先は、五分の魂?」

 今回は正気みたいだ。

「おばけ屋敷なら大丈夫です。わたし、ホラー映画得意ですから!」

 胸を張って言う彼女。ホラー映画が得意ってどういうことだろう。

「そっか。あのクマの乗り物もどうかな?」

 半信半疑の僕は、軽自動車ぐらいの大きさの乗り物に顔を向ける。一メートルにも満たない子供が乗っていて、上下に揺られている。クマはただ手足をばたつかせてるだけだった。完全に子供向けだろう。

「あの、もしかして……おばけ、怖いんですか?」

「そんなことはないけど」

「わかりました。ではクマの乗り物へ」

 何かを感じとったかのように、遠慮する彼女。

「いや、冗談だから。さ、おばけ屋敷に行こうか」

「そうですか? わかりました」

 思案顔の彼女の手を引っ張って、僕はおどろおどろしいおばけ屋敷に向かった。



 淡い常夜灯が足元を照らす。深い闇と仄かな光で、廊下は暗い青色をしていた。静寂の中、僕と彼女の足音だけが響き渡る。誰もいない夜の病院。


 からり――

        からり――


 僕と彼女の足音に交じって、かすかな物音が聞こえる。

 僕は足を止め、音のした前方の曲り角へ耳を傾ける。


 何も聞こえない。僕の心音だけが聞こえた。

 また歩き始める。


 からから――

     からから――


 足を止める。

 物音も遅れてぴたりと止む。

 僕はいつの間にか、彼女の手を強く握り締めていた。手には汗がじっとりと滲んでいる。

 彼女に目をやると、全く平気というより上の空だった。園内をぐるぐる回っていた時と同じ、ぽんやりして心ここに在らずだ。


 再び歩き始める。

 物音は聞こえない。

 曲り角が近づいてきた。音を立てて唾を飲み込む。そろそろ覚悟を決めなければいけない。彼女の方を向く――


 顔があった。

 顔だけがあった。

 彼女の後ろに音もなく。

 髪の長い女の顔だけが。

 台車の上に真っ白い顔だけが。

 首のない看護師。台車を持っている。

 顔と目が合う。


 顔はゆっくりと口を吊り上げた。

 笑っている。

 にやりと笑っている。

 目を大きく見開いた。

 音もなく笑っている。


「うあぁぁぁぁぁ!」

 僕は絶叫を上げ、彼女の手を引っ張って走り出した。

「え? え? ええ?」

 彼女は何が起こったかわからないような声を上げている。

 僕は、前のめりになって走った。

 曲り角を曲がる。


 台車があった。

 顔が載っている。僕の手が届く距離に。

 顔と見つめ合う。



 時間が止まる。



 顔が口を吊り上げてげらげら笑う。


「うぉああっ!」

 遅れて僕も絶叫を上げる。

 台車にぶつかりそうになりながらすり抜けていく。

 駆け巡る恐怖が、手足をバラバラに動かす。身体を全力で走らせようとする。


 廊下に這い回る足のない患者を跳び越し、霊安室の起き上がった死者をかわす。

「うあぁあ! おぉぉおぉぉっ!」

 次々と襲い来る恐怖に、雄たけびを上げながら駆け抜けていった。



「あ、あの、その……」

 彼女の声で我に返った。

 おばけ屋敷の出口で、茫然自失のまま突っ立っていた。

 やっぱりダメだった。僕は未だに幽霊の話を聞くと夜眠れなくなる。トイレに行くのも一苦労だ。おばけ屋敷は作り物だからと自分に言い聞かせたものの、ノッケから悲鳴を上げてしまった。

 意地を張らずに、クマの乗り物にしておけばよかった。


 ふと、彼女の声が僕の肩から聞こえたことに気づく。彼女は抱き上げられた猫のように縮こまっている。

 冷や水を浴びせられたように覚醒した。

「あ……ごめん」

「い、いいえ! そんな、滅相も、ございません」

 首を横に振っている彼女を下ろす。

 おばけ屋敷で駆けずり回っている間、無意識に彼女を抱きかかえて走っていた。


 急に恥ずかしさが込み上げてきた。

 おばけ屋敷でずっと悲鳴を上げていたなどと、羞恥で身悶えしたくなってくる。

 彼女は両手を前に組んでうつむいていた。

 僕は手の平を見る。

 服越しに感じた肌のやわらかな弾力。かすかに聞こえた胸の鼓動。あたたかな体温。

 両手と胸に彼女を抱きかかえた感触が残っていた。



 今度は僕の胸が悲鳴を上げているようだ。


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