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【ミスト】―指輪―

 秋の陽気でぽかぽかと暖かい休日の昼下がり。多種多様な人々でごった返す城下町。人ごみの中をゆっくりと進む馬車。中を覗き込もうと跳びはねる子供。落ち着いた趣のあるレストランには長蛇の列。市場の方からは威勢のいい店主のかけ声が聞こえてくる。遠目に見える勇者と思しき一行には、砂糖へ群がる蟻のように人の波が押し寄せていた。肩がぶつかりそうなほどの人、ひと、ヒト。


 そんな中、僕は羽の生えた少女と手をつないで歩いている。いや、引きずられている。

 正面から来た子供が立ち止まり、妙なイキモノでも見つけたかのように、彼女をじっと見上げていた。

 続いて上流階級と思しき貴婦人から舞踏会でもあるのか、と間違えて声をかけられる彼女。「違いますよ、たぶん」と苦笑いを浮かべながら、曖昧な説明をする僕。

 彼女は何も言わず、前を向いたままずんずん歩いていく。

 僕は彼女の格好を眺めるように後ろ姿をじっと見ていた。彼女はいったい何者なのか? と。

 たまに周囲へ顔を向けると、珍しいものを見るような視線とぶつかる。僕は少し目のやり場に困った。仮面でもかぶっていれば、舞踏会に行くと誤魔化せたかもしれない。



たっぷり二十分ほど歩いただろうか。

 彼女はいったいどこへ向かおうとしているのか。そろそろ引きずられるのに慣れてきた僕は、久しぶりに口を開いた。

「えと、どこへ向かってるんです?」

 前を行く彼女に聞いてみる。


 反応がない。なおもずんずん歩いていく彼女。


 ふいにぴたりと彼女の足が止まった。急停止で僕は彼女にぶつかりそうになる。

「アンタ、どっか行きたいとこないの?」

 前を向きながら言う彼女。一瞬、誰か別の人に話しかけていると思った。

 もしかして彼女はなんの予定もなく、ただ僕に町へ来いと言ったのか……。

 ますますもって意味がわからない。彼女の目的はなんなんだ?

「特に、町で何かする用はないので……」

 そう答えると、彼女はハァっと僕を尻目にしてため息を吐いた。

「そう。じゃあ私をどこかへ連れて行きなさい」

 僕は彼女をどこかに案内しないといけないようだ。しかし、

「そう言われても、僕はほとんど町になんて来ませんから」

 困ったな、と辺りを見回す。どこがいいのかなんてさっぱりわからない。正直、迷子にでもなりそうだ。


 しばらく思案した後、

「それじゃ、市場なんてどうです?」

 とりあえず稀に町へ来たとき立ち寄る商店街を勧める。

 いいわよ、と短く返事をする彼女。

 あまりお金を持ってなくて少し不安だけど、他に行く場所も思い当たらない。市場でいいだろう。「わかりました。行きましょう」と彼女の手を引く。

「ふーん。ほんとに行くのね」

 僕は耳を疑った。彼女は、引っ張られながらそんなことを言う。

 今『いいわよ』と言ったばかりではないか。彼女の中で“いい”は“ダメ”という意味なのか? いや、そうに違いない。

「えっと、やっぱり別の場所にします?」

 手を頭に添えて記憶をたどり、他を考える。市場がダメとなれば――。

「いいわよ、別に」

 ふふ、と笑いながら言う彼女。僕は何か面白いことでも言ったのか?

 なんとなく“いい”を“ダメ”に置き換えてみる。『ダメわよ、別に』――意味がわからない。いいだ、こりゃ。

「そ、そう。じゃあ行きましょう」

 困惑しながらも、再び彼女の手を引いていった。



 市場をきょろきょろと見回しながら歩いていると、足を止めた彼女に引っ張られていた。

 どうやら貴金属店に興味があるらしい。きらびやかで色鮮やかな指輪やネックレスが並ぶ店内に入った。

 指輪の並びには、輝きを放つ宝石へ、とろけそうな視線を向ける女性客がいた。目線の先にある指輪をつけた自分自身の姿でも思い浮かべているのだろうか。

 隣の羽の生えた彼女を見る。これまた、らんらんという音が聞こえてきそうなほど瞳が輝いていた。よだれでも垂らしそうな顔をしている、というのは言い過ぎかもしれないが。これまでの彼女との落差に、驚愕を通り越して恐怖を感じるほどだった。

 僕はこういった店に入るのは初めてだ。なんら僕には関係のない場所だった。

 宝石は確かに綺麗な石であることは認める。しかし、だからといってあんなにうっとりして眺めるのは理解できない。


「よし、これにする!」

 いきなり彼女が声を上げた。指にはぎらぎらと紅いルビーが光を放っている。僕の全財産を出したって買えるとは思えない。やはり彼女は貴族なのか?

 と、そのままつかつか店の外に出ようとする彼女。

「ちょ、ちょっと! まだお金払ってないですよ!」

 あわてて彼女の手を引っ張りながら言う。店主が店の奥からゆっくりとこちらへ向かってくるのが見える。

「そう? じゃあアンタ払っといて」

 にこやかにそういう彼女。もう指輪のことしか頭にないようだ。

「そんなぎらぎらしてるいかついの、買えるわけないじゃないですか!」

「なによ? こんな石ころも手に入れられないの?」

「僕には一生かかっても買えませんって!」

 ダメねぇ、と言ってため息を吐く彼女。たまらず『ダメ』を置き換えてみる僕。

 さすがにその指輪は彼女がどうにかするしかない。

「お金、持ってないんです?」

「ない」

 彼女はきっぱり、当然のようにけろっと言う。そういうことは早めに言って欲しい。

 店主の足音がもうそこまで迫っている。

「なら、その指輪は戻しましょう」

 僕の言葉は聞こえていないのか、彼女の瞳がらんらんどころかぎらぎらしだした。口の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべている。

 彼女の様子に、僕の頭でけたたましい警鐘が鳴り響く。嫌な予感が最高潮に達しようとしていた。

「合図、出すから」

 店主を見ながら彼女がつぶやく。

「な、なにを言っ

「いち、にい――」


 逃げた!


 飛んだと言ってもいい。凄まじい速さで裏通りを駆けていく彼女。遅れて僕も全力で走り出す。

 宝石泥棒をしたという事実。ひやりとした悪寒が頭から背中まで走り、全身の血が一気に引いていく気がする。

 なぜ今宝石を盗んで逃げているのかわからない。頭がおかしくなりそうで、声でも上げたくなる。

 楽しそうにきゃあきゃあ叫んでいる彼女に、どんどん離されていく。僕は半狂乱になりながら後ろを何度も振り返る。

 店主の手が肩に伸びる!

 左後方から用心棒らしき大男が棍棒を振り下ろす!

 目まぐるしく変わる状況に頭が追いつかない。しかし、かろうじてかわしていく。

 また棍棒が頭をかすめる!

 たまらず、うぁっと短く声が漏れてしまう。

 もうあまり彼女の姿が見えなくなってきた。後ろから店主の怒号。用心棒の魔法で発生している風が、轟々という音を立てている。

 足に投げつけられた棍棒をかわす!

 直後、渦を巻いて風が背中をかすめる!

「うぁ、あ、ああぁ……ああああああああ!」

 迫り来る恐怖に、情けない声を上げ続けながら逃げていった。



 結局捕まった。

 取り押さえられていた僕に気づき、彼女も大人しく店まで戻った。

 店の隣にある倉庫で問い詰められた僕は、彼女が隣国の貴族というウソを突き通した。耳や羽のアクセサリー、着ているドレスがこんなところで役に立った。しかし、それでも不審すぎる。機転を働かせ、商品をひとつ買うことを条件に、なんとかおとがめなしにしてもらった。

 店の壁に背を預け、両腕をだらりとしたまま安堵の深いため息を吐く。魂も少し一緒に吐き出されたかもしれない。


「ふぅ、なかなか楽しかった」

 けらけらと笑いながら彼女が言う。

「もう一度指輪をはめたまま、外に出てみようかな」

 また、不敵な笑みを浮かべている。

 まったく悪びれる様子のない彼女に、いい加減頭にきていた。

「こ、この……!」

 拳を振り上げる。怒っていることを態度で表す。

 彼女は一瞬ハッと驚いたように見えたが、

「まぁいいじゃない」

 ジョーダンよ、となぜかにこやかに笑っている。

 どうせ僕が怒っても迫力なんてないし、たいして怖くないからだろうか。

 拳を下ろす。彼女の楽しそうな顔を見ていると拍子抜けしてしまって、僕までまぁいいか、となってしまった。


 ともかく僕はこの貴金属店でなにか一品買わなければならない。ヒゲを生やした店主が手もみして待ち構えている。

 彼女の方を向くと、すでに目をきらきら輝かせながら僕を見ていた。そして、展示品のひとつを指差している。


 ふと、彼女のローブの下でせわしなく動いているものが目に留まった。

 なんなんだ、あれは……。

 また頭がぐるぐるし出した僕は、額を押さえる。

 とりあえず、ひとつずつ聞いていこう。

「それが欲しいんだよね?」

「いーえ」

 物欲しそうな顔で指差してるくせに、どうしろと言うんだ。

「アンタが私にプレゼントしたいんじゃないの?」

 なるほど、そういうことか。

「……これクダサイ」

 つべこべ言って長引かす前にさっさと購入する。

 彼女が指差していたものは、黄色い地色に白い線の入った宝石で、店主の顔が渋くなるほど安価な指輪だった。



 貴金属店を出た彼女は、真向かいにあるレストランに僕を引きずりながら入った。


 テーブルの向かいに座っている彼女は、スプーンについたミルクを鼻歌まじりになめている。僕の紅茶はもうすでにないが、彼女はまだ口をつけていない。スプーンをなめながら、ただただ指輪を眺めるばかりだった。

「その指輪、そんなに気に入った?」

 彼女の様子に半ばあきれ気味に聞く。

「んー? そうでもないわよ」

 僕は『そんなに気に入らない?』と聞いたんだ、たぶん。

 それに、彼女のローブからふさふさした黒い毛の束がはみ出ていて、左右に振られている。

「そう。しっぽ振るくらいうれしそうなんだけどね」

 これはどう見てもしっぽだ。

 彼女は指輪から僕に視線を移し、一気に紅茶を飲み干した。

「なによー? 気に食わないの?」

「そういうわけじゃないけど」

「ならいいじゃない」

 また指輪に向き直る彼女。確かに、コウモリの羽にネコの耳と、いまさらしっぽのひとつやふたつ増えたところで大差がない。いや、しっぽは実際二本生えてるから、ぎりぎりだ。

 まぁいいか……。



 いや違う、全然『まぁいいか』じゃない。

 彼女は明らかに魔物だ。


 いきなり生えてしまっては、さすがにしっぽのアクセサリーとは言えない。幻覚で人間のように見せる魔法は聞いたことがある。しかし、人ごみで――しかも全員にずっと幻を見せるなんて到底できるはずがない。

 きっと彼女は人に化けている。が、そんな高度な魔法を使う魔物は聞いたことがない。

 それにしたって、彼女はいったいなにがしたいのか?

 やっぱり目的がわからない。


 しっぽの生えた彼女に目をやると、指輪を眺めながらティーカップをぐるぐる回して遊んでいた。

 彼女の今までの言動を思い出す。



 もしかして……これってデートなのか?


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